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外の景色は 1
しおりを挟む「まあ! なんて大きいのかしら」
「馬としては、普通だがね」
食事が終わった頃には、服は渇いていた。
着替えを済ませたのち、外に出ている。
彼が、ヒュッと指笛を鳴らすと、一頭の馬が現れたのだ。
ゆっくりと歩いてきて、シェルニティの前に立っている。
「私、馬には乗ったことがないの」
「こいつは“大人しい”し、女性なら誰でも“乗せる”馬だから、問題はないよ」
彼の口調に含みを感じたが、シェルニティは馬に見入っていて、気づかない。
青みがかった艶のある毛並みが、とても美しい馬だった。
瞳も、なんとはなし暗い青色に見える。
と、不意に、馬が顔を寄せてきた。
シェルニティの右頬を、ぺろんと軽く舐める。
人から見れば「気持ちの悪い痣」も、馬なので気にならないのだろう。
なんだか、とても嬉しくなった。
「この子の名は聞いてもかまわない?」
彼からは、名乗り合う必要はない、と明言されている。
なので、あれからずっと彼の名は訊いていない。
シェルニティには、言われたことを言われたようにする癖がついていたからだ。
当然、彼女自身も名乗ってはいなかった。
「アリス」
「それでは、女の子なの?」
「いいや、“オス”だ」
ブル…と、馬が鼻を鳴らす。
不服じみた声のようにも聞こえて、微笑ましくなった。
アリスの頭に手を伸ばしてみる。
嫌がるそぶりがなかったので、撫でてみた。
「大丈夫よ、アリス。あなた、とても美しいわ。きっと女の子にも人気よ?」
すりすりっと、アリスがシェルニティの頬に、鼻づらをすりよせてくる。
人とのふれあいはなくても、こうした動物とのふれあいはあるのか、と思った。
アリスは暖かくて、屋敷の勤め人たちより、ずっと親しみが持てる。
「あまり懐かせないほうがいい。こいつは、メスの尾が揺れるたび、追いかけずにはいられないくらい、放蕩な馬なのでね」
「それでも、いいのじゃないかしら? アリスは美形だもの。追いかけられるほうも、嫌な気はしないと思うわ」
彼が、呆れたように肩をすくめた。
やはり癖のようだ。
シェルニティは、くすくすと笑う。
少しずつ考えが変わりつつあった。
生きていれば、なにか楽しいと思えることに出会える可能性がある。
死んでしまえば、そのすべての可能性を失うのだ。
思えば、死なないから、という程度でも、生きているほうがいいのだろう。
ひとまず生きていけているのだから、可能性をすべて捨ててまで、自ら死ぬことはない。
「さあ、そろそろ、行こう」
彼の声に、少し気分が落ち込む。
とはいえ、ずっとここにいることはできない。
彼に、迷惑がかかる。
もとより、釣りの邪魔をして、食事のメニューを変更させているのだし。
「いいかね?」
え?と思う間もなく、抱え上げられた。
そのまま、アリスの背に乗せられる。
横向きに座っている状態だ。
すぐに、彼が、アリスにまたがってきた。
手綱を握ると、まるで彼女を腕の中に閉じ込めているような格好になる。
近づいた距離に、ひどく胸が騒がしくなった。
肩や腕が、彼の体にふれていて、そこから、ぬくもりが伝わってくるのだ。
鼓動が、速くなっている。
「あの……2人も乗せて、重くはないかしら?」
落ち着かない気分に、まるで関係のない話を口にした。
実際に乗ったことはないが、馬についても多少の知識はある。
戦場で駆けるのでもない限り、2人乗せるくらいは平気に違いない。
見た目に美しいだけでなく、アリスは頑丈そうでもあったし。
「きみが、全身くまなく鎧を身につけていたとしても平気さ。走るたびに、カチャカチャ鳴る音をうるさいと思うことはあってもね」
「それなら、よかったわ。私はドレスだから、音は鳴らないもの」
彼が、手綱を持つと同時に、アリスが歩き出した。
地面を歩く蹄の音が、聞こえる。
(このまま屋敷に戻ったら、どうなるのかしら?)
屋敷の者たちから、喜ばれないのはわかっていた。
が、それはどうでもいい。
シェルニティにとっては、そのほうが「普通」だからだ。
それより、気になっているのは、彼のことだった。
(もう会えないの?)
わずかな時間だったが、彼女にとっては、特別な時間になっている。
ちゃんとした会話や笑いのある食事。
なにより、見つめ合える、ということ。
彼の瞳を見つめて話し、彼がシェルニティの瞳を見つめて話す。
表情や仕草を見ていても、叱られることはないのだ。
かぽっかぽっという、ゆるやかな音に、彼女は少しだけ励まされる。
せっかく死なずにいたのだし、生きている時間を大事にすべきではなかろうか。
これまでのように、ぼんやり生きていくことはできる。
だとしても「楽しい」ことがあると、シェルニティは知ってしまったのだ。
このままだと「死に際」に未練や後悔を、たっぷりと遺すはめになる。
彼女は、彼の顔を見上げて言った。
「また森に行ってもいい?」
彼は、前を見ている。
返事はなかった。
うなずくことも、首を横に振ることもない。
シェルニティは、彼がどう思っているのか、判断ができずにいる。
「馬車は使わないがいいね」
言葉に、ハッとした。
彼は「来てもいい」と言っているのだ。
胸の奥に、ふわふわとしたものが漂い始める。
「それなら、歩いて行くわ」
「もし、きみに自死する気がないのなら、やめたほうがいい。きみは、馬ではないのだよ? 森に着くまでに、間違いなく行き倒れるね」
「それは、馬に乗る練習をしたほうがいいということ?」
「まさか。乗馬を嗜むのはいい。だが、現実的ではないのじゃないかな?」
彼の言うように、シェルニティが乗馬の練習をしたいと言っても、許されるとは思えなかった。
協力してくれる者もいないだろうし、夫からは叱られる。
ただでさえ、必要がなければ外に出るな、と言われているのだ。
今日は、特別だった。
リリアンナが勧めたため、夫は反対しなかっただけで。
「これを渡しておこう」
「これは、笛?」
「空のかなたから聞こえてくる音色のごとく、さ。まぁ、音は出ないがね」
渡された銀色の小さな笛を、シェルニティは、ぎゅっと抱き締める。
森に行くためには、これが絶対に必要なのだ。
どうなるのかまでは説明されていないが、それでも、わかる。
屋敷まで、百メートルほど手前にある、昔の見張り小屋の手前で、アリスが足を止めた。
今は誰も使っておらず、放置されているため、屋根が抜け落ちている小屋だ。
彼が、シェルニティをアリスから抱き下ろす。
そして、再びアリスにまたがってから、言った。
「帰ったら、御者に言うといい。バスケットをありがとう、とね」
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