放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

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わけがわからず 2

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 シェルニティは、ソファに座っている。
 が、彼は隣には座らず、正面に立っていた。
 初めて会った日と同じだ。
 
「それで?」
 
 シェルニティが、レックスモアに帰ろうとしたのは、どういう理由からか。
 それが知りたい。
 彼女は、彼がいない日に、こっそり家を出ようとしたのだ。
 ここに居づらくなって、ブレインバーグに帰ろうとしたというのであれば、まだしも納得はできる。
 
 さりとて、それだって、完全には腑に落ちない。
 シェルニティは、自らの意思で「選択」することを覚え始めていた。
 推測でしかないが、1人でやっていこうと考えていたはずだ。
 そのために、いったんブレインバーグに戻り、準備をしようとしていた、というのは有り得る話ではあった。
 
 が、なぜ、今なのか、今日だったのか、彼に告げなかったのか。
 その辺りが腑に落ちないのだ。
 
 そして、シェルニティは、完全には腑に落ちていないものの、まだ納得のできるブレインバーグではなく、レックスモアの屋敷だと言った。
 こちらは、まったく納得も理解もできない。
 婚姻は解消されており、リリアンナからの申し出も退けているくらい、彼女は、レックスモアに戻る気などなかったのだ。
 
「それほど、たいしたことではないのよ」
「にしては、やけに準備万端、整えていたようだ。苺をつまみ食いする時ですら、私の視線を気にもしないきみが、あえて私の目をかいくぐろうとしたのだからね」
 
 彼女は、彼に呼び戻されて以来、うつむいたままでいる。
 肩を落としている姿は、彼に罪悪感をいだかせていた。
 なのに、彼は、冷静になりきれていない。
 自覚しているのに、抑えが効かないのだ。
 
「いいさ。外に出ることを禁じてはいないし、私には、きみを幽閉する気なんて、これっぽっちもない。どこに行こうが自由だ。だが、隠れて、こそこそされるのは我慢がならないね」
 
 シェルニティは、長く1人だった。
 もしかすると、あんな夫であっても、いないよりは良かったのだろうか。
 この家で1人になり、急に心細くなって、そこに思い出されたのが、かつての夫だったのかもしれない。
 クリフォードは「戻れば受け入れる」と言っていたようだし。
 
「きみが出て行ったとしても、恩知らずなどと罵ったりはしないよ。すべて、私の勝手な行いだったことくらいは、心得ている」
 
 彼は、なぜ「止まれない」のかが、わからずにいる。
 心のうちでは、繰り返し「もうやめておけ」と声が聞こえていた。
 感情に支配されるのが、どれほど危険か、知っているのに。
 
「以前、あなたは言いたいことがあるなら言え、と言ったわね。だから、言うわ。私にも、言いたいことがあると、あなたが、今も思ってくれているなら」
「もちろん、思っているさ。会話というのは、1人では成立しない」
「その割に、あなた、さっきから1人で話していたって、知っていた?」
 
 シェルニティに、じっと見つめられ、彼は、大きく息を吸い込む。
 視線を外し、右手で前髪をかきあげた。
 そして、今度は、大きく息を吐き出す。
 
「正直に言って、あんまり早口にまくしたてられて、私、あなたの言ったことに、ほとんど、ついていけていないの」
 
 彼女の言葉に、ほんの少し冷静さを取り戻した。
 彼が、感情的になることは、ものすごく稀なのだ。
 最近では、滅多にないと言っても過言ではない。
 その彼が、感情に支配されて口にした言葉を、ある意味、シェルニティは簡単に聞き流してしまっている。
 そのため、彼女は怒るでもなく、泣くでもなく、ただ困った顔をしていた。
 
(……本当に、驚くよ……彼女のほうが、よほど冷静だ……)
 
「それで?」
「これを、見てくれる?」
 
 シェルニティが、テーブルの上に1通の封書を置いた。
 裏返しにされていたので、それがレックスモアからのものだとわかる。
 封蝋ふうろう印璽いんじが押されていたからだ。
 
「これは、夜会の招待、状……」
 
 瞬間、彼は、なにもかもを理解する。
 シェルニティが、これを彼に見せなかった理由も、今日の出来事が、偶然に過ぎなかったことも。
 そして、彼女が、彼に話さなかった心情も。
 
 なにもかもだ。
 
 招待状をテーブルに放り、彼は、シェルニティに駆け寄った。
 その足元にひざまずき、彼女を強く抱きしめる。
 
「シェリー……私は、不当だった。とても、理不尽だった……」
 
 これでは、彼女の周りにいた者たちと同じだった。
 彼女の心情や意思を無視して、自分の言いたいことだけを押しつける。
 自分は、彼女を、理不尽に不当に扱ってしまったのだ。
 
「あの日、リリアンナから、この招待状を受け取っていたのだね?」
「そうなの。友好的な関係に戻ったと、周囲に思わせたかったのね。でなければ、レックスモアの面目が保てないでしょうし」
「その夜会が、今日だった」
 
 シェルニティがうなずく。
 夜会の招待状は、半月ほど前から招待客に届けられるのが一般的だ。
 対して、彼が外出を決めたのは、昨日だった。
 シェルニティには、当然、そのどちらも決めることはできない。
 夜会の日だって、彼女が決めたものではないのだ。
 
「私に……迷惑をかけまいとした。そうだろう?」
「私は……まぁ……こんなふうだし……夜会には、大勢の貴族が集まるでしょう? あなたが親切心からエスコート役をかって出てくれると、わかっていたの」
 
 だから、シェルニティは、彼に話さずにいた。
 おそらく、好奇の目にさらされるとわかっていながら、たった1人、それに、耐えようとしていたに違いない。
 
「きみは正しい。ああ、とても正しいよ」
 
 彼は、少し体を離して、シェルニティの瞳を見つめる。
 彼女の話を聞こうともせず、責めてしまったのを悔やんでいた。
 シェルニティの左の頬に手をあてる。
 
「きみのエスコート役は、私がする。ほかの誰にも譲れない」
「でも……」
「いいかい、きみ。今、私の望みを叶えられるのは、きみだけなのだよ? どうか断らないでくれ。こうして跪いて頼んでいる私を、憐れに思ってくれないか?」
 
 シェルニティが、小さく笑った。
 その笑顔に、ホッとする。
 感情に任せ、彼女を傷つけてしまうところだった。
 彼女の心に、まだ「傷つく」という感情が芽生えていなかったから、難を逃れたに過ぎないのだ。
 
「そうね。迷惑でなければ、お願いするわ。あなたが、エスコート役なら、夜会も楽しめる気がするもの」
「舞台道化師並みに、きみを楽しませると約束するよ」
 
 言って、シェルニティの右頬に口づける。
 その暖かさに、彼のほうが安心していたかもしれない。
 
「ところで、さっきの、お話は、なんだったのかしら? 本当に、私、ついていけなくて、途中から、わけがわからなくなってしまったの」
「ああ、あれは……できれば忘れてくれるとありがたい」
「そうなの? あんなに、たくさん話していたのに」
「実は、大半が八つ当たりだった」
 
 シェルニティが、きょとんとした顔をした。
 おそらく、彼が「八つ当たり」した理由がわからなかったのだろう。
 彼は、苦笑いしつつ、肩をすくめてみせる。
 
「きみが、アリスに、初めての口づけを捧げようとしていたのが、ものすごく気に食わなかったのさ」
 
 実際、それも嘘ではない。
 彼女は、数回、まばたきをしたあと、笑い出した。
 笑いながら、言う。
 
「あなたには、アリスが馬に見えていないようね。やっぱり、眼鏡をかけたほうがいいのじゃないかしら?」
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