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夜会と視線 3
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シェルニティは、顔を上げているが、やはり緊張しているようだ。
彼の腕にかけた手に、力が入っている。
その手に、彼女に貸していないほうの手を乗せ、微笑んでみせた。
シェルニティも、微笑み返してくる。
人の目など気にする必要はない。
彼は、そう言ったが、本人にとって、それが難しいことだとは、わかっていた。
まるきり気にせずにいる、ということはできないだろう。
だとしても、シェルニティは、精一杯、頑張っている。
今まで、実践することはなかったらしいが、さすがに、きっちりとした貴族教育を受けているのがわかるくらい、堂々としていた。
「こ、公爵様」
転がるようにして駆け寄ってきたのは、イノックエルだ。
彼が贈ったタイピンをつけている。
隣にいる妻、すなわちシェルニティの母も、髪飾りをつけていた。
薄く透明感のある紫の宝石が、それぞれに、はめこまれている。
シェルニティに話した通り、お手製の宝石だ。
地中深くから取り出した素材に圧力を加え鉱石とし、それを原石に造った。
空気や砂礫からでも、彼は、魔術を使い、素材にすることができるのだ。
実際、どんな高級店で売られている宝石より、希少価値は高い。
さりとて、売るつもりで造ったことがないため「相場」はないのだけれども。
「やあ、イノックエル。ロゼッティは、初めて顔を合わせるね」
「は、はい……む、娘が、お世話になって、おります……」
耳をすませていなければ聞こえないほど、小さな声で、シェルニティの母親が、頭を下げる。
瞳の色や顔立ちは、なんとなくシェルニティに似ていた。
ただ、赤毛の髪や雰囲気は、まったく似ていない。
イノックエルと似たところと言えば、耳の形くらいだし。
(彼女は、過去の様々な血筋から、いいところを選りすぐって産まれたのかもしれないな。とても、この2人の血だけとは思えない)
血の流れには、不思議なものがある。
彼自身が、それを、身を持って体験していた。
子は親に似るものではあるが、それ以外の要素も複雑に絡み合っている。
どこで、過去からの血が呼び覚まされるか、わからないのだ。
「お世話なんてしちゃいないさ。彼女といると、毎日が楽しくてね。ここ数年の鬱々とした気分が吹き飛んでしまったよ」
「そ、そう仰っていただけると、私どもも、嬉しく……」
2人は、彼の隣にシェルニティがいるにもかかわらず、見ようとしていない。
ちきっと苛立ちが走るが、我慢する。
せっかくの夜だ。
2人に冷や汗をかかせて終わりにする気はなかった。
「いい夜だ、そう思うだろう、イノックエル」
「ええ、はい、もちろん……」
「私たちのことは気にせず、楽しむがいいよ。私たちも、そうするのでね」
言って、シェルニティの額に軽く口づける。
それから、2人に、軽く首を傾けてみせた。
イノックエルは、さすがに敏感だ。
彼の「失せろ」という合図を察し、妻と連れ立って、そそくさと離れて行く。
(不愉快な男ではあるが、察しがいいのだけは取柄と言えるな)
隣からの視線に、彼はシェルニティのほうに顔を向けた。
彼女は、彼を見上げている。
「どうかしたかい?」
「2人とも、私に、なにも仰らなかったわ」
「挨拶がなかったのは、確かだね」
「いえ、違うの。夜会に出るなんてって、叱られるとばかり思っていたから」
彼は、左手を伸ばし、指先で、彼女の右頬を撫でる。
周囲の目などおかまいなしだ。
実際、本当に気にしていない。
というより、気にしたことがない。
彼は、人目を気にするのではなく、人目を意識する。
どう見られているかではなく、どう見せるか。
さりとて、今は、それすら、どうでもよかった。
単に、シェルニティを安心させたいと思っている。
「シェリー、きみのご両親も、わかってくれたのじゃないかな? きみを閉じ込めておく理由なんてないってことをね」
「それなら、この先も叱られることはない?」
「ないよ。きっとね」
絶対に、ない。
あの2人は、それを理解したはずだ。
彼らに渡した「品」が、否応なく、思い出させるに違いない。
シェルニティは、ジョザイア・ローエルハイドのお気に入りである、と。
あれらは、それも「込み」なのだ。
娘という以上に、心に刻まれたことだろう。
叱るどころか、彼女の願いを退けることすら、できはしない。
「ところで、まずは1曲、どうだい?」
イノックエルが挨拶に来たことで、このあと、続々と、人が集まってくるのは、目に見えていた。
基本的に、ローエルハイドは表に出ない主義だ。
彼にしても、それこそ「お忍び」でなければ、夜会にもサロンにも出入りはしていなかった。
自らの素の姿を晒して、夜会に出たのは、初めてのことでもある。
貴族らは、これが「特異な状況」だとわかっているだろう。
今後、あるかどうか、一生に1度の機会になるかもしれないのだ。
こぞって、挨拶に来るのは当然の成り行きと言えた。
とはいえ、彼にすれば、主役は、彼ではない。
しかも、ブレインバーグ夫妻と似たり寄ったりの態度しか示さないのも、容易に予測できる。
シェルニティを無視され続けると、さすがに苛立ちを抑えきれる自信がなかった。
そのため、挨拶は抜きで、ダンスホールに行きたかったのだ。
彼女とのダンスを、彼は、本気で楽しみにしていたので。
そもそも、シェルニティに、楽しませるとの、約束もしている。
彼女が「いない者」のように扱われたのでは、楽しめるはずがなかった。
「さあ、おいで」
腕にかかっていた彼女の手を取り、ダンスホールに移動する。
後ろから、ぞろぞろとついてくる招待客は、無視した。
分かり易く、拒絶の意思を背中で表す。
それにより、彼らは、ついてきはしても、話しかけてはこなかった。
シェルニティの手を握り、ダンスホールの中央に立つ。
流れ始めた曲に、彼女の顔が、わずかに曇った。
前奏だけで、曲調が速いのが、わかる。
「これは、ワルツではないわね?」
「クイックのようだな」
「知らなくはないけれど、通り一遍しか習っていないの」
「知っているのなら平気さ。割に、楽しいものだよ、明るい曲が多いからね」
おそらく、クリフォードの嫌がらせだ。
ホールに入ってきた時には、ワルツの曲が流れていたのを耳にしている。
クイックステップは、最近の流行りではあるが、まだ夜会で踊ることは少ない。
シェルニティが踊れないと見込んで、曲を差し替えさせたのだろう。
「いいじゃないか。形にはこだわらずに、楽しくやろう」
「そうね。せっかく来たのだし、初めてのダンスですもの」
シェルニティの手が、彼の肩に軽くそえられる。
彼も、腕を回し、彼女の背を支えた。
視線を合わせ、互いに、にっこりする。
同時に、足を踏み出した。
彼の腕にかけた手に、力が入っている。
その手に、彼女に貸していないほうの手を乗せ、微笑んでみせた。
シェルニティも、微笑み返してくる。
人の目など気にする必要はない。
彼は、そう言ったが、本人にとって、それが難しいことだとは、わかっていた。
まるきり気にせずにいる、ということはできないだろう。
だとしても、シェルニティは、精一杯、頑張っている。
今まで、実践することはなかったらしいが、さすがに、きっちりとした貴族教育を受けているのがわかるくらい、堂々としていた。
「こ、公爵様」
転がるようにして駆け寄ってきたのは、イノックエルだ。
彼が贈ったタイピンをつけている。
隣にいる妻、すなわちシェルニティの母も、髪飾りをつけていた。
薄く透明感のある紫の宝石が、それぞれに、はめこまれている。
シェルニティに話した通り、お手製の宝石だ。
地中深くから取り出した素材に圧力を加え鉱石とし、それを原石に造った。
空気や砂礫からでも、彼は、魔術を使い、素材にすることができるのだ。
実際、どんな高級店で売られている宝石より、希少価値は高い。
さりとて、売るつもりで造ったことがないため「相場」はないのだけれども。
「やあ、イノックエル。ロゼッティは、初めて顔を合わせるね」
「は、はい……む、娘が、お世話になって、おります……」
耳をすませていなければ聞こえないほど、小さな声で、シェルニティの母親が、頭を下げる。
瞳の色や顔立ちは、なんとなくシェルニティに似ていた。
ただ、赤毛の髪や雰囲気は、まったく似ていない。
イノックエルと似たところと言えば、耳の形くらいだし。
(彼女は、過去の様々な血筋から、いいところを選りすぐって産まれたのかもしれないな。とても、この2人の血だけとは思えない)
血の流れには、不思議なものがある。
彼自身が、それを、身を持って体験していた。
子は親に似るものではあるが、それ以外の要素も複雑に絡み合っている。
どこで、過去からの血が呼び覚まされるか、わからないのだ。
「お世話なんてしちゃいないさ。彼女といると、毎日が楽しくてね。ここ数年の鬱々とした気分が吹き飛んでしまったよ」
「そ、そう仰っていただけると、私どもも、嬉しく……」
2人は、彼の隣にシェルニティがいるにもかかわらず、見ようとしていない。
ちきっと苛立ちが走るが、我慢する。
せっかくの夜だ。
2人に冷や汗をかかせて終わりにする気はなかった。
「いい夜だ、そう思うだろう、イノックエル」
「ええ、はい、もちろん……」
「私たちのことは気にせず、楽しむがいいよ。私たちも、そうするのでね」
言って、シェルニティの額に軽く口づける。
それから、2人に、軽く首を傾けてみせた。
イノックエルは、さすがに敏感だ。
彼の「失せろ」という合図を察し、妻と連れ立って、そそくさと離れて行く。
(不愉快な男ではあるが、察しがいいのだけは取柄と言えるな)
隣からの視線に、彼はシェルニティのほうに顔を向けた。
彼女は、彼を見上げている。
「どうかしたかい?」
「2人とも、私に、なにも仰らなかったわ」
「挨拶がなかったのは、確かだね」
「いえ、違うの。夜会に出るなんてって、叱られるとばかり思っていたから」
彼は、左手を伸ばし、指先で、彼女の右頬を撫でる。
周囲の目などおかまいなしだ。
実際、本当に気にしていない。
というより、気にしたことがない。
彼は、人目を気にするのではなく、人目を意識する。
どう見られているかではなく、どう見せるか。
さりとて、今は、それすら、どうでもよかった。
単に、シェルニティを安心させたいと思っている。
「シェリー、きみのご両親も、わかってくれたのじゃないかな? きみを閉じ込めておく理由なんてないってことをね」
「それなら、この先も叱られることはない?」
「ないよ。きっとね」
絶対に、ない。
あの2人は、それを理解したはずだ。
彼らに渡した「品」が、否応なく、思い出させるに違いない。
シェルニティは、ジョザイア・ローエルハイドのお気に入りである、と。
あれらは、それも「込み」なのだ。
娘という以上に、心に刻まれたことだろう。
叱るどころか、彼女の願いを退けることすら、できはしない。
「ところで、まずは1曲、どうだい?」
イノックエルが挨拶に来たことで、このあと、続々と、人が集まってくるのは、目に見えていた。
基本的に、ローエルハイドは表に出ない主義だ。
彼にしても、それこそ「お忍び」でなければ、夜会にもサロンにも出入りはしていなかった。
自らの素の姿を晒して、夜会に出たのは、初めてのことでもある。
貴族らは、これが「特異な状況」だとわかっているだろう。
今後、あるかどうか、一生に1度の機会になるかもしれないのだ。
こぞって、挨拶に来るのは当然の成り行きと言えた。
とはいえ、彼にすれば、主役は、彼ではない。
しかも、ブレインバーグ夫妻と似たり寄ったりの態度しか示さないのも、容易に予測できる。
シェルニティを無視され続けると、さすがに苛立ちを抑えきれる自信がなかった。
そのため、挨拶は抜きで、ダンスホールに行きたかったのだ。
彼女とのダンスを、彼は、本気で楽しみにしていたので。
そもそも、シェルニティに、楽しませるとの、約束もしている。
彼女が「いない者」のように扱われたのでは、楽しめるはずがなかった。
「さあ、おいで」
腕にかかっていた彼女の手を取り、ダンスホールに移動する。
後ろから、ぞろぞろとついてくる招待客は、無視した。
分かり易く、拒絶の意思を背中で表す。
それにより、彼らは、ついてきはしても、話しかけてはこなかった。
シェルニティの手を握り、ダンスホールの中央に立つ。
流れ始めた曲に、彼女の顔が、わずかに曇った。
前奏だけで、曲調が速いのが、わかる。
「これは、ワルツではないわね?」
「クイックのようだな」
「知らなくはないけれど、通り一遍しか習っていないの」
「知っているのなら平気さ。割に、楽しいものだよ、明るい曲が多いからね」
おそらく、クリフォードの嫌がらせだ。
ホールに入ってきた時には、ワルツの曲が流れていたのを耳にしている。
クイックステップは、最近の流行りではあるが、まだ夜会で踊ることは少ない。
シェルニティが踊れないと見込んで、曲を差し替えさせたのだろう。
「いいじゃないか。形にはこだわらずに、楽しくやろう」
「そうね。せっかく来たのだし、初めてのダンスですもの」
シェルニティの手が、彼の肩に軽くそえられる。
彼も、腕を回し、彼女の背を支えた。
視線を合わせ、互いに、にっこりする。
同時に、足を踏み出した。
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