いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

今さらだったとしてもなお 1

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 どこまで行けるだろう。
 
 フィッツの演算能力を持ってしても、測りきれずにいる。
 最後の関門を突破する心構えはしてきた。
 カサンドラの最終目的地に予想がついてから、ずっとだ。
  
(まさか水脈に目を付けられるとはな)
 
 強固な岩盤に囲まれた「ティニカの隠れ家」ならば安全だと思っていた。
 地上で捜索が行われているのは知っていたが、彼らは、隠れ家のわずかな手がかりすら見つけられずにいたのだ。
 このところ探索機をあちこちに移動させていたのも知っている。
 だが、水を汲み上げる機械の設置を隠蔽するためだとは思わずにいた。
 
 致命的な、自分の失敗だ。
 それを、痛いほど感じている。
 
 地上にいる者たちは「ティニカの隠れ家」を探そうとはしていない。
 機械であれば必ずある「弱点」を突き、2人が出て来るように仕向けている。
 動力源からエネルギーを供給するための仕組みが破損すれば、機械は稼働を停止せざるを得ない。
 いくら優れた技術でも、エネルギーなしに設備を維持することはできないのだ。
 
 ティニカだけでも呼ぶべきだった。
 
 最善を取るなら、迷わず、そうしていただろう。
 人手が足りなければ、警戒していても不測の事態に陥り易くなる。
 頭の隅には、そうした考えもあったのに、フィッツは、それを無視したのだ。
 
 カサンドラは、窮屈な生活を好まない。
 他者を介入させたくもない。
 
 最善よりも、彼女と自分の意思を優先させた。
 その判断が、逆に、彼女を危険にさらしている。
 だが、腕にかかえたぬくもりだけが、フィッツの「すべて」だ。
 ティニカの教えよりも大事なことがあるのだと、フィッツは知った。
 
 どこまで行けるだろう。
 
 想定している回避策は多くない。
 どれも確実ではなかった。
 確信をもって安全だと言える道は閉ざされている。
 それでも、なんとしてでも、カサンドラだけは守らなければならない。
 
(だが……私の死を姫様は望んでいない。私も姫様と一緒に生きたい)
 
 最善かどうかは、もう考えなくてもいい。
 考えても無意味だからだ。
 ただ「2人で生き残る」確率の高い方法を選べばいい。
 
 そう思って、フィッツは、ひたすら走る。
 数分もすれば「ティニカの隠れ家」は吹っ飛ぶはずだ。
 それで少しは時間が稼げる。
 
(なぜアトゥリノの兵がいる? 皇太子以外の追っ手の存在は想定内だったが)
 
 昨日の夜、外の確認をした時にはいなかった新たな勢力。
  
 およそディオンヌの仇を打つ考えなど、アトゥリノが持つとは思えなかった。
 ディオンヌは「捨て駒」に過ぎなかったのだ。
 
 けれど、今にして思えば、ディオンヌが来たこと自体を不審に思うべきだったのかもしれない。
 ディオンヌの後ろに誰かがいるのは確かだった。
 フィッツは、帝位に欲のあるアトゥリノの王の指示だと考えていたのだが、どうにも、その考えは怪しくなってきている。
 
 アトゥリノの王が自ら兵を動かせば、リュドサイオが黙ってはいない。
 ラーザに入るには、絶対にリュドサイオはけられないのだ。
 けれど、現実に、外にはアトゥリノの兵がいる。
 
 隠れ家を出る前に、設備の機能を使い、外を探索した結果だ。
 脱出ルートも地下にあり、出口に到達したら、その道も閉ざすつもりだった。
 機器や装置はフィッツを補助するものではあるが、なければないなりに、どうにかする。
 
 フィッツは、ラーザの技術の結晶。
 
 フィッツ自身が、あらゆる装置と成り得るのだ。
 もちろん、情報不足は否めないが、フィッツの視力、聴力ともに、一般的なものとは比較にならないほど優れている。
 
 大きな爆発音が響いた。
 地面も揺れている。
 これで、もう隠れ家には帰れない。
 
「フィッツ、疲れてない? 大丈夫?」
「平気ですよ。出口までは、半日もかかりません」
「じゃあ……フィッツが疲れないなら、休憩はしない」
「わかりました」
 
 差し迫った状況にあると、カサンドラも感じているのだろう。
 半日、飲まず食わずも辞さない構えだ。
 不謹慎だろうか、と思う。
 
 カサンドラは、今、生き残ることを優先させていた。
 
 それが嬉しい。
 ずっと、生きるも死ぬもどうでもいいというふうに見えていたからだ。
 彼女が「生」に執着してくれるのが、嬉しかった。
 
(このルートは抜けられるとして、外に出てからだな)
 
 外に出ると、最後の関門までは、約1キロ。
 探索結果からすれば、そのあたりにアトゥリノの兵はいない。
 だが、迫っては来ている。
 おそらく、2人を目視できたら、追い込んで来るつもりなのだ。
 
(あれを越えられる者などいないからだろう)
 
 壁際に、ネズミを追いやるような考えでいるに違いない。
 隠れ家を爆破したため、その位置は割れている。
 そこから半円を描くようにして、兵が押し寄せていた。
 
 フィッツの耳が足音を拾っている。
 アトゥリノ人訛りのある声も聞こえていた。
 
 その数、5千人以上。
 
 アトゥリノの兵がいることに、どうしても引っ掛かりを覚える。
 どういう事情があろうと、あの皇太子がアトゥリノを頼るとは考えられない。
 アトゥリノがカサンドラを快く思っていないのは、わかっているのだ。
 捜索中の「不慮の事故」として、カサンドラが殺される可能性もある。
 
 そもそも、こんな強行な手段を皇太子が取るだろうか。
 カサンドラの身に危険が生じるのは明白なのに。
 
(アトゥリノの独断……? いや、そんなことはできない。リュドサイオが、手を貸さなければ……)
 
 不意に、戦車試合の日のことを思い出す。
 祝宴に顔を出したのは、わずかな間だ。
 けれど、アトゥリノとリュドサイオの、それぞれ第1王子同士が親しげにしていたのが記憶されている。
 
(まさか……姫様が皇太子との婚約解消をしたことが、リュドサイオの耳に入っているのか? 監視室の情報が、漏れた……?)
 
 監視室は、基本的に無人だ。
 機械が制御しており「手心」を加えることはできない。
 だからこそ、フィッツに、いいように操られたとも言える。
 とはいえ、それはラーザの技術があってのことだ。
 
(……まぁ、いい。今は、それを考えていてもしかたがない。アトゥリノの兵から逃げきることだけを考えろ)
 
 幸い、まだ距離はある。
 そして、彼らは、フィッツほどの「足」がない。
 東に行くほど、ラーザは地面は荒れているのだ。
 元は動力石の鉱山があった場所でもあり、採掘のため、地面には砕かれた石や砂が、ばら撒かれている。
 
 ラーザの主要な乗り物のラポイックは、ホバーレより高度が取れたので、地面が荒れていても関係なかった。
 多少、大きな石が落ちていようが、あえて片付ける者はいなかったのだ。
 けれど、高度をとれないホバーレでは、進むことは不可能。
 降りて歩くか、走るしかない。
 
「ここを出たら……また2人で、新しくやり直そうね」
「そうですね」
 
 帝国もラーザも、ヴェスキルの血も無関係な場所。
 
 そこでカサンドラと新しくやり直す。
 自分もティニカから解放される気がした。
 
「怖いですか?」
「なにが?」
「今の状況や、これから行く場所が、です」
「怖くはないかな。フィッツがいるから」
 
 カサンドラのぬくもりを手放したくない。
 そのためなら、なんでもできる。
 理由はもう「使命だから」ではなかった。
 
(アトゥリノ兵に追いつかれるまでには、2人で最後の関門を抜けているはずだ)
 
 抜けたら、安全は確保される。
 アトゥリノの兵には、追う手段がない。
 彼らは未知の領域に足を踏み入れることはできないのだ。
 
「フィッツは越えられる?」
「問題ありません」
「やっぱり抜かりないなぁ」
「恐れ入ります」
 
 その関門は、検問所とは異なり、非常に特殊。
 なにもしなくてもフィッツは抜けられる。
 だから、不用意に越えないよう、前当主から注意されていた。
 
 未知の領域に対する恐怖はない。
 なにしろ、この先が皇宮を出ると決めた時からの、彼女の「最終目的地」だったのだから。
 
「なんでフィッツは大丈夫なの?」
「わかりません」
「わかんないのか」
 
 声が笑っている。
 感じて、フィッツも笑う。
 危険な状況だというのに、胸の奥が暖かくなっていた。
 
「姫様がヴェスキルであってもなくてもかまいませんが、ヴェスキルの継承者とされていてよかったと思っています」
「私も、フィッツにはティニカじゃなくなってほしいけど、ティニカで良かったと思ってるよ」
 
 そうでなければ、出会えていなかったから。
 
 初めてだったかもしれない。
 感情面で、カサンドラと共通の認識が生まれている。
 相手の感情がわかったり、自分の感情をわかってもらえたりするのが、これほど心地いいものだとは知らずにいた。
 
「どういう生い立ちであれ、姫様は私にとって特別なかたです」
「フィッツも私にとっては特別。すごく特別」
 
 言葉に、言い知れない喜びが胸に満ちてくる。
 まだ愛称呼びはできていないけれど、その時が近づいているのを感じた。
 走りながら、残されていたティニカの鎖を引きちぎっている。
 そんな感覚があるのだ。
 
「もう少しですからね、あともう少しだけ」
 
 待っていてほしい。
 
 カサンドラに対する想いひとつで、フィッツは走る。
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