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我儘に過ぎるでしょう? 1

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 ちゃりん、ちゃりん。
 
 床に、金が落ち、音を立てる。
 何枚かは、ころころと転がり、壁にぶつかっていた。
 飯屋を営んでいるモレドが、苦笑いを浮かべている。
 
「陛下は、いつまで経っても、勘定をしませんねえ」
「面倒だからな。それに、釣りなどいらんと言っているだろう?」
 
 すると、モレドがムっとした顔をした。
 大柄で、焦げ茶の髪と瞳のモレドは、まるで猪のようだ。
 なのに、出される食事は繊細で独特であり、宮のものより数段に美味い。
 とはいえ、モレドが窮屈さを嫌っていると、知っている。
 セスが、モレドを宮仕いにと勧めないのは、そのためだった。
 
「わしら、盗人とは違いますよ、陛下。釣りを懐に入れようなんて思うふとどきな者はいやしません」
「わかっている。お前たちの小言は聞き飽きているのでな。嫌味を言ったまでだ」
 
 モレドが、かがみこんで、床に散らばった小銭を拾いはじめる。
 その姿を、セスは、じっと眺めていた。
 いい民だ、と思う。
 
 宮仕えの者たちは、通常、手払いはしない。
 御所付ごしょづけと呼ばれる、支払い方法をとっている。
 町での支払いは、それぞれ店ごとに、ひと月分でまとめられ、翌月に宮から出る給金から差し引かれるのだ。
 店のほうには、宮から支払いが行われる。
 
 不正な金の流れを減らしたり、あっても追及したりできるようにするためだ。
 言うなれば、宮の財政管理の一環で、そういう支払い方法が取られている。
 とはいえ、民にとっては、不都合も少なくない。
 
 すぐに金が入っては来ないからだ。
 にもかかわらず、毎日、仲買や問屋への支払いがある。
 そのため、翌月の金の入りまで、汲々とした暮らしをせざるを得なかった。
 だからというわけでもないのだが、セスは、手払いをしている。
 少しでも民に金を落としてやりたかったのだ。
 
(本当に、釣りも取っておけば良いというのに……いつも誠実であろうとする)
 
 そういう民を、セスは誇りにしている。
 大事に思っているし、慈しんでもいた。
 民が穏やかに、健やかに暮らせるようにするのが、自分の役目なのだ。
 いかなる理由があろうと、民を犠牲にはできない。
 
「陛下ぁ、わしら、陛下が、そういう顔されるのは見とうないんです」
「そういう顔だと?」
 
 モレドは、セスに背を向けて金を拾っている。
 大きな体の、丸めた背中が、少し寂しげに見えた。
 
「陛下は、いつでも、わしらのことを考えてくださる。でも、わしらだって陛下のことを考えとります。詳しい事情はわからんですがね。そんでも、わしらのために、陛下が大事なもんを手放されたんだってのは、わかるんです」
 
 ティファがいなくなったことは、宮でも、しきりに噂されている。
 流行り病にかかったため追い出されたというものだ。
 セスは、ひと言も、そんな話はしていないのに、茶屋で倒れたのが原因で、そのような話にされている。
 
 けれど、町の者は、そうは思っていないらしい。
 宮の噂よりも、よほど真実に近かった。
 モレドが金を拾い終わったのか、立ち上がる。
 
「陛下が笑ってくださらんと、わしらも笑えんですよ」
 
 じゃら…と、釣りが手渡された。
 受け取りながら、セスは困った顔をする。
 そんなセスにだろう、今度は、モレドが苦笑いをもらしていた。
 
「あの人は良いかたです。言葉が通じんでも、一生懸命、わしらの言葉に耳を傾けてくださった。ヤンヌのことも気遣ってくれたじゃないですか」
 
 ヤンヌの異変に気づいたのは、ティファが先だ。
 ティファに声をかけられ、セスも気づいた。
 休日のお出かけが仕事に変わっても、文句も言わず、逆に手伝ってくれている。
 おまけに、宮に戻ってからは、セスのことまでも気遣ってくれたのだ。
 
 『セスは1人しかいません。頑張るのは、それなりでいいです』
 
 その言葉に、気持ちが楽になった。
 自分は独りではない、という感じがした。
 ティファが隣で寄り添ってくれている。
 そう思えた。
 
「ティファ様が恋しいのでしょう?」
 
 セスは、額を片手で押さえた。
 胸が、ひどく苦しい。
 どうして、という後悔に苛まれる。
 
「恋しいな」
 
 ソルに「愛しているのか」と訊かれた時、なぜ、すぐに応えられなかったのか。
 ソルの言う通りだ。
 
(これほど簡単な問いに、即座に応えられなかったとは……俺は、なんという愚か者だ……)
 
 ティファが去ってから、すでに、ひと月は経つ。
 なのに、少しも忘れられない。
 恋しさが褪せない。
 なにをしていても、思い出す。
 
「迎えに行ってください、陛下」
 
 行けるものなら行きたいくらいだ。
 けれど、それは許されていない。
 ソルに雪嵐を消し飛ばされてしまう。
 そうなれば、間違いなくテスアは滅びる。
 
「わしらのことより、ご自身のことを考えてもいいんですよ」
「それは……できん。俺は、この国の王だからな」
「そう言われると、わしら、つらいんです。わしらのせいで、陛下は我慢されておるのに、なんも恩返しできませんからねぇ」
「お前たちは俺の民だ。恩返しなど、考えずともよい」
 
 セスは、小銭を、ぎゅっと握り締めた。
 ティファのことは恋しい。
 恋しくてたまらなかった。
 それでも、テスアの民は、国王しか寄る辺がないのだ。
 
「陛下は、頑固者に過ぎますよ」
「なにを言う。お前たちとて、勝手に宮を建て直したではないか」
「あれは、陛下が即位後も、小狭くて質素な皇子殿に居座っておったからでしょう」
「なにも不都合はなかったぞ?」
「不都合はなくとも、わしらは嫌だったんです」
 
 セスの即位後、半年ほど経った時だ。
 モレドを始め、4つの区画から民が押し寄せてきた。
 そして、あっという間に、宮を建て直している。
 セスが、今、使っている「玉宝殿」は、その時のものだ。
 
 その際にかかった金を支払うと、いくら言っても、民たちは受け取ろうとはしなかった。
 最後には「善意や好意に値段をつけるべきではない」と押し返されている。
 その時以来、セスは、民の信頼に応えることを、なにより優先してきた。
 
「陛下は頑固者ですんで、無理にでも押し通さんと言うことを聞いてくださらん。だから、言っときます。再び、ティファ様と巡り合える機会があれば、その時は、必ず、その手を掴んでください。わしらのことは考えんでいいですから」
 
 そんなことができるだろうか。
 ティファの手を掴むということは、国を見捨てるのと同じことだ。
 思うと、モレドの言葉にうなずくことができなかった。
 返事をしないセスに、モレドが重ねて言う。
 
「陛下が笑っておられるんが、テスアの民の幸せなんですよ」
「……わかった。覚えてはおこう」
 
 セスは答えながら、小さく、緩い笑みを浮かべた。
 こんなにも自分を想ってくれている民を見捨てられるはずがない。
 今はまだ、国王を退く気もなかった。
 
「また来る」
 
 短く言い残し、セスは店を出る。
 今日も、テスアは平和だ。
 明るい陽射しの中、民の声が響いている。
 
(俺は、国王としての、もうひとつの責務を果たせぬかもしれんな)
 
 ティファ以外の女と世継ぎをもうける自分を、セスは、どうしても思い描くことができなかった。
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