いつかの空を見る日まで

たつみ

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最終章 彼女の会話はとめどない

看過の界線 4

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 深夜、キャスは、あの洞に来ていた。
 
 ザイードの部屋に、フィッツはいる。
 5日が経っても、意識は戻っていない。
 最初は、もっと簡単に考えていた。
 
 怪我が治ったのだから、すぐに意識は戻る。
 
 そう思っていた。
 ミネリネだって「生きている」と言っていたし、呼吸もしていたからだ。
 今も呼吸は安定している。
 
 だが、意識は戻らない。
 
 そのそばに座り、フィッツを、じっと見つめていた。
 服を着替えさせ、血を拭き取ったあとは、ほとんどすることがなかったのだ。
 時々、水を喉に流し込み、吐き出す様子がなくて安堵する。
 そんな5日だった。
 
「……いいよ、もう……」
 
 キャスは、つぶやく。
 洞の奥まで来ていた。
 昼間、ここにおさたちが集まっていたのは知っている。
 顔は出していない。
 
 ザイードから、フィッツの看病に専念するよう言われていた。
 だが、それは、キャスが集まりに「顔を出さない」理由を作ってくれたのだと、わかっている。
 
 顔なんて出せるはずがなかった。
 
 狙われていたのは自分なのだ。
 なのに、犠牲になったのは、周りのガリダたち。
 
 ザイードだって、ラシッドを亡くしている。
 自分だけ生き残った。
 フィッツとは違い、意識もあり、体も、なんともない。
 
 またしても。
 
 自分が動くたび、周りが傷ついていく。
 帝国から逃げたこと、ジュポナに行ったこと、そして人との戦争。
 きっかけを作っているのは、いつも自分なのだ。
 輪の真ん中にいるくせに、そこだけは安全圏となっている。
 
 まるで台風の目。
 
 周りにだけ被害を与える存在だと思えた。
 なぜそうなってしまうのかはわからない。
 元々、自分の命になんて執着はしていなかったのに。
 
「……もう、いいよ……こんなの……」
 
 キャスは、手を伸ばす。
 あの装置の前にいた。
 
 もう、いろんなことが、どうでもよく思える。
 
「帝国なんてさ……滅んでしまえばいい……」
 
 もっと早く、こうしていればよかった。
 この装置を使えると知った時でも、遅くはなかった。
 自分の迷いとか決断力のなさが「最悪」を招いたのだ。
 
 最善も最悪も、思う者の気持ちによって変わる。
 
 正しさがいくつもあるように、最悪だって、いくつもあった。
 フィッツの思う「最悪」とキャスの思う「最悪」は違う。
 同様に、魔物たちにとっての「最悪」も、また違ったのだ。
 
 キャスはフィッツの命を願った。
 フィッツも「カサンドラ」の命を願っていたに違いない。
 
 では、ザイードは、ノノマは、シュザは?
 多くのガリダの民たちは?
 
 彼らの願いを踏み潰し、自分やフィッツの命はある。
 
 喪われた命は戻らない。
 どんなに願っても、取り戻すことはできないのだ。
 よく「悪魔に魂を売る」なんて言うけれど、もし喪った命を取り戻せるのなら、ラフロと、どんな取引でもしただろう。
 
 けれど、ラフロは死を覆せるわけではない。
 
 装置の画面に両手を置いた。
 ピッという音がする。
 画面に、操作できる内容が、いくつか表示されていた。
 
 初めて、この装置を使う前、フィッツに操作方法を聞いている。
 一時停止の方法だ。
 とはいえ、最初、キャスは別のことをするのだと思い込んでいた。
 フィッツに否定され、それきりになっていたけれど。
 
「なにをしようとしておるのだ、キャス」
 
 びくっと、体を震わせる。
 ザイードの声だと気づいていた。
 足音が近づいて来る。
 腕が捕まれ、操作盤から手が離れた。
 
 ザイードの大きくて黒い瞳、金色の瞳孔が、キャスを見つめている。
 初めて会った頃から、この瞳を怖いと思ったことはない。
 掴まれた腕から伝わってくるのも、やはり、あたたかい手の感触だった。
 
「……いいじゃん、もう……帝国なんか……滅ぼしたって……」
「ゆえに、壁を壊すというか?」
「あいつらなんか、聖魔にやられてしまえばいい」
 
 聖魔に精神干渉を受け、お互いに殺し合っていればいいのだ。
 それなら、魔物の国に手を出そうなんて思わないだろう。
 どうせ、自分たちのことにだけ必死な奴らなのだし。
 
「ラーザの民は……聖魔の精神干渉を受けないからね……関係ないんだよ」
 
 壁がなくなったと分かれば、聖魔が、どっと押し寄せる。
 だとしても、ラーザの民には関係ない。
 精神干渉を受けるのは、帝国民たちだけだ。
 
 きっと武器の開発も思うようにいかなくなる。
 混乱し、互いでいさかいあっていれば、魔物の国に攻めてくる余裕もない。
 
「……そしたら……みんなだって、平和に暮らせる……」
 
 あんなことは2度と起きてほしくなかった。
 被害は帝国が賄うべきなのだ。
 
「みんなというのは、誰のことぞ?」
「それは……」
 
 なぜかゼノクルの言葉を思い出す。
 
 『人間ってのは、十人いても、そのうち3人が肯定した途端、どういうと思う? 皆って言うんだ。おかしいだろ? 半数にも満たねぇのに、なんで皆なんだかな。けど、それで十分、みんな、になっちまう』
 
「そなたは、誰のことを、皆と言うておるのだ?」
「みんなは、みんなだよ! 魔物の国に住んでる……っ……」
「では、なぜ余になにも言わず、かようなことをしておるのだ!!」
 
 どくっと、心臓が音をたてた。
 みんなのため、としながら、キャスは「誰にも」意見を聞いていない。
 ザイードにさえ話さず、ここに来ている。
 
 壁を壊すつもりでいた。
 
「皆が、ほんに、かようなことを望んでおると、なぜ、そなたにわかる? これはそなたの……そなただけの考えに過ぎぬ」
 
 ぱたぱたっと、涙がこぼれ落ちる。
 ザイードは、それでも優しいのだ。
 キャスのしようとしたことが「自己満足」に過ぎない、とは言わなかった。
 けれど、キャス自身は、そのことに気づいている。
 
 自分は、どこまでも身勝手で、性悪だ。
 
 ザイードが、キャスから手を離した。
 深い悲しみが瞳に宿っている。
 
「そなたまで壊れたら、余は、いかがすればよい……?」
 
 いつもの静かな口調に戻っていた。
 そんなザイードに、自分なんかどうなってもかまわない、とは言えない。
 
 壁を壊す。
 
 壊せばどうなるかは、わかっていた。
 操作だって、できる。
 それ自体は簡単なことなのだ。
 だが、同時に、キャスが抵抗してきたことを否定することにもなる。
 
 無差別攻撃。
 
 それ以外のなにものでもない。
 戦争に関わりなく生きている、大勢の帝国民たちを巻き添えにする。
 
 フィッツの提案を、キャスは退しりぞけていた。
 なのに「もう、いい」と思ったのだ。
 
 戦争自体は「帝国」という名の元に行われている。
 決めているのは、ごく少数の高位の者たちだろう。
 一般の民は、なんら関りなく生きていた。
 
 元いた世界のように、自らが「政治」に関わることもできない。
 なにしろ「選挙」なんてものはないのだから。
 
 戦争に対する拒否権のない民たちをも、巻き添えにする。
 それを、ずっと肯とはできずにいた。
 
 だから、壁を壊したあと、自分がどうなるかはわからなかったのだ。
 感情で走ることはできても、後悔したり、罪悪感をいだいたりは、する。
 
「でも……それで、こんなことになったんじゃん……」
「そうではない。そなたは、また1人で責を負おうとしておる。人との戦を決めたのは、我らぞ。今回のこととて無関係ではない。交渉するとしたのも我らなのだ。そもそも、人と、どのようにつきあうべきかを知らずにおったのも我らぞ」
「私がベンジーを壊してなければ、こんなことになってない! こういうのを、因果応報って言うんだよ! 私のせいで……っ……」
「その者はフィッツを殺した。そうであろう?」
 
 ぱたぱたと、涙が落ちる。
 ザイードが、キャスの頭を撫でた。
 弟を喪い、悲しみの底にいるはずなのに、ザイードの手は、あたたかかった。
 
「そなたの言う、いんがおうほう、とは……どこで、終わる?」
 
 キャスが取ろうとした方法では、終わらせられない。
 言外に、ザイードは言っているのだ。
 
「我らは、魔物ぞ、キャス? 死ぬる時は死ぬ。それが証に、そなたと余は、こうして生きておる。ほかのものも同じなのだ。生き残ったことを罪とはしとうない」
 
 恨みが死を呼び、その死がまた恨みを呼ぶ。
 それを、魔物は断ち切るすべを持っていた。
 けして、恨んでいないわけではないのだろうが、相手にぶつけることもしない。
 魔物が聖魔に精神干渉を受けない理由がわかった。
 
 魔物は強いのだ。
 どこまでも、強い。
 
 キャスは、声を上げて泣く。
 大声で泣いた。
 その体を、ザイードが静かに抱きしめる。
 小さな声が聞こえた。
 
「そうか……そなたは、声を出して、泣けるようになったのだな」
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