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第1章 彼女の言葉はわからない
乖離の成果 2
しおりを挟む「いい天気だねえ」
と言っても、天気も管理されているので、当たり前なのだが、それはともかく。
見上げると、空は青くて、心地良い風がちょうどいい感じに吹いている。
住居の外にある、小さな丘は、綺麗な緑の下草に覆われていた。
あつらえられているのだろう、そこには1本の大きな木がある。
その下に、シートを広げ、ピクニック。
足を伸ばし、フィッツと2人、並んで座っていた。
いつも通り横に立っていたフィッツに声をかけ、座らせている。
なぜか、フィッツは、少しの間を置いてから、腰を下ろした。
前は、カサンドラが言えば、すぐ行動に移していたのに。
「あのさぁ、フィッツ」
「はい、ひ……キ……」
フィッツが、言葉を詰まらせている。
あれから10日、未だ努力中なのだ。
小さく笑い、フィッツへと体を寄せる。
腕を組み、肩に頭を乗せた。
「はい、駄目でした~、5秒お約束違反」
「5秒は厳しいですね」
「そうかもしれない。アイシャには3分あげたもんなぁ」
途端、少しムっとしたような空気が漂う。
一緒にいるのが長いからか、2人だけの時間が多いからなのか、表情だけではない空気感を察することができるようになっていた。
「でも、フィッツは愛称呼びするだけなんだから、5秒で十分だと思う。無理する必要はないけどさ」
「いえ、呼びたいと思っています。そのほうが、もっと近くなれる気がするので」
「鋭意努力だね」
「全力です」
「全力で、それかぁ。先は遠そうだよ、フィッツ」
言って、声を上げて笑う。
すると、フィッツも口元に小さな笑みを浮かべていた。
ほかの人では気づかないくらいの、本当に小さな表情の変化だ。
けれど、彼女にはわかる。
「もったいないよなぁ」
「もったいない? なにがですか?」
「フィッツがさ」
「私が?」
ちろっと上目遣いで、フィッツに視線を投げた。
フィッツも、こっちを見ていたので、視線が交わる。
人に、じっと見られるのは、あまり気持ちのいいものではない。
だが、フィッツの薄金色の瞳に見つめられるのは、嫌ではなかった。
「フィッツ、優しいしさ、なんでもできるし、見た目もいい。なのに、私みたいな意地悪で性根の悪い女しか傍にいないなんてもったいないよ」
フィッツがフィッツでなければ、「使命」なんてものがなければ、今、こうしてフィッツと一緒にいるのは、自分ではなかったかもしれない。
自分より「いい人」が、世の中には、ざらにいるのだ。
フィッツは、自分にはもったいないと、常々、思っている。
「皇宮のメイドみたいな感じじゃなくてさ。もっと素朴で……なんていうか、いい人が、世の中には大勢いるんだよなぁ」
「いい人というのは、曖昧ですね」
「フィッツに優しくしてくれる人」
「優しいというのも、捉えどころがありません」
「うーん、フィッツを苦しませない人? 嫌なことをしない人とか?」
確かに「優しい」という言葉を説明するのは難しい。
なにをもって「優しい」とするかは、人それぞれ。
一般的には、自分に親切だったり、親身になってくれたりすると、そう感じるのだろうけれども。
「では、私は、姫様を苦しませたり、嫌なことをしたりしていないのですね」
「してないね。逆に、私のことばっかりだから、申し訳なくなる」
「なぜですか?」
「私は、フィッツにしてあげられることがないじゃん」
「それは違います」
フィッツが、じぃぃぃっと、彼女の瞳を覗き込んでいる。
そのフィッツの瞳が、ふわっと、やわらかくなった。
見たことのない色に、心臓が音をたてる。
「姫様は、私がいなくても、本当は困りはしないでしょう? それでも、こうして一緒にいてくださるではないですか」
「そ、そんなことない。フィッツがいないと困る」
「姫様には、力があると知っていますから」
「だから、それは使わないって言ってるでしょ」
「それも、私にしてくださっていることのひとつです」
そうなるのだろうか。
自分では、よくわからない。
ただ、力を使わないことと、フィッツとが無関係だとは言えなかった。
力を使えば、否応なく近くにいるだろうフィッツを巻き込むことになる。
それを意識していなかった、と言えば、嘘になるからだ。
「ですが、姫様が私になにかしてくださるのであれば……」
「なに? できることなら、やってあげるけど」
「ご自身の命を大事にしてください」
「え?」
「姫様は、いつ死んでもかまわないというように見えます。ご自分の生死に無関心なのではないですか?」
う…と、言葉に詰まった。
つい最近まで、どこで野垂れ死にしてもしかたがない、と思っていたのは事実。
とはいえ、思ってはいても、口に出したことはない。
そのため、自分の内心に気づかれていたことに驚く。
「いつから、そう思ってた?」
「わかりません。鉱山に行く前には、そう思っていた気がします」
「そうなんだ」
「はい。姫様が、生きるのも死ぬのも、どちらでもいいというような姿を見ると、私は苦しくなります」
組んでいた腕をぎゅっと握りしめ、フィッツの肩に頬をくっつけた。
ヴェスキルの継承者だからなのかどうかは、もうどうでもいいと思える。
いずれにせよ、自分の死により、フィッツは苦しむのだ。
「わかった……まぁ、私もね。最近は、ちょっと長生きしたくなってるんだ」
「そうでしたか」
「そうだよ。フィッツを置いてけないからさ」
「置き去りにはしないと言ってくれましたね」
最終目的地は、ここではなかったが、ここで「長生き」をするのも悪くない。
フィッツと2人なら、ずっと地下暮らしでかまわないと感じた。
作り物であれ、空は青く、太陽だってある。
なにより、自分と一緒にいることを願ってくれるフィッツがいる。
「フィッツがいないと困る。でも、困るから一緒にいるわけじゃない。前は、そうだったけど、今は違う。フィッツといるのが楽しいから一緒にいたいと思ってる。ほかの人じゃなくてね」
「外には、大勢の“いい人”がいるのに、ですか?」
「外には、そういう出会いもあるかもしれない。ただ、私は、もういいって感じ。このまま、楽しくやってけたら、それでいい。ほかの人はいらないや」
フィッツからの返事がない。
あれ?と思って、顔を上げた。
パッと、フィッツが顔をそむける。
カサンドラと腕を組んでいないほうの手で、口元を押さえていた。
「なに、ニヤニヤしてんの?」
「していません」
「いや、してるって」
「それは……」
「なに? 私、なんか変なこと言った?」
よくわからないが、フィッツは喜んでいるらしい。
一緒にいるのが嬉しいということだろうか。
とはいえ、それは、何度も言ってきた。
今さら、という感じもする。
「……ほかの者は不要というのが……心地よかっただけです……」
「フィッツってさ、無自覚に嫉妬深いよね」
「嫉妬……???」
「そうそう、アイシャにも嫉妬してたじゃん」
「あれは、そういうことでは……嫉妬……あの不快な感覚は嫉妬でしたか……」
フィッツは、なにか感慨深げだった。
自らの心に「嫉妬」などというものがあるとは思っていなかったのだろう。
フィッツの心境が、簡単に、その言葉で置き換えられるものなのかは、彼女にも不明なところだけれども。
「それにしても、フィッツさぁ」
「はい、姫様」
「全力で努力してる割には、ちっとも呼べないね」
動揺してか、体をぴくっと震わせるフィッツに、彼女は、くすくすと笑う。
最初は、フィッツの考えていることなんて、まるきりわからなかった。
少々、頭のイカレた男だからしかたがないと、諦めていた。
なのに、こうしていると、わかることがたくさんある。
「時間はあるんだし、急がなくても大丈夫。ゆっくりのんびり、やっていこうよ」
「はい、ひ……キャ……」
くくっと、含み笑いをもらしてしまった。
不謹慎と言えば、不謹慎だ。
フィッツの言った「呼びたい」は本心なのだと思う。
だが「ティニカ」が、それを阻んでいるに違いない。
フィッツは「使命」のためだけに、作られた存在だから。
鎖を断つのは、簡単ではないはずだ。
それでも「全力で努力」している。
本来なら、笑うところではない。
わかっているが、深刻になりたくもなかったのだ。
「私が意地悪だから、フィッツは苦労するなぁ」
「苦労だと感じたことはありませんが」
彼女が笑うと、フィッツもまた、わずかに笑った。
実に穏やかで、気分がいい。
「お腹が空いた。お昼にしよっか」
自分もフィッツも、こうやって少しずつ変わっていくのだ。
1人きりでは存在しなかったはずの可能性を手にして。
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