放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

文字の大きさ
上 下
30 / 80

ゆっくりな朝に 2

しおりを挟む
 クリフォードは、王都にある宿屋に来ている。
 当初は、リリアンナも同行させようかと思っていた。
 が、なにを理由に、婚姻解消が阻まれるか、わからない。
 そのため、用心して、彼女は屋敷に置いてきたのだ。
 連れて来なくて正解だった、と、心底、思っている。
 
(ローエルハイドがなんだという! 貴族としての役割も果たしていないくせに、出しゃばる権利などはないはずだ! 奴の、あの傲慢さ! 尊大さ! 少しばかり魔術に長けているからといって、己を中心に、世界を動かしているつもりか!)
 
 クリフォードは、魔術を使えない。
 だから、魔術師を雇っているわけだが、力の違いには気づかずにいた。
 自分のかかえている魔術師と同じように考えている。
 
 魔術師は、通常、爵位を持てない。
 唯一の例外が、ローエルハイドなのだ。
 さりとて、クリフォードは、魔術師に関して不勉強に過ぎた。
 重臣らが当然に心得ていることも、彼は知らずにいる。
 
(過去の栄光にすがっている、落ちぶれ貴族ごときが……そもそも、あの史実自体、所詮まがいものだろうに! 証拠に、領地には民がいないじゃないか!)
 
 かつての宰相ユージーン・ウィリュアートンの時代から、領民の移動が、ある程度認められるようになっている。
 生活が困窮したり、領主に不正があったりした場合、領地を移動できるのだ。
 
 逆に、暮らし易い領地には人気にんきが集まる。
 一大観光地であるサハシーなどは人気が高くて、何年も受け入れ待ちしなければならないほどだった。
 だから、彼の祖が、本当に「偉大な魔術師」であり「英雄」であったなら、民がぞくぞくと集まってきていたはずだ。
 が、実際には、ローエルハイドの持つ領地に、領民は、ただの1人もいない。
 
(公爵を気取っているが、王族に飼われている、ただの犬ころだ! 我々は領民の面倒を請け負い、税収を得ているというのにな! あいつは、なにもせずとも王族から金を巻き上げられるのだから、いい身分だよ!)
 
 クリフォードの考えは、ほとんど間違っているが、わずかに正しい部分もある。
 ローエルハイドには、王族から金が流れている、というところだ。
 ほかの貴族に、直接、王族が金を支払うことはない。
 貴族たちは、領地からの税収により、生活にかかるすべての費用を賄っている。
 そういう事情もあって、民を無碍にすることはできないのだけれども。
 
 その税収を自らの放蕩のために、クリフォードは使っていた。
 魔術師の雇い入れもそうだが、今夜も高級な宿屋に泊まっている。
 サハシーほどではなくとも、王都での高級宿屋は、相応に値が張るのだ。
 けれど、安宿に泊まるなんて、クリフォードの「自尊心」が許さなかった。
 
 その豪華な部屋のソファに深く腰を下ろし、彼は、さっきから、1人、心の中でジョザイア・ローエルハイドを罵っている。
 声を出さないのは、誰かに聞かれ、それがジョザイアの耳に入るのを恐れていたからだ。
 そうした、自分の弱さや小心さに、彼は目を向けようとはせずにいる。
 ひたすら、ジョザイアを呪うように、罵詈雑言を吐き続けていた。
 
 イスから吹き飛ばされ、床に這いつくばるはめになったのを恨んでいる。
 あれほど惨めったらしい気分にさせられたのは、生まれて初めてだ。
 爵位は侯爵だが、彼にとって、それは大きな問題にはなり得なかった。
 
 魔術師の知識こそないものの、クリフォードは、その他の知識や教養は身につけており、如才がなく、要領もいい。
 加えて、容姿も整っているので、侮られるといった経験が少なかったのだ。
 ブリッジに負けたのを4年も引きずっていたのは、そのせいとも言える。
 
 辺境地を出さえしなければ、彼は「王様」でいられた。
 
 サロンでの「貸し」があったため、王都でも、公爵子息から、それなりにもてなされてきたし、それらの家の代替わりが進めば、もっと手厚く遇されたのは間違いない。
 
(あんな女、くれてやったところで、痛くも痒くもない。むしろ、清々したさ)
 
 クリフォード自身、あの時、なぜ彼女の腕を掴もうとしたのかわからずにいる。
 ただ、シェルニティは常に、クリフォードの言うことに、うなずいてきた。
 そのため、あれほどあっさり立ち上がると思っていなかったのは、確かだ。
 少しの戸惑いもなく、ジョザイアについて行こうとした彼女に、クリフォードのほうが戸惑った。
 
(そうだ。今まで世話になっておきながら、ひと言もないなどと……恩知らずにもほどがある! 私に、声をかけるべきだったのだ、彼女は!)
 
 今度は、シェルニティが、罵倒の対象となる。
 自分自身が、今まで、彼女からの「返事」を求めて来なかったことは、記憶から消し去っていた。
 シェルニティは「いつも通り」の態度を取ったに過ぎないのだが、クリフォードには、それがわからない。
 
(爵位が上の男に言い寄られ、私を裏切っておいて、罪悪感の欠片もないとはな! あんな女でも、私は婚姻してやった。正妻の座を4年も与えてやったのだぞ!)
 
 実際的に、妻であったかどうかは、この際、関係なかった。
 婚姻した事実だけに、クリフォードは固執している。
 もとより、シェルニティを妻にすることさえなければ、こんな苦境に立たされることもなかったのだ。
 
 何歳くらいまで放蕩していたかはともかく、いずれリリアンナと知り合い、正妻として迎えいれていただろう。
 正妻の座が空いてさえいれば、なにも問題は生じなかった。
 シェルニティが居座っていたことが、元凶なのだ。
 
(崖から落ちて、死ねば良かったものを)
 
 平然と帰ってきたシェルニティの姿を思い出し、はらわたが煮えくり返る。
 握りこんだ両手にも力が入っていた。
 手のひらに爪が食い込んでいる。
 それでも、屈辱感のほうが強く、痛みも感じない。
 
(あんな女に……あんな……醜くて、ゾッとするような……あんな……)
 
 シェルニティの顔は、ほとんど思い出せなかった。
 目に浮かぶのは、右頬にあった、赤黒く気味の悪い痣だけだ。
 クリフォードは、頭を振って、その映像を振りはらう。
 思い出したくもなかった。
 
(今頃、2人で、私を嘲笑っているに違いない)
 
 審議の場で、大恥をかかされ、無様をさらしたことが、クリフォードの妄想を駆り立てていた。
 重臣らは、彼に声をかけもせず、広間を去ったのだ。
 皆、一様に、クリフォードへと冷たい一瞥をくれてから。
 
(奴らだけではない。私は、貴族中の物笑いの種にされる。これでは、夜会に出ることもできはしないだろう)
 
 思う、クリフォードの脳裏に、リリアンナの笑顔がよぎる。
 彼女を、夜会に連れて行くと約束したことを思い出した。
 嬉しそうにしていたリリアンナに、いったい、どうして言えるだろうか。
 
 当面、夜会には行けそうにない、なんて。
 
 しかも、当面がいつまでになるかも、わからなかった。
 今日の審議は、重臣らの記憶に、いつまでも残るに違いない。
 そして、話の種に、あちらこちらで吹聴されるのは目に見えていた。
 
 なにしろ「ローエルハイド」が出てきたのだ。
 下手へたな演劇よりも、よほど「見ごたえ」があっただろう。
 その場では恐れおののいていても、過ぎてしまえば、恐怖も去る。
 定石通り「ここだけの話だが」と前置きをして、面白おかしく語るのだ。
 クリフォードだって、自分のことでなければ、そうしていた。
 
(ああ、畜生! あんな女のせいで、なぜ私がこんな目に……!!)
 
 シェルニティは、リリアンナとは違い、ベッドに誘うどころか夜会に連れて行くことすら、考えられもしなかった女だった。
 そんな女に、人生を台無しにされるなど、あってはならない。
 なにか、状況を覆す手立てがあるはずだ。
 
 考えを巡らせるクリフォードに、ひとつの光明が差す。
 それを光明としたのは、彼が、それなりに「貴族として」優秀だったからだ。
 クリフォードは、自分の思惑に満足する。
 
(いいか、ジョザイア・ローエルハイド。今度は、お前に大恥をかかせてやる)
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~

柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。 家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。 そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。 というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。 けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。 そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。 ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。 それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。 そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。 一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。 これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。 他サイトでも掲載中。

稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています

水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。 森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。 公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。 ◇画像はGirly Drop様からお借りしました ◆エール送ってくれた方ありがとうございます!

結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください

シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。 国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。 溺愛する女性がいるとの噂も! それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。 それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから! そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー 最後まで書きあがっていますので、随時更新します。 表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

処理中です...