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どんなそんながあったって 4

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 理屈もなにもない。
 魔術がどういうものか、ソルに学んでいた。
 だが、実際に使えるものではないため、理屈までを把握してはいなかった。
 ゆえに、香炉を持ち出したことにも、理屈はないのだ。
 ただ、そうすべきだと思ったに過ぎない。
 
 テスアは、3百年以上も昔に建国されている。
 建国の言い伝えを、歴代の国王は、口伝くでんにより受け継いでいた。
 書き記すことすら危ぶまれたからだ。
 誰にも、知らされていない伝承がある。
 
 テスアを建国したのは、1人の男。
 どこからともなく、この地に現れ、テスアという国やことわりを作ったのち、去って行ったという。
 どの国にでもあるような、目新しくもない伝承だ。
 
 ロズウェルドでも、ガルベリー1世の建国話は、今なお有名だった。
 それまで小さな国の集まりでしかなかったところを、ガルベリー1世がまたたく間に統治して行ったのだとか。
 そのように、建国の話は、どこにでもある。
 
 が、テスアには「物証」があった。
 国王にのみ伝承は受け継がれ、同時に香炉を渡される。
 誰にも渡してはならない、壊してはならない。
 
 この香炉が雪嵐の源だから。
 
 そう伝えられていた。
 ロズウェルドとは違い、テスアに魔術師はいない。
 天候を操ることなどできないのだ。
 なのに、自然のものではない雪嵐が吹きすさんでいる。
 
 だからこそ、歴代の国王は、誰も疑わなかった。
 伝承を信じ、この香炉を、最も身近である寝所に置いている。
 国王の寝所に入れる者は限られているし、侵入者がいても狙われるのは香炉ではなく国王の身そのものだ。
 
 テスアの国王は、己の身より香炉を優先する。
 長く、そうだった。
 セスも、それにならっており、反するつもりはなかったのだ。
 ついさっきまでは。
 
 理屈は、わからない。
 ただ、雪嵐が魔術で造られたものだとすれば、なにか役に立つかもしれない。
 そう考えただけだった。
 
 『壊れるかもしんねーぞ? そんでも、かまわねーんだな?』
 
 壊れれば、きっと雪嵐は消える。
 わかっていた。
 それでも、セスは、迷わなかったのだ。
 愚かで非道な国王だとのそしりを受け、断罪されてもかまわない。
 
 大勢の民を危険にさらしている自覚もある。
 これは「国王」の判断としては、間違っているのだ。
 わかっていても、どうしても、ティファを諦められなかった。
 
 セスは、横たわっているティファを見つめている。
 黒い髪が、布団の上に広がっていた。
 瞳は伏せられたままだ。
 
 ティファの右手を、ジークが握っている。
 そのジークの右手を、ソルが握っていた。
 ソルは右手を香炉にあてている。
 雪嵐の中にでもいるかのような寒さの室内であるにもかかわらず、2人とも額に汗をかいていた。
 
 目には見えないが、それほどのことをしているのだろう。
 自分にできることは、なにもない。
 ただ見ているしかない。
 
 とても、とても、無力だった。
 
 セスは、無意識にティファの左手を両手で握る。
 その手は、やはり熱かった。
 胸が締めつけられて苦しい。
 
 ティファは、今どんな苦痛を感じているのだろうか。
 怖い思いをしてはいないだろうか。
 
 こうして手を握っているのに、なにもわからなかった。
 あの声が耳から離れない。
 倒れる前に、セスの名を呼んだ、あの声だ。
 安心しているみたいな、そんな響きがあった。
 
 おそらく、セスが助かったことだけは、わかったに違いない。
 また涙がこぼれ落ちる。
 泣きたいわけでもないのに、勝手にあふれてくるのだ。
 
 ティファは、そういう女だった。
 
 自分にできるだけのことはやろうとする。
 じゃんけんで、3回目の勝負を捨てず、挑んできた。
 セスに頼らず、男3人を相手に刀で応戦した。
 あげく、ぶっ倒れるまで、セスの国王としての立場を守ろうとしたのだ。
 
 ティファは、そういう女だった。
 
(だからといって……できぬことまでやろうとするなどと……そこまで頑張れとは言っておらんぞ……)
 
 自分がティファを望まなければよかったのだろうか。
 思ったが、すぐに否定する。
 
 自分の命を、ティファは望んでくれた。
 だからこそ、セスは生きている。
 望まなければよかったと、自分やティファの気持ちを否定するのは間違いだ。
 とはいえ、目を開かないティファに、セスの心も壊れかけている。
 
(お前を失ったら、俺は……この先、どうすればよい……?)
 
 両手で握ったティファの手に、額を押しつけた。
 とたん、ふっと、なにかを感じる。
 ティファの気配のようにも思えた。
 
 セスには、ジークやソルのような力はない。
 そのせいで、ほんのわずかなティファの気配にすがりつく。
 セスに残されているのは、もうそれしかなかったからだ。
 
 ぐっと、体が急に重くなる。
 意識が朦朧とした。
 ティファの気配を手放したくないと、必死でえる。
 同時に、さらに強く、その気配に縋った。
 
 ぐんっと、なにかに引っ張られるような感覚が走る。
 一瞬、意識が遠のいた。
 目の前が真っ暗になる。
 
(ここは……なんなのだ……)
 
 目を開いたつもりだが、なにも見えない。
 上下も、左右も、わからなかった。
 地に足がついている感覚すらないのだ。
 あまりに暗闇に過ぎて、目を開いているかも定かではなくなっている。
 
(……ティファ……ティファが……ここにいる……)
 
 必死で縋った、ティファの気配を、さっきよりも強く感じた。
 周りを見回すも、見えるのは暗闇ばかりだ。
 自分の体の感覚もおぼつかないさまになっている。
 
(俺には魔術のことも、ここがどこかも、わからん……だが、お前が、ここにいるというのだけは、わかるのだぞ、ティファ……)
 
 ティファの気配が、より強いほうへと意識を向けた。
 なんとなくでしかないが、自分が、そこに近づいていく気がする。
 やがて、ぼうっと白く光っているものが見えた。
 ここに来て、初めての光だ。
 
「ティファ……ッ……!」
 
 駆け寄りたかったが、なにかに邪魔をされて、これ以上は近づけない。
 あの光の元に、ティファがいる。
 それだけは確かだというのに。
 
「ティファ! 俺だ! そのようなところにいてはならん! こっちに来い!」
 
 声が聞こえていないのか、光は、ぼうっとしたまま動かない。
 見える範囲にティファがいるのに、行きたくても行けないのだ。
 もどかしくてたまらなかった。
 自分に気づきさえすれば、ティファは、こちらに来る。
 
「ティファ! こっちに来い! なぜ俺に気づかぬ! ティファ!」
 
 セス自身、自分がなにを口走っているのか、わからずにいた。
 ティファに気づかせようと、ひたすら声をかけ続ける。
 これがティファを取り戻す、最後の機会だと感じていたからだ。
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