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来客に困惑 3
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彼は、家の外に出ている。
なにしろ、とても不快だったのだ。
シェルニティは気づいていないだろうが、リリアンナはあからさまに彼を誘っていた。
シェルニティの前であっても、まったく気にしていなかった。
もちろん彼と彼女の間には、なにもない。
ただ、周囲は、2人が親密な関係だと誤解している。
つまり、表向き、2人は「恋人関係」にある、ということだ。
そうでなくとも、年頃の女性が男性と、生活をともにしている。
なにもない、と思うほうが難しいくらいの状況だった。
にもかかわらず、リリアンナは、シェルニティの存在を無視している。
気にかける必要もない、とばかりに。
ああやって体を押しつけ甘えた仕草を見せれば、彼が靡くと思ったに違いない。
シェルニティを放り出し、飛びついてくるはずだと考えていた。
彼には、リリアンナの思惑が、手に取るようにわかる。
(だてに、長く放蕩をしていたわけではないのでね)
その当時でさえ、リリアンナに手を出しはしなかったはずだ。
それは、断言できる。
リリアンナのような女性を、彼は好まなかった。
蜂のように、より多くの蜜を欲するくせに、割りきった関係にも納得しない。
はなはだ面倒な性質の女性だと、見抜いている。
彼が放蕩をしている間、ベッドをともにしてきたのは、手慣れており、完全に、割りきった関係に納得している女性だけだった。
もとより、相手の女性のほうが、一夜限り、もしくは2,3度、夜をともにして終わることを望んでいたのだ。
お互い、素性を知らないことも少なくなかった。
彼は、彼女らが望む「遊びに最適」な男性でもあった。
予防措置は常に講じていたし、寝起きの顔を見られる心配のない相手。
夜をともに過ごしても、朝には、ふいっと消えている。
そして、どこかで顔を合わせても、彼のほうから声をかけてくることはない。
まさに彼女らからすれば「好都合」が服を着ているような男性だったのだ。
(その成果として、私に、愛は必要ないと、わかったわけだ)
彼は、十年近く、放蕩を続けていた。
髪と目の色を変え、街やサロンに出かけるのが日課。
やめたのは、ほんの4,5年ほど前だ。
それまで、彼は、さまよっていた、と言える。
なにか「愛」らしきものを見つけたくて。
けれど、結局、見つからなかった。
彼の幼馴染みからは「放蕩で見つけられるはずがなかろう!」との、ありがたい苦言を頂戴している。
彼にも、それはわかっていたのだけれども。
アビゲイル・エデルトン。
忘れていたはずの名が、浮かんでくる。
が、即座に追いはらった。
彼女は、もういないのだ。
この世にも、彼の心の中にも。
「なあなあ、ちょいと、オレに寄聴をかけてくれよ」
アリスが、馬の姿で、彼の隣に立っている。
変転は、魔術や薬を使って動物に姿を変える変化とは違うため、姿を変えていても、話はできるのだ。
シェルニティがいる時は、あえて「馬」をやっているだけで。
寄聴というのは、遠くの音を引き寄せて聞くための魔術だった。
対象が視界にいなければ会話を聞くことはできないが、烏にでもなって、2人を窓から覗くつもりなのだろう。
「盗み聞きの片棒を担ぐ気はないよ、アリス」
それもあって、彼は家を出ている。
シェルニティは「2人で話す」と言った。
その言葉を尊重していると、リリアンナにわからせる必要があったのだ。
シェルニティを「愛妾」として囲っているのではないと明確にするためだった。
「ちぇ。ケチだな。ちょっとくらい、いいじゃねーか。気にならねーのかよ?」
「気にはなっているさ。だが、それは、あとで彼女に聞けばすむ話だろう。なにも盗み聞く必要はないよ」
「オレは、今すぐ、聞きたいけどなー。伝聞って、どっか上書きされちまうから、信用できなくね?」
アリスの言葉は、間違ってはいない。
人が、誰かに話をする時、まったくの事実を脚色なしに話すのは困難なのだ。
自覚があろうとなかろうと、少なからず客観性は失われる。
心理的な働きにより、いくぶんかは、必ず脚色されるからだ。
さりとて、恣意的なものもあれば、そうでないものもある。
多少、色をつけたからといって「悪気」があるとは限らない。
それが、歪んだものであれ、話す本人にとっては、それが「真実」なのだ。
「彼女が思ったこと、感じたこと、それが、すべてさ」
「リカ並みに堅物になる時があるよな、アンタ」
「堅物というほどではないよ。これが、きみの苦手な礼儀というものだ」
うえっと、アリスが嫌そうな声を上げる。
彼は、ちらりと横目でアリスを見た。
「あの子が、きみに似なければいいねえ」
「似るわけねーだろ。わかってるくせに」
アリスは、そっけなく言う。
彼は、ひょこんと眉を上げた。
「それでも、きみは、あの子に責任がある。違うかい?」
言うと、アリスが黙って、尾を、ぱしんっと鳴らした。
わかっている、という意思表示だろう。
彼にも、アリスがアリスなりに努力しているのは、知っている。
「あいつは、リカの息子だ。リカの息子なら、オレの息子でもある。けど、オレに似るってことはねーんだよ。絶対にな」
アリスとリカは双子であり、今年27歳。
リカの息子は、リカが14歳の時の子だ。
今、13歳になる。
彼の元を訪れる「問題のある子」のうちの1人だった。
「きみもリカも、あの子を乳母に任せきりだ。結局のところ、どちらにも、似ないかもしれない。私が心配するにおよばず、だな」
「……意地が悪ィぞ」
「そうとも」
アリスが、溜め息をつくように鼻を鳴らす。
馬の姿なので、溜め息が、そういう仕草になるのだろう。
「リカは堅物なんだよ。オレだけ、あいつに構うわけにゃいかねーからな」
「あれきり女性には近づかなくなっているようじゃないか」
「そのほうが、マシだろ。ウィリュアートンの後継は、1人いりゃ十分だ」
アリスの口調が、そっけないものに戻っていた。
結論から言えば、リカは女性に騙されて、アリスが、その後始末をした、ということにはなる。
「きみは、未だに過保護だね」
「アンタに言われたくねーんだけど? そんなに子供好きなら、自分の子を成せばいいのにサ」
「私は、子供好きなわけではないよ。なぜか、厄介事を持ち込む者が多い、というだけの話だ」
かつては、自分の子をもうけることを、考えたこともある。
けれど、今は考えていない。
ローエルハイドの血が絶えてもかまわない、と思っていた。
(この血は、すでに、多くの枝葉に分かれている。今さら、本葉がなくなっても、誰も困りやしないさ)
そういえば、と思う。
『ええ。私がいなくても、誰も困らないと気づいたわ』
シェルニティが、初めて、この家に来た日。
彼女は、そう言った。
その言葉が、心に引っ掛かったのだろう。
境遇やなんかはともかく、彼がひそかに感じていた心情と重なっていたので。
(なるほどね。だから、私は、彼女を放っておけないのかもしれないな)
なにしろ、とても不快だったのだ。
シェルニティは気づいていないだろうが、リリアンナはあからさまに彼を誘っていた。
シェルニティの前であっても、まったく気にしていなかった。
もちろん彼と彼女の間には、なにもない。
ただ、周囲は、2人が親密な関係だと誤解している。
つまり、表向き、2人は「恋人関係」にある、ということだ。
そうでなくとも、年頃の女性が男性と、生活をともにしている。
なにもない、と思うほうが難しいくらいの状況だった。
にもかかわらず、リリアンナは、シェルニティの存在を無視している。
気にかける必要もない、とばかりに。
ああやって体を押しつけ甘えた仕草を見せれば、彼が靡くと思ったに違いない。
シェルニティを放り出し、飛びついてくるはずだと考えていた。
彼には、リリアンナの思惑が、手に取るようにわかる。
(だてに、長く放蕩をしていたわけではないのでね)
その当時でさえ、リリアンナに手を出しはしなかったはずだ。
それは、断言できる。
リリアンナのような女性を、彼は好まなかった。
蜂のように、より多くの蜜を欲するくせに、割りきった関係にも納得しない。
はなはだ面倒な性質の女性だと、見抜いている。
彼が放蕩をしている間、ベッドをともにしてきたのは、手慣れており、完全に、割りきった関係に納得している女性だけだった。
もとより、相手の女性のほうが、一夜限り、もしくは2,3度、夜をともにして終わることを望んでいたのだ。
お互い、素性を知らないことも少なくなかった。
彼は、彼女らが望む「遊びに最適」な男性でもあった。
予防措置は常に講じていたし、寝起きの顔を見られる心配のない相手。
夜をともに過ごしても、朝には、ふいっと消えている。
そして、どこかで顔を合わせても、彼のほうから声をかけてくることはない。
まさに彼女らからすれば「好都合」が服を着ているような男性だったのだ。
(その成果として、私に、愛は必要ないと、わかったわけだ)
彼は、十年近く、放蕩を続けていた。
髪と目の色を変え、街やサロンに出かけるのが日課。
やめたのは、ほんの4,5年ほど前だ。
それまで、彼は、さまよっていた、と言える。
なにか「愛」らしきものを見つけたくて。
けれど、結局、見つからなかった。
彼の幼馴染みからは「放蕩で見つけられるはずがなかろう!」との、ありがたい苦言を頂戴している。
彼にも、それはわかっていたのだけれども。
アビゲイル・エデルトン。
忘れていたはずの名が、浮かんでくる。
が、即座に追いはらった。
彼女は、もういないのだ。
この世にも、彼の心の中にも。
「なあなあ、ちょいと、オレに寄聴をかけてくれよ」
アリスが、馬の姿で、彼の隣に立っている。
変転は、魔術や薬を使って動物に姿を変える変化とは違うため、姿を変えていても、話はできるのだ。
シェルニティがいる時は、あえて「馬」をやっているだけで。
寄聴というのは、遠くの音を引き寄せて聞くための魔術だった。
対象が視界にいなければ会話を聞くことはできないが、烏にでもなって、2人を窓から覗くつもりなのだろう。
「盗み聞きの片棒を担ぐ気はないよ、アリス」
それもあって、彼は家を出ている。
シェルニティは「2人で話す」と言った。
その言葉を尊重していると、リリアンナにわからせる必要があったのだ。
シェルニティを「愛妾」として囲っているのではないと明確にするためだった。
「ちぇ。ケチだな。ちょっとくらい、いいじゃねーか。気にならねーのかよ?」
「気にはなっているさ。だが、それは、あとで彼女に聞けばすむ話だろう。なにも盗み聞く必要はないよ」
「オレは、今すぐ、聞きたいけどなー。伝聞って、どっか上書きされちまうから、信用できなくね?」
アリスの言葉は、間違ってはいない。
人が、誰かに話をする時、まったくの事実を脚色なしに話すのは困難なのだ。
自覚があろうとなかろうと、少なからず客観性は失われる。
心理的な働きにより、いくぶんかは、必ず脚色されるからだ。
さりとて、恣意的なものもあれば、そうでないものもある。
多少、色をつけたからといって「悪気」があるとは限らない。
それが、歪んだものであれ、話す本人にとっては、それが「真実」なのだ。
「彼女が思ったこと、感じたこと、それが、すべてさ」
「リカ並みに堅物になる時があるよな、アンタ」
「堅物というほどではないよ。これが、きみの苦手な礼儀というものだ」
うえっと、アリスが嫌そうな声を上げる。
彼は、ちらりと横目でアリスを見た。
「あの子が、きみに似なければいいねえ」
「似るわけねーだろ。わかってるくせに」
アリスは、そっけなく言う。
彼は、ひょこんと眉を上げた。
「それでも、きみは、あの子に責任がある。違うかい?」
言うと、アリスが黙って、尾を、ぱしんっと鳴らした。
わかっている、という意思表示だろう。
彼にも、アリスがアリスなりに努力しているのは、知っている。
「あいつは、リカの息子だ。リカの息子なら、オレの息子でもある。けど、オレに似るってことはねーんだよ。絶対にな」
アリスとリカは双子であり、今年27歳。
リカの息子は、リカが14歳の時の子だ。
今、13歳になる。
彼の元を訪れる「問題のある子」のうちの1人だった。
「きみもリカも、あの子を乳母に任せきりだ。結局のところ、どちらにも、似ないかもしれない。私が心配するにおよばず、だな」
「……意地が悪ィぞ」
「そうとも」
アリスが、溜め息をつくように鼻を鳴らす。
馬の姿なので、溜め息が、そういう仕草になるのだろう。
「リカは堅物なんだよ。オレだけ、あいつに構うわけにゃいかねーからな」
「あれきり女性には近づかなくなっているようじゃないか」
「そのほうが、マシだろ。ウィリュアートンの後継は、1人いりゃ十分だ」
アリスの口調が、そっけないものに戻っていた。
結論から言えば、リカは女性に騙されて、アリスが、その後始末をした、ということにはなる。
「きみは、未だに過保護だね」
「アンタに言われたくねーんだけど? そんなに子供好きなら、自分の子を成せばいいのにサ」
「私は、子供好きなわけではないよ。なぜか、厄介事を持ち込む者が多い、というだけの話だ」
かつては、自分の子をもうけることを、考えたこともある。
けれど、今は考えていない。
ローエルハイドの血が絶えてもかまわない、と思っていた。
(この血は、すでに、多くの枝葉に分かれている。今さら、本葉がなくなっても、誰も困りやしないさ)
そういえば、と思う。
『ええ。私がいなくても、誰も困らないと気づいたわ』
シェルニティが、初めて、この家に来た日。
彼女は、そう言った。
その言葉が、心に引っ掛かったのだろう。
境遇やなんかはともかく、彼がひそかに感じていた心情と重なっていたので。
(なるほどね。だから、私は、彼女を放っておけないのかもしれないな)
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