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目隠し目線 3

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「ですが、殿下、そう仰ってはおられないのではないでしょうか?」
 
 艶を含んだ声に、ルーナは足を止めた。
 謁見室に入り込むのが良くないことだとは、わかっている。
 執務室で待っているべきだったのだろう。
 が、1度、会いたいと思うと、どうしても会いたくなったのだ。
 
 ちょっぴり顔を見て、それから転移で執務室に戻ればいい。
 
 そうした軽い気持ちで、室内に、こっそりと入り込んでいる。
 それから、ユージーンがいる側とは仕切られている場所に移動した。
 茶器などが置いてあったので、おそらく侍女が控えるための場所だろう。
 とはいえ、そこには誰もおらず、人ばらいがされていることを察した。
 
 気づいた時に、引き返せば良かったのだ。
 人ばらいまでしているということは、聞かれたくない話をしている、ということになる。
 盗み聞きをしたことがユージーンに露見すれば、気まずい、ではすまない。
 ただでさえ、ユージーンとの関係にヒビが入りかけているのに。
 
「即位されなかったとはいえ、殿下は王族のかたにございます」
 
 声に、ルーナは、引き返せなくなる。
 仕切りがあるので、2人の姿は見えない。
 けれど、その声は、明らかに女性のものだ。
 しかも、しなだれかかるような、なまめかしさを感じる。
 
(ジーンの知り合い……? でも、こんな声、私は知らないわ……誰……?)
 
 小さい頃から、ユージーンは行く先々にルーナを連れて行った。
 なので、ユージーンの知り合いで、ルーナの知らない者はいないはずなのだ。
 議会に転移してしまった時は、ユージーンがうまく隠してくれたので、重臣たちはルーナの存在に気づかなかった。
 さりとて、ルーナは、彼らの顔を知っている。
 重臣は、貴族で構成されているからだ。
 
 ウィリュアートンは大派閥であり、父トラヴィスも重臣の1人。
 トラヴィスが夜会を開けば、必ず重臣たちが顔を揃えていた。
 夫婦で挨拶に来るのだから、声だって知っている。
 
「国王陛下には、御子が、お1人しかおられません。そのことを殿下は苦慮されておられるのでは?」
 
 ルーナが気安く「ザカリーおじさん」と呼ぶ現国王の子供は1人。
 トマスだけだ。
 
 ルーナも、国王が正妃以外を迎えるつもりがないのを知っている。
 正妃ジョゼットのほうが、側室を娶れ、と言っているところに居合わせたことがあったのだ。
 国王は号泣しながら「絶対に嫌です!」と正妃の進言を拒絶していた。
 
 あの様子では、この先も「ザカリーおじさん」が側室を娶ることはないだろう。
 となると、王太子は、トマスのみとなる。
 貴族教育の中で、国王が「与える者」の力で、魔術師に魔力を与えていると学んでいた。
 その「与える者」の力を宿すのが、ガルベリーの直系男子だという話だ。
 よって、即位できるのは、ガルベリーの直系男子との条件を覆せはしない。
 
(トマスがいればいいんじゃないの? なにが問題なのか、わかんない)
 
 誰かは知らない女性の言葉に、ルーナは首をかしげている。
 ユージーンが苦慮する必要などない気がした。
 少なくとも次期国王は、トマスで決定しているのだし。
 
(トマスだって婚姻するでしょ? そうすれば、トマスの子が、次の国王になるんだよね? それで、その子がまた婚姻して……って、続いてくわけだから)
 
 ガルベリーの血筋が途絶えることはない。
 単純に、ルーナは、そう考えてしまう。
 トラヴィスが、当主にこだわりがないため、後継ぎ問題を、ルーナは差し迫った問題として考えたことがなかったのだ。
 
「万が一、王太子殿下に、なにかあればガルベリーの血が途絶えかねませんもの。ご心配にもなられますわね」
 
 その言葉に、ようやくルーナは、ハッとなる。
 病や不慮の事故で、トマスが他界したら、たちまちガルベリーの血筋は途絶えてしまうのだと、気づいた。
 ルーナに「与える者」や「ガルベリーの血筋」を教えたのはユージーン本人だったのに。
 
(だって……だって……ジーンが……トマスがいるからロズウェルドは安泰だって……)
 
 そう言っていたので、ルーナは深く考えずにいた。
 ルーナにとってユージーンの言うことに「間違いはない」のだ。
 ガルベリーの血筋が危うい、だなんて疑うはずがない。
 だから、ユージーン自身に「なにか」あるのではと思っていてすら、そこは考えなかった。
 
「そうなったあと側室を娶っても、間に合わないかもしれませんでしょう?」
「いいかげん、遠回しな言いかたはよせ。俺は、用件を話せと言ったはずだ」
 
 ルーナが聞いたこともないような、冷たい声だ。
 ユージーンは、横柄で傲慢な話しかたをするところはある。
 とはいえ、表情よりもずっと声に抑揚はあった。
 どちらかと言えば、顔よりも口調に感情が出るのだ。
 なのに、今は声にも感情が含まれていない。
 
「ですから、先ほども申し上げました通り、ヴェナを正妻に迎えてほしいとお願いをしております」
 
 どきっと、心臓が跳ねる。
 その女性が、誰であるかもわかった。
 ヴァネッサ・ラシュビー伯爵令嬢の母、アンジェラだ。
 ラシュビーは、リディッシュ公爵家の下位貴族で、ヴァネッサはベアトリクスの取り巻きの1人だった。
 
「あのなら、殿下のなさることに不満をいだくことはございません」
「俺の不満だと?」
「ええ。ヴェナは、殿下が側室を娶ってもかまわないと申しております」
 
 それは、ルーナにとって、大きな衝撃となる。
 本当に、考えたことがなかった。
 
 ユージーンに側室。
 
 婚姻を望んでいたが、それはユージーンとの2人だけのものとして、ルーナの中では認識されている。
 側室の存在など想像したこともない。
 
「お血筋を遺すのは、殿下にとって重要な責務でございましょう? 正妻に男子が産まれなければ、側室を娶るのは当然ですけれど、遅きに失するのは、殿下の望むところではないと存じます」
「それは、そうだ」
「であれば、正妻に男子が産まれるか否かに関わらず、側室は娶るべきですわ」
「で、あろうな」
 
 ずきり、ずきり、と胸が痛んでくる。
 ユージーンが、アンジェラの言葉を否定しなかったからだ。
 むしろ、肯定的な態度を取っていることが信じられなかった。
 
「だが、お前の娘である必要はない」
「そうでしょうか? 国王陛下の愛情深さに感化され、側室を娶るのを嫌う女性も増えてきております。ご存知かとは存じますが、側室の存在が、厄介な事態を引き起こすことも多々ございますわ」
「つまり、お前の娘は、厄介事を起こさない、と申すか」
「さようにございます、殿下」
 
 ルーナの頭が、混乱で、くらくらしてくる。
 確かに、ルーナは、ユージーンが側室を迎えることに賛成はできない。
 絶対に嫌だ、と思ってしまう。
 アンジェラの言うように「厄介」であるに違いないのだ。
 
「それはそうと、殿下は、ウィリュアートンのご令嬢と懇意になさっているとか」
 
 びくっと、体が震える。
 見つかったわけではなさそうだが、自分の名が出たことに嫌な予感がした。
 この話の流れから、いい話ではないと、無意識に判断しているのだ。
 
「ですが、ウィリュアートンでは、殿下の正妻にはなれませんわね」
 
 え?と、今度は驚く。
 アンジェラは、きっぱりと断定した。
 当然といった口調には、やや嘲りさえも漂っていたのだ。
 
「なにしろ、あの家は、男子が産まれにくい上に、男子を出産後は、子ができなくなるのですもの」
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