放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

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夕食時まで 3

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 彼女が、彼の元を訪れるようになって、7日が経っている。
 連日、笛は吹かれていた。
 
「なあ」
 
 今日も、彼女は、ここに来ている。
 彼の用意した「民服」に着替え中なので、居間にはいない。
 代わりに、人の姿をしたアリスがいた。
 扉の開く音がしたら、即座に家を出る。
 アリスは鼻も利くが、耳もいいのだ。
 
「わかっているさ、アリス」
 
 アリスは、両腕を頭の後ろで組んで立っていた。
 首だけではなく、体ごと少し横にかしげている。
 
「なら、なんで?」
「今のところ、問題が起きていないから、というところかな」
「問題が起きる前のほうが、いいんじゃねーか?」
「いいや、アリス。問題が起きてからのほうが、いいのさ」
 
 アリスが、目を、ぱちんとまたたかせた。
 それから、また意地悪っぽく目を細める。
 
「彼女は人妻だ、なーんて言ってたのに、ちゃっかりしてるぜ」
「きみは、本当に生意気だ」
「分かり過ぎるってのも、考えもんだけどなー」
 
 言う割には、悩んでいる様子もない。
 宰相として、日々、悩み続けているリカとは大違いだ。
 つくづくと、双子の弟に同情する。
 
「でもサ、いいのかよ?」
「いいさ」
「あーあれか。終わり良ければすべて良し、ってやつ?」
「きみは、字引きにだけは、精通しているらしい」
 
 アリスに言ったように、彼女は人妻だ。
 いつまでも、このまま会い続けることはできない。
 この関係に、いずれは終止符を打つ必要がある。
 とはいえ、彼女に手を出すつもりもなかった。
 
「きみから指摘されたことを、肯定はするがね。私は、彼女を愛してはいないよ」
「ふぅん。オレには、愛なんて、よくわかんねーな」
「そうだろうとも。一夜限りの欲望に情熱を傾けているようではね」
「よせよ、面倒くせえ」
 
 彼は、小さく笑う。
 アリスは性格も自由奔放だが、性的にも自由なのだ。
 愛だの恋だのに、こだわったりはしない。
 その潔さを、わずかながら、彼は称賛している。
 褒めるようなことではないとしても。
 
「アンタの口から、愛なんて面倒な単語が出てくるとは思わなかったぜ」
「私に、愛は必要ないからね。日頃は使わないのさ」
 
 そっけない口調は、いつものことだ。
 が、アリスは「打ち切り」に気づいたのだろう。
 すぐに、その話題から離れる。
 
「そういや、リカが、うるさくてかなわねーんだよ」
「そうだろうねえ。きみが、ちゃんと家に帰っていないのが悪い」
「理由があるだろ?」
「放蕩以外にかい?」
 
 アリスは返事をしない。
 それが返事なのだ。
 得てして、それは「肯定」を意味する。
 
「リカは真面目だから、気をもんでいるのではないかな」
「あいつは真面目っていうより、堅物なんだよ。こまっけえしな」
「でなければ、宰相など務まらないさ」
「どっちみち、もうちっとばかし、辛抱させとく」
 
 2人の兄弟仲は、悪いわけではない。
 むしろ、アリスは、リカに対して過保護なところがあった。
 口ではどう言っても、弟を危険から遠ざけている。
 
「おっと。アンタのお気に入りが戻って来そうだ」
 
 わずかな扉の擦過音に、アリスは気づいたらしい。
 しゅっと烏姿に変わり、飛び立つ。
 変転している際のアリスには、どんな壁も役立たず。
 好きに出入りができるのだ。
 
 馬でも同じではあるが、室内で馬に変化へんげされても困る。
 きっと彼女は、室内に大きな馬がいても気にしないのだろうけれども。
 
「洗っているので、清潔だとはいえ、着回しで悪いね」
「何着も用意してもらって、嬉しいくらいよ」
 
 鹿色の、ざっくりとした上着に、飾りけのまったくない淡いピンクのスカート。
 丸襟の部分から、白い首元が見えている。
 足には、編み上げの赤い布靴。
 髪が、肩のあたりで揺れていた。
 
 元々、彼女は化粧をする習慣がないようだった。
 こってりと化粧をほどこしている貴族令嬢とは違い、素顔をさらしている。
 前は、顔の右半分を髪で隠していたが、ここ最近は気にしていないらしく、流れるに任せていた。
 
 彼女を愛してはいない。
 が、気に入ってはいる。
 そして、守りたい、とも感じていた。
 彼女の「傷つかなさ」が、彼に、そう思わせるのだ。
 
 誰もが、彼女を無視していたのだろう。
 彼女は、そににいるのに、いないも同然に扱われていた。
 だから、誰も彼女を「傷つけられなかった」のだ。
 存在しない相手を傷つけることはできないので。
 
(無関心と完全な拒絶。それほどの悪意があるだろうか)
 
 けれど、彼女は、その悪意にすら気づけずに生きてきた。
 いや、気づかせてもらえなかった。
 悪意になど気づかないほうがいい、とは言えるかもしれない。
 
(だが、それは同時に、感情を与えない、ということでもある)
 
 怒ることも、泣くことも、笑うこともない世界。
 そんな世界の中、彼女は、1人ぼっちで生きてきたのだ。
 多くの可能性も取り上げられて。
 
「今日は、なにをするの?」
「まず森で木をる。新しいイスの材料にするのだよ」
「どんなイスになるのかしら?」
「きみのイスになる」
「私の?」
「きみにも、きみ専用のイスがあるべきだと思ってね」
 
 扉を開け、先に家から出る。
 後ろを彼女がついてきたのだが、小さな悲鳴が聞こえた。
 
「おっと」
 
 家の上がり口にある階段を踏み外した彼女を、抱きとめる。
 ふんわりとしたぬくもりが、彼の腕の中にあった。
 両腕を彼の胸に置き、彼女が見上げてくる。
 じっと見つめてくる瞳に、彼は、体を前へとかしがせた。
 2人の距離が縮まる。
 唇がふれあいそうなほどに、近い。
 
 が、寸でのところで、正気に戻った。
 視線を、彼女の足元に落として言う。
 
「靴紐が、ほどけていますよ、お嬢さん」
「あら……しっかり結んだと思ったのだけれど、難しいものね」
「ああ、いいから。私が結んであげよう」
 
 彼女の足元にひざまずき、靴紐を結び直した。
 自分の心の箍も、これくらい、しっかりと締めておかなければ、と思いながら。
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