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ご迷惑様 4
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左側にあった扉の向こうは、食堂だった。
さらに奥に扉があるので、あちらが調理場かもしれない。
少し待てと言われ、居間でシェルニティは待っていた。
本当に、少しの間のあと、ここに呼ばれたのだ。
こちらも木のテーブルが置かれている。
イスも木製で、背もたれには、彫刻が施してあった。
豪奢な感じはしないが、とても美しい。
「クッションを取りつけていないのでね。座り心地は悪いかもしれないよ?」
「気にしないわ。このイスにクッションは似合わないもの」
「そう言ってもらえると、慎み深い生活にも張りが出る」
言いながら、彼がイスを引いてくれる。
シェルニティが座ると、彼は、真向かいに座った。
(本当に、このかたは平気なのだわ)
新鮮な驚きと、喜びが胸にあふれてくる。
彼女は、知らなかったのだ。
これが「普通」なのだと。
何気ない会話のやりとりや、ちょっとした視線の交錯。
それだけで、心が浮き立っている。
「ワンプレートは、民の間ではめずらしくないが、きみにとっては違うだろう?」
料理は、ひと皿だけ。
その上に、ローストビーフとプティング、それにサラダが乗せられていた。
ほかには、紅茶のティーカップ。
屋敷での料理の体裁とは、ずいぶん違う。
シェルニティの食事では、少量の料理は細かく皿に分けられており、それを給仕が出したり下げたりしていた。
だが、給仕とは話もしないし、目も合わせない。
それが日常だったので気にしていなかったが、なにやらとてもつまらない食事をしていたように思えてくる。
「このほうが、美味しく食べられそうよ? だって、屋敷では、1つの料理を食べ終わらなければ、次が出て来ないもの。嫌でも、お皿を空にしなければならなくて、大変だったわ」
「私のような偏食家には、罪人が罰を受けている気分にさせられるだろうね」
「偏食家なの?」
「美味しいと思えないものを食べるのは、穴の空いた靴下を履くより苦痛だというくらいには」
シェルニティは、想像して笑ってしまう。
彼は、ずっと不機嫌な顔をしている。
だから、親指の突き出た靴下に、ムッとしている表情を思い描き易かったのだ。
「このローストビーフは、とても美味しいわ。どうしてかしら? すごくさっぱりしている気がするのだけれど」
「その牛が、草しか食べないからさ」
「草? それは、特別なこと? 牛は草を食べるのだと思っていたわ」
「家畜として育てられている牛が食べるのは穀物だ。草とは違って、脂が乗るし、それを美味いと感じる者も多いのだよ」
「そうかしら? こちらのほうが、ずっと美味しいのに」
知らない間に、シェルニティは言葉を崩していた。
自覚はしていないが、心の中で、自分に語るのと同じ口調で喋っている。
貴族の話しかたが嫌いだと言っていた彼を尊重してというわけではなく、本当に無意識だった。
そのせいか、会話が、より気楽なものに感じられる。
「そうだわ。今夜の夕食は、本当は魚が並ぶはずだったのよね?」
「きみのバスケットが、自死を選ばなければね」
「風で飛ばされてしまったのかしら?」
「それは現実的ではないな。きみが恋しくて追いかけてきたってほうが、私には、よほど納得がいく説明に思える」
シェルニティは、また笑った。
彼は、にこりともしないのに、おかしなことばかりを言う。
そして、自分と「会話」をしてくれているのを実感することもできた。
笑わせようと思って話しているのではないにしても。
「でも、バスケットの中身より、この食事のほうが、私には美味しく思えるわ」
「中身を知っていたのかい?」
「知らないけれど、そう思うの」
話しながら、笑いながら食事をするのが楽しかった。
その楽しさが、いっそう料理を引き立てている。
運ばれてきたものを1人で黙々と口に入れるだけの食事とは違い、味がはっきりしているのだ。
楽しい食事を知ると、今までのものが、いかに「味気なかった」かが、わかる。
お腹だけではなく、心まで満たされていた。
「恋しがると言えば、夫とベッドをともにしたくない理由は、愛せなかったからかと訊いたでしょう?」
「ああ、いや、それは不躾に過ぎたと思っている」
「そんなことはないわ。ただ、理由はもっと単純なの」
シェルニティは、彼の表情に、わずかな揺らぎが生じたことに気づいていない。
気づかず、理由を口にする。
「子を成したくないというだけ」
「子を……成したくない?」
彼の顔つきに、厳しさと冷たさが漂い始めた。
シェルニティは、食事の手を止める。
彼を、まっすぐに見たため、表情の変化に気づいたのだ。
口調にも、さっきまでの気楽さがなくなっている。
「ああ、貴族の令嬢に“そういうところ”があるのを、忘れていたよ」
「そういうところ?」
「子を成すより、別のことに気を取られているということさ」
「そうね。別のことに気をとられていたわ」
彼が、出会ってから初めて不快そうに、顔をしかめた。
とたん、シェルニティは、びくっとする。
浮かれていた気持ちが、暗く沈んだ。
やはり、彼も、ほかの人たちと変わらないのだろうか。
今さらに、彼女の容姿が気になり始めたのかもしれない。
シェルニティは、彼と顔を合わせないようにうつむく。
食事に手をつける気にはなれなくなっていた。
髪で、そっと顔を隠す。
人前では、そうするのが当然だったのに、つい忘れていたのだ。
「きみは、さしずめ、女王蜂というところかな。高位の貴族令嬢には、傅きたがる子息も多いからね。飾り羽をつけた雄鳥が、きみの周りを飛び回っていることも、少なくなさそうだ」
「私……あの……あなたの気分を害したのなら、居間のほうに戻ります……」
小さな声で、そう言う。
シェルニティは、自分と一緒では食事が不味くなると言われてきた。
平気そうにしていたけれど、我慢してくれていたに違いない。
呑気に笑ったりして、彼が不快を募らせるのも無理はないと思える。
「待ちたまえ」
立ち上がりかけたシェルニティを、彼が制した。
さっきまで、彼の瞳の中にあった不快が消えている。
「私は、貴族を好まない。そのせいで、きみに、私の偏見を、押しつけてしまったようだ。もし、言い訳をさせてもらえるのなら、このあと、デザートも出すよ」
「どんなデザートが出てくるのか、楽しみだわ」
心の底から、ホッとした。
彼は、容姿に対して「不快」を示したのではないらしいと、わかったからだ。
そして、彼なりの「謝罪」が、なんだか微笑ましく感じられる。
「令嬢の中には、出産適齢ギリギリまで遊びたがる女性も少なくない。彼女らは、自分自身や婚姻を餌に、貴族子息を振り回すのを楽しみとしているのさ」
「私に、そういう趣味はないわ。そもそも趣味がないし、外にも出ないから、子息とは縁がないもの」
「そうだね。偏見が、私の目を曇らせてしまったのだと思うよ」
彼の声音が、微妙にやわらかくなっていた。
本当に悪いと思っているのだろう。
こんなふうに、謝ってくれた人も、彼が初めてだ。
シェルニティは、小さく笑って言う。
「50キロ先の蝶々の色までわかるのに、眼鏡が必要なのじゃないかしら?」
さらに奥に扉があるので、あちらが調理場かもしれない。
少し待てと言われ、居間でシェルニティは待っていた。
本当に、少しの間のあと、ここに呼ばれたのだ。
こちらも木のテーブルが置かれている。
イスも木製で、背もたれには、彫刻が施してあった。
豪奢な感じはしないが、とても美しい。
「クッションを取りつけていないのでね。座り心地は悪いかもしれないよ?」
「気にしないわ。このイスにクッションは似合わないもの」
「そう言ってもらえると、慎み深い生活にも張りが出る」
言いながら、彼がイスを引いてくれる。
シェルニティが座ると、彼は、真向かいに座った。
(本当に、このかたは平気なのだわ)
新鮮な驚きと、喜びが胸にあふれてくる。
彼女は、知らなかったのだ。
これが「普通」なのだと。
何気ない会話のやりとりや、ちょっとした視線の交錯。
それだけで、心が浮き立っている。
「ワンプレートは、民の間ではめずらしくないが、きみにとっては違うだろう?」
料理は、ひと皿だけ。
その上に、ローストビーフとプティング、それにサラダが乗せられていた。
ほかには、紅茶のティーカップ。
屋敷での料理の体裁とは、ずいぶん違う。
シェルニティの食事では、少量の料理は細かく皿に分けられており、それを給仕が出したり下げたりしていた。
だが、給仕とは話もしないし、目も合わせない。
それが日常だったので気にしていなかったが、なにやらとてもつまらない食事をしていたように思えてくる。
「このほうが、美味しく食べられそうよ? だって、屋敷では、1つの料理を食べ終わらなければ、次が出て来ないもの。嫌でも、お皿を空にしなければならなくて、大変だったわ」
「私のような偏食家には、罪人が罰を受けている気分にさせられるだろうね」
「偏食家なの?」
「美味しいと思えないものを食べるのは、穴の空いた靴下を履くより苦痛だというくらいには」
シェルニティは、想像して笑ってしまう。
彼は、ずっと不機嫌な顔をしている。
だから、親指の突き出た靴下に、ムッとしている表情を思い描き易かったのだ。
「このローストビーフは、とても美味しいわ。どうしてかしら? すごくさっぱりしている気がするのだけれど」
「その牛が、草しか食べないからさ」
「草? それは、特別なこと? 牛は草を食べるのだと思っていたわ」
「家畜として育てられている牛が食べるのは穀物だ。草とは違って、脂が乗るし、それを美味いと感じる者も多いのだよ」
「そうかしら? こちらのほうが、ずっと美味しいのに」
知らない間に、シェルニティは言葉を崩していた。
自覚はしていないが、心の中で、自分に語るのと同じ口調で喋っている。
貴族の話しかたが嫌いだと言っていた彼を尊重してというわけではなく、本当に無意識だった。
そのせいか、会話が、より気楽なものに感じられる。
「そうだわ。今夜の夕食は、本当は魚が並ぶはずだったのよね?」
「きみのバスケットが、自死を選ばなければね」
「風で飛ばされてしまったのかしら?」
「それは現実的ではないな。きみが恋しくて追いかけてきたってほうが、私には、よほど納得がいく説明に思える」
シェルニティは、また笑った。
彼は、にこりともしないのに、おかしなことばかりを言う。
そして、自分と「会話」をしてくれているのを実感することもできた。
笑わせようと思って話しているのではないにしても。
「でも、バスケットの中身より、この食事のほうが、私には美味しく思えるわ」
「中身を知っていたのかい?」
「知らないけれど、そう思うの」
話しながら、笑いながら食事をするのが楽しかった。
その楽しさが、いっそう料理を引き立てている。
運ばれてきたものを1人で黙々と口に入れるだけの食事とは違い、味がはっきりしているのだ。
楽しい食事を知ると、今までのものが、いかに「味気なかった」かが、わかる。
お腹だけではなく、心まで満たされていた。
「恋しがると言えば、夫とベッドをともにしたくない理由は、愛せなかったからかと訊いたでしょう?」
「ああ、いや、それは不躾に過ぎたと思っている」
「そんなことはないわ。ただ、理由はもっと単純なの」
シェルニティは、彼の表情に、わずかな揺らぎが生じたことに気づいていない。
気づかず、理由を口にする。
「子を成したくないというだけ」
「子を……成したくない?」
彼の顔つきに、厳しさと冷たさが漂い始めた。
シェルニティは、食事の手を止める。
彼を、まっすぐに見たため、表情の変化に気づいたのだ。
口調にも、さっきまでの気楽さがなくなっている。
「ああ、貴族の令嬢に“そういうところ”があるのを、忘れていたよ」
「そういうところ?」
「子を成すより、別のことに気を取られているということさ」
「そうね。別のことに気をとられていたわ」
彼が、出会ってから初めて不快そうに、顔をしかめた。
とたん、シェルニティは、びくっとする。
浮かれていた気持ちが、暗く沈んだ。
やはり、彼も、ほかの人たちと変わらないのだろうか。
今さらに、彼女の容姿が気になり始めたのかもしれない。
シェルニティは、彼と顔を合わせないようにうつむく。
食事に手をつける気にはなれなくなっていた。
髪で、そっと顔を隠す。
人前では、そうするのが当然だったのに、つい忘れていたのだ。
「きみは、さしずめ、女王蜂というところかな。高位の貴族令嬢には、傅きたがる子息も多いからね。飾り羽をつけた雄鳥が、きみの周りを飛び回っていることも、少なくなさそうだ」
「私……あの……あなたの気分を害したのなら、居間のほうに戻ります……」
小さな声で、そう言う。
シェルニティは、自分と一緒では食事が不味くなると言われてきた。
平気そうにしていたけれど、我慢してくれていたに違いない。
呑気に笑ったりして、彼が不快を募らせるのも無理はないと思える。
「待ちたまえ」
立ち上がりかけたシェルニティを、彼が制した。
さっきまで、彼の瞳の中にあった不快が消えている。
「私は、貴族を好まない。そのせいで、きみに、私の偏見を、押しつけてしまったようだ。もし、言い訳をさせてもらえるのなら、このあと、デザートも出すよ」
「どんなデザートが出てくるのか、楽しみだわ」
心の底から、ホッとした。
彼は、容姿に対して「不快」を示したのではないらしいと、わかったからだ。
そして、彼なりの「謝罪」が、なんだか微笑ましく感じられる。
「令嬢の中には、出産適齢ギリギリまで遊びたがる女性も少なくない。彼女らは、自分自身や婚姻を餌に、貴族子息を振り回すのを楽しみとしているのさ」
「私に、そういう趣味はないわ。そもそも趣味がないし、外にも出ないから、子息とは縁がないもの」
「そうだね。偏見が、私の目を曇らせてしまったのだと思うよ」
彼の声音が、微妙にやわらかくなっていた。
本当に悪いと思っているのだろう。
こんなふうに、謝ってくれた人も、彼が初めてだ。
シェルニティは、小さく笑って言う。
「50キロ先の蝶々の色までわかるのに、眼鏡が必要なのじゃないかしら?」
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