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外の景色は 3
しおりを挟む「めっずらしー」
声にも、彼は驚かない。
声の主がいることは、すでに知っていたからだ。
そして、どうせ、なにか言われるだろうと予測もしていた。
「ずいぶんと、彼女に懐いていたようだね。きみの、あの姿のほうが、よほどめずらしいのじゃないかい、アリス」
彼は、自分の座るべきソファに、先に座っていた青年へと肩をすくめてみせる。
相手は、両膝を左右に開き、体の前で両足首を組んで座っていた。
その足首を両手で握って、少し前かがみになっている。
まさに、前のめり、といったふうだ。
ブルーグレイの髪と瞳。
青年の名は、アリスタス・ウィリュアートン。
今年で27歳になった。
アリスが産まれた時からのつきあいだ。
アリスは、魔術とは違う、特殊な能力を持っている。
アリスの知っている、どんな生き物にも姿を変えることができるのだ。
アリスは5歳の頃から、すでに、その「変転」という能力を自在に使っている。
蝶になったり、蛇になったり。
「アンタが、ひでーこと言っても、あの娘が、オレを褒めてくれたからサ」
「酷いことなど言った覚えはないな。すべて事実だ」
最も気に入っているのは烏のようだが、馬になったりもするのだ。
彼女とともに乗った馬は、変転したアリスだった。
「オレが、始終、オンナの尻を追っかけてるみたく言ってたけど、オレは、オレに気があるオンナの尻しか追っかけてねーよ」
「追いかけているのは事実じゃないか」
「そーだけど! 言いかたってもんがあるだろ? 呼びつけといて、あれはない。初対面のオンナの前で、あんまりじゃんか」
「そうかい」
彼は、アリスの軽口を受け流す。
つきあっていると、軽口の「掛け合い」が終わらないからだ。
アリスが、キツネのように尖った目を、さらに細めて笑う。
爽やかな雰囲気は消え、意地悪な顔つきになっていた。
「妬いちゃった?」
「理由がないね」
「そーかなあ。オレを呼んでまで、送ってくなんて、相当じゃねーか? しかも、次の約束までしちゃってサ」
「ああでも言わなければ、彼女が1人で森に入ってきそうだったからだよ」
「へえ」
意味有りげに含み笑いをされても、彼は相手にせずにいる。
実のところ、彼自身、なぜ次の約束をしたか、明確な答えを持っていないのだ。
「きみは、昔から、生意気なガキだったが、これ以上、無駄口をきくなら、尻尾の毛に火がつくのを覚悟したまえ」
「わぁかった。降参!」
アリスが、両手を足首から離して、上げてみせる。
彼は、よろしいとばかりに、軽くうなずいた。
とたん、ひょいっと、アリスはソファから立ち上がる。
入れ替わりに、彼がソファへと座った。
その彼の正面に、アリスが立つ。
「すっげえ可愛い子だったよなー。それに、あの髪。なかなかいないぜ?」
「きみときたら、どうしようもないね。目端が利くようになった代わりに、教養や礼儀は、どこかに落としてきたらしい」
「ああ、そーいうのは、リカにくれてやったんだ」
「まったく気の毒さね」
アリスには、リカラスという名の、双子の弟がいる。
が、リカは「変転」の能力を授からなかったのだ。
2人とも魔術を使えないが、変転の能力を持つアリスは好き放題。
対して、リカは、いつも屋敷に置き去り。
「いいんだよ、リカは。あいつはウィリュアートンの当主。仕事すんのは当然」
「きみたちは、2人で一人前だと、わかっているだろう?」
「まぁね、わかってんだけどね」
ウィリュアートンは、由緒ある家柄で、大派閥の公爵家。
代々、男の子が少ない家系でもある。
そのため、後継ぎ問題で、常に危機に瀕していた。
そんな中、前当主は、双子の男の子を授かったのだ。
性格は、正反対と言える。
アリスは自由奔放、リカは堅物。
足して割るのが、ちょうどいい。
「ていうか、話をすり替えようったって、そうはいかねーぞ」
「わかっていることを、いちいち言う必要があるのかい?」
アリスは、礼儀を軽んじてはいるが、非常に頭の回転が速かった。
それは、堅物のリカが、どれほど必死に努力しても追いつけないほどの、大きな差がある。
だからこそ、2人で一人前なのだ。
ここロズウェルドでは、いつ頃からか、ウィリュアートンの当主が宰相をするのが慣例となっている。
22歳の若さでリカは、この国の宰相を任じられた。
そこから5年、アリスはリカに、必要に応じて、都度、耳打ちをしている。
ならば、アリスが当主となり、宰相をすればいいのだろうが、そうはいかない。
アリスには「礼儀」の素質が、まったくないからだ。
口の利きかたから、些細な「貴族的」様式美もわきまえてはいなかった。
それでは、貴族で構成されている重臣を動かすことはできない。
この国の政を正しく調整し、平穏を保つためには、ウィリュアートンの「双子」が必要なのだ。
「オレは、笛を吹かれたら踊るだけサ」
「わかっているじゃないか」
彼女に渡した笛は、特殊な魔術道具だった。
音は鳴らないが、呼んでいることが、彼とアリスには伝わる。
「ま、オレは“放蕩”な馬だから、いいけどね」
呼ばれたら、馬となり、彼とともに、彼女を迎えに行くことになると、アリスはわかっているのだ。
いちいち言わなくても。
「あの娘、レックスモアの奥様なんだよな?」
「そのようだね」
「その割には、貴族令嬢らしくなくね?」
「そうだね」
「聞いてると、なんか幽閉されてるみたく感じたんだけど、どう思う?」
アリスの言うことは、彼も感じていた。
屋敷の切り盛りはしていないし、客が来ても、挨拶をするどころか、部屋に閉じこもっているという。
でなければ「叱られる」から、だ。
「それと、婚姻してんのに、嫁に手を出さねーなんて有り得るのか?」
彼女を家に連れて来ると決めたあと、彼は、アリスを呼んでいる。
話をすっかり聞かれてしまっていても、しかたがない。
さりとて、アリスが他言をするとは思っていなかった。
アリスも、女性関係はともかく、人と関わるのを好まないのだ。
貴族とのつきあいは、完全にリカに任せている。
「レックスモアの当主って、目ぇ腐れてんじゃねーの? あんな可愛い……」
「アリス」
「わぁかってるってば! アンタのお気に入りの尻……は、さわっちまったけど、あン時、オレは馬で、乗せたのはアンタなんだから不可抗力だぜ?! ま、すげえ気持ちよか……」
「アリス!」
「手は出さねーよ。でも、頬っぺた、舐めるくらいはいいだろ? あの娘だって、喜んでたじゃん? そのくらいの役得がねーと、オレ、やる気になんねーもん」
彼は、大きく溜め息をつく。
本当に、アリスには「礼儀」の素質が皆無。
王族であり、かつて宰相もしていた、ユージーン・ガルベリー編纂の「民言葉の字引き」と、その後に出された「民言葉の字引き その2」にしか、アリスは興味を持たなかったらしい。
民言葉の字引きには、貴族言葉にはない、様々な表現方法が記されている。
表現を豊かにしているのは確かだが、俗語的な部分も少なくなかった。
そのため、公のものとしては扱われないのだ。
「きみの尾に火をつけるかどうかは、検討の余地を残しておくとして、ひとつだけ訂正しておく。彼女は、私の“お気に入り”ではない。彼女は、人妻だ」
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