放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ

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初めてづくしの 1

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 シェルニティは、ぼうっと森を歩いていた。
 手には、重いバスケットをかかえている。
 
 馬車で、森の手前まで来た。
 が、メイドはついて来ていない。
 御者は、馬車から離れようとはしなかった。
 そのため「食事」の入ったバスケットは、シェルニティが、自分で持たなければならなくなったのだ。
 
(こんなに食べられないわ。誰かにあげたくても、私からでは、誰も受け取ってはくれないでしょうし)
 
 小さく溜め息をつきながら、歩く。
 彼女は、言われた通り、森を散策し、食事をする予定にしている。
 異議を唱えなかったのだから、そうすべきなのだと思っていた。
 夫から、準備も整えられてしまったし。
 
(でも、良い人そうで良かった。あのかたなら、屋敷のことを任せてしまっても、なにも言われずにすみそう)
 
 リリアンナは、正面からシェルニティを見ることはなかったものの、話しかけてはくれたのだ。
 少なくとも、夫より「会話」は成立していたように思える。
 それだけで、シェルニティにすれば、十分に「いい人」だった。
 
 バスケットを抱えなおし、ふう…と、息をつく。
 空を見上げた。
 真っ青な、広い空が広がっている。
 ふと、考えた。
 
(あの人がいるのだから、私は、いないほうがいいような気がしてきたわ。旦那様も、きっと、そう思ってらっしゃるわよね)
 
 クリフォードは、自分と婚姻したくてしたのではない。
 考えてもいなかったはずだ。
 父に、脅されるようにして婚姻しただけだと、わかっている。
 
(私がいなければ、あのかたは正妻になれて、子も成せるのだから、みんなが喜ぶ結果になるもの)
 
 今まで考えたこともなかった。
 生活に苦労していなかったので、とりあえず日々を過ごしていたけれども。
 
(もしかして、私って、死んだほうがいいのかしら?)
 
 自分の命を絶つ、という選択が、初めて頭に浮かぶ。
 死にたいわけではないが、積極的に生きていたい、とも思えない。
 生きる意味や目的が、シェルニティにはないからだ。
 本当に、ひとまず死ぬようなことがなかったから、生きていただけで。
 
 それに「自死」との発想がなかった。
 ブレインバーグの屋敷にいた頃から、1人には慣れている。
 そして、みんなにうとまれてもいた。
 だから、それにも慣れている。
 
 住む場所が変わっても、シェルニティの生活自体は、大きく変わっていない。
 そのため「寂しい」などと思わずにすんだ。
 自分の外見が、人に嫌悪感をいだかせるものだと知っていることもあり、疎まれるのが当然、と感じている。
 
 夫に叱られるのには、馴染めなかったけれども。
 
 両親は、シェルニティと距離を置いていたので、叱るもなにもなかったのだ。
 母は、時折「肩身が狭い」と、こぼしていたようだが、直接、彼女に怒りをぶつけることはなかった。
 シェルニティのいないところで、メイドに愚痴っている。
 ただ、屋敷内でのことは、相応、耳には入ってくるものだ。
 
(私は、エリスティのように可愛らしくないから、お母さまにも肩身の狭い思いをさせていたのだわ)
 
 妹のエリスティは、側室が産んだ、父にとっては2人目の娘だ。
 彼女は、雰囲気は違うが、リリアンナに引けを取らないほど可愛らしい。
 活発で陽気で、少し気の強い妹を、父は、大層に可愛がっている。
 
 毎年の誕生日も、盛大な夜会を開いていた。
 シェルニティの誕生日は、1度も祝われたことはない。
 が、それも、彼女は納得している。
 見目の悪い自分を主役に、夜会なんて開けるはずがない、といった具合だ。
 
「まぁ、すごい」
 
 シェルニティは、思わず、声を上げた。
 歩いていくうちに、森の中ほどまで辿りついている。
 そこに、大きな滝があったのだ。
 バスケットを地面に降ろし、そちらに向かう。
 
 水しぶきの跳ねる様子を、もう少し間近で見たくなったのだ。
 確かに、リリアンナの言うように、気分が変わった。
 なにやら清々しい気持ちになっている。
 
「とても美しいわ。でも、どうして、あんな場所から、あれほどの水が落ちてくるのかしら。不思議ね」
 
 本やなんかで「滝」というものの存在は知っていた。
 さりとて、実物を見たのは初めてだ。
 絶壁の上から、しぶきを上げ、水が音を立てて流れ落ちている。
 近づいていたため、シェルニティの頬は、小さな水滴で濡れていた。
 
 流れに沿って見下ろすと、水がビシャビシャと跳ね返っている。
 おそらく、あれが滝つぼと言うものだろう。
 あまり深くはなさそうだが、水煙が広がっていて全体が見えない。
 見つめていると、自分がとても小さく思えた。
 
(ここに身を投げたら、死んだりするのかしら)
 
 この高さであれば、生きてはいられない気もする。
 途中で、意識を失うことも考えられた。
 溺れ死ぬのは苦しそうなので嫌だったが、意識を失っているのなら、苦しまずにすみそうだ。
 
(そうね。これといって、私が生きている理由はないし、誰も困らない……というより、ホッとする人のほうが多そうね)
 
 ちょっと身を投げてみようか。
 
 かなり安易ではあれど、本気で、そう思っている。
 問題なのは、死ねなかった場合はどうするか、なのだけれども。
 
「私が帰らなくても、探しに来る人はいないわ」
 
 日暮れ時までシェルニティが帰らなかったとしても、御者が、わざわざ探すとは思えない。
 そのまま屋敷に戻り、彼女がいなくなったことを夫に告げるだけだろう。
 
 そして、夫も、森を捜索させたりはしない。
 数日間、放置したのち、ブレインバーグに報告に行く程度だ。
 さらにブレインバーグでも、それではしかたがないと、シェルニティの「死」の手続きを進めるに違いない。
 みんなが思うはずだ。
 
 ようやく厄介者が消えた、と。
 
 思い至ると、今まで「自死」を選ばなかったのが奇妙に思えてくる。
 それが、みんなの望みだと、なぜ気づかなかったのか。
 彼女自身、意味や目的があって生きてきたわけでもないのに。
 
(それだけ、ぼんやり生きてきた、ということね。どうしても、生きていなくちゃいけない、なんてこともないのに、生きてきたのだから)
 
 投げやりになっているのではなかった。
 リリアンナが来て、自分の役目は終わった、と感じたからかもしれない。
 彼女の言った通り、本当に、外に出て気分が変わったのだ。
 部屋の中にいたのでは、考えつきもしなかった発想だった。
 
(目をつむって飛び込めば、それほど怖くはないわよね。すべてを終わりにできると考えれば、どうということは……)
 
 シェルニティは目を閉じ、足を前に踏み出す。
 地面がなくなるまで、まっすぐに歩くだけのことだ。
 そして、数歩で、その「感覚」がやってくる。
 スッという落下感。
 
 水しぶきが強くなった。
 早く意識を失うことを、シェルニティは、願う。
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