いつかの空を見る日まで

たつみ

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第2章 彼女の話は通じない

きみのいる空の下でも 4

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 キャスは、ぼうっとしている。
 あれから、3日。
 どうすればいいのか、わからないままだった。
 
「姫様、お茶を用意しました。なるべく人の味に近いものにしております」
「あ、うん……ありがと、フィッツ……」
 
 声にも覇気がない。
 嬉しいはずなのに、喜べていないのだ。
 いや、喜んではいる。
 ただ、寂しくてたまらなくて、どうすればいいのか、わからずにいた。
 
 フィッツの記憶は欠落している。
 
 フィッツがどうやって生き返ったのかは不明だ。
 自分が関わっているのではないかと推測はしていた。
 あの時、確かにフィッツの魂は、粉々に砕けている。
 だとしても、ラフロは取引には来なかったのだ。
 
(たぶん……私の……っていうか、カサンドラの血に聖者の血が混じってるから)
 
 なにか「聖者」の力のようなものが働いたのではないか。
 フィッツを呼び、大声で叫んだのを覚えている。
 
 そのあとの眩暈と血の涙。
 
 キャスは、それまでも「言葉の力」を何度か使っていたが、あんなふうになったのは初めてだ。
 いつもとは違っていたのも自覚している。
 
 なぜなら、言葉の力を使ったにもかかわらず、ファニが来なかったからだ。
 あれほど大声で叫んだのだから、ファニが集まって来ないはずがない。
 いつもとは違ったので、ファニは来なかったのではなかろうか。
 
「当面は、こちらで過ごされるのですね?」
「うん……人の国に帰る気ないし……」
「わかりました。それでは、いくぶんかでも姫様が快適に過ごせるようにしましょう。ここは皇宮のあの小屋より、不衛生です」
 
 フィッツが戻り、すぐにおかしい、とキャスは気づいている。
 無表情で淡々としているのは、いつも通りだった。
 だが、フィッツはキャスを「姫様」と呼んだのだ。
 ティニカの鎖は断ち切っていたはずなのに。
 
 そのせいで、涙も出なかった。
 
 ものすごく怖かったからだ。
 恐怖が先に立っていて、喜びも嬉しさも追いやられてしまった。
 せっかくフィッツが生き返って、そばにいるのに、心の穴は塞がっていないのだ。
 
(フィッツが覚えてたのは、戦車試合のあとの宴まで……)
 
 そこから先をフィッツは、なにも覚えていないようだった。
 自分を「姫様」と呼ぶことに不安を覚え、フィッツに事情を訊いたことで、そう判断している。
 
 地下の隠し通路で、初めて手を繋いだ。
 それもフィッツは覚えていないのだろう。
 もちろん、帝国内を逃げ回ったことも、ティニカの隠れ家のことも。
 
(……だから、あんなこと……思ってたより……ショックだったな……)
 
 フィッツは、キャスの無事を確認したあと「人の国に帰る」ことを提案した。
 理由は「魔物の国より安全だから」だ。
 記憶がないので、フィッツは魔物の国のことを知らずにいる。
 なぜここにいるのかも、わかっていなかった。
 
 ただ「姫様」を追って来たのだろうと、フィッツの中では解釈されている。
 皇宮を逃げようとしていたのは、フィッツも覚えていた。
 が、その過程で見失い、探していたのだと、思い込んでいる。
 
 1度は死に、生き返ったとは、思ってもいない。
 当然だが、キャスも、そんな話は、できずにいる。
 
 またフィッツは「少々、頭のイカレた男」に戻ってしまった。
 
 それでもかまわないのだけれど、問題はある。
 キャスのほうには、記憶がある、ということだ。
 フィッツに恋をしている自分を自覚してもいた。
 抱きしめたくなるし、抱きしめられたくなる。
 
(でもさ……もしフィッツを変えたら……また同じことになるよね……)
 
 フィッツを喪ってから、繰り返し後悔してきた。
 そのたびに考えていたことがある。
 
 自分がフィッツをわかろうとしなければ良かったのではないか。
 フィッツを変えてしまったから、あんなことになったのではないか。
 
 キャスの思いに応えようとして、フィッツは「ティニカの教え」を捨てた。
 最善を取るべき時でも、キャスの心情を優先させたのだ。
 彼女が「犠牲を好まなかった」から、温情をかけさえしている。
 
 『自分でも判然とはしませんが……姫様が喜ばないと思ったからでしょうか』
 
 そう言ったフィッツの言葉を、今のキャスは喜べずにいた。
 だんだんに変わっていったフィッツの言動と行動。
 それらがフィッツを危険にさらし、最後には命を奪ったのだ。
 
 だから、フィッツの変化へんかが良かったことなのか、わからなくなっている。
 
 キャス自身としては、フィッツの変化は嬉しい。
 ティニカの鎖から解放され、自分を「キャス」と呼んでほしかった。
 手を繋ぎ、結んだ約束を思い出してくれることを願ってしまう。
 
 けれど。
 
 キャスの脳裏で、1人の男が嗤っている。
 後悔するぜ、と言っている。
 
 ゼノクル・リュドサイオ。
 
 結果的に「黒幕」には逃げられてしまった。
 今後、大人しくしているとは、到底、思えない。
 ロキティスも腹黒い奴ではあったが、比較にならないほどタチが悪いのだ。
 人も魔物も、戦争も死も、なにもかもを「娯楽」と称して楽しむ男。
 
 それが、ゼノクル・リュドサイオという男だった。
 
 キャスは、唇を、きゅっと横に引く。
 戦は、まだ終わらない。
 
(あいつは、魔人。この先も、なにやらかすか、わかったもんじゃない)
 
 ザイードから、ゼノクルは体の持ち主であり、中は「魔人」だと聞いたのだ。
 聖魔の片割れ。
 ラフロとも繋がっているに違いない。
 ラフロは、きっと今も見ている。
 
 あの鏡のような湖面に、自分たちを映しているのだ。
 
 聖魔の性質として、ラフロとゼノクルは連携していないのだろう。
 ザイードを、ラフロが生かしたことからも、それはわかる。
 だが、キャスは、それこそが危険だと感じていた。
 
 連携しているのであれば、互いの「目的」が噛み合わなければいさかいもする。
 聖魔には、そういう考えがないのだ。
 連携などせず、相手のすることに不満もいだかない。
  
 ザイードを、ラフロは、ほとんど完全に治している。
 キャスが「それだけ?」と、思わず口にしたほど、一瞬で、だ。
 そして、ミサイルが落ちる前、シャノンは「走って」いた。
 ゼノクルが治せたのなら、あれほど怒りはしなかったし、キャスの見ている前で癒していたに違いない。
 
(ゼノクルは生きてるし、その中にいる魔人も生きてる)
 
 シャノンのことを考えれば、ゼノクルのこともラフロが治した可能性は、大いにあった。
 であれば、確実に「息の根」を止めなければ、何度でも繰り返される。
 魔人にとっては喜劇であり、人や魔物にとっては悲劇でしかないことが。
 
「姫様、今後のことを考えておられるのですか?」
「人との全面戦争って、有り得ると思う?」
「有り得ます。ミサイルが落ちていれば、限りなく百%でしたが、着弾を回避したことにより、現時点では62%ほどになるでしょう」
「それって、どういう数字……あ、計算方法について聞いてるんじゃないよ?」
 
 この「少々、頭のイカレた」フィッツには、正しく言わなければ伝わらない。
 出会った当初のフィッツと、ほぼ同じ状態と考えて、話すべきなのだ。
 
「起こり得る状況を鑑みての数字です、姫様」
「ん……現時点って言った?」
「言いました」
「てことは、この先は……悪い数字になりそうだね」
「仰る通りです。およそ1年で70%を越え、その後は半年ごとに3~5%ほど、上昇していくものと思われます」
「いやいや、待ってよ。だったら、早ければ今から4年後には確実に全面戦争になるってことじゃん。根拠はなに?」
 
 心に葛藤をかかえながらも、キャスは話す。
 なにか話していなければ、フィッツがいなくなりそうで怖いのだ。
 記憶がなくても、フィッツが傍にいるのといないのとでは、大きな差がある。
 フィッツを、2度と失いたくない、という気持ちが強い。
 
「人は壁から出なくても、攻撃する手段を持っています。であれば、今後は、その開発に力を入れるでしょう。無人での近距離攻撃も視野に入れてくるはずです」
「空から、とか?」
「それでは目立つので、地上ないしは地下になりますね」
 
 元の世界では、ドローンがめずらしくはなかった。
 今さらに気づいたのだが、この世界には「航空機」がない。
 空を飛ぶという発想はないのだろうか。
 魔物も、ザイード以外は、空を飛翔することはできなかった。
 
(でも、ラフロは飛んでたよね。てことは、聖魔だけの特権、みたいなもん?)
 
 とすると、空も「安全」とは言えない。
 むしろ、航空機の機能を考えると、空が最も危険な気がする。
 操縦士を操られれば、確実に「死」が待ち受けているのだから。
 
「偵察ならどう? 無人の偵察機を飛ばす、とかさ」
「こちらまで飛ばして来ることは有り得ません。魔物は魔力攻撃ができますので、すぐに撃ち落されます。仮に魔力攻撃に備えられたとしても、物理的な攻撃はけられません。守備として利用することは想定されますが」
「あ……そりゃそうだよね……やっぱりフィッツは頭がいいなぁ」
「恐れ入ります」
 
 フィッツが胸に手をあて、恭しく礼をする。
 その姿にも、心が軋んだ。
 ティニカの隠れ家で過ごすようになってから、ほとんど見なくなった仕草。
 
(また……ヴェスキルの継承者に、戻っちゃった……)
 
 だからこそ、そばにいてくれるし、守ってもくれるし、世話もしてくれる。
 けれど、それだけのことなのだ。
 彼女自身が「理由」になっているのではない。
 
「ですから、ご提案をしたのです。人の国ならば、ティニカがあります。ティニカであれば、姫様を……」
「その話は終わったよね」
「申し訳ありません。出過ぎたことを言いました」
 
 深々と頭を下げるフィッツにも、胸が苦しくなる。
 彼女は、フィッツに「命令」したいわけではないのだ。
 
 会話をして笑い、お願いをしたり、されたり、そういう「普通」がほしかった。
 だが、今のフィッツには、彼女の言葉は「命令」でしかない。
 
「4年か……その間に、こっちも備えないとだね」
「姫様のお心のままに」
 
 無性に泣きたくなる。
 フィッツが悪いわけではないと、わかっていた。
 中途半端なことをした自分が悪いのだ。
 
「あのさぁ、フィッツ」
「はい、姫様」
 
 泣きたくなる心を抑え、フィッツに2杯目のお茶を頼んだ。
 けれど、それもまた、フィッツにとっては命令となる。
 どこまでいっても、今のフィッツに。
 
 彼女の話は通じない。
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