いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

思考の基軸 1

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 ロキティスは、アトゥリノにある第1王子宮の私室にいる。
 第1王子宮といっても、本宮からは離れており、広さも使用人の数も、装飾品も「そこそこ」でしかない。
 
 財のアトゥリノ。
 
 そう呼ばれるようになって久しい国の「第1王子」の住む宮にしては、貧相だと言える。
 ほかの国や、自国の民に比べれば悠々自適であることに変わりはないが、ほかの王子、とくに国王の覚えめでたい4人の弟たちの宮とは比較にならない。
 
(いいさ、どうせ、この国は僕のものになる。その日まで、せいぜい楽しむがいい)
 
 アトゥリノは、利で動く。
 征服戦争の折、国王である父が、真っ先に、キリヴァン・ヴァルキアの元に駆けつけたのは、利を感じ取ったからだ。
 にもかかわらず、今では帝位を狙っている。
 
 ロキティスには、それが愚かに思えてならなかった。
 帝位に就く者など、何者であってもかまわない。
 この2年半のように、政務に励まない皇帝なら、なお都合が良かった。
 
 帝位の簒奪さんだつなんて馬鹿馬鹿しい。
 
 帝位についてくるのは権力だけではないのだ。
 権威まで背負うはめになる。
 それを過信して権力を振り回せば、ツケが回ってくるのは間違いない。
 しかも、簒奪となれば、なにがきっかけで反旗を翻されるかわからないのだ。
 
(だからこそ、僕の即位は、簒奪であってはならないのさ。帝国に牙を剥いた、元ラーザの民に父上は殺され、その結果として、でなければね)
 
 王太子に任命こそされていないが、ロキティスは第1王子だった。
 国王が死に、皇太子不在となれば、自然に王位は手に入る。
 なにも難しいことはない。
 ただ、それほど悠長にかまえていられなくなったのが問題だ。
 
 皇帝の命は長くない。
 
 その死が耳に入った途端、父は動き出す。
 自らが帝位に就くため、どんなことでもしようとするだろう。
 同時に、アトゥリノを安定させる意味で、王太子を任命するに違いない。
 そして、ロキティスが任命される可能性は、わずかにもなかった。
 
 以前は、弟たちを始末しようかとも考えていたが、人数が多過ぎるのでやめた。
 全員を始末し終える前に、逆に殺されてしまう。
 疑いの目は、ロキティスに集中するし、擁護する者もいないのだ。
 父ですら、証拠がなくてもロキティスを極刑にするに決まっている。
 
 しかし、ロキティスも、もともと謀反を計画していたのではない。
 王太子との立場が強固だった頃には、アトゥリノをさらに豊かにしようと、国の未来を考えていた。
 変わったのは、父が変わったからだと言える。
 
 父は、妹であるネルウィスタを溺愛していた。
 
 現皇帝の皇后ではなく、側室になることに不満を持っていたほどだ。
 そのため、8年前、ネルウィスタが自死して、人が変わってしまった。
 現皇帝を憎み、恨んでいる。
 帝位を自らのものにしようと考えているのも、ネルウィスタの無念を晴らすためではないかと、ロキティスは、思っていた。
 
 皇太子が、大人しくディオンヌと婚姻していれば、簒奪までは考えなかったかもしれない。
 たいして大事にもしていない娘を差し出したのは、皇太子に対し「その程度」で十分だと考えたからに違いない。
 
(それで、自分が裏で帝国を操れれば、父上は叔母上の仇を取れた気分になれたのだろうさ。私怨で、国まで巻き込むなんて迷惑な話だよ)
 
 父の感情につきあう気はない。
 
 叔母とはいえ、ネルウィスタとは、ほとんど面識がない。
 そんな存在のせいで、今や、王族から疎外されている。
 人生を狂わされたと言っても過言ではなかった。
 だから、ロキティスは、自分の手で、自分が受け取るはずだったものを取り戻すことにしたのだ。
 
(それにしても、あの女が皇宮を逃げ出してくれたのは都合が良かったな。これで捕らえ易くなった。あの女の命が懸かっているとなれば、彼はなんでもやる)
 
 罪人として死なせる前に、少し遊んでおきたい気もする。
 能力のある相手を蹂躙することで、ロキティスは優越感に浸れるのだ。
 
 第1王子として産まれ、次期国王となることが約束付けられていた少年期。
 その未来が崩れて頭を押さえられる立場となり、長く抑圧されていた。
 十年近くも続く鬱屈した日々が、ロキティスを歪めている。
 
(ともかく皇帝が死ぬ前に、片をつけてしまわないとね。従兄弟殿が帝都を空けているということは、まだ時間はありそうだけれど)
 
 考えている最中さいちゅう、身に着けていた腕輪が小さく光った。
 宝石のように見えるが、高性能の通信具なのだ。
 監視室には伝わらないように、作らせている。
 
 金があれば、監視室自体の設計に携わった者を買収するのも難しくはなかった。
 ロキティスは、自由に技術研究ができる費用と場所を提供したに過ぎない。
 帝国では禁じられている研究をしたがる技術者も少なからずいる。
 そして、そういう者は、たいてい「有能」なのだ。
 
「やあ、ゼノ。情報が入ったのかな?」
 
 同じものをゼノクルにも「贈り物」として渡している。
 お揃いだなんてと言い、ゼノクルは身に着けはしなかった。
 だが、きっちりポケットにしまい込んで、持って帰っている。
 ゼノクルのことだから、今も、身につけてはいないのだろう。
 
「なんでわかった?」
「そりゃあ、アトゥリノには来ないからさ」
「だから、リュドサイオに来るってのは、ちっと短絡的過ぎやしねぇか?」
「皇太子が、森狩りをしたのは知ってるだろ? あそこからなら、リュドサイオに抜けるほうが簡単だからね」
 
 通信具なので、声しか聞こえてはいなかった。
 それでも、口調から、ゼノクルが不審をいだいているのは伝わってくる。
 純朴なところはあっても、勘は鋭い。
 事実、ロキティスは、内心を隠していた。
 
 カサンドラは、ラーザに向かう。
 
 どのルートを通っても、行きつく先は、そこしかないと考えていた。
 ならば、最も早く危険の少ない道を選ぶのは当然だ。
 もちろん「彼」がいなければ、到底、そのルートを選びはしなかっただろうが、それはともかく。
 
「それで? 彼女、もうリュドサイオ本国にいるのかな?」
「いるようだ。街でも噂が流れ始めてる」
「へえ。どんな噂?」
「いろいろさ。だいたいは、西に向かってるって話だったぜ? 奴ら、山脈に姿を隠す気なんじゃねぇかな」
 
 リュドサイオは、動力石の採掘で有名な国でもある。
 北東から北西にかけて、大きな山脈が連なっていた。
 リュドサイオの北側を、ぐるりと囲むような形で伸びている。
 言うなれば、リュドサイオの国の果て。
 
「逃げ込まれると厄介なのは確かだね。鉱山に行く道も、険しいのだろ?」
「けど、行けないわけじゃねぇし、奴なら坑夫より楽に行きつけるはずだ」
「西か。なぜ西を選んだと思う?」
「あっちは、まだ採掘が進んでねぇからだな。人の出入りが、ほとんどない」
「隠れるのに、うってつけってわけか」
 
 ゼノクルに話を合わせつつ、頭では別のことを考えていた。
 西に逃げたという噂そのものが怪しいと、ロキティスは、にらんでいる。
 人目をけている逃亡者が、あえて目につく行動をとるはずがない。
 とはいえ、目につかなければ「噂」なんて流れない。
 
 つまり、これは陽動だ。
 
 ゼノクルは、すっかり騙されているが、皇太子はどうだろうか。
 これまでの動きを、逐次、配下に報告させている。
 内容からすると、確実に2人のあとを追っていた。
 皇太子は、目の前の情報に踊らされるほど愚かではない。
 
「ゼノ、僕は、きみほど忠義心は持っちゃいない。けれど、あの女は僕が捕らえ、罰を与えたいと思っている。僕の利になるのはもとより、きみのためにもね」
「どういう意味だ? 罰を与えるなんてできっこねぇだろ」
 
 ゼノクルの考えは、お見通しだ。
 ロキティスに情報を与えながらも、先にカサンドラを保護する。
 協力する「振り」をして、ロキティスの動きを探ろうとしていただけなのだ。
 だが、ロキティスには「切り札」がある。
 
「きみは、お人好しに過ぎるな。あの女がなにをしでかしたか、知らないのか」
「皇宮から逃げたってことなら……」
「違う、違う。ゼノ、あの女は、皇太子殿下との婚約を解消したのだよ。しかも、自分からね。皇命に逆らったのさ」
 
 通信具から返事が聞こえてこない。
 絶句している、というところだろう。
 忠誠心の厚いリュドサイオ人からすれば、信じられないはずだ。
 そして、許せないはずだ。
 
「あの女が……あんな平民出の女ごときが陛下の命に逆らっただと? それなら、リュドサイオが動く理由になる」
「駄目だ、ゼノ。皇太子殿下からの要請もなくリュドサイオが動けば、なにかがあったと帝国全土に知れ渡る。勅命もないのだから、陛下のお立場もなくなるじゃないか。僕の父がつけこむ隙にもなりかねないしね」
 
 またしばし、間が空いた。
 ゼノクルは葛藤しても、ロキティスの導いた結論に達すると予測している。
 そのロキティスに、ゼノクルが言った。
 
「リュドサイオに、アトゥリノの私兵が入る口実を作ってやるぜ、ロッシー」
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