放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

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初めてづくしの 4

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 2階にある部屋の扉を開いて、中に入る。
 彼女は、まったく警戒心なく、室内に足を踏み入れた。
 それを見て、彼は眉をひそめる。
 
(世間知らずが、度を越している)
 
 見知らぬ男の家に、のこのこついて来て、さらには無警戒で部屋に入る。
 いくら世間知らずでも、ほどというものがあった。
 言葉遣いや仕草から判断するに、彼女は貴族教育を受けている。
 つまり、知識がないわけではないのだ。
 
 男女の関係についても。
 
 にもかかわらず、警戒心がなさ過ぎる。
 彼女は既婚者なので、ちょっとした火遊びがしたいと思っている可能性はあるが、それにしては「駆け引き」をしないのはおかしい。
 男女を問わず、貴族は言葉や態度などで、恋愛を楽しむところがある。
 全員がそうだとは言わないまでも、駆け引き好きな貴族は多いのだ。
 
 そして、もうひとつ、普通の貴族令嬢では考えられないことがあった。
 彼の言動に対し、彼女は、憤慨するどころか文句ひとつ言わずにいる。
 通常、同じ貴族同士でさえ、高位の者は低位の者に傲慢になるのだ。
 己の優位性の誇示は、秩序を保つために必要とされる。
 
 その傾向は、貴族同士よりも、平民に対してのもののほうが強い。
 相手が平民である場合、貴族は、より居丈高になる。
 令嬢が似た振る舞いをするのも、めずらしくない。
 貴族教育によって「立場を明確にする」言動を教わるからだ。
 
 彼は、民服を身につけている。
 濃い青色をした胸元の開いたシャツも、ゆったりとした幅のある黒のズボンも、貴族服とは似ても似つかない。
 身間違えようもなく、民服だ。
 
 それは、彼が「平民」だということを示すことにもなる。
 だが、彼女は、一般的な貴族令嬢が取るような言動は取っていない。
 居丈高になることもなく、横柄な口もきかずにいた。
 むしろ、民を相手に、丁寧過ぎるくらいだ。
 
(本当に、よくわからない女性だな。レックスモアの奥方であれば屋敷の切り盛りもしているのだろうに)
 
 知識や教養がないわけではない。
 爵位は高位に属している。
 にもかかわらず「それらしく」ないのだ、彼女は。
 どうにも腑に落ちない。
 
(どうでもいいさ。彼女が、あの森を“汚さずに”いてくれさえすれば)
 
 気持ちを切り替え、彼は、部屋の奥にあるクローゼットを開く。
 中から、服を取り出した。
 それを持って、彼女の元に戻り、差し出す。
 
「これに着替えたまえ。着替え終わったら、濡れた服を渡してもらう。別の場所で乾かす必要があるのでね」
「かしこまりました」
 
 ぴく。
 
 彼の眉が引き攣った。
 彼女になんらかの「思惑」があるとも思えないが、腑に落ちなさ過ぎるのだ。
 彼は、少なからず警戒する。
 
「きみの、その口調は、どうにかならないか?」
「口調、ですか?」
「私に、かしこまられても困る、と言っているのだよ」
「困っておられるのは、わかりました。ですが、どうにかというのは、どうすればよいのでしょう?」
「貴族向けの話しかたは嫌いでね」
 
 言うと、彼女が困った顔になった。
 それで、気づく。
 彼女は、こういう話しかたしかしたことがないのだ。
 きっと誰に対しても、同じ話しかたをしている。
 貴族向けだの平民向けだのと、意識して使い分けていないのだろう。
 
「その話はあとだな。まずは着替えだ。ああ、かしこまっていただかなくて結構」
 
 彼は、部屋を出て行きかけて、足を止める。
 肩越しに振り向いて言った。
 
「私は、きみに興味がない」
「先ほど、お聞きしました」
「繰り返し言うのは、大事なことだからさ」
「あなたは、私に興味がないのでしょう? 理解しておりますわ」
 
 ひどく、あたり前といった調子で、彼女がうなずく。
 彼も、うなずいてみせた。
 
「よろしい」
 
 言って、部屋を出る。
 扉を閉め、彼は階下に降りた。
 彼女の性格からすると、覗かれるなどと心配しそうもない。
 さりとて、念のため、部屋を離れておいたのだ。
 
 彼は、ソファに腰かけ、くつろぐ。
 食事をどうするかと考えかけた矢先だった。
 彼女が、部屋から出てくる。
 居間は吹き抜けになっており、見上げるだけで、2階にある部屋の扉は、すべて見渡せるのだ。
 
「きみ! いったい、どういうつもりかね?!」
 
 彼らしくはなかったが、さすがに、声をあげてしまう。
 思わず、立ち上がってもいた。
 なにしろ、彼女は、彼が差し出した服の「半分」しか身につけていない。
 
 ベージュ色をした彼の民服のみ。
 
 そのせいで、膝から下が、すっかり露わになっている。
 かろうじて太腿は隠せている、という程度だ。
 肌を見せるのには抵抗があるだろうと、長袖で丈も長めのものを渡した。
 でなければ、もっと「大変」なことになっていたに違いない。
 
 ここには、女性を連れて来たことがなかった。
 そのため、女性の服がなく、彼は「着られればいい」ぐらいの気持ちで渡したに過ぎないのだけれども。
 
「下も渡したはずだ!」
「ええ。ですが、滑り落ちてしまって、うまく履けませんでした」
「腰紐で縛っても?」
「はい。なるべく強く結んでみましたけれど、どうしても落ちるのです」
 
 だからといって、貴族令嬢が「履かない」との選択をするだろうか。
 疑念がわいたものの、彼女は、どうも「一般的」な令嬢から外れているのだ。
 それくらい「やりかねない」と考えを改めた。
 
 彼女は、気にした様子もなく、階段を降りてくる。
 そして、やはり無警戒に彼へと近づいてきた。
 白くて、すらりとした足から、思わず、視線をそらせた。
 彼は、いよいよ不機嫌になる。
 自分の家だというのに、とても居心地が悪かった。
 
「きみは、そのような姿で男の前に出るのを、はしたないと思わないのか?」
「思いますわ」
「では、どうやってでも、ズボンを体に巻き付けるべきだったのではないかね?」
「裾を踏んで、転ぶことになるよりいいのではないでしょうか?」
 
 それは、一理なくもない。
 階段で転ばれでもしたら、ますます厄介だっただろうから。
 
「それに、あなたは、私に興味がないと仰られました」
 
 彼女の口調は、彼を侮辱するものではなかった。
 言い負かしてやろうとか、やりこめてやろうとかいう悪意は感じられない。
 
(興味がないと言われたから、足くらい見せても平気だと思ったわけか)
 
 だから「転ばない」ほうを優先させた、ということのようだ。
 言いはしなかったが、心の中でだけ思う。
 
(興味がない女性であろうと、平気でベッドに引き入れようとする男が、どれほどいるかも知らないらしい)
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