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第2章 彼女の話は通じない
いくら望んだところとて 2
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フェリシア・ヴェスキルは、ラフロと取引をした。
それは、キリヴァン・ヴァルキアのためだった。
キリヴァンを愛していたがゆえに、取引に応じざるを得なかったのだ。
「……最っ低……」
「なぜだい? 道は、いくらでもあったじゃないか」
「……最っ、低……っ……」
同じ言葉を繰り返す。
選ぶ道がいくつもあるだなんて、詭弁だ。
さっきキャスが「取引」をしたように、道は1本しかない。
ラフロは取引という名目で、相手を試している。
選んだ先にある対象者の行動や言動に「関心」を持っているのだろう。
だから、試す。
なるほど聖者に「関心」を持たれて、人が「まとも」でいられるはずがないと、納得した。
「私は、きみの精神に干渉はしていないよ? フェリシアの時もそうだった。私は、ほかの聖者とは違って、自らの選択ができない者に関心がなくてねえ」
精神への干渉を、ラフロは好まないらしい。
だが、それは、なおさらに残酷だ。
取引に応じたが最後、過程も結果も、すべて自分で背負うことになる。
道は、いくつでもあった。
そう言われてしまえば、選んだのは自分だと否応なく突きつけられてしまう。
フェリシアがラフロと関係を持つことを選んだのも、カサンドラを身ごもったことも、全部、フェリシアの「選択」の結果なのだ、と。
「そんなの……フェリシアを脅して思い通りにしたのと同じじゃん」
「あくまでも取引だよ。嫌なら断っても良かったのじゃないかい?」
「嫌だって言えない取引だった。そうなんでしょ?」
キリヴァンの命に関わることか、それに近い内容の「取引」だったに違いない。
フェリシアが取引に応じたからこそ「愛に高潔だった」と、ラフロは判断した。
こんな奴に目をつけられたフェリシアが気の毒だ。
そして「こんな奴」に、今は自分が目をつけられている。
「どうだろうねえ。彼女は、私があずかっていた彼女の宝物を壊せと言った。その彼女に、私と交わることを取引としただけだもの」
「宝物って、なに? キリヴァンの命に関わるものだったんじゃないの?」
「それも、どうだろうねえ。あれは壁の効力を失わせるための物であって、キリヴァン・ヴァルキアの命を直接に奪うものではなかったよ」
壁の効力を失わせる道具。
なぜ、そんなものをフェリシアが持っていたのかはわからない。
わかっているのは「壁の効力」が失われればどうなるか、だ。
キャスは、ラフロをにらみつける。
人という種にとって「壁」は、大きな意味を持っていた。
それこそ種の存続に関わる、大きな意味だ。
「それじゃ壁なんか意味なくなるじゃん。聖魔が、どっと入ってくる。命綱を切るって脅してるも同然だよ」
「勘違いをしてはいけないな。あれに、それほどの力はなかったのだから。持っている者にしか作用しないのでは、聖魔をどっと招き入れるなんてできやしないさ」
「複数で1度には使えないってこと?」
「そうとも」
キャスは思考を巡らせる。
ラフロの言葉に惑わされてはいけない。
なによりも明白な事実は「カサンドラ」が産まれたことだ。
そういう事実だけを取り出して、繋ぎ合わせていった。
「ああ……そういうこと……だから、フェリシアは……」
フェリシア・ヴェスキル。
ラーザの民が、神のごとく女王を敬うはずだ。
フェリシアは偉大だった。
だが、愛を求める女性でもあった。
どちらか片方を諦めていれば、カサンドラはいなかったかもしれない。
「その宝物、いったい誰に渡す気だったのさ」
ラフロは答えず、静かに微笑んでいる。
悪意は微塵も感じられない。
当然だった。
ラフロには「悪意」すらない。
「だって、あなたは壁を越えられたんだもの。宝物なんて必要じゃなかった」
ラフロがフェリシアと知り合った頃、壁はすでに存在していた。
なのに、ラフロは「中」にいた。
「だって、あなたは……あなたは……ティニカの体を借りてたんだから……っ」
壁を越えられる条件は、人の純血種ではないこと。
魔力を持っていても、中間種のものであること。
それは、聖魔や魔物の純血種ではない、というのに等しい。
フィッツは魔力を持たず、人としては「純血種」とは認められない存在だった。
ティニカによって「作られた」からだ。
つまり、壁から無視される存在だということ。
『出来損ないの失敗作だね、それは』
ラフロは、確信がないと言ったキャスに、そう言っている。
正当なティニカは意思を持たない、とも言った。
ラフロが人の国に入るために「借りた」体は、ティニカの者だったのだ。
ならば、壁の出入りは自由になる。
宝物なんてなくてもかまわない。
「フェリシアは、それを、あなたが魔人に渡すと思っただろうね。私だって、そう思うよ。その魔人は、なにをする? わかりきってる」
壁を無意味なものにすること。
壁ができる前、聖魔は自由に人の国に出入りしていた。
なにしろ魔物には精神干渉が通じないのだから、「遊び相手」は人しかいない。
「私たちの時間は、人のそれより、ずうっと長い」
人の国に入った魔人は、必ずキリヴァン・ヴァルキアを狙う。
皇帝となったキリヴァンを操り、時間をかけてでも壁を壊そうとしたはずだ。
「あなたたちにとっては都合がいいよね。自分たちの力が通用しない魔物は人が始末してくれる。ヴァルキアス建国の時みたいに」
壁は人を守るためだけのものではない。
壁があることで、魔物も、人から守られていた。
損をしたのは聖魔だけ。
その「損」を取り戻そうとするのは想像に容易い。
そうなれば、人の国は聖魔によって、魔物の国は人によって蹂躙される。
自分にもわかることが、フェリシアにわからなかったとは思えない。
(キリヴァンだけじゃない……ラーザの技術を外に出した責任も、フェリシアは背負うとしたんだ……)
おそらく、時間もなかったのではないだろうか。
ラフロの取引を蹴って、フェリシアがキリヴァンの元に駆けつけるよりも、魔人が入って来てキリヴァンを操るほうが早いと判断した。
やはり選択肢なんてなかったのだ。
フェリシアは、キリヴァンを守るためにも、ラーザの女王としての責任を背負うためにも、ラフロとの取引に応じるしかなかった。
「彼女は、愛する人が傍若無人な皇帝になることを望まなかったのだよ」
「そんなの、あたり前じゃん」
「きみはあたり前と言うけれど、私には、そのあたり前が理解できずにいる」
「だからって周りを巻き込まないでよ」
腹立たしいのに、わきあがったそばから怒りが霧散していく。
ラフロが精神干渉しているのではなく、この場所の影響のようだった。
長く、ひとつの感情を保っていられないのだ。
「フェリシアは、愛に高潔な女性だったよ、とてもね」
また同じ話の繰り返し。
そこに意味があるのだろうと思いはすれど、よくわからない。
嫌な感じだけが高まっていく。
「私に肉体を奪われても、彼女の心はキリヴァンの元にあった。人は肉体へのこだわりが強いから、少しばかりの期待をしていたのだけれどねえ。彼女が私を愛することはなかったよ。きみを身ごもってさえ」
ラフロが、スッとイスから立ち上がった。
初めてキャスは恐怖する。
なのに、その恐怖すら維持していられなかった。
ラフロに近づかれても、逃げようという気持ちになれない。
「フェリシアと私、厳密に言えば、私に体を貸していたティニカとの娘。愛する相手の子ではないのに、フェリシアは、きみを愛していたね」
「さあ? 私はフェリシアと面識がないから……」
「人は簡単に理解できるのではないかな? それが、きみたちの有り様だから」
ラフロの手が伸びてきて、キャスの頬にふれる。
感触はあるが、ぬくもりはなかった。
ザイードの、冷たそうに見えて、暖かい手とは違う。
けれど、どうしても不快や嫌悪を感じられない。
「私が関心を持つものは、なんだと思う?」
わかってはいたが、答えたくなかった。
湖面は鏡のように光っていても、ここは底のない泥沼だ。
はまりこんだら、抜け出せなくなる。
どんなに、もがいても。
「取引をしようか、可愛い子」
ぎくりと、心がすくんだ。
少し前から気づいていた。
最初はわからなかったラフロの「したいこと」が、なにか。
ラフロの関心欲の矛先。
それは、愛だ。
フェリシアは、ラフロに「愛」を渡さなかった。
そのため、未だにラフロは「愛」がどういうものか、わかっていない。
知りたくてたまらないのだろう。
とはいえ、ラフロの思う「愛」は高潔でなければならないのだ。
(こんなやりかたじゃ永遠にわかるはずないのに……それも、わからないんだ)
もしフェリシアがラフロを愛していたら、ラフロは納得しなかった。
本物の愛とは違うとして、本物を探し続けたに違いない。
なのに、愛されなかったことで、愛とはなにかを知り得なかったとしている。
堂々巡りの矛盾の中に、ラフロは存在していた。
そして、キャスの心を使い、それを見つけようとしている。
それは、キリヴァン・ヴァルキアのためだった。
キリヴァンを愛していたがゆえに、取引に応じざるを得なかったのだ。
「……最っ低……」
「なぜだい? 道は、いくらでもあったじゃないか」
「……最っ、低……っ……」
同じ言葉を繰り返す。
選ぶ道がいくつもあるだなんて、詭弁だ。
さっきキャスが「取引」をしたように、道は1本しかない。
ラフロは取引という名目で、相手を試している。
選んだ先にある対象者の行動や言動に「関心」を持っているのだろう。
だから、試す。
なるほど聖者に「関心」を持たれて、人が「まとも」でいられるはずがないと、納得した。
「私は、きみの精神に干渉はしていないよ? フェリシアの時もそうだった。私は、ほかの聖者とは違って、自らの選択ができない者に関心がなくてねえ」
精神への干渉を、ラフロは好まないらしい。
だが、それは、なおさらに残酷だ。
取引に応じたが最後、過程も結果も、すべて自分で背負うことになる。
道は、いくつでもあった。
そう言われてしまえば、選んだのは自分だと否応なく突きつけられてしまう。
フェリシアがラフロと関係を持つことを選んだのも、カサンドラを身ごもったことも、全部、フェリシアの「選択」の結果なのだ、と。
「そんなの……フェリシアを脅して思い通りにしたのと同じじゃん」
「あくまでも取引だよ。嫌なら断っても良かったのじゃないかい?」
「嫌だって言えない取引だった。そうなんでしょ?」
キリヴァンの命に関わることか、それに近い内容の「取引」だったに違いない。
フェリシアが取引に応じたからこそ「愛に高潔だった」と、ラフロは判断した。
こんな奴に目をつけられたフェリシアが気の毒だ。
そして「こんな奴」に、今は自分が目をつけられている。
「どうだろうねえ。彼女は、私があずかっていた彼女の宝物を壊せと言った。その彼女に、私と交わることを取引としただけだもの」
「宝物って、なに? キリヴァンの命に関わるものだったんじゃないの?」
「それも、どうだろうねえ。あれは壁の効力を失わせるための物であって、キリヴァン・ヴァルキアの命を直接に奪うものではなかったよ」
壁の効力を失わせる道具。
なぜ、そんなものをフェリシアが持っていたのかはわからない。
わかっているのは「壁の効力」が失われればどうなるか、だ。
キャスは、ラフロをにらみつける。
人という種にとって「壁」は、大きな意味を持っていた。
それこそ種の存続に関わる、大きな意味だ。
「それじゃ壁なんか意味なくなるじゃん。聖魔が、どっと入ってくる。命綱を切るって脅してるも同然だよ」
「勘違いをしてはいけないな。あれに、それほどの力はなかったのだから。持っている者にしか作用しないのでは、聖魔をどっと招き入れるなんてできやしないさ」
「複数で1度には使えないってこと?」
「そうとも」
キャスは思考を巡らせる。
ラフロの言葉に惑わされてはいけない。
なによりも明白な事実は「カサンドラ」が産まれたことだ。
そういう事実だけを取り出して、繋ぎ合わせていった。
「ああ……そういうこと……だから、フェリシアは……」
フェリシア・ヴェスキル。
ラーザの民が、神のごとく女王を敬うはずだ。
フェリシアは偉大だった。
だが、愛を求める女性でもあった。
どちらか片方を諦めていれば、カサンドラはいなかったかもしれない。
「その宝物、いったい誰に渡す気だったのさ」
ラフロは答えず、静かに微笑んでいる。
悪意は微塵も感じられない。
当然だった。
ラフロには「悪意」すらない。
「だって、あなたは壁を越えられたんだもの。宝物なんて必要じゃなかった」
ラフロがフェリシアと知り合った頃、壁はすでに存在していた。
なのに、ラフロは「中」にいた。
「だって、あなたは……あなたは……ティニカの体を借りてたんだから……っ」
壁を越えられる条件は、人の純血種ではないこと。
魔力を持っていても、中間種のものであること。
それは、聖魔や魔物の純血種ではない、というのに等しい。
フィッツは魔力を持たず、人としては「純血種」とは認められない存在だった。
ティニカによって「作られた」からだ。
つまり、壁から無視される存在だということ。
『出来損ないの失敗作だね、それは』
ラフロは、確信がないと言ったキャスに、そう言っている。
正当なティニカは意思を持たない、とも言った。
ラフロが人の国に入るために「借りた」体は、ティニカの者だったのだ。
ならば、壁の出入りは自由になる。
宝物なんてなくてもかまわない。
「フェリシアは、それを、あなたが魔人に渡すと思っただろうね。私だって、そう思うよ。その魔人は、なにをする? わかりきってる」
壁を無意味なものにすること。
壁ができる前、聖魔は自由に人の国に出入りしていた。
なにしろ魔物には精神干渉が通じないのだから、「遊び相手」は人しかいない。
「私たちの時間は、人のそれより、ずうっと長い」
人の国に入った魔人は、必ずキリヴァン・ヴァルキアを狙う。
皇帝となったキリヴァンを操り、時間をかけてでも壁を壊そうとしたはずだ。
「あなたたちにとっては都合がいいよね。自分たちの力が通用しない魔物は人が始末してくれる。ヴァルキアス建国の時みたいに」
壁は人を守るためだけのものではない。
壁があることで、魔物も、人から守られていた。
損をしたのは聖魔だけ。
その「損」を取り戻そうとするのは想像に容易い。
そうなれば、人の国は聖魔によって、魔物の国は人によって蹂躙される。
自分にもわかることが、フェリシアにわからなかったとは思えない。
(キリヴァンだけじゃない……ラーザの技術を外に出した責任も、フェリシアは背負うとしたんだ……)
おそらく、時間もなかったのではないだろうか。
ラフロの取引を蹴って、フェリシアがキリヴァンの元に駆けつけるよりも、魔人が入って来てキリヴァンを操るほうが早いと判断した。
やはり選択肢なんてなかったのだ。
フェリシアは、キリヴァンを守るためにも、ラーザの女王としての責任を背負うためにも、ラフロとの取引に応じるしかなかった。
「彼女は、愛する人が傍若無人な皇帝になることを望まなかったのだよ」
「そんなの、あたり前じゃん」
「きみはあたり前と言うけれど、私には、そのあたり前が理解できずにいる」
「だからって周りを巻き込まないでよ」
腹立たしいのに、わきあがったそばから怒りが霧散していく。
ラフロが精神干渉しているのではなく、この場所の影響のようだった。
長く、ひとつの感情を保っていられないのだ。
「フェリシアは、愛に高潔な女性だったよ、とてもね」
また同じ話の繰り返し。
そこに意味があるのだろうと思いはすれど、よくわからない。
嫌な感じだけが高まっていく。
「私に肉体を奪われても、彼女の心はキリヴァンの元にあった。人は肉体へのこだわりが強いから、少しばかりの期待をしていたのだけれどねえ。彼女が私を愛することはなかったよ。きみを身ごもってさえ」
ラフロが、スッとイスから立ち上がった。
初めてキャスは恐怖する。
なのに、その恐怖すら維持していられなかった。
ラフロに近づかれても、逃げようという気持ちになれない。
「フェリシアと私、厳密に言えば、私に体を貸していたティニカとの娘。愛する相手の子ではないのに、フェリシアは、きみを愛していたね」
「さあ? 私はフェリシアと面識がないから……」
「人は簡単に理解できるのではないかな? それが、きみたちの有り様だから」
ラフロの手が伸びてきて、キャスの頬にふれる。
感触はあるが、ぬくもりはなかった。
ザイードの、冷たそうに見えて、暖かい手とは違う。
けれど、どうしても不快や嫌悪を感じられない。
「私が関心を持つものは、なんだと思う?」
わかってはいたが、答えたくなかった。
湖面は鏡のように光っていても、ここは底のない泥沼だ。
はまりこんだら、抜け出せなくなる。
どんなに、もがいても。
「取引をしようか、可愛い子」
ぎくりと、心がすくんだ。
少し前から気づいていた。
最初はわからなかったラフロの「したいこと」が、なにか。
ラフロの関心欲の矛先。
それは、愛だ。
フェリシアは、ラフロに「愛」を渡さなかった。
そのため、未だにラフロは「愛」がどういうものか、わかっていない。
知りたくてたまらないのだろう。
とはいえ、ラフロの思う「愛」は高潔でなければならないのだ。
(こんなやりかたじゃ永遠にわかるはずないのに……それも、わからないんだ)
もしフェリシアがラフロを愛していたら、ラフロは納得しなかった。
本物の愛とは違うとして、本物を探し続けたに違いない。
なのに、愛されなかったことで、愛とはなにかを知り得なかったとしている。
堂々巡りの矛盾の中に、ラフロは存在していた。
そして、キャスの心を使い、それを見つけようとしている。
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