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なにがどうしてどうなって 4

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 目に涙を浮かべている顔を、またも、じっと見つめた。
 女の瞳は、泥水のような色をしていて、やはり濁っている。
 
「こんな色の目からは、泥水が流れるかと思ったが、そんなことはないらしい」
「そのようですね。普通に透明で、なんとも不思議です」
 
 横からルーファスが覗き込んできた。
 少し眉を寄せ、ちらりとルーファスに視線を投げる。
 ルーファスは、幼い頃から仕えてきた者ではあるが、微かな不快感があった。
 女は自分が拾ってきたものだからだ。
 
 つまり、自分のもの。
 
 察したのか、ルーファスが、スッと後ろに下がった。
 同時に、パッと手を放す。
 
「いつまで経っても話が前に進まないな。面倒だ。いっそ殺すか」
 
 そんなつもりは、まったくない。
 女の口を開かせるために言っただけだ。
 当然、ルーファスも話を合わせてくる。
 
「それがよろしいかと存じます。身元の定かでない女をおそばに置くのは……」
 
 ルーファスの言葉に、女が反応した。
 潤んでいた瞳が、サッと渇いていく。
 涙も引っ込んでいた。
 
「ロズウェルド! の近くの村……住んで、ござり……」
 
 かなりたどたどしいが、間違いなくテスアの言葉だった。
 外の者が学びたがる言語ではないはずなのに、と思う。
 どことも国交のないテスアの言葉を覚える利などないはずだ。
 
「ロズウェルドの民、というわけではないのか」
 
 ティファが、首を小さくかしげた。
 可愛らしくともなんともない仕草だ。
 ティファには、女としての魅力が、まるでない。
 体つきも貧相だし。
 
「どこの国、ということもない村が、ござるまし……?」
「それは、聞いたことがある。ロズウェルドに併合されかねない辺りには、どこの国も手をつけないからな。なるほど、そういう村にいたのか」
 
 こくりと、ティファがうなずいた。
 ロズウェルドは大国だ。
 そして、魔術師のいる国でもある。
 周辺諸国は、ロズウェルドを非常に警戒し、恐れていた。
 そのため、ロズウェルド近くの村などには手を出せずにいるのだ。
 
 仮に、ロズウェルドが、その村を併合しようとすれば戦争になる。
 勝ち目のない戦争をしたがる国はない。
 そういう村は、どこの国に属することもできず、自立自村となっていた。
 勝手に人が住み着いている、というだけの扱いをされている。
 
「お前の言葉は、その村の言葉か?」
 
 また、ティファがうなずいた。
 ロズウェルドの言葉に似ているのは、その近さによるものだろう。
 が、その村には、村独自の言語が発達しているらしい。
 
「では、どうやって、我が地に来た」
 
 最も重要なことを訊いてみる。
 雪嵐をものともせず、テスアに入れた者は、この3百年近く、誰もいない。
 テスアから外に出られる者自体、非常に限られていた。
 特殊な装備品をつけなければ、あの「境」は越えられないようになっている。
 
「バーン、ドーン……? 突然……不明にありん、する……」
 
 ふう…と、溜め息をついた。
 ティファ自身にも、わからないないらしい。
 バーン、ドーンが、なにかは知らないが、ともかく、なにかが起き、ここに来てしまったということなのだろう。
 意図せずして。
 
「陛下。このような怪しい女の言うことなど、信用できません」
「それはそうだ。嘘をついているかもしれないしな」
 
 ぶんぶんっと、ティファが、大きく首を横に振った。
 目には、また怒りが宿っている。
 それを不思議に感じた。
 
 ティファは「殺す」との言葉には反応している。
 見知らぬ土地、見知らぬ男に囲まれ、命の危険を感じているのは間違いない。
 なのに、怯まないのだ。
 2人を恐れる様子もなく、怒りをたぎらせてきたりもする。
 
 ティファに視線を向け、腕組みをする。
 もうひとつ、訊きたいことができていた。
 
「ソル、というのは人の名だな。男か?」
 
 またも、こくり。
 
「お前とは、どういう関係だ?」
「ソル……私の大事な……男……」
「その男は、お前の夫か?」
「違う……しとうござれ……できぬりょ……」
 
 言葉は切れ切れだが、意味が理解できないほどではない。
 つまり、婚姻したい男だが、できない男でもある、ということだ。
 三度目になるが、ティファを、今度は、上から下まで、じろじろ眺め回す。
 かなり嫌そうな顔をされたが、気にしてはいない。
 ひと通り見てから、大きく溜め息をついた。
 
「憐れだな。お前ほど不器量な女では、相手にしてもらえないのもしかたがない。その男との婚姻は諦めることだ」
 
 とたん、またティファに、わめき散らされる。
 なにを言っているのか、わからなくなった。
 ティファのいた村というのは、かなりなまりが激しいようだ。
 
「陛下、お訊きになられたいことは訊かれたのでしょう? この女は己の意思で、我が地に来たのではありません。捨ててきても差し支えないのではないですか?」
 
 袖から胸元に腕を通した。
 そして、顎に手をやり、しばし考える。
 考えつつ、怒りをほとばしらせ、わめいているティファを眺めた。
 ずいぶんと気性の荒い女のようだ。
 
「いや、ルーファス。ティファは、このままめ置く」
 
 ぴたっと、ティファが、わめくのをやめる。
 ひどく困った顔になっているのが、面白い。
 国王に向かって、これほど無礼な者もめずらしかった。
 野ネズミほどの力もないくせに、猛獣のごとき振る舞いをしている。
 
 テスアにはいない性質の女だ。
 そこには、興味が引かれる。
 女として、という部分については、この際、どうでもいい。
 
「しかし、陛下……」
「もう決めたことだ、ルーファス」
「わかりました。ですが、面倒なことになりますよ?」
「それもまた一興。違うか?」
 
 ルーファスに、ニッと笑ってみせた。
 雪嵐の問題はあるにせよ、今のところテスアは平和だ。
 今までもずっと、何事もなく、平和だった。
 それは、ある意味では退屈を意味する。
 
「せっかく拾ったのだからな。楽しむとしよう」
「陛下が、そう仰られるのであれば、私は支援するのみです」
 
 呆れたように言ってはいるが、ルーファスは、とても忠実な臣下なのだ。
 ぶつくさ言いつつも「支援」してくれると信じている。
 軽くうなずいてから、ティファに向き直った。
 さっき、あれほど怒っていたのに、今は顔色を悪くしている。
 その表情の移り変わりの早さも、面白いと感じた。
 
「これは、俺の玩具だ。楽しめる間は、傍に置く」
「わ、私は……か、帰る……っ……」
 
 ティファが、体を起こして立ち上がろうとする。
 その両手を掴んだ。
 振り放そうともがいているらしいが、なんの威力にもならない。
 本気を出さず、楽々と押さえつける。
 
 ぐいっと両手を引っ張った。
 顔を近づけ、言い放つ。
 
「お前を、俺の妾にする。お前とて、死にたくはなかろう?」
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