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第1章 彼女の言葉はわからない
乖離の成果 1
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ロキティスは、通信が入ってきたことに気づいて、口元を緩める。
皇太子との通信を終えた直後だ。
誰なのかは、予想している。
「サレス卿、どうしました?」
「少し確認をさせていただきたく、ご連絡いたしました。よろしいでしょうか?」
「ああ……妹のことですね」
「はい。その死を、なぜロキティス殿下がご存知なのかと」
これは皇太子の指示ではない。
ベンジャミン・サレスの独断だ。
その理由を、ロキティスは知っている。
「サレス卿が、妹を見逃してくださったことには感謝しています」
皇宮や帝都の出入りに関する監視室からの情報は、ベンジャミンに集まってくるのだ。
ディオンヌが帝都を出たのを、ベンジャミンは知っていただろう。
が、さっきの反応からすれば皇太子は「知らなかった」とわかる。
つまり、ベンジャミンは報告をしていないか、報告が遅れるよう手を回していたことになる。
「あの状態で、帝都にいるのは辛いだろうと思ったまでです」
「ええ、まさしく、その通りです。ですが、アトゥリノに帰ることも、妹にはできませんでした。不甲斐ないもので、私では、父の心は動かせず……」
「それで、リュドサイオに向かわれたのですね」
「私とゼノクル殿下は境遇が似ているので、存外、懇意にしているのです。そのことを妹も知っていましたからね。入国を拒否されることはないと思ったのでしょう」
実際に、ディオンヌだけは検問を通ってリュドサイオ入りをしている。
アトゥリノ人を警戒していても、ディオンヌは王族関係者だ。
おそらくゼノクルに連絡が入り、「純朴な」ゼノクルは、入国を許可したに違いない。
ディオンヌへの同情かはともかく。
「私も兄として、できる限りのことはしようと、護衛をつけていました」
「そうでしたか。あの坑道での出来事は……お気の毒にございました」
「どうにもね。半死半生で戻った護衛から聞くに、妹は、やはり彼に会うために、あの坑道に行ったようなのです」
「フィッツ殿に、ですか? さきほども皇太子殿下に、そのような、お話をされておられましたが、私には……信じられないのです」
戦車試合の祝宴の時、ベンジャミンがフィッツと話していた姿を、ロキティスは目にしている。
なにか思い入れのようなものがあるのだろうと、察した。
「しかし、サレス卿。護衛が言うには、彼は妹を攻撃したそうですよ」
「え……」
「おそらく、妹は身の置き所がなく、彼に助けを求めたのでしょう。ですが、遅かれ早かれ、妹のしたことは露見します。その際、毒の出どころが判明して困るのは、彼だけだと思いませんか?」
ベンジャミンが黙り込む気配がする。
ロキティスは、ゼノクルの話した「噂」から、2人が東に抜けたと推測した。
東には鉱山の国ネセリックがある。
となれば、坑道を使わないはずはない。
そこで、ディオンヌを脅し、配下とともに「叛逆者」の元に差し向けたのだ。
どの道、ディオンヌには「父親殺し」の汚名を着せて始末する予定だったので。
だが、そのことをベンジャミンは知らない。
口封じのため、フィッツに呼び出されたと考えるのが自然だ。
でなければ、ディオンヌが坑道にいたこと自体に説明がつかない。
「ロキティス殿下は、本当に彼がラーザの再興を企てていると考えておられるのですか? 私には、そのような野心のある男には感じられませんでした」
だが、今のベンジャミンは「彼」に一抹の猜疑心をいだいている。
ロキティスに意見を求めているのは、確信がほしいからに違いない。
ロキティスだって、本当はフィッツを殺すのは惜しいのだ。
「皇太子殿下との婚姻が間近になったことが原因かもしれないと思っています」
「というと?」
「カサンドラ王女様が妃殿下となられれば、ラーザ再興、いえ、ヴェスキル復権は望めなくなります。完全に、ヴェスキルの名が消えるのは、ラーザの民にとっては許しがたいこと」
そして、相手は、ラーザを地図から抹消した皇太子。
ラーザの民は閉鎖的で、女王の名の元でしか動かない。
ベンジャミンも知っている「歴史」だ。
「ですが、サレス卿。僕は、あのカサンドラ王女様が叛逆を首謀するとは、とても思えないのですよ。実は……これは内密にお願いしたいのですが、あの祝宴の日に僕は、王女様と話がしたいとバルコニーで申し出をしたのです」
「殿下がいらっしゃらない間にですか?」
「ですから、ご内密にと頼んでいるのですよ」
少し剣のある言葉を、軽く牽制しておく。
ベンジャミンはリュドサイオ出身ではないが、それ以上に忠誠心に厚い。
そこが狙い目なのだ。
「それに、王女様には、こっぴどく叱られてしまいましたから、ご安心ください。その時、こう言われたのです」
カサンドラから言われた言葉を、ロキティスは引用する。
皇太子から私室で待つように言われているので長話はできない、ということ。
次に会う時には「3人で」と言われたこと。
「王女様が、皇太子殿下を待たれるつもりだったのは間違いありません」
「それで拉致されたと?」
「そうです。であれば、理由はなにか。皇太子殿下との婚姻を阻むためとしか考えようがありませんよ」
一介の従僕が、なぜ婚姻を阻む必要があったのか。
そこで、ヴェスキル復権の話が繋がってくる。
「ただ……私は心配しているのです」
「なにをでしょう?」
「叛逆にも大儀は必要ですよね」
ベンジャミンからの返事はない。
戦闘においては優秀だが、それだけだ。
頭も悪くはないが、悪くはない、というだけだ。
アトゥリノにいても、簡単に手のひらで転がせる。
「世の中には替えの効く者と、そうでない者がいます。皇太子殿下は、帝国の皇帝となられる唯一の存在。皇太子殿下の代わりなど、誰にもできません」
叛逆にも大儀は必要。
その言葉の裏には「カサンドラがいる限り、叛逆の芽は残る」との意味がある。
皇太子妃も皇后も「代替」の効く存在ではないかと、ロキティスは言ったのだ。
皇太子への忠誠心が厚いベンジャミンなら、それを理解するだろう。
「ですが……彼を捕らえるにしても、居場所がわからないのでは、手の打ちようがありません」
言葉でこそ「彼を捕らえる」と言っているが、内心は別の思いをいだいている。
だからこそ、具体的な手段を考え始めた。
捕らえるのではなく、カサンドラを殺すことを。
「サレス卿、ラーザは豊かな土地でしたが、その根本的な要因はなんだったと思われます?」
「……そういうことですか」
ロキティスは、それ以上は言わない。
言わなくても、ベンジャミンから話を振ってくると、わかっていたからだ。
少し狂ってしまったが、概ね予定通りに事は進んでいる。
(彼は生け捕りにしたかったのだけれどね。まぁ、いいさ、僕は、手に入らないものに執着する性分じゃない。惜しいとはいえ、好機を手放すほどではないな)
2人を生け捕りにできていれば「毒殺」という回りくどい真似をせずにすんでいただろう。
以前から開発を進めていたラーザの毒が間に合ったからいいようなものの、そうでなければ好機を逃していたかもしれない。
結局のところ「また」ディオンヌが台無しにしてしまったのだ。
護衛から「時間をかけ過ぎた」と聞いている。
その護衛のことは、腹立ちのあまり殺してしまったが、それはともかく。
「ロキティス殿下、お願いしてもよろしいでしょうか。現在、合同訓練のため、アトゥリノ兵がリュドサイオに駐留していますよね」
「ゼノクル殿下も私も、お互い戦車試合では大恥をかきましたから、自国での訓練だけでは足りないと判断したのです。それが、なにか?」
これは、ゼノクルから与えられた「口実」だ。
理由もなく、アトゥリノの兵がリュドサイオに入れば紛争になりかねない。
カサンドラが「皇命」に逆らったと聞いたゼノクルは激高していた。
だから、アトゥリノの兵を自国に入れる「口実」を作ってくれたのだ。
「殿下には内密に、そのアトゥリノ兵を動かしてもらえませんでしょうか?」
「人手が足りないのですね」
「はい。帝国の兵を動かせば、大事になります。直轄国だけではなく、属国までも騒ぐでしょう。それにより、民心が揺らぎかねません」
「リュドサイオは、皇帝陛下の勅命がなければ動けませんし、代理を務めておられる殿下に内密となると……」
「今、近隣にいて動けるのはアトゥリノの兵だけなのです」
思った通り、ベンジャミンが、わざわざ話を振ってくれる。
ロキティスから申し出たわけではない、というのが重要だった。
ロキティスは、危険を冒す気はない。
だが、カサンドラに生きていてもらっては困る。
アトゥリノ王毒殺の「首謀者」が明るみに出てしまうからだ。
ロキティスがついた、たったひとつの嘘。
面識があった程度で、ディオンヌとあの従僕は、まったくの無関係。
親しかったことなど、1度もない。
そのことが、カサンドラから皇太子に伝わるのだけは、阻止する必要があった。
あれほど入れ込んでいるカサンドラの言葉を、皇太子が信じないわけがない。
なので、カサンドラにも、いずれ死んでもらうつもりでいたのだが、安全な手段を取れるのであれば、そのほうがよかった。
思いながら、悩み深いといった調子で、ロキティスは返事をする。
「わかりました。ゼノクル殿下には、うまく話しておきます」
皇太子との通信を終えた直後だ。
誰なのかは、予想している。
「サレス卿、どうしました?」
「少し確認をさせていただきたく、ご連絡いたしました。よろしいでしょうか?」
「ああ……妹のことですね」
「はい。その死を、なぜロキティス殿下がご存知なのかと」
これは皇太子の指示ではない。
ベンジャミン・サレスの独断だ。
その理由を、ロキティスは知っている。
「サレス卿が、妹を見逃してくださったことには感謝しています」
皇宮や帝都の出入りに関する監視室からの情報は、ベンジャミンに集まってくるのだ。
ディオンヌが帝都を出たのを、ベンジャミンは知っていただろう。
が、さっきの反応からすれば皇太子は「知らなかった」とわかる。
つまり、ベンジャミンは報告をしていないか、報告が遅れるよう手を回していたことになる。
「あの状態で、帝都にいるのは辛いだろうと思ったまでです」
「ええ、まさしく、その通りです。ですが、アトゥリノに帰ることも、妹にはできませんでした。不甲斐ないもので、私では、父の心は動かせず……」
「それで、リュドサイオに向かわれたのですね」
「私とゼノクル殿下は境遇が似ているので、存外、懇意にしているのです。そのことを妹も知っていましたからね。入国を拒否されることはないと思ったのでしょう」
実際に、ディオンヌだけは検問を通ってリュドサイオ入りをしている。
アトゥリノ人を警戒していても、ディオンヌは王族関係者だ。
おそらくゼノクルに連絡が入り、「純朴な」ゼノクルは、入国を許可したに違いない。
ディオンヌへの同情かはともかく。
「私も兄として、できる限りのことはしようと、護衛をつけていました」
「そうでしたか。あの坑道での出来事は……お気の毒にございました」
「どうにもね。半死半生で戻った護衛から聞くに、妹は、やはり彼に会うために、あの坑道に行ったようなのです」
「フィッツ殿に、ですか? さきほども皇太子殿下に、そのような、お話をされておられましたが、私には……信じられないのです」
戦車試合の祝宴の時、ベンジャミンがフィッツと話していた姿を、ロキティスは目にしている。
なにか思い入れのようなものがあるのだろうと、察した。
「しかし、サレス卿。護衛が言うには、彼は妹を攻撃したそうですよ」
「え……」
「おそらく、妹は身の置き所がなく、彼に助けを求めたのでしょう。ですが、遅かれ早かれ、妹のしたことは露見します。その際、毒の出どころが判明して困るのは、彼だけだと思いませんか?」
ベンジャミンが黙り込む気配がする。
ロキティスは、ゼノクルの話した「噂」から、2人が東に抜けたと推測した。
東には鉱山の国ネセリックがある。
となれば、坑道を使わないはずはない。
そこで、ディオンヌを脅し、配下とともに「叛逆者」の元に差し向けたのだ。
どの道、ディオンヌには「父親殺し」の汚名を着せて始末する予定だったので。
だが、そのことをベンジャミンは知らない。
口封じのため、フィッツに呼び出されたと考えるのが自然だ。
でなければ、ディオンヌが坑道にいたこと自体に説明がつかない。
「ロキティス殿下は、本当に彼がラーザの再興を企てていると考えておられるのですか? 私には、そのような野心のある男には感じられませんでした」
だが、今のベンジャミンは「彼」に一抹の猜疑心をいだいている。
ロキティスに意見を求めているのは、確信がほしいからに違いない。
ロキティスだって、本当はフィッツを殺すのは惜しいのだ。
「皇太子殿下との婚姻が間近になったことが原因かもしれないと思っています」
「というと?」
「カサンドラ王女様が妃殿下となられれば、ラーザ再興、いえ、ヴェスキル復権は望めなくなります。完全に、ヴェスキルの名が消えるのは、ラーザの民にとっては許しがたいこと」
そして、相手は、ラーザを地図から抹消した皇太子。
ラーザの民は閉鎖的で、女王の名の元でしか動かない。
ベンジャミンも知っている「歴史」だ。
「ですが、サレス卿。僕は、あのカサンドラ王女様が叛逆を首謀するとは、とても思えないのですよ。実は……これは内密にお願いしたいのですが、あの祝宴の日に僕は、王女様と話がしたいとバルコニーで申し出をしたのです」
「殿下がいらっしゃらない間にですか?」
「ですから、ご内密にと頼んでいるのですよ」
少し剣のある言葉を、軽く牽制しておく。
ベンジャミンはリュドサイオ出身ではないが、それ以上に忠誠心に厚い。
そこが狙い目なのだ。
「それに、王女様には、こっぴどく叱られてしまいましたから、ご安心ください。その時、こう言われたのです」
カサンドラから言われた言葉を、ロキティスは引用する。
皇太子から私室で待つように言われているので長話はできない、ということ。
次に会う時には「3人で」と言われたこと。
「王女様が、皇太子殿下を待たれるつもりだったのは間違いありません」
「それで拉致されたと?」
「そうです。であれば、理由はなにか。皇太子殿下との婚姻を阻むためとしか考えようがありませんよ」
一介の従僕が、なぜ婚姻を阻む必要があったのか。
そこで、ヴェスキル復権の話が繋がってくる。
「ただ……私は心配しているのです」
「なにをでしょう?」
「叛逆にも大儀は必要ですよね」
ベンジャミンからの返事はない。
戦闘においては優秀だが、それだけだ。
頭も悪くはないが、悪くはない、というだけだ。
アトゥリノにいても、簡単に手のひらで転がせる。
「世の中には替えの効く者と、そうでない者がいます。皇太子殿下は、帝国の皇帝となられる唯一の存在。皇太子殿下の代わりなど、誰にもできません」
叛逆にも大儀は必要。
その言葉の裏には「カサンドラがいる限り、叛逆の芽は残る」との意味がある。
皇太子妃も皇后も「代替」の効く存在ではないかと、ロキティスは言ったのだ。
皇太子への忠誠心が厚いベンジャミンなら、それを理解するだろう。
「ですが……彼を捕らえるにしても、居場所がわからないのでは、手の打ちようがありません」
言葉でこそ「彼を捕らえる」と言っているが、内心は別の思いをいだいている。
だからこそ、具体的な手段を考え始めた。
捕らえるのではなく、カサンドラを殺すことを。
「サレス卿、ラーザは豊かな土地でしたが、その根本的な要因はなんだったと思われます?」
「……そういうことですか」
ロキティスは、それ以上は言わない。
言わなくても、ベンジャミンから話を振ってくると、わかっていたからだ。
少し狂ってしまったが、概ね予定通りに事は進んでいる。
(彼は生け捕りにしたかったのだけれどね。まぁ、いいさ、僕は、手に入らないものに執着する性分じゃない。惜しいとはいえ、好機を手放すほどではないな)
2人を生け捕りにできていれば「毒殺」という回りくどい真似をせずにすんでいただろう。
以前から開発を進めていたラーザの毒が間に合ったからいいようなものの、そうでなければ好機を逃していたかもしれない。
結局のところ「また」ディオンヌが台無しにしてしまったのだ。
護衛から「時間をかけ過ぎた」と聞いている。
その護衛のことは、腹立ちのあまり殺してしまったが、それはともかく。
「ロキティス殿下、お願いしてもよろしいでしょうか。現在、合同訓練のため、アトゥリノ兵がリュドサイオに駐留していますよね」
「ゼノクル殿下も私も、お互い戦車試合では大恥をかきましたから、自国での訓練だけでは足りないと判断したのです。それが、なにか?」
これは、ゼノクルから与えられた「口実」だ。
理由もなく、アトゥリノの兵がリュドサイオに入れば紛争になりかねない。
カサンドラが「皇命」に逆らったと聞いたゼノクルは激高していた。
だから、アトゥリノの兵を自国に入れる「口実」を作ってくれたのだ。
「殿下には内密に、そのアトゥリノ兵を動かしてもらえませんでしょうか?」
「人手が足りないのですね」
「はい。帝国の兵を動かせば、大事になります。直轄国だけではなく、属国までも騒ぐでしょう。それにより、民心が揺らぎかねません」
「リュドサイオは、皇帝陛下の勅命がなければ動けませんし、代理を務めておられる殿下に内密となると……」
「今、近隣にいて動けるのはアトゥリノの兵だけなのです」
思った通り、ベンジャミンが、わざわざ話を振ってくれる。
ロキティスから申し出たわけではない、というのが重要だった。
ロキティスは、危険を冒す気はない。
だが、カサンドラに生きていてもらっては困る。
アトゥリノ王毒殺の「首謀者」が明るみに出てしまうからだ。
ロキティスがついた、たったひとつの嘘。
面識があった程度で、ディオンヌとあの従僕は、まったくの無関係。
親しかったことなど、1度もない。
そのことが、カサンドラから皇太子に伝わるのだけは、阻止する必要があった。
あれほど入れ込んでいるカサンドラの言葉を、皇太子が信じないわけがない。
なので、カサンドラにも、いずれ死んでもらうつもりでいたのだが、安全な手段を取れるのであれば、そのほうがよかった。
思いながら、悩み深いといった調子で、ロキティスは返事をする。
「わかりました。ゼノクル殿下には、うまく話しておきます」
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