いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

残像の切端 4

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 あれから半日以上が経っている。
 皇宮の敷地内すべてを探させたが、カサンドラは見つかっていない。
 監視室の情報はアテにせず、人を使ったというのに、だ。
 
「敷地も含めれば皇宮は広いと言えます。しかし、これだけの動員数で見つけられないとなると……」
「すでに敷地から出ている、ということになるか」
「おそらく……」
 
 夜が明け、祝宴の翌日になっている。
 とはいえ、人の目をかいくぐりながら皇宮の敷地から出たとなると、短時間での移動と言えた。
 そもそも皇宮の敷地から出るには、検問を通らなければならない。
 
 もちろん真っ先に確認したが、カサンドラは通っていないとの回答がきている。
 これは目視なので、ある程度、信憑性があった。
 必ず1人ずつ目視し、監視室の情報と照合するからだ。
 皇宮内で監視室を欺けても、人の目と同時に欺くことはできない。
 仮に、商人の一団に紛れ込んでいたとしても、そこで見つかっていただろう。
 
「……正規のルートを通っていない……」
 
 考えた時、カサンドラが、やけに「地下牢」にこだわっていたのを思い出す。
 ティトーヴァのつぶやきに、ベンジャミンも気づいたらしい。
 同じことを思い浮かべたようだ。
 
「地下牢の隠し通路、でしょうか」
「あそこしか考えられん」
 
 報告を受けるため、私室に戻っていたが、すぐに立ち上がる。
 カサンドラが敷地の外に出ているのは間違いない。
 もう半日も無駄にしているのだ。
 探し出すのが遅れるほどに、見つけ出すのが困難になる。
 
 なにしろ、彼女の母フェリシアは、帝国にいながら十数年も身を潜めていた。
 父は必死で探しただろうに、見つからなかったのだ。
 なにかしら隠れる手立てを持っているに違いない。
 それを、カサンドラが受け継いでいる可能性はある。
 
 そして、あの従僕が、カサンドラのそばにはいるのだ。
 こちらの動きを予測して、極力、痕跡を残さないように手を打っている。
 確信できるほどには、ティトーヴァも、その有能さを認めていた。
 
「ここだ」
 
 ティトーヴァは、ベンジャミン、それにベンジャミンが呼んだ近衛隊の騎士の面々とともに、地下牢に入る。
 元は、ヴァルキアスが、まだ王国だった頃、王族が密かに逃亡するために作られたものだ。
 当然だが、皇族であるティトーヴァは、隠し通路の場所も知っている。
 壁を押すと、横にずれて通路が現れた。
 
 中は暗く、視界が悪い。
 ベンジャミンの指示で、何名かの騎士が明かりを灯す。
 狭い通路だった。
 2人でも、横並びには歩けない。
 
 先頭に出ようとしたが、ベンジャミンに制される。
 しかたなく退しりぞき、後ろについて歩いた。
 戦闘が見込まれるのであれば、近接型のティトーヴァを前衛、中長距離型のベンジャミンを後衛とするほうが適している。
 しかし、拓けた場所ではないので、初手の1撃を食らう恐れがあった。
 ベンジャミンは、それを気にして前に出たのだ。
 
 腕にした装置を見ながら、ベンジャミンが肩越しに振り向く。
 その装置で、空気中の濃度や成分分析をしていたらしい。
 
「最近、あの壁が開かれたのは間違いございません。空気の中に、2種類の成分が含まれています。壁が開かれた際に、外から中に空気が入りこんだためでしょう」
 
 ベンジャミンの言葉に、ティトーヴァは「やはり」と思う。
 同時に、胸の奥が、ずきりと痛んだ。
 
(カサンドラは、もとより、皇宮を出る心づもりでいたのだな。地下牢に入れると言っても動じなかったのは、そういうことだ)
 
 ティトーヴァが、カサンドラを気にかけるきっかけとなった日。
 あの日には、すでに彼女は皇宮を出るつもりでいた。
 地下牢に入れられるのは、むしろ好都合だったに違いない。
 皇帝との謁見という横槍が入らなければ、あの日、彼女は姿をくらましていた。
 
(もし、そうなっていたら、俺はどうしていたか……これほどに、彼女を探そうとしたか……きっと……おざなりにしか探しはしなかったはずだ……)
 
 自ら姿を消したのならしかたがないと口実をつけ、内心ではカサンドラの行方を気にかけたりはしなかった。
 どちらかと言えば、皇帝にどう説明するかで頭を悩ませていただろう。
 それも、婚約解消届出書があればなんとかなると割り切っていたかもしれない。
 
 本人がサインをしたことで「カサンドラの望みだ」と言えるからだ。
 
 けれど、あの頃とは、なにもかもが変わってしまっている。
 ティトーヴァは書類の存在さえ忘れるくらいに、カサンドラとの婚約の解消など望んではいなかった。
 
(皇命とは関係ないとしながら……皇命があると高を括っていた)
 
 皇命があればこそ、カサンドラから良い返事がいっこうに聞けなくても、不安にならずにいられた。
 彼女とて皇命には逆らえないという思い込みがあったせいだ。
 
 自分の思いつかないことで、人の行動を予測することはできない。
 
 帝国の者なら、誰だって皇命に縛られる。
 ティトーヴァだけではなく、王族や貴族、平民に至るまで、逆らおうとは考えもしない。
 そのため、意識からストンと抜け落ちていた。
 
 カサンドラは、ほかの誰とも違う考えかたを持っていたのに。
 
 自分の傲慢さの証でもある。
 彼女を理解しようとせず、自分勝手に事を押し進めようとした。
 結果が、これだ。
 
 初めて、隣にいてほしいと思えた女性に逃げられている。
 
 それでも、ティトーヴァは歩を進めた。
 あんなふうに終わってしまうのが、嫌だったのだ。
 もっと単純に言えば、カサンドラに、もう1度、会いたかった。
 会っても、どうにもならないかもしれないけれど。
 
(望まれないのはわかっているが……せめて母や俺のしたことを詫びねば……)
 
 その上で、カサンドラに関わることを許してもらいたいと思う。
 我ながら、惨めで、みっともないと感じていた。
 だが、自分の惨めさになどこだわってはいられない。
 できるだけのことをしてみるつもりだ。
 
 彼女に少しでも近づけるのなら、ひざまずいてもいい。
 地べたに這いつくばることさえいとわない。
 
 ティトーヴァは、自分が深みにはまっていると、気づいている。
 両親と同じにはなりたくないと思ってきたにもかかわらず、たった1人の女性の存在が、その思想を打ち砕いたのだ。
 
 カサンドラに切り捨てられた今でさえ、願ってしまう。
 彼女を守り、幸せにしたいと。
 
「殿下、こちらの道に進みましょう」
 
 ベンジャミンの声に、ハッとなった。
 ただ前に進むことしか考えていなかったティトーヴァの前で、道が左右と中央に分岐している。
 ベンジャミンが選んだのは、左方向。
 帝都の裏側に位置する街に出る道だ。
 
「裏街への出口は3ヶ所ございますが、長距離になり過ぎる道は選ばないでしょう。こちらが追うとは予測していなかったとしても、女性の身で、この通路に長くとどまることはけたいはずです」
 
 隠し通路は、非常に狭い。
 呼吸するのに支障はないが、圧迫感がある。
 自然と、早く外に出たいとの心理は働くだろう。
 歩き出すベンジャミンの後ろを追いかけて、足を止めた。
 
「待て、ベンジー」
 
 ベンジャミンの言うことは、もっともだ。
 ティトーヴァも、同じように考えている。
 だが、カサンドラは、自分たちとは「同じ」考えを持っていない。
 それに。
 
「あの従僕は手練れだ。必ず、俺たちの裏をかこうとする」
「……確かに。彼であれば、街の危険性を計算に入れて行動しそうですね」
「あの時の光もそうだが、奴には特殊な能力があるとみて間違いない。少なくとも監視室の情報を操る力は持っている」
「でしたら、監視室より人の目を危険と捉えるでしょう」
 
 パッと、顔を右方向に向ける。
 狩猟地として残された「森」に繋がる道だ。
 森は監視室により人の出入りが見張られているが「人の目」はない。
 
「森だ。まだ、そう遠くには行っていない」
 
 春になると、狩猟が盛んになる。
 各地の王族がこぞって狩猟祭を開催するため、かなりの広さがあった。
 半日やそこいらで、足場の悪い森を抜けられるとは考えにくい。
 あの従僕だけならともかく、カサンドラがいる。
 
「俺たちは、このまま進む。だが、地上にいる者も動員しろ」
「かしこまりました」
 
 すぐに近衛に属する騎士団が動くだろう。
 どの方角に向かっているのかは不明だが、数にものを言わせて、森中を探させることはできる。
 ティトーヴァは、念のため、ベンジャミンに指示を追加した。
 
「見つけても、けして傷つけてはならん。くれぐれも丁重にと伝えておけ」
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