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最終章 彼女の会話はとめどない
人であり人でなし 1
しおりを挟む「どのツラ下げて、ここに来られたわけ?」
カサンドラの声は低く、冷たい。
無関心などという生易しいものではなかった。
無表情を通り越し、感情の欠落したような瞳で、ティトーヴァを見ている。
正直、すぐに会わせてもらえるとは思っていなかった。
だが、どうしても、直接、カサンドラと会う必要があったのだ。
そのため、ティトーヴァは、中間種を連れ、1人で魔物の国に来ている。
帝国内での動きは、セウテルに命じていた。
当然だが、セウテルは反対したが「皇命」だと押し切っている。
そうまでして、ティトーヴァは、1人で来なければならなかった。
理由は、カサンドラにある。
どうしても、直接、会う必要があったのだ。
しかし、意外なほど、あっさりとカサンドラとの会見は許された。
最初に使者を送った地で、待たされたのは半日程度。
今は、大きな木のうろのような場所にいる。
おそらく「家」なのだろう。
ティトーヴァは、ラーザ侵攻以来、帝国の領土から出たことがない。
交渉の時も、壁から十キロ離れただけだ。
魔物の国に入ったのではなかった。
なので、実際には、どんな暮らしぶりなのかは知らずにいる。
室内と言えるのかはともかく、中は、狭い。
ティトーヴァの私室にある書斎ほどの広さもなかった。
もちろん皇宮の、しかも皇帝の私室と比較するほうがおかしいのだ。
とはいえ、ティトーヴァが皇宮以外で知っているのも「屋敷」くらいだった。
民の家になど入ったことがない。
ましてや、ここは「魔物の住処」なのだ。
ティトーヴァは、両手首を縄のようなものでグルグル巻きにされている。
その上で、床に跪かされていた。
抵抗しようと思えばできたが、していない。
カサンドラと話すことを優先させたのだ。
「あんた、自分の国の者が、なにしたか知ってるんだよね?」
周りは魔物に取り囲まれている。
ジュポナに現れた、あの魔物もいた。
ほかには、狼のようなもの、角のあるもの、木を彫刻したようなものたちだ。
ひどく殺気立っている。
いつ殺されてもおかしくない状況だ。
そのくらいは、たとえ相手が魔物でも感じ取れた。
「魔物を絶滅させるって言ってたらしいけど、停戦中だってこともおかまいなしなわけ? あんたの言う約束って、なんなの?」
ティトーヴァは混乱している。
カサンドラの近くに、あの従僕がいないのも、気になった。
フィッツがこういう状況の中、彼女の傍を離れるのは不自然だ。
そして、カサンドラの話の意味も掴み損なっている。
いくつかの国内での段取りをして、帝国を出たのは5日前。
ホバーレは使っていない。
体力には自信があったが、炎天下の元、歩き続けるのは困難だった。
最も気温の高い時間帯は日陰で過ごさざるを得ず、距離を稼げなかったのだ。
おまけに、途中、魔獣の群れに襲われている。
ティトーヴァが、ファツデという特殊な武器の使い手でなければ死んでいた。
案内役の中間種も戦い慣れていて、少しは役に立ったけれど。
そういう、あれこれがあり、結局、5日もかかってしまっている。
中間種だけであれば、7日もあれば往復できていた。
その中間種は、ティトーヴァとは少し離れた場所で、魔物に体を掴まれている。
縛られていないだけ、ティトーヴァよりマシな待遇だ。
「待て、カサンドラ。お前は聖魔に操られている。先に……」
「馬鹿じゃない? ここに、これだけ魔物がいるのに、聖魔の入って来られる余地なんかない。あんただって聖魔避けに中間種を使ってるくせに」
「し、しかし……この魔物たちは、あの従僕に使役されて……」
「フィッツはそんなことしないし、そんな力ないよ。そもそも人にそんな力があるんなら、魔物を使って聖魔から身を守れてたんじゃないの?」
ティトーヴァは、ようやく自分の中の「矛盾」に気づく。
確かに、その通りだ、と思った。
カサンドラのことに目がくらみ、ロキティスの言葉を信じた時から矛盾が生じていたのだが、気づいていなかったのだ。
カサンドラが自らの意思で、ティトーヴァの元を去ったとは思いたくなくて。
ロキティスの話を、ほとんど受け入れた。
ティトーヴァ自身のした選択だ。
言い訳にもならないのだが、それでもあの時からティトーヴァの判断は狂い始めている。
そのことに、本人も気づかずにいた。
「カサンドラ……俺は5日前に帝都を出た。その後……なにがあったのか知らんのだ……停戦中だと思えばこそ、ここに来た」
セウテルを説得する時にも言っている。
現状、魔物の国とは停戦中なので殺されることはない、と。
「そうでなければ、殺されるとわかっていて、ここに来るはずがない」
ほかの魔物はともかく「あの魔物」は、人の言葉を解しているらしい。
カサンドラを見て、なにか言っている。
(へ、陛下……あの魔物は……陛下の話を聞いても……)
通信機を通じ、小声で聞こえてきた声が途切れ、バンッという音がした。
「ティティっ!」
ティトーヴァが腰を浮かせる。
殴られたのか、床に倒れている「角」のある中間種。
ティティというのは、ティトーヴァの子供の頃の愛称だった。
だが、今は、案内役の中間種を、そう呼んでいる。
与えられた名は「エイティ」だと言っていたが、それは番号だ。
そのまま呼んでも差し支えはなかったのだが、響きが似ていたので、なんとなく「ティティ」と呼ぶようになっていた。
「なに? 中間種は人じゃないんでしょ? あんたが絶滅させたい種のひとつだと思うけど? 情でもわいた?」
カサンドラの声は、信じられないほど辛辣だ。
凍りつくような冷たさで、感情を切り捨てている。
冷酷、とも言える口調だった。
皇宮にいた頃とは、まるで違う。
彼女は、無関心さでティトーヴァを突き放してはいた。
軽くあしらわれていたのも知っている。
けれど、冷酷さを感じたことはない。
なにが、それほど彼女を変えたのか。
「カサンドラ……俺は停戦協定を破った覚えはない」
「大勢、死んだんだよ?」
「どういうことだ……お前が狙われたのでは……」
言いかけてやめる。
現実に、目の前にカサンドラがいた。
カサンドラは無事だったのだ。
「お前が狙われると思っていた……だが、違ったのだな」
「フィッツは、あんたが頭いいって言ってたけど、私は違うと思う。あんたは……自分の足元も見えてない馬鹿だ」
罵る声さえ冷たい。
それほど「大勢が死んだ」のだろう。
中には、カサンドラと親しくしていた魔物もいたかもしれない。
魔物たちは、彼女を守るようにして囲んでいる。
カサンドラが聖魔に操られていないのなら、ここにいるのは彼女の意思だ。
きっと魔物たちと共存している。
「首謀者は……アルフォンソ・ルティエだった」
「知ってる。あんたがやらせたわけ?」
「違う! 俺は……アルフォンソが、お前を狙っていると分かって、それを伝えに来たのだ。遅きに失したようだがな」
カサンドラたちは、アルフォンソの存在を知らないと思っていた。
顔も姿も、帝国騎士団の隊長を務めていることも、その人格もだ。
使者を通じて話すのは危険に過ぎた。
秘匿回線も信用ならなくなっていたからだ。
使者が途中で殺されることも有り得た。
それに、もっと重要な話がある。
これだけは、カサンドラと、直接、話さなければならなかった。
セウテルにも、実際のところは話していない。
自分でも信じられないような内容だ。
「ベンジー……ベンジャミン・サレスは……ベンジーではない」
初めて、カサンドラの表情が変わる。
おそらく、なにを言っているのか、わからないのだろう。
「少なくとも、俺の知る……俺の友であったベンジーではないのだ」
半年前、ベンジャミンが目を覚ました時には思いもしなかった。
素直に、友が目覚めたと喜んでいる。
だが、次第に違和感をいだき始めたのだ。
「我ながら、おかしなことを言っていると思っている。ただ……アルフォンソが、あの銃撃に関与していたことは突き止めた。だとしたら、理由はなんだ? なにがアルフォンソに、そうさせたのか。兄の復讐としか考えられん。しかし、ベンジーなら、それに気づかないはずはない。気づけば、許すはずがない」
「だから、ベンジーじゃないって?」
ティトーヴァは、首を横に振った。
信じられないことであっても、確信している。
今のベンジャミン・サレスは幼い頃からともに過ごしてきたベンジーではない。
「まず、言葉遣いだ。ベンジーは律儀な男でな。俺が皇太子になってからは、臣下としての態度を崩さずにいた。絶対に、わかりました、などとは言わんのだ」
言葉遣いや、言葉の選びかたには「癖」が出る。
側近になって以来、ベンジャミンは「かしこまりました」と言葉を改めていた。
もちろん、それだけではない。
目覚めてからのベンジャミンも、ティトーヴァへと寄り添うようなことを言いはするが、なぜか「心」が感じられなかった。
「確信したのは、5日前だ。お前に危害を加えられる前に、アルフォンソを捕縛するよう、セウテルに命じた。その前に、ベンジーに会いに行った。最後の頼みの綱……といったところだ。確信したくなかったからな。それで俺は……嘘をついたのだ、ベンジーに。だが……」
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ティトーヴァは、カサンドラが魔物の国にいることは話していたが、ロキティスがなにを言ったかまでは、話していない。
「カサンドラ……あの日、ベンジーに、なにがあったのだ?」
それを、どうしてもカサンドラに訊かねばならなかった。
そのために、ティトーヴァは護衛もつけず、ここまで来たのだ。
あの日に起きたこと、その「事実」は、彼女しか、知らない。
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