いつかの空を見る日まで

たつみ

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最終章 彼女の会話はとめどない

回帰を望んだところとて 3

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 ザイードは、目を細め、水浴びをしているものたちを見ていた。
 隣には、キャスが座っている。
 
 日陰になっている草の上だ。
 さっきまで同じように水浴びをしていたのだが、少し疲れたらしい。
 今は、子らと、ノノマにシュザ、それにラシッドが遊んでいる。
 
「子供って体力ありますよねぇ。私は、クタクタですよ」
「ガリダの子は体も大きいゆえ」
「確かに。年上のコルコの子より、体は大きかったです」
「生じかたの違いであろうな」
 
 捕らえられていた子らは、すっかり元気になった。
 食欲も旺盛で、すくすくと育っている。
 
 と言っても、本来、魔物の成長はゆっくりとしているので、短期間で目に見えて変わることはない。
 育っているのは、今まで劣悪な環境下で、まともに食事も与えられていなかったせいだろう。
 
(本来の姿に戻ってきたということであろうな)
 
 ザイードは目を細めて、子らを見つめた。
 それぞれに引き取り先の家は違うが、しばしば、こうして一緒に遊ぶ。
 やはり過酷な暮らしをともに過ごしてきたため、同胞意識がいっそう強いのだ。
 
「領地にも馴染んできて良かったですね」
「そうだの」
「ザイードも子供がほしくなっちゃいました?」
「な、なにを……なにを言うておる……」
 
 不意を突かれ、ザイードは慌てる。
 考えないこともないが、考えないようにしているからだ。
 
「でも、じっと、みんなのこと見てるので」
「皆が溺れたりせぬよう注意をはらっておるだけぞ」
「そうなんですか? あ、ほら、ノノマとシュザのこともありますし」
 
 尾でバシーンッとやられたのが、良かったのかどうか。
 それは不明だが、シュザは、ついにノノマに求愛をした。
 何度か断られ落ち込んでいたが、そのたびにキャスが励ましていたと知っている。
 ダイスほどでなかったのが幸いだと、ザイードは思っていた。
 
 ノノマは、8回目で承諾したのだ。
 
 秋にはつがいになるらしい。
 そのため、シュザは、暇さえあれば、せっせと家造りをしている。
 家が重要な要素になるのは、なにもルーポだけではないのだ。
 
 どの種族にとっても、家は生活の基盤となる。
 なので、番となる際の「最後の見極め」に等しい。
 貧相な家だと、承諾を撤回されることもあるくらいなのだ。
 
 少し頼りないところはあるが、シュザはノノマを大事にしている。
 きっと良い家を造るだろう。
 
「本気じゃなかったっていうのはわかってますけど、ラシッドは、ちっとも落ち込んでませんね」
「あやつは、しばらく番など持ちはせぬさ。まだ3桁にもなっておらぬし、見よ、まるで子と同じではないか」
 
 ラシッドは、まだ90歳にもなっていない。
 魔物で言えば、大人というより「若輩」といったところだ。
 ザイードの目から見れば、とくに、まだまだ幼く見える。
 言うことは達者だが、それはともかく。
 
「それより、そなたはどうなのだ?」
「私?」
「人との戦が終わったら、いかがする?」
 
 キャスが、小さく笑う。
 笑えるようになったのはいいことだが、この笑いかたは、寂しく感じられた。
 つらいのを笑って、なんとか追いはらっているように見えるのだ。
 
「まだわかりません。考えられないっていうか……」
「しかし、いつかは終わるのだぞ?」
「かもしれませんけど、それまでに寿命がきてるかも」
 
 キャスは軽口のつもりで言ったのだと、わかっている。
 けれど、ザイードにとっては、深刻なことだった。
 
 人は魔物よりも先に逝く。
 
 同じ時間を生きられるのは、ほんのわずか。
 定められた命の長さを変えることはできないのだ。
 人との戦で死ぬことはなくとも、やがて命は尽きる。
 キャスと一緒に生きられるのも、50年ほどだろう。
 
 いつかは終わる。
 
 自分で言っておきながら、その言葉に胸が痛んだ。
 時が過ぎれば、キャスは自然に還っていく。
 いつか終わりがきて、キャスのいない毎日が日常になっていく。
 
(ほんに、このままで良いのだろうか)
 
 キャスがフィッツを想っているのは、わかっていた。
 その心にいるのは、フィッツだけなのだ。
 けして、変わることはない。
 
(余は……悔やまずにおられるだろうか)
 
 いつか来る「終わり」の日に、悔やむことになりはしないだろうか、と思う。
 言っておけば良かったと、いつまでも悔やみ続ける気がした。
 
「キャスよ、そなたが来た日のことを覚えておるか?」
「目が覚めたら、ザイードがいましたね」
「そなたは驚きも怖がりもせず、いかにも迷惑しておるという顔をしておった」
「あの時は……そうでした。あの後、ザイードに怒っちゃいましたから」
「そうだの」
「世話してもらってるくせに、どんだけ恩知らずなんだっていう……」
 
 今度は、キャスが苦笑いを浮かべる。
 あの小さな笑みよりは、寂しさは感じない。
 
 キャスは、まっすぐ前を見ていた。
 子らを見ているのか、別のものを見ているのか。
 
「そのうち良くなる。必ず良くなる。ザイードは、毎日、そう言ってくれました」
「良うなったであろう?」
「なりましたね。去年より、ずっと良くなりました。暑いって感じられるくらい」
「なれば、よい」
 
 あの頃のキャスは、ボロボロだったのだ。
 体ではなく、心が壊れかけていた。
 
 毎日、毎日、泣いていて。
 なのに、声をあげて泣くことはなく。
 
 見ているザイードのほうが、胸が痛くなったのを覚えている。
 自ら生きることを選んでほしいと願っていた。
 今のキャスは、死ぬことを、もう望んでいない。
 幻想の中で生きるのをやめ、現実を生きている。
 
 チラッと、ラシッドが、こっちを見た。
 口元が微妙に緩んでいる。
 すぐに視線をそらされた。
 まるで「見ていません」とばかりに、だ。
 
(あやつめ……3桁にもならぬくせに生意気な……)
 
 ふっと、ザイードは笑う。
 自分は、弟に「先を越される」のだろう、と思った。
 だが、自分は魔物なのだ。
 
 やりたいようにやる。
 
 ザイードは、そのように生きてきた。
 そして、これからも、そのように生きると決めていた。
 ダイスの言うことは、もっともかもしれない。
 
 断られたからといって、死ぬわけではないのだ。
 
「キャス、ガリダの男は臆病なものが多い」
「シュザも、そんな感じでしたね。ギリギリまで追い詰められないと、思い切りがつかないんでしょ?」
「そうだ。追い詰められねば、求愛などできぬ」
「ダイスのようにはいきませんか?」
「いかぬな」
 
 キャスが、ザイードのほうに顔を向ける。
 不思議そうな顔をして、ザイードを見ていた。
 紫紺の髪に、紫紅の瞳をした、美しい女だ。
 
 弱く、脆そうでいて強い。
 同じように、強いのに、弱くて脆い、その心。
 
 だから、支えたいと思った。
 守りたいと思った。
 愛しい、と思っている。
 
「余は、そなたのことを……」
 
 言いかけた言葉が止まった。
 パッと立ち上がる。
 
「どうしたんですか?」
 
 わからない。
 けれど、なにかを感じる。
 
 本能的なものだ。
 遠くから声が聞こえてくる。
 
 視線を、そっちに向けた。
 まだ姿は小さい。
 だが、誰かはわかる。
 
「……ま……っ……様……っ……」
 
 キャスも、そっちを見ていた。
 きょとんと、首をかしげている。
 
「あれ? フィッツ?」
 
 ザイードは、すぐに気づく。
 フィッツが、あれほど焦って走って来ているのだ。
 本能も、ガンガンと警鐘を鳴らし続けている。
 
「いかん! 皆、沼から上がれっ! 早ういたせ! 逃げ……っ……」
 
 その言葉は、最後まで言えなかった。
 
 バァーンッ!!
 
 大きな爆音とともに、水しぶきが上がる。
 咄嗟に、腕でキャスを庇った。
 が、しかし、キャス自身が、その腕を振り離す。
 
「う、そ……嘘……っ……」
「キャス……っ……!」
 
 キャスが、バシャバシャと沼の中に入っていた。
 そのあとをザイードが追いかける。
 フィッツが叫ぶ声が聞こえた。
 
「いけません、姫様ッ! 離れてくださいっ! 早くッ!!」
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