いつかの空を見る日まで

たつみ

文字の大きさ
上 下
37 / 300
第1章 彼女の言葉はわからない

結果の是非 1

しおりを挟む
 
「あれ? あれれ?」
 
 カサンドラが、周囲を見回している。
 なにかに気づいたように、ティトーヴァのほうに顔を向けた。
 軽く首をかしげている。
 その姿に、思わず、口元に笑みが浮かんだ。
 なんとなく、カサンドラの気分が緩んでいるように感じられる。
 
「ベンジーは?」
 
 その呼びかたに、少しイラっとした。
 が、自分の手の中に、カサンドラの手があることで、気分が和らぐ。
 小声でティトーヴァの耳に囁いてくるのも心地良かった。
 演技も疲れるのだろう、気兼ねのない言葉遣いで話したいらしい。
 
「帝国の代表だ」
「え? 帝国も参加するんだ?」
「当然だろう。帝国主催の試合だぞ」
「そうだけどさ。不利なんじゃない? いや、そうでもないのか。帝国相手だと、周りが気を遣ってくれるよね」
「そんなことはない。これに国の威信がかかっているというのは、そうした気遣いが無用だからだ」
 
 基本的には、国の大小や上下に関わらず、対等な立場で戦う。
 属国が直轄国に従う必要はないのだ。
 規則上では、そうなっている。
 
「でもさ、それだとアトゥリノが統治権を持ってる従属国は、アトゥリノの代表を蹴落としてもいいってことになるけど……」
「お前の考えている通りだな」
「だろうね」
 
 属国は、直轄国を勝利に導くように動くのが常だった。
 そして、同じ属国同士では、いかに自国が直轄国の勝利に貢献したかが重要となる。
 今後の優遇措置に関わるのだから、これもまた命懸けだ。
 
「つまり、アトゥリノは5人で戦うわけか」
 
 アトゥリノが統治権を持っているのは4つの国、それとアトゥリノの代表であるルディカーンを含めると5人になる。
 同じく、リュドサイオは4人。
 
「それじゃ、デルーニャは? フィッツと3人で戦う……わけないよなぁ」
「デルーニャは、毎年、代表も含め帝国につく。帝国が4人で戦う構図だ」
「てことは、今年は、ベンジーとデルーニャの2人で、3人が帝国側の陣営になるじゃん。アトゥリノだけで5人もいるのに、フィッツは不利もいいとこだよ」
「アトゥリノはともかく、リュドサイオは手出ししないはずだ。ベンジーにも言い含めてある。アトゥリノ以外の2陣営は気にせずともよい」
 
 カサンドラが銅色の瞳に、ティトーヴァを映していた。
 顔が近づいていることに気づいて、心臓の鼓動が速くなる。
 今日の彼女は、ひと際、美しかった。
 いつもの姿が美しくないのではないが、身なりを整えた分だけ、美しさが増している。
 
 ディオンヌが用意していたらしきお仕着せのドレスは、カサンドラには似合っていなかった。
 故意ではあったのだろうが、贅を尽くしてはあっても品のないものばかりだったのだ。
 しかし、今日は、シンプルなデザインが、上品さを引き立てているドレスを身につけている。
 服飾、宝飾、美容と、皇宮ご用達の者を集め、厳しく言い聞かせておいた効果に違いない。
 
 もし、カサンドラを侮っているとティトーヴァが感じたら、出入り禁止にすると伝えてあった。
 しかも、ティトーヴァが、直々に申し渡したので「伝達漏れ」などという言い訳も通用しない。
 ディオンヌとのつきあいもある者たちだったため、念には念を入れたのだ。
 
「へえ、本当にセウテルを説得してくれてたんだ」
「すると言っただろう」
「そうだけどさ。セウテルは、私のこと嫌いみたいだから、あれこれ口実をつけて逃げるんじゃないかって思ってた」
「配下の1人も抑えつけられんようでは、次の皇帝にはなれん」
 
 次の瞬間、ティトーヴァの心臓が大きく跳ねた。
 周囲の音も遠ざかる。
 
 くすくすという小さな笑い声だけが耳に響いていた。
 
 カサンドラが笑っている。
 どうしてかはわからないし、どうでもよかった。
 演技ではなく、掛け値なしの笑顔であることに、大きく心を揺さぶられている。
 ここが公の場だというのも忘れた。
 
 無意識に、ぐっと体を乗り出す。
 そして、顔を近づけた。
 ティトーヴァの瞳の中で、カサンドラが大きくなる。
 心臓が、とくとくと鼓動を速めていた。
 
「ちょっと……くっつき過ぎだよ」
 
 ぺんっと、軽く腕を叩かれ、正気に戻る。
 カサンドラのしかめた顔に、渋々、体を離した。
 体が少し熱い。
 
(彼女は俺の婚約者だ。俺のものに、口づけをしてはならん理由など……)
 
 ティトーヴァは、自分の考えに、またもや混乱する。
 カサンドラに口づけようとしていたことに、気づいていなかったからだ。
 
(危うかった……危うく人前で……いや、人目など気にすることはない……だが、カサンドラに平手を……それは手を押さえれば……ああ、いや、違う……)
 
 カサンドラが抵抗しても、押さえつけるのは簡単だろう。
 とはいえ、無理に口づけるなんて倫理に反する。
 それに、と思った。
 
 絶対に嫌われる。
 
 それを、ティトーヴァは、無関心よりマシだとは考えられない。
 嫌われたくない、と思ってしまったのだ。
 混乱はおさまっていないが、わかったことがあった。
 
 自覚していたよりも遥かに、カサンドラに惹かれている。
 
 だから、嫌われたくない。
 今以上に、良い関係を築きたい。
 ほかの誰よりも親密な存在になりたい。
 
 握った手のぬくもりに、どきどきする。
 
 なんでもないと思っていたことが、なんでもなくなっている。
 ティトーヴァとて25歳の成人した男だ。
 女性とベッドをともにしたこともある。
 皇命で、カサンドラが婚約者になったあとの2年間は「清廉」な生活をしているものの、それはよけいな憶測を避けるために過ぎなかった。
 カサンドラを尊重したのではない。
 
 婚約者がいようと、王族や貴族は、女性との関係を続けることもある。
 だが、政敵から足元をすくわれる危険性も伴っていた。
 関係を持つ相手を間違えれば、皇太子の座を手放すことにもなりかねない。
 
 加えて、ティトーヴァが女性関係を清算したのは、危険を冒してまで、欲に執着する必要を感じていなかったからでもある。
 皇帝が皇后に夢中になり、政務をおろそかにしていたため、忙しかったし。
 
 なのに、手を握っているだけで、どきどきしていた。
 隣にいるカサンドラを意識せずにはいられない。
 
 どうかしている。
 
 自分でも思うのだが、自制しようとしてもできないのだ。
 頭の中が、ぐるぐるしていた。
 
 この場からカサンドラを連れて、私室に戻りたい。
 口づけを交わし、邪魔なドレスを剥ぎ取りたい。
 そして。
 
「始まるみたい。みんな、出て来たよ。フィッツは、と……あそこだ」
 
 ぐるぐるが、ピタリと止まる。
 本当に「どうかしている」と思った。
 心を揺さぶる感情を、真剣に、必死で抑えこむ。
 そのために、名残惜しかったが、カサンドラの手を離した。
 直接的な肌の感触に耐えられそうになかったのだ。
 
「あそこを回るだけなんだよね?」
「そうだ。レーンを周回して、最初に到達した者が勝利者となる」
 
 努めて平静を装い、競技の流れを話す。
 操縦者たちが、楕円をしたレーンに横並びに揃っていた。
 そろそろ開始の合図が鳴る。
 胸のうちに、惜しいような、救われたような、不可解な感覚があった。
 
「何回?」
「3周目が最後だな。その際、同時とみなされた場合は、その者たちだけで、1周して勝負をつける」
「周回してる間に攻撃してくるんだろうけど、どんな攻撃?」
「見ていればわかるだろう」
 
 そっと、カサンドラから体を離す。
 近づきたいのはやまやまだが、近過ぎるのは危険だ。
 自分でも、自分がなにをしでかすか、わからない。
 なにせ「自制」が効かなくなっているのだから。
 
「事前に知っとけば驚かなくてすむのにさ。別にいいけど」
 
 つんっと、カサンドラが、そっぽを向いてしまう。
 慌てて言い訳をしたくなるのを我慢した。
 言い訳しようにも、口にできる言い訳がない。
 
 お前と密着しているとベッドに連れて行きたくなる、とは。
 
 ティトーヴァは、自分自身に落胆する。
 こんな不甲斐ない部分があるとは思いもしなかった。
 大層に情けない気分だ。
 
 レーンのほうを見ているカサンドラを、横目でちらり。
 あの日と同じく、凛としている。
 思わず、頬に手を伸ばしかけた。
 その時、場内で操縦者の紹介が始まり、歓声が沸き起こる。
 
(こうなってはしかたがない。認めるさ。俺は、彼女が好きなのだ。惚れている。この想いは……今宵の宴のあと、ベッドで伝えるとしよう)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】名ばかりの妻を押しつけられた公女は、人生のやり直しを求めます。2度目は絶対に飼殺し妃ルートの回避に全力をつくします。

yukiwa (旧PN 雪花)
恋愛
*タイトル変更しました。(旧題 黄金竜の花嫁~飼殺し妃は遡る~) パウラ・ヘルムダールは、竜の血を継ぐ名門大公家の跡継ぎ公女。 この世を支配する黄金竜オーディに望まれて側室にされるが、その実態は正室の仕事を丸投げされてこなすだけの、名のみの妻だった。 しかもその名のみの妻、側室なのに選抜試験などと御大層なものがあって。生真面目パウラは手を抜くことを知らず、ついつい頑張ってなりたくもなかった側室に見事当選。 もう一人の側室候補エリーヌは、イケメン試験官と恋をしてさっさと選抜試験から引き揚げていた。 「やられた!」と後悔しても、後の祭り。仕方ないからパウラは丸投げされた仕事をこなし、こなして一生を終える。そしてご褒美にやり直しの転生を願った。 「二度と絶対、飼殺しの妃はごめんです」 そうして始まった2度目の人生、なんだか周りが騒がしい。 竜の血を継ぐ4人の青年(後に試験官になる)たちは、なぜだかみんなパウラに甘い。 後半、シリアス風味のハピエン。 3章からルート分岐します。 小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。 表紙画像はwaifulabsで作成していただきました。 https://waifulabs.com/

王子妃だった記憶はもう消えました。

cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。 元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。 実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。 記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。 記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。 記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。 ★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日) ●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので) ●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。  敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。 ●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

もう彼女でいいじゃないですか

キムラましゅろう
恋愛
ある日わたしは婚約者に婚約解消を申し出た。 常にわたし以外の女を腕に絡ませている事に耐えられなくなったからだ。 幼い頃からわたしを溺愛する婚約者は婚約解消を絶対に認めないが、わたしの心は限界だった。 だからわたしは行動する。 わたしから婚約者を自由にするために。 わたしが自由を手にするために。 残酷な表現はありませんが、 性的なワードが幾つが出てきます。 苦手な方は回れ右をお願いします。 小説家になろうさんの方では ifストーリーを投稿しております。

ご愛妾様は今日も無口。

ましろ
恋愛
「セレスティーヌ、お願いだ。一言でいい。私に声を聞かせてくれ」 今日もアロイス陛下が懇願している。 「……ご愛妾様、陛下がお呼びです」 「ご愛妾様?」 「……セレスティーヌ様」 名前で呼ぶとようやく俺の方を見た。 彼女が反応するのは俺だけ。陛下の護衛である俺だけなのだ。 軽く手で招かれ、耳元で囁かれる。 後ろからは陛下の殺気がだだ漏れしている。 死にたくないから止めてくれ! 「……セレスティーヌは何と?」 「あのですね、何の為に?と申されております。これ以上何を搾取するのですか、と」 ビキッ!と音がしそうなほど陛下の表情が引き攣った。 違うんだ。本当に彼女がそう言っているんです! 国王陛下と愛妾と、その二人に巻きこまれた護衛のお話。 設定緩めのご都合主義です。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

処理中です...