4 / 80
いつもの不幸せ 4
しおりを挟む
クリフォードは、シェルニティを呼ぶつもりはなかったのだ。
が、リリアンナに頼まれたので、しかたなく呼びに行かせた。
礼儀として挨拶をしておきたい、と言ったリリアンナの心遣いを尊重している。
およそクリフォードは、人の言うことに耳を傾けるような男ではなかった。
公爵家には並び立てないものの、侯爵家としてレックスモアは、それなりの地位にいるのだ。
同じ爵位であれば、阿る必要などない。
それに、公爵家の子息に、クリフォードほどの美形は、ほとんどいなかった。
サロンにおいては、彼の独壇場と言える。
彼に、女性を「融通」してくれと頼んでくる公爵子息もいるくらいだ。
王族の容姿には敵わないが、王族はサロンになど来ない。
従って、クリフォードは、人の言うことを聞く必要がなかった。
けれど、リリアンナは別だ。
彼女とは、街で偶然に知り合っている。
サロンに行く前に立ち寄った、宝石店の店先でぶつかった。
必死で詫びる彼女は、とても愛らしかったのだ。
今までベッドをともにしてきた、どんな女性も霞んで見えた。
ひと目で、虜になったと言ってもいい。
純真さの宿る大きな瞳も、美しく輝く髪も、なにもかもに惹きつけられた。
クリフォードらしくもなく、まるで初心な青年のように、たどたどしく、彼女を食事に誘ったが断られている。
そのせいで、よけいに彼女に夢中になった。
以来、サロン通いは、きっぱりとやめている。
リリアンナは男爵家の令嬢ではあるものの、あまり裕福ではなかった。
だから、会うたびに宝飾品を贈ろうとしたが、それも断られている。
(金とは無縁で、私と親しくなりたい、などと言って……いじらしいものだ)
その時のことを思い出し、クリフォードは暖かい気持ちになった。
リリアンナは、彼自身を好ましく思ってくれたのだ。
サロンに来ているような女性とは違う。
いよいよ、クリフォードは、リリアンナにのめりこんでいった。
会って食事をしたり、夜会に行ったりと、毎日のように彼女と過ごしたのだ。
実のところ、彼女とは、まだベッドをともにしていない。
それも、クリフォードにとっては、初めてのことだった。
彼女の真摯な愛情を裏切りたくない。
遊びでつきあっているのではない、との証を立てようとしたのだ。
が、しかし、リリアンナを妻にはできなかった。
爵位の問題は、どうにでもなる。
クリフォードのほうが、高位にあたるからだ。
さりとて、クリフォードは、すでに既婚の身。
正妻である、シェルニティがいる。
彼は、ひどく迷った。
側室なんて言ったら、リリアンナを苦しめることになるのではないか。
不誠実だと思われ、自分の元から去ってしまうのではないか。
そんな不安から、なかなか言い出せずにいた。
(リリーは、本当に、素晴らしい女性だ)
彼女は、そんなクリフォードの苦しい胸の内を理解してくれている。
なにしろ、リリアンナのほうから「側室」の話を切り出してくれたのだから。
『私は、クリフ様をお慕いしております。正妻でなくとも……側室であっても、クリフ様の、お傍にいさせてくださいませんか』
そして、クリフォードさえよければ、と言葉を付け足したのだ。
もちろん、クリフォードに否はない。
側室とすることに、罪悪感すらおぼえている。
(あいつさえいなくなってくれれば、リリーを正妻にしてやれるものを)
視界に入れたくもない女だ。
いっそ死んでくれればいいのに、と思う。
とはいえ、直接に手をくだすことはできないし、シェルニティに、自死の意思はなさそうだった。
ならば「それなり」に扱い続けるしかない。
生活に困らせようものなら、実家が黙ってはいないだろう。
シェルニティの「公爵家令嬢」との立場が、本当に忌々しく感じられる。
あとは、シェルニティが、なにか罪でも犯してくれることに期待するだけだ。
もっとも、彼女は、日がな部屋にいることが多く、罪を犯すようなきっかけすらないのだけれども。
「シェルニティ様は、毎日を、どうお過ごしですか?」
リリアンナが無邪気に訊く。
どんな相手にも分け隔てなく声をかけるということに感心した。
本当に、リリアンナは、心の優しい女性なのだ。
彼は、ちらっと視線をシェルニティに向けた。
答えるように、目だけで促す。
「部屋で、本を読んだりしております」
「この近くにある森を散策なさったりはされませんの?」
「私は、あまり外には出ないものですから」
「ですが、たまには気分を変えませんと、心が暗くなりますでしょう? せっかく木々が色づく季節ですし、散策もしてみてくださいね」
シェルニティが、黙ってうなずいた。
そのことに軽く苛立ちを覚えたが、リリアンナの手前、我慢する。
リリアンナの優しい気配りを無駄にしたくなかったからだ。
「シェルニティ、明日にでも散策に行ってくるといい」
シェルニティの部屋は、クリフォードの部屋とは離れている。
とはいえ、屋敷内にいると思うと、気が滅入るのだ。
思い出すのも嫌だった。
どうせなら、シェルニティを屋敷から離れさせて、心置きなく、リリアンナとの関係を深めたい。
悪くない考えだと思った。
「馬車は、私が手配しよう」
「あら。でしたら、お食事も、ご用意してさしあげてはいかがでしょう? 自然の中で食事をすると、とても気持ちが良くて、いつもより食せるものです」
「そうか。では、食事も用意させておく」
リリアンナが、クリフォードを見て、微笑んだ。
嬉しそうな表情に、すっかり目を奪われる。
心優しく、気立ても良く、見た目にも可愛いリリアンナが愛しかった。
リリアンナを妻にできたら、どれほど幸せだったか、と思う。
クリフォードは、貴族らしい貴族だった。
実のところ、シェルニティに、なにかされたわけではないのだ。
憎まれ口を叩かれたとか、物を投げつけられたとか。
そういうことは、一切ない。
クリフォードが、シェルニティを嫌っている理由は、ただひとつ。
醜い、ということだけだった。
貴族は、外見にこだわる者が多い。
爵位が優先されることもあるが、同じくらい見た目を重視している。
婚姻しても、シェルニティは、夜会に連れて行くこともできない女だ。
一緒に歩いているところすら、誰にも見られたくなかった。
唯一、彼にとって前向きになれるところがあるとすれば、それは爵位だ。
シェルニティとの婚姻で、レックスモアは公爵家と、ほぼ同格となっている。
後ろにブレインバーグがいるとなれば、たとえ公爵家であろうと、クリフォードに物申すのは容易いことではない。
リリアンナを知った今、そんな気はないが、仮に、公爵子息の妻を寝取ろうが、誰にも文句は言われない立場になったのだ。
(その程度の価値しかない女だがな)
彼は、不快感を遠ざけるため、リリアンナの手を握る。
とたん、気分が良くなった。
明日は、リリアンナと2人きりだと思うと、胸も高鳴っている。
が、リリアンナに頼まれたので、しかたなく呼びに行かせた。
礼儀として挨拶をしておきたい、と言ったリリアンナの心遣いを尊重している。
およそクリフォードは、人の言うことに耳を傾けるような男ではなかった。
公爵家には並び立てないものの、侯爵家としてレックスモアは、それなりの地位にいるのだ。
同じ爵位であれば、阿る必要などない。
それに、公爵家の子息に、クリフォードほどの美形は、ほとんどいなかった。
サロンにおいては、彼の独壇場と言える。
彼に、女性を「融通」してくれと頼んでくる公爵子息もいるくらいだ。
王族の容姿には敵わないが、王族はサロンになど来ない。
従って、クリフォードは、人の言うことを聞く必要がなかった。
けれど、リリアンナは別だ。
彼女とは、街で偶然に知り合っている。
サロンに行く前に立ち寄った、宝石店の店先でぶつかった。
必死で詫びる彼女は、とても愛らしかったのだ。
今までベッドをともにしてきた、どんな女性も霞んで見えた。
ひと目で、虜になったと言ってもいい。
純真さの宿る大きな瞳も、美しく輝く髪も、なにもかもに惹きつけられた。
クリフォードらしくもなく、まるで初心な青年のように、たどたどしく、彼女を食事に誘ったが断られている。
そのせいで、よけいに彼女に夢中になった。
以来、サロン通いは、きっぱりとやめている。
リリアンナは男爵家の令嬢ではあるものの、あまり裕福ではなかった。
だから、会うたびに宝飾品を贈ろうとしたが、それも断られている。
(金とは無縁で、私と親しくなりたい、などと言って……いじらしいものだ)
その時のことを思い出し、クリフォードは暖かい気持ちになった。
リリアンナは、彼自身を好ましく思ってくれたのだ。
サロンに来ているような女性とは違う。
いよいよ、クリフォードは、リリアンナにのめりこんでいった。
会って食事をしたり、夜会に行ったりと、毎日のように彼女と過ごしたのだ。
実のところ、彼女とは、まだベッドをともにしていない。
それも、クリフォードにとっては、初めてのことだった。
彼女の真摯な愛情を裏切りたくない。
遊びでつきあっているのではない、との証を立てようとしたのだ。
が、しかし、リリアンナを妻にはできなかった。
爵位の問題は、どうにでもなる。
クリフォードのほうが、高位にあたるからだ。
さりとて、クリフォードは、すでに既婚の身。
正妻である、シェルニティがいる。
彼は、ひどく迷った。
側室なんて言ったら、リリアンナを苦しめることになるのではないか。
不誠実だと思われ、自分の元から去ってしまうのではないか。
そんな不安から、なかなか言い出せずにいた。
(リリーは、本当に、素晴らしい女性だ)
彼女は、そんなクリフォードの苦しい胸の内を理解してくれている。
なにしろ、リリアンナのほうから「側室」の話を切り出してくれたのだから。
『私は、クリフ様をお慕いしております。正妻でなくとも……側室であっても、クリフ様の、お傍にいさせてくださいませんか』
そして、クリフォードさえよければ、と言葉を付け足したのだ。
もちろん、クリフォードに否はない。
側室とすることに、罪悪感すらおぼえている。
(あいつさえいなくなってくれれば、リリーを正妻にしてやれるものを)
視界に入れたくもない女だ。
いっそ死んでくれればいいのに、と思う。
とはいえ、直接に手をくだすことはできないし、シェルニティに、自死の意思はなさそうだった。
ならば「それなり」に扱い続けるしかない。
生活に困らせようものなら、実家が黙ってはいないだろう。
シェルニティの「公爵家令嬢」との立場が、本当に忌々しく感じられる。
あとは、シェルニティが、なにか罪でも犯してくれることに期待するだけだ。
もっとも、彼女は、日がな部屋にいることが多く、罪を犯すようなきっかけすらないのだけれども。
「シェルニティ様は、毎日を、どうお過ごしですか?」
リリアンナが無邪気に訊く。
どんな相手にも分け隔てなく声をかけるということに感心した。
本当に、リリアンナは、心の優しい女性なのだ。
彼は、ちらっと視線をシェルニティに向けた。
答えるように、目だけで促す。
「部屋で、本を読んだりしております」
「この近くにある森を散策なさったりはされませんの?」
「私は、あまり外には出ないものですから」
「ですが、たまには気分を変えませんと、心が暗くなりますでしょう? せっかく木々が色づく季節ですし、散策もしてみてくださいね」
シェルニティが、黙ってうなずいた。
そのことに軽く苛立ちを覚えたが、リリアンナの手前、我慢する。
リリアンナの優しい気配りを無駄にしたくなかったからだ。
「シェルニティ、明日にでも散策に行ってくるといい」
シェルニティの部屋は、クリフォードの部屋とは離れている。
とはいえ、屋敷内にいると思うと、気が滅入るのだ。
思い出すのも嫌だった。
どうせなら、シェルニティを屋敷から離れさせて、心置きなく、リリアンナとの関係を深めたい。
悪くない考えだと思った。
「馬車は、私が手配しよう」
「あら。でしたら、お食事も、ご用意してさしあげてはいかがでしょう? 自然の中で食事をすると、とても気持ちが良くて、いつもより食せるものです」
「そうか。では、食事も用意させておく」
リリアンナが、クリフォードを見て、微笑んだ。
嬉しそうな表情に、すっかり目を奪われる。
心優しく、気立ても良く、見た目にも可愛いリリアンナが愛しかった。
リリアンナを妻にできたら、どれほど幸せだったか、と思う。
クリフォードは、貴族らしい貴族だった。
実のところ、シェルニティに、なにかされたわけではないのだ。
憎まれ口を叩かれたとか、物を投げつけられたとか。
そういうことは、一切ない。
クリフォードが、シェルニティを嫌っている理由は、ただひとつ。
醜い、ということだけだった。
貴族は、外見にこだわる者が多い。
爵位が優先されることもあるが、同じくらい見た目を重視している。
婚姻しても、シェルニティは、夜会に連れて行くこともできない女だ。
一緒に歩いているところすら、誰にも見られたくなかった。
唯一、彼にとって前向きになれるところがあるとすれば、それは爵位だ。
シェルニティとの婚姻で、レックスモアは公爵家と、ほぼ同格となっている。
後ろにブレインバーグがいるとなれば、たとえ公爵家であろうと、クリフォードに物申すのは容易いことではない。
リリアンナを知った今、そんな気はないが、仮に、公爵子息の妻を寝取ろうが、誰にも文句は言われない立場になったのだ。
(その程度の価値しかない女だがな)
彼は、不快感を遠ざけるため、リリアンナの手を握る。
とたん、気分が良くなった。
明日は、リリアンナと2人きりだと思うと、胸も高鳴っている。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
589
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる