放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

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ゆっくりな朝に 1

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 彼は、彼女の指にはまっている、彼女には不似合いな指輪を、そっと引き抜く。
 宝石は立派なものだが、カットも全体のデザインも、恐ろしく品がない。
 立ち上がり、引き抜いた指輪を、手のひらに乗せ、クリフォードに差し出した。
 
「返しておくよ。彼女には、もう必要はないし、私が懐に入れたと、誤解されても困るのでね」
 
 クリフォードが震える手で、それを受け取る。
 受け取らないという「選択肢」を、彼は与えていなかった。
 彼を前にして「選ぶ」ことなどできない。
 それを、クリフォードは身をもって知ったはずだ。
 
「では、もう帰ってもいいかな? きみたちに異議があるのであれば、もう少し、ここに居てもかまわないが?」
 
 肩越しに振り返り、重臣たちに、問う。
 誰もが無言を貫いていた。
 恐怖に縮み上がっていて、返事もままならないらしい。
 
(私は、“まだ”なにもしていないのにねえ。実に、貴族らしい)
 
 彼らは、己の不利益になるようなことはしないのだ。
 そして、最も重視しているのは、体裁と家督。
 もしかすると、頭の中で、誰を後継にするか、各々おのおの、考えているかもしれない。
 己の命が潰えることを危惧し、同じ心で彼の「寛容」にすがっているのだ。
 
「異議はないようです、公爵様」
 
 わざとらしく、リカが言う。
 彼は、軽くうなずき、王族らが座っているほうに視線を向けた。
 立ち去る前に、軽く幼馴染みをからかっておこうと思ったのだ。
 
「私は、きみが、いっぱしの国王気取りでいるのが不思議でならなかったが、こうして見ると、なかなかどうして、実に国王らしいと感心したよ、ランディ」
「俺は、お前の軽口に飽き飽きしている。さっさと帰れ、この放蕩者め」
 
 彼がした話を、完全に理解しているのは、国王とアリスだけだろう。
 納得をしたので、彼の幼馴染みの血管が、切れることはなかったのだ。
 彼と国王との間には、予定にない「予定調和」が成立している。
 彼が軽口を叩き、国王が罵倒して終わる、という。
 
「まぁ、私にとがめを受けさせたいのなら、いつでも審議に呼ぶがいいよ。人生に、暇を持て余しているのでね。喜んで、呼び出しに応じるつもりだ」
「お前なんぞ呼んではおらん。お前が勝手に来たのであろうが」
「私のお気に入りを、寄ってたかって、いじめるからさ」
 
 軽く肩をすくめる。
 これで、終わりだ。
 
 彼は、彼女のほうに向き直る。
 口元に笑みを浮かべて言った。
 
「帰ろうか」
 
 彼女もにっこりして、立ち上がりかける。
 その時だ。
 どういうわけかはともかく、クリフォードが、彼女に手を伸ばす。
 腕を掴もうとでもいう仕草に、カッとなった。
 彼らしくもなく。
 
 ぶわっと風が吹き上がる。
 手加減はしたつもりだが、「程度」については無意識だ。
 ガタンっと音を立て、クリフォードの座っていたイスが後ろにひっくり返った。
 同時に、クリフォードが、床に転がる。
 
「彼女はもう、きみの妻ではない。軽々しくふれようなどとするものではないよ」
 
 彼から発せられる、ごくわずかな怒気に、また空気が冷たくなっていた。
 せっかくの国王の「配慮」も台無しだ。
 彼も、幼馴染みに、せっかく「配慮」したのに。
 
「あまり、私を不愉快にさせないでくれたまえ」
 
 言うなり、イスから腰を浮かせていた彼女を抱き上げる。
 クリフォードの愚かさには「手加減」が難しかった。
 あと、ひと言、クリフォードがなにか言えば、口を縫ってしまうかもしれない。
 
 黒糸で。
 
 冷ややかに、クリフォードを見下ろす。
 これでクリフォードを許すべきかどうか、彼は、本気で迷っていた。
 自制するのが、ひどく難しくなっている。
 
「もう帰れるの?」
 
 彼女の声に、ハッとなった。
 目の前で見た彼の力に怯えているのではないか、と思ったのだ。
 が、彼女の表情に、安堵する。
 彼女には、驚いた様子すらなかった。
 
(本当に、きみは、いつも私を驚かせるね。きみは、ちっとも驚かないのに)
 
 心が、驚くほど凪いでいる。
 審議の場に来てから、見ていない振りをしつつも、彼女を気にかけていた。
 髪と瞳の色を戻した時も、国王から彼の名を告げられた時だって、彼女は驚いていなかったのだ。
 多少、目をしばたたかせてはいたが、すぐに納得したような顔をしていた。
 
 彼女を抱きかかえた彼の前に、2本の柱が現れる。
 点門てんもんという魔術を使った。
 本来、魔術の発動には動作が必要だ。
 さりとて、彼には必要ない。
 呼吸するのと同程度の意識でもって、自在に操れる。
 
「きみの着替えを邪魔する者がいないのは、確かだね」
 
 点門は、特定の場所を繋ぐ魔術だった。
 門の向こうには、彼の家が見えている。
 いずれ、この場に呼ばれることを想定し、彼は、事前に「点」を作っておいた。
 点門は便利ではあるが、2つの点を繋ぐ必要がある。
 片方の「点」だけでは、門は開けないのだ。
 
 来る時は、彼1人だったので、転移を使っている。
 が、魔力顕現けんげんしていない彼女を、彼の転移に便乗させると意識を失ってしまう。
 長距離にもなれば、命にかかわる可能性もあった。
 そのため、事前に「点」を作ってでも、点門を開く必要があったのだ。
 
「では、諸君。ごきげんよう」
 
 開いた門を、彼は軽く越える。
 くぐった瞬間、門が消えた。
 点門の、もうひとつの不利益は、門の向こうの景色が見えてしまうことだ。
 術者の意思だけで移動できる転移とは違い、どこに行ったかが、推測され易い。
 とはいえ、そもそも、長時間、点門を維持できる魔術師自体、そうはいないのだけれど。
 
(中には、気づいた者もいただろうな)
 
 重臣らは、目ざとい者が多かった。
 また、そうでなければ重臣など務まらない。
 これも貴族らしさではあるが、彼らは常に足の引っ張り合いに精を出している。
 だから、引きずり落とされないよう、必然的に目ざとくなるものだ。
 
 少なくとも、クリフォードのような愚かさは、重臣らにとっては致命的。
 今後、彼らがレックスモアに冷たくなるのも必然だった。
 想像するまでもない。
 
「あら。もう家に着いているわ」
 
 彼は、彼女を抱きかかえたまま、家に入る。
 そして、ソファに降ろすと、隣に座った。
 
「私は、きみを驚かせようと、様々、策を駆使したのだが、きみは、少しも驚かなかったね」
「いくらかは驚いていたのよ? あなたが、魔術師だって知らなかったもの」
「生活には、たいして役に立たないものばかりだから、言う機会がなかったのさ」
「畑や釣りには使ってなさそうだったわね」
 
 実際、日常生活では、ほとんど魔術は使っていない。
 彼は、おどけたように肩をすくめてみせる。
 
「魔術を使うと、質も味も落ちるのだよ」
「それでは、魔術を使ってはいけないわ。それに、魔術で簡単に獲れてしまっては釣りを楽しめないのじゃないかしら」
「まさしくね」
 
 魔術は便利な代物だが、万能ではないのだ。
 制約があったり、自然な楽しみが失われたりする。
 彼は1人で暮らしていて、とくに効率や合理性にこだわる必要もなかった。
 だから、彼が必要と感じた時以外は、魔術を使わずにいる。
 
「それより、あなたって気の毒ね」
「気の毒? どうしてだい?」
「ローエルハイドというだけで、勤め人が来てくれないのでしょう?」
 
 彼は、一瞬、きょとんとしたあと、自分の言葉を思い出す。
 畑仕事や釣りを手伝ってほしい、というようなことを言った。
 それを、彼女は「勤め人が来ない」と思ったのだろう。
 気づいて、彼は、ぷっと吹き出す。
 
「本当に、きみったら! シェリー、私のお気に入り。きみは、とても可愛いね」
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