18 / 80
夕食時まで 2
しおりを挟む「本当に美味しいわ」
「私は、きみが苺の食べ過ぎで、昼食が食べられないのじゃないかと心配したよ」
彼女は、少し恥ずかしくなる。
畑には、イチゴも育てられていて、摘んだ先から食べてしまったのだ。
いわゆる「つまみ食い」をした。
もちろん、これまで、そんなことはしたことがない。
できる環境でもなかったし。
「だって、アリスが、あんまり美味しそうに食べるものだから」
収穫の途中、アリスが、ひょこひょこと戻ってきた。
そして、彼を無視するかのごとくプイっとして、彼女のほうに寄って来たのだ。
鼻を摺り寄せてくる仕草が可愛らしかった。
アリスには、好かれていると思える。
その際、シェルニティは、イチゴを持っていた。
それを、アリスが欲しそうにしたのが、きっかけ。
シェルニティも、ついイチゴを口に運んでいる。
瑞々しさと甘さに、アリスと分け合いながら、次々と食べてしまった。
「だから、言っただろう? アリスは、“悪い子”なのだよ。きみに、つまみ食いを唆したのさ」
「それは違うわ。私が、アリスにあげたのよ? アリスを責めないで」
彼が、ぷっと笑う。
笑顔に、心臓がドキドキと鼓動を速めた。
さっきも、そうだ。
不機嫌な顔しか見ていなかったからか、驚いたけれども。
(とても優しい顔をして笑うのね)
その笑顔が、自分に向けられていると思うと、胸が暖かくなる。
同時に、安心もしていた。
これが「安心する」ということなのだと、実感している。
というのも、シェルニティには、安心なんていう感覚がなかったからだ。
1人ではあれ、生活には困っていなかった。
クリフォードに叱られるのには馴染めずにいたものの、だからと言って「不安」を感じたこともない。
ただ、本当に「生きている」だけだった。
だから「不安」という感覚をいだく必要すらなかった。
不安がなければ、安心も存在しない。
もう彼と会えないのだろうか、と思った時に、初めて、シェルニティは、不安を感じている。
そして、こうやって再び会えて、彼がシェルニティを不快に感じていないことに、安心していた。
最初、あれほど明確に「迷惑だ」と言われたのに、あれ以降、彼から、その言葉は発せられていない。
会話も、どんどん堅苦しさが抜けている。
彼は笑うようになったし、昨日より気楽な調子で話してもいた。
「ああ、わかったよ。私も寛大なところを見せておくとしよう。今後、アリスが、苺をすべて食べ散らかしたとしても咎めない。ただし、きみが一緒なら、だがね」
今後。
言葉に、胸が高鳴る。
今後も、ここに来ていいと、彼は言っているのだ。
(どうすればいいのかしら。なんだか屋敷に帰りたくなくなってきたわ)
このまま、ここにいたい。
シェルニティの中に、そんな気持ちがわきあがっていた。
とはいえ、それはあまりにも迷惑に過ぎる。
それに、自分は、クリフォードの妻なのだ。
実際的な役を果たしていないとしても、ほかの男性の家で寝泊まりはできない。
シェルニティは、貴族教育を受けてはいる。
が、本に載っていることや、建前的な内容しか教わっていなかった。
現実には、貴族の間で、夫が別の女性と、既婚女性がほかの男性と性的な関係を持つことも少なくないだなんて、知らずにいる。
サロンは遊蕩の場ではあっても、男女がベッドをともにする場ではない。
表向きは、そうなっている。
実際には、サロンにある個室にはベッドが置かれているし、使う者も多かった。
そうした裏事情を、シェルニティに教える者はいなかったのだ。
ただ、後継ぎのことがあるため、男性には側室や愛妾を迎える「権利」がある。
対して、女性には貞淑さが求められていた。
婚姻相手以外の子を身ごもらせないためだ。
シェルニティは、その禁を破るつもりはない。
(旦那様より、彼のほうが話し易いし、楽しいのだけれど)
彼女を煩わしげに追いはらう夫とは違い、彼は、シェルニティをまっすぐに見て話をしてくれる。
しかも、楽しそうに。
「きみは美男子が好きなのかい?」
「なぜ?」
「アリスを美男子だと言って、気に入っているみたいだからさ」
「美男子だからアリスを気に入っているのではなくて、気に入っているアリスが、たまたま美男子だったのよ?」
彼が、ひょこんと眉を上げた。
知り合ってまだ間もないので、彼のことは、ほとんど知らない。
にもかかわらず、いちいちの仕草に、なぜか、とても「彼らしい」と感じる。
「精一杯、滑稽な芸を披露したのに、ちっとも笑ってもらえなかった、舞台役者のように嘆かわしいね」
「あら、どうして?」
「気づいているかい? きみのイスを引き、給仕もしているのに、私は、まだ褒められていないのだよ。なのに、アリスは、つまみ食いをしているだけで褒められている。これは、とても不条理なことだよ、きみ」
彼が、ひどく「もっともらしい」顔をして言うので、おかしくなった。
小さく笑うシェルニティに、彼が言う。
「きみの前に跪いて手の甲に口づけをし、懇願したら称賛してもらえるのかな」
心臓が、ばくばくと波打った。
気楽な口調とは真逆に、なにか別の意思を感じる。
彼の瞳に囚われてしまいそうな、なにかだ。
けれど、その雰囲気は、すぐに掻き消える。
「冗談が過ぎたようだね。気にしないでくれたまえ。きみが、アリスばかり褒めるものだから、当てこすりを言いたくなっただけさ」
彼が、肩をすくめてみせた。
いつもの癖だ。
雰囲気が戻ってホッとはしたが、どこかで小さな落胆も感じている。
その落胆の理由が、シェルニティにはわからなかったけれども。
「ところで、きみは、どのくらい、ここにいられるのかな?」
「夕食には、呼ばれないようにしてきたわ」
「ということは、ここで夕食を食べていける時間まで、ということだね」
「ええ、そうよ」
話題は変わっているが、彼女は、彼の言葉を気にしていた。
自分の小さな落胆と併せて、どうすればいいかを、考える。
「昨日、食べ損なった魚でも釣りに行こうか」
「今日は邪魔をしないようにするわね」
「それはどうかな。きみにも、食材を確保する義務がある」
「私も釣りをするの?」
彼が、にっこりした。
釣りにも、心が弾んだが、それ以上に、彼の笑顔に気持ちが明るくなる。
「あなたは、とても素敵よ」
唐突な言葉が、シェルニティの口から飛び出していた。
褒められたことがない、と言った彼の言葉が頭に引っ掛かっていたのもある。
とはいえ、それだけではなく、本当に、そう思ったので口から出たのだ。
彼は、きょとんとした顔で、彼女を見つめていた。
彼が見つめてくるのには慣れてきたはずだったが、なぜか恥ずかしくなる。
ほかの人たちに感じる「恥」のような感覚とは違う、恥ずかしさだ。
「そこは“あなたも”に、訂正すべきじゃないかい?」
言って、彼が声を上げて笑う。
そんな彼に、やはりシェルニティは見惚れるのだった。
11
お気に入りに追加
626
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~
柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。
家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。
そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。
というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。
けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。
そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。
ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。
それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。
そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。
一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。
これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。
他サイトでも掲載中。
稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています
水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。
森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。
公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。
◇画像はGirly Drop様からお借りしました
◆エール送ってくれた方ありがとうございます!
結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください
シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。
国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。
溺愛する女性がいるとの噂も!
それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。
それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから!
そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜
光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。
それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。
自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。
隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。
それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。
私のことは私で何とかします。
ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。
魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。
もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ?
これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。
表紙はPhoto AC様よりお借りしております。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる