放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

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初めてづくしの 2

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「いったい、どういう理由があって、私の釣りの邪魔をしたのだい?」
 
 彼は、不機嫌に、そう言った。
 両腕には、女性をかかえている。
 彼女は、目を見開き、彼を見つめていた。
 
 ごく淡い茶色をした瞳に、戸惑いが浮かんでいる。
 自分に何が起きたのか、把握できていないのだろう。
 それでも、女性が黙っていることに、苛々した。
 
「今日は、まったく良い釣り日和だ。そうは思わないかね? それなのに、きみが蹴飛ばされた石ころみたいに降ってきたりするものだから、台無しだ」
 
 言いつつ、彼女を降ろし、そっと地面の上に立たせる。
 彼女は、まだ黙っていた。
 ごめんなさい、とも、すみません、とも、申し訳ない、とも言わない。
 彼にしても、特段に謝罪がほしかったのではないが、儀礼的な話だ。
 
「いいかい、私は、ここで釣りをしていたのだよ? 釣った魚を、私が、どうすると思う?」
「め、召しあがるのではないのですか?」
「ああ、よく気づいたね。そうとも、釣った魚は今夜の夕食にするつもりだった」
 
 ようやく彼女が口を開いた。
 ものすごい小声だけれど、それはともかく。
 
「想像したまえよ、きみ。私が釣りの最中に、きみの遺骸が水にぷかぷか浮かんできたとしたら? その水の中にいた魚を、さあ、食す気になれるかい?」
「いいえ、なれませんわ。ゾッとします」
「私も同意見だね。ゾッとする」
 
 彼女は、不意に、また戸惑いを見せる。
 初対面の男から不躾な言葉を叩きつけられたからだろうか、と思った。
 が、どうやら違ったらしい。
 彼女が、視線を外してうつむいたからだ。
 
 不躾な言葉を叩きつけられて戸惑っているなら、その中には多少の憤慨も交じるだろう。
 そういう仕草が、彼女にはなかった。
 かと言って、怯えている様子も感じられない。
 
(よくわからないな。彼女は、なにを“恥じて”いるのだろう)
 
 彼女の仕草に、彼は、憤慨でも恐怖でもなく、彼女が、なにか恥じていることを察している。
 なにをかは、わからない。
 けれど、男性に対する「羞恥心」とは違うものであるのは確かだ。
 もしかすると、彼女が「降ってきた」理由と関わりがあるのかもしれない。
 
「それで? 私が気になっているのは、なぜきみが降ってきたのか、だ。石ころにしちゃあ、少し大き過ぎる気がしてね」
「あなたの……あら、まだ、お名前を聞いておりませんでしたわね。私は……」
「きみ! 名など、どうでもいい。私は、きみの名を知りたいとは思っていないし、きみに名を知ってほしいとも思っていない」
 
 変わった女性だと、思う。
 こんな森の中で、見も知らない男と2人きり。
 その男は不躾で礼儀知らずであり、怒ってもいる。
 なのに、平気で話の腰を折るのだから、どれほど怖いもの知らずなのか。
 
 見たところ、貴族の令嬢であるのは間違いない。
 指輪についている宝石や、はめている指からすると。
 
(レックスモアの奥方か)
 
 馬車で少し、という距離に、レックスモア侯爵家の屋敷がある。
 というより、この辺りで、貴族屋敷は、あそこしかない。
 そもそもが辺境地なのだ。
 
(貴族の奥方なんてものは、世間知らずと“相場”が決まっているさ)
 
 彼女は変わっているのではなく、世間知らずなだけだろう。
 彼は、そう結論する。
 そして、改めて、彼女を問いただした。
 
「私が知りたいのは、なぜ、きみが降ってきたか、その理由だ」
 
 彼女は黙りこくっている。
 答えたくないとの意思表示には違いない。
 とはいえ、彼にも理由をおさえておく必要があった。
 
「私の当て推量が間違っていなければ、きみは自死しようとした。違うかね?」
 
 彼女が、小さくうなずく。
 やれやれと、彼は、わざとらしく大きく溜め息をついた。
 冗談ではない、と、本気で思っている。
 
「自死をするのは、きみの勝手だがね。この森を使うのはよしてくれ。非常に迷惑な話じゃないか。きみの遺骸が浸かった水で育った魚や、きみを食い散らかした獣の肉を、私に食べさせようというのだから」
 
 ここは、彼の「領域」だ。
 レックスモア侯爵家の領地でもない。
 彼は、たいていは、ここで暮らしていた。
 ほとんど自給自足に近い生活をしている。
 
「知らないのかい? 自死をするにしたって、首をくくるなり、ナイフで喉を突くなり、森を使わない手段は、いくらでもあるのだよ」
 
 彼は「1人」で生活をする暮らしに慣れていた。
 最近では、とくに「隠遁」していると言ってもいいほどだ。
 特別な用でもなければ、この森から出ることはない。
 平穏な1日を台無しにされたことに、少なからず腹を立てている。
 
「わかったら、2度と、この森を、きみの死に場所にしようなどとは、考えないでくれ。はなはだ迷惑なのでね」
 
 彼にとっては、彼女が何者で、なぜ死のうとしたかなど、どうでもよかった。
 まるきり興味もない。
 さっさと立ち去ってほしいだけだ。
 彼女の返事を待ち、じっと、その姿を見つめる。
 
 ちらっと、彼女が、彼に視線を投げてきた。
 やはり戸惑いが目に浮かんでいる。
 今度は「恥」でもない、なにか。
 
 さっきは、自死しようとしたことを恥じているのかと思った。
 が、それも違ったようだ。
 
「なにかね? 言いたいことがあるなら、言いたまえ。この国に、いくら魔術師がいるとはいえ、心を読む魔術などないのだよ」
 
 ロズウェルド王国は、この大陸で、唯一、魔術師のいる国だった。
 諸外国に対する大いなる優位性であり、何百年も戦争をしかけられていない。
 さりとて、今、言ったように、人の心を読んだり操ったりする魔術はなかった。
 魔術は、万能ではないのだ。
 
「あの……それでは、お訊きいたしますが、あなたは、なぜ私の顔を、じっと見られるのですか?」
「な…………」
 
 彼は、言葉を失う。
 何十年も感じたことのない「羞恥心」をいだいてもいた。
 確かに、女性の顔をまじまじと見つめるのは、無遠慮に過ぎたかもしれない。
 彼だって、長らく、こんなふうに女性を見つめたことなどなかったのだ。
 
「それほど、まじまじと見られたのは初めてで、私、どうすればいいのか、わからないのです」
 
 さらに、言葉を失う。
 どう答えていいのか、ちっとも頭に浮かばない。
 彼は、彼女に興味などなかったし、迷惑だとしか感じていなかった。
 だからこそ、辛辣な言葉で彼女を追いはらおうとしたのだ。
 
 まさか、こんなふうに「誤解」されるなんて思いもよらない。
 確かに、確かに、女性に対するものとして、あるまじき態度だったかもしれないけれど。
 
「ですから……あの……あまり……見つめないでください……」
 
 かぼそい声に、ハッとなる。
 あまりに、茫然となり過ぎて、彼は、彼女を見つめっ放しになっていた。
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