いつかの空を見る日まで

たつみ

文字の大きさ
上 下
83 / 300
第1章 彼女の言葉はわからない

感情の機微とはいかばかり 3

しおりを挟む
 ティトーヴァは、もうずっと苛立っていた。
 原因は、明確だ。
 
 なんとしてもカサンドラが見つからない。
 
 皇宮から姿を消して、十ヶ月が経つ。
 2人がラーザに入ったと思われる日から捜索を開始して5ヶ月目だ。
 元ラーザ国の領土であった場所は、ひとつ残らず探させている。
 なのに、見つけられずにいた。

 坑道も同時進行で調べさせているため、よけいに時間がかかっている。
 2人が死んでいないと確信はしていたが、なにか手がかりが残されている可能性はあった。
 ラーザでの捜索が難航するのは目に見えていたため、そのわずかな可能性を捨て切れなかったのだ。
 
 なにしろ、ラーザには帝国にない技術が存在している。
 そのため、機械的な捜索は意味をなさない。
 探索機にかけようが、生体認識装置を使おうが、引っ掛からないのだ。
 
 当然、人手を使い、廃墟をさらに引っ繰り返すようにして捜索した。
 それでも、カサンドラの姿は、どこにもない。
 
「殿下、そろそろ決断して頂かなければなりません」
 
 ベンジャミンの言葉も不快に感じる。
 ティトーヴァも限界なのは、わかっているのだ。
 わかっていて、引き延ばしてきた。
 
「もう1度、俺がラーザに出向く」
 
 捜索が、ひと月を越えた段階で、ティトーヴァは帝都に戻っている。
 政務が滞り、支障をきたし始めたからだ。
 
 ほかの者に任せられるものなら任せただろう。
 だが、皇帝の代理は、ティトーヴァにしか務められない。
 しかたなく、ラーザを離れる選択をした。
 
「なりません、殿下。最短距離でラーザに向えば1日か2日で着けるでしょうが、今、殿下が帝都を離れれば、周辺国が騒ぎ始めます。とくにアトゥリノは、なにを企ててくるか、わかっておいででしょう」
 
 ぐっと言葉を飲み込む。
 ベンジャミンの言うことが正しいと、頭では理解していた。
 とはいえ、感情を理性が御し切れなくなっている。
 こうしている間にも、カサンドラの心から自分の存在が消えてしまいそうで、焦燥感に駆られてしまうのだ。
 
「捜索を打ち切るという話ではございません。先に、殿下の成すべきことをなさるべきだと申し上げているのです」
 
 執務室のイスに座り、両手で顔を覆う。
 焦りが、ついティトーヴァの口から本音をこぼさせた。
 
「……帝位など、どうでもいい。欲しい奴にくれてやりたいくらいだ……」
 
 小さなつぶやきに、その心情が集約されている。
 なにも好き好んで、皇太子に産まれたのではない。
 恵まれていると人には思われるだろうが、現実には、父に憎まれ、母にとっては父の気を引く道具としての愛情しかかけてもらえなかった。
 
 大勢の臣下を従えてはいても、本音をさらせる者はいない。
 心の内側は、常に孤立無援。
 誰もティトーヴァの心にふれることはなかったのだ。
 
 カサンドラ以外は。
 
 その彼女の手を、あの日、離した。
 結果、またたく間に、彼女を失っている。
 あれっきり、2度と会えないかもしれない。
 繰り返し、何度も何度も、自分を責め、悔やんでいた。
 
 なぜもっと早く、彼女を知ろうとしなかったのか。
 なぜかたくなに話し合うことさえ拒んでしまったのか。
 出会った当初にはあったはずの、自分に対する好意を、無関心さでもって、踏みにじる必要があったのか。
 
 すべては、今さらだとわかっていても、後悔せずにもいられない。
 自分の出自すらいとわしくなる。
 生を受けてから、ティトーヴァは帝位に就くのを目的としてきた。
 なのに、今は少しも積極的になれない。
 
 カサンドラの母を陥れた女の息子であり、カサンドラを憎んでいる男の息子。
 それが、自分なのだ。
 
 身分も立場も、捨てられるものなら捨ててしまいたいような気分だった。
 信じてきた道が崩れていくのを感じている。
 皇帝という地位に意味が見いだせない。

 父が最期に果たそうとしたのは私怨による復讐。
 皇帝であったにもかかわらず、だ。
 
「殿下……」
 
 憂鬱な気分で、ティトーヴァは顔を上げる。
 なにもかもを放り出し、本気でラーザに向かいたかった。
 だが、ベンジャミンの顔を見ていると、そうもできない。
 
 皇帝は、すでに亡くなっている。
 
 もう2ヶ月も前のことだ。
 遺体を保存し、周囲には隠し続けていた。
 けれど、限界が来ている。
 皇帝に何事かあったと、周りも感じているらしい。
 
 謁見が叶わないまでも、文書で構わないから直言が欲しいと、矢の催促だ。
 ずっと隠しおおせるものでもなかった。
 せめて手がかりでも見つかるまではと引き延ばしてきたが、ベンジャミンの言うように、ティトーヴァは決断を迫られている。
 
 皇帝の崩御と、ティトーヴァの即位。
 
 間を置かずに公表しなければ、面倒なことになるだろう。
 アトゥリノの叔父が動き出すのは、分かりきっていた。
 本音はともかく、叔父にだけは帝国を譲り渡すことはできない。
 そんなことになれば、民は虐げられ、いずれ帝国は崩壊する。
 
 急に、ベンジャミンが顔つきを変えた。
 耳の横を、手でふれている。
 誰かから通信が入っているようだ。
 
「アトゥリノのロキティス殿下から、至急のお話があると連絡がまいりました」
「至急……? まさか父上のことが知られたのか?」
「いえ、それは有り得ません。リュドサイオ卿が情報統制を行っております」
 
 ロキティスの意図は不明だが、アトゥリノからの連絡は無視できない。
 叔父が動き出した可能性もある。
 
 少なくとも、ロキティスと叔父は不仲なのだ。
 なにか情報が得られるかもしれないと、手で合図する。
 ベンジャミンが、極秘の通信回線を開いた。
 
「至急の用件だと聞いたが、どうした?」
「実は、昨晩、父が亡くなりました」
「なんだと? 叔父上が亡くなった?」
「はい。なんとか周りを抑え、今は秘匿させております」
「どういうことだ。原因は?」
 
 叔父が病に臥せっているという話は聞いていない。
 突然のことに、なにが起きているのか、予想がつけられずにいる。
 
「それが……毒殺との報告が入っておりまして……」
「毒殺? それで? 首謀者は誰だ? わかっているのか?」
「意図的なものではないようですが……父に毒を飲ませたのは、妹とみて間違いございません」
「ディオンヌが、なぜそんな真似をする? それより、どうやって毒を?」
 
 ディオンヌは帝国におり、アトゥリノには帰っていない。
 幼い頃に国を離れたため、親しい者もいなかった。
 帝国にいながら、毒を盛ることなどできなかったはずだ。
 
「即効性の毒ではなく、少しずつ蓄積する種類のものでした。自らの失態を詫びるため、めずらしい茶葉を贈るという、妹の手紙が添えられていたと侍従から聞いています。医師の見立てでは、体内に入るまで毒性は検知ができず、飲んだ直後は、むしろ、体調が良好になるとのことでした。ですから、父も疑わず、愛飲していたらしいのです」
 
 ティトーヴァは、ベンジャミンに視線を投げる。
 極秘回線だが、ベンジャミンはティトーヴァの側近であるため割り込めるのだ。
 が、ベンジャミンは首を横に振る。
 そんな毒の存在を、ティトーヴァと同じく知らないらしい。
 
「ですが、その茶葉は……おそらく、あの従僕から手に入れたものかと」
「カサンドラの従僕か? なぜ、そう思う」
「一見、普通の茶葉ですが、ラーザでのみ生息していた花で作られておりました。今となっては手に入らないものにございます。それに、実は、もうひとつ……」
「なんだ? 早く話せ!」
「……妹も死にました……」
 
 言葉に、息をのむ。
 ディオンヌを貴賓扱いするのをやめ、宮を移して以来、会っていなかった。
 カサンドラの捜索に必死だったこともあり、完全に放置していたのだ。
 
「妹は、あの従僕と親しかったようです。親密な仲ではなかったでしょうけれど、同じ皇宮内で暮らしていましたし……彼が意図的に近づいていたとしても不思議はありません」
「なぜ、あの男がディオンヌに近づく必要がある?」
「彼は、ラーザの民です、皇太子殿下。カサンドラ王女様が望もうと望むまいと、ラーザの再興を願う者はいるでしょう」
 
 ティトーヴァは、ラーザの技術が帝国を上回っていると、実感している。
 監視室の情報を操作でき、未だにカサンドラを隠しおおせているほどだ。
 もしラーザの民が一斉に蜂起したら、どうなるか。
 帝国を揺るがしかねない事態になるのは、想像に容易い。
 
「思うに……彼は、帝国を混乱させ、カサンドラ王女様を旗印に叛逆を企てているのではないでしょうか。その過程で父が狙われ、妹は利用されたのではないかと……カサンドラ王女様も、自ら逃亡されたのではないのかもしれません」
 
 ぴくっと、ティトーヴァの指先が動いた。
 その可能性については考えていなかったからだ。
 
「拉致された、というのか?」
 
 ロキティスの言葉を、そのまま受け入れるのは危険だと思っている。
 だが、受け入れたいとの気持ちが、ティトーヴァの中にはあった。
 それを見透かしたかのように、ロキティスが背中を押す。
 
「有り得なくはないでしょう? ヴェスキルの継承者との旗がなければ、ラーザの民を動かすことは叶いません。戦車試合の日、私が見る限り、皇太子殿下とカサンドラ王女様は、仲睦まじくあられました」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】名ばかりの妻を押しつけられた公女は、人生のやり直しを求めます。2度目は絶対に飼殺し妃ルートの回避に全力をつくします。

yukiwa (旧PN 雪花)
恋愛
*タイトル変更しました。(旧題 黄金竜の花嫁~飼殺し妃は遡る~) パウラ・ヘルムダールは、竜の血を継ぐ名門大公家の跡継ぎ公女。 この世を支配する黄金竜オーディに望まれて側室にされるが、その実態は正室の仕事を丸投げされてこなすだけの、名のみの妻だった。 しかもその名のみの妻、側室なのに選抜試験などと御大層なものがあって。生真面目パウラは手を抜くことを知らず、ついつい頑張ってなりたくもなかった側室に見事当選。 もう一人の側室候補エリーヌは、イケメン試験官と恋をしてさっさと選抜試験から引き揚げていた。 「やられた!」と後悔しても、後の祭り。仕方ないからパウラは丸投げされた仕事をこなし、こなして一生を終える。そしてご褒美にやり直しの転生を願った。 「二度と絶対、飼殺しの妃はごめんです」 そうして始まった2度目の人生、なんだか周りが騒がしい。 竜の血を継ぐ4人の青年(後に試験官になる)たちは、なぜだかみんなパウラに甘い。 後半、シリアス風味のハピエン。 3章からルート分岐します。 小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。 表紙画像はwaifulabsで作成していただきました。 https://waifulabs.com/

王子妃だった記憶はもう消えました。

cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。 元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。 実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。 記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。 記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。 記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。 ★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日) ●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので) ●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。  敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。 ●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

もう彼女でいいじゃないですか

キムラましゅろう
恋愛
ある日わたしは婚約者に婚約解消を申し出た。 常にわたし以外の女を腕に絡ませている事に耐えられなくなったからだ。 幼い頃からわたしを溺愛する婚約者は婚約解消を絶対に認めないが、わたしの心は限界だった。 だからわたしは行動する。 わたしから婚約者を自由にするために。 わたしが自由を手にするために。 残酷な表現はありませんが、 性的なワードが幾つが出てきます。 苦手な方は回れ右をお願いします。 小説家になろうさんの方では ifストーリーを投稿しております。

ご愛妾様は今日も無口。

ましろ
恋愛
「セレスティーヌ、お願いだ。一言でいい。私に声を聞かせてくれ」 今日もアロイス陛下が懇願している。 「……ご愛妾様、陛下がお呼びです」 「ご愛妾様?」 「……セレスティーヌ様」 名前で呼ぶとようやく俺の方を見た。 彼女が反応するのは俺だけ。陛下の護衛である俺だけなのだ。 軽く手で招かれ、耳元で囁かれる。 後ろからは陛下の殺気がだだ漏れしている。 死にたくないから止めてくれ! 「……セレスティーヌは何と?」 「あのですね、何の為に?と申されております。これ以上何を搾取するのですか、と」 ビキッ!と音がしそうなほど陛下の表情が引き攣った。 違うんだ。本当に彼女がそう言っているんです! 国王陛下と愛妾と、その二人に巻きこまれた護衛のお話。 設定緩めのご都合主義です。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

【完結】長い眠りのその後で

maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。 でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。 いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう? このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!! どうして旦那様はずっと眠ってるの? 唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。 しょうがないアディル頑張りまーす!! 複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です 全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む) ※他サイトでも投稿しております ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

【完結】記憶を失くした貴方には、わたし達家族は要らないようです

たろ
恋愛
騎士であった夫が突然川に落ちて死んだと聞かされたラフェ。 お腹には赤ちゃんがいることが分かったばかりなのに。 これからどうやって暮らしていけばいいのか…… 子供と二人で何とか頑張って暮らし始めたのに…… そして………

処理中です...