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ご迷惑様 1
しおりを挟む「それで?」
彼は、正面に立っている。
相変わらず、シェルニティを、じっと見ていた。
話す時の癖なのかもしれない、と思う。
たとえそうであっても、彼女から目を背けない人であるには違いない。
居心地がいいような悪いような、複雑な感覚があった。
見られることには慣れていないので、落ち着かない気分にはなる。
が、視線から、自分が話しかけられていると、確信も持てるのだ。
そして、彼は「返事」を待っている。
ちゃんと。
シェルニティは、ソファに座っていた。
紅茶のカップを手に持っている。
彼も同じものを持っているが、ソファには座らなかった。
立ったまま、彼女を見下ろしているのだ。
「きみは、夫が側室を迎えたので、自分は不要だと考えたのか」
「そうですの。彼女がいれば、私がいる必要はないと思いました」
「それが、自死を選んだ理由かね?」
「ええ」
こうして、彼を、まっすぐに見つめることにも慣れてきている。
よく見ると、彼は、シェルニティより年上のようだった。
32歳になる夫より、年上かもしれない。
正確な歳は不明だが、おそらく35歳前後。
ロズウェルドもそうだが、男女を問わず、人は、ある一定の歳が来ると、外見があまり変わらなくなる。
男性は35から40、女性は30から40歳くらいで、変化に乏しくなるのだ。
そのため、誕生年を知らない相手の場合、年齢が分かりにくい。
とくに、男性は女性より長生きなので、よけいに分かりにくかった。
見た目は、35歳でも、実際には、60歳を越えていることもある。
「たいした理由だ。驚かされたよ」
彼が、そう言って、紅茶を飲む。
つられるように、シェルニティも紅茶を口にした。
林檎の香りがしていて、甘く感じるのに、実際の味はすっきりしている。
今までに、飲んだことのない味だ。
「しかしね、きみ。私が思うに、誰かに必要とされるか否かで、自身の命を測ろうとしても、無駄ではないかな? そもそも、つり合いの取れる分銅がない」
「ですが、人は、誰かに必要とされて生きているものでしょう?」
「そりゃあ、結果としてはね」
「私も、そのことに気づくまでは、自死など考えたこともありませんでした」
「当然だ。衣食住が足りていれば、人は死なない。死なないということは、生きている、ということさ」
死なないから、生きている。
シェルニティは、まさに、そんなふうだった。
誰にも必要とされず、みんなに目を背けられていても、住む場所があり、着る服があって、腹も満たされていた。
疎外されることにも慣れていて、しかも、彼女自身が納得をしていたため、これといって不満を感じたりもしていない。
なに不自由ない生活をしてきた、とは言える。
生活に不自由がなければ、生きてはいけるものなのだろう。
「ただ、いてもいなくてもいいのであれば、いないほうが、周りは喜ぶのではないでしょうか? とくに、私の場合は」
「きみの場合? きみは特別だとでも言いたげだね」
「ある意味では、特別でしょう?」
シェルニティの周囲に、こんな醜い痣を持つ者はいなかった。
自分だけだ。
ほかの人とは違う。
だからこそ、彼女は疎外されることに納得しているのだから。
「ふぅん。どこがどう特別なのか、私にはわからないな」
興味なさげな口調が、いっそうシェルニティを驚かせた。
彼が、お追従で言っているのではない、とわかったからだ。
「不躾とはわかっておりますが、お訊きしてもよろしいですか?」
「なにかね?」
「今年、おいくつになられましたの?」
「35」
そっけない口調で、彼が答える。
けれど、シェルニティは、自分の「アテ」が外れたことに、また驚いていた。
(それなら、目が悪い、ということでもなさそうね)
もしかすると、実際にはかなり歳を取っていて、彼には、自分の姿がはっきりと見えてはいないのではないか。
彼女は、そう推測したのだ。
とはいえ、35歳であれば、目を悪くするような歳でもない。
「いつもは、眼鏡をかけておられるとか?」
「ないね。50キロ先にいる蝶々の色を当てられるのだよ、私は」
「まあ! そんなに遠くまで見えるのですね!」
「ある意味では」
彼が、軽く肩をすくめる。
シェルニティは、またも不思議な感覚にとらわれている。
彼と話すのが「楽しい」のだ。
それに、気楽でもあった。
彼は、シェルニティの外見を気にしない。
それほど興味がない、ということかもしれないが、それでもかまわなかった。
いつだったか覚えていないほど、彼女は「まともな会話」から遠ざかっている。
ここ4年は、声を発することさえ、少なくなっていた。
うなずくか、首を横に振るかといった、動作で意思を伝えるのみ。
その「意思」も、人に合わせた予定調和に過ぎなかった。
「脇道に入るのは、ここまでにしよう。迷子になりたくないのでね。きみが、私の人生と眼球に関心をいだいているとしても、だ」
「本筋は……私の自死の理由でしたわね」
「きみが覚えていてくれて助かったよ。また、最初から話さなければならないかと心細くなっていたところだ」
シェルニティは、小さく笑う。
彼が「心細くなる」なんてことがあるのだろうか、と思ったのだ。
知り合って数時間、彼は、常に堂々としている。
内容は辛辣でも、彼女を大声で怒鳴りつけたりはしていない。
感情を、完全に制御しているのだろう。
彼なら、森で大きな獣と出会っても、動揺などしない気がする。
もちろん心細くなったりもしないはずだ。
「必要とされなくても人は生きていける。生きているうちは、生きていればいい。それだけの話さ」
「そう単純かしら?」
「これほど単純な話もないってくらいにね」
彼に言われると、そんな気もしてくる。
死なないから、との理由がありさえすれば、生きることを肯定してもいいのではなかろうか。
なにも、自ら死ぬ必要はないのかもしれない。
「生きるなんてのは、その程度のことだ。要はね、きみ。死に際のほうに、もっと注力すべきだということなのだよ」
「死に際?」
「だって、どうせ時が経てば、人は死ぬだろう?」
彼が、また軽く肩をすくめていた。
これは、癖のようだ。
彼はシェルニティに興味を持っていないが、シェルニティは彼に興味津々。
ひとつひとつを、つぶさに観察してしまう。
「未練だとか後悔だとかを遺してね」
「なるべく少ないほうが良さそうだわ」
「そうとも。棺桶に打たれた釘を抜いてでも生き返りたい、なんて思いたくはないじゃあないか」
シェルニティは、死ななくてよかったと、思った。
少なくとも、死んでいたら、彼とは会えなかったのだから。
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