いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

吹けば飛ぶで良しとす 2

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 ドアが開いた音に、カサンドラは顔をそちらに向ける。
 フィッツの入ってくる姿に、ホッとした。
 皇太子と2人きりなのは、気詰まりだったのだ。
 会話はあっても、楽しくはない。
 
「おかえり、フィッツ」
「遅くなり、すみません」
 
 深々と頭を下げるフィッツに、立ち上がって駆け寄った。
 皇太子の隣に座っているのも、精神的な負担になっている。
 ただ座っているだけで、疲れてしまうのだ。
 
 とはいえ、皇太子は昼食をすませるまで帰らない。
 それは、わかっていた。
 料理ができないと言えば、皇宮から持って来させただろうし。
 
 その間、座っているのが嫌だからと言って、室内を歩き回るのもおかしい。
 最悪なのは、歩き回る自分のあとを皇太子がついて歩きかねないことだった。
 考えると、我慢して座っているほうがマシだと判断し、じっとしていたのだ。
 だが、フィッツが帰ってきたので、立ち上がる「口実」ができている。
 
「どうだった? なにかされた?」
 
 訊いたカサンドラに、フィッツが首を横に振った。
 幸い、なにもされなかったらしい。
 と、思ったのだけれども。
 
「ルディカーン・ホルトレを蹴りました」
「蹴った?」
「はい。2度ほど蹴りました」
 
 冷静な口調で言うフィッツに、少し笑いたくなる。
 律儀と言うべきか、忠義に厚いと言うべきか。
 フィッツは、彼女の「やっちゃいな」を「真摯に」実行したのだ。
 ただし、ちゃんと手加減もしたらしい。
 蹴とばしただけですませたのなら上出来と言えた。

(なにか嫌なことでも言われたか、されたかしたんだろうね。言い返せとは言ったけど、フィッツの場合、言い返すっていうより、先に体が動きそうだよなぁ)
 
 自分で言っておきながら、改めて考えると想像がつかない。
 フィッツが口喧嘩をする姿を、思い浮かべられなかった。
 
「奴は反撃しなかったのか?」
 
 皇太子が会話に割り込んで来る。
 フィッツと並び、視線を皇太子に向けた。
 なにやら、驚いているようだ。
 
「反撃する間は、与えていません」
「しかし、ルディカーンは、剣において右に出る者がいない強者つわものだぞ」
「剣は使わせていませんので、強者かどうか不明です」
「そうか……丸腰で奴を制圧したのだな」
「私は日常的に武器を所持していません。必要があれば奪いますが、必要とは感じませんでした」
 
 フィッツは、淡々と答える。
 皇太子は興味深そうにしていたが、どう戦ったのかに、彼女は興味がなかった。
 フィッツに怪我がなくてなによりだと思っている。
 自分のために「叩きのめされる」など、あってはならない。
 
「しかし、これで奴に目をつけられたな」
「もうつけられてるよ」
「すでに目をつけられています」
 
 2人から同時に言われ、皇太子が気まずそうに視線をそらせた。
 ディオンヌとの婚姻問題でカサンドラが目をつけられ、結果、フィッツに飛び火しているとの自覚があるのだ。
 
「今度の戦車試合に参加することになった?」
「はい。そのようなことを言われました」
「一応、訊くけど……大丈夫?」
「なにも問題はありません」
「相当数の者に囲まれることになるぞ」
「問題ありません」
 
 即答するフィッツに、皇太子が肩をすくめる。
 その仕草に、誰のせいだと、少し苛とした。
 
「カサンドラの言う通り、心配する必要はないようだ」
 
 皇太子が言った時だ。
 フィッツが、こちらを向く。
 そして、本当に微かに口元を緩ませた。
 間近で見ていなければ気づかない程度の笑みだ。
 
(ん? フィッツ、喜んでる?)
 
 普通は「心配される」のを喜ぶのではなかろうか。
 心配されていないことに喜ぶ理由が理解できない。
 だが、フィッツは、少々、頭がイカレているので、気にせずにおく。
 フィッツの喜怒哀楽の基準を理解しようとしても無駄だろうから。
 
「姫様、そのことで、ひとつ、お願いがあります」
「なに?」
「当日は、競技場に来てください」
「観戦しろってこと?」
 
 こくり。
 
 フィッツが、重要そうに、うなずいた。
 そうか、と思う。
 当日は、逃亡計画実行日だ。
 
(まだ私に置いて行かれると思ってんだな、こいつは……)
 
 動くのなら2人で動きたい。
 フィッツは、そう考えているのだろう。
 競技に参加中、カサンドラが1人で逃亡し、置いて行かれるのが不安なのだ。
 あれほど「置いて行かない」と言ったのに。
 
「それならば心配ない。カサンドラは、俺と観戦することになっているからな」
 
 承諾した覚えはない。
 
 だが、フィッツの頼みを叶えるのなら、承諾しておくのが正解となる。
 カサンドラが1人で競技場に足を運ぶより、皇太子に同行したほうが不自然ではないからだ。
 皇太子の隣から、いつ姿を消すかが、課題にはなるけれども。
 
「お前は、デルーニャの代表として参加するのだろう?」
「そのようです」
「だが、国の威信など関係ない。カサンドラの誇りのために戦え」
「やめて、そういうこと言うの」
 
 カサンドラのためというのは、フィッツにおける「スイッチ」だと知っている。
 言われなくても、いつだって「カサンドラのため」をやっているのだ。
 言われれば、いよいよ、その傾向が強くなるに違いない。
 
 彼女は「カサンドラのために」なんて望んではいなかった。
 そのせいで、フィッツが命を懸けたりするのは、嫌だと思っている。
 
「フィッツ、優勝する必要なんてないからね。自分が怪我しないことだけを考えて動くんだよ? わかった?」
「わかりました、姫様」
 
 本当にわかっているのか、納得しているのか。
 なんとなく心もとなくはあった。
 フィッツは、カサンドラの命令に「絶対服従」ではない。
 優先すべきと考えたことの前では、従わないこともあるのだ。
 
 カサンドラの誇りと、自らの命と。
 
 フィッツの天秤が、どちらに傾くかは明白だった。
 それでも「死んだら守れない」のほうを、フィッツは優先させる気がする。
 だから、信じることにした。
 
「心配していない割に、消極的なことを言うのだな」
「ただでさえ、目をつけられてるからね。これ以上、状況を悪化させて、いいことなんかある? 誰のせいだと思ってるんだよ」
 
 ぴしゃりと、冷たく言い返す。
 また皇太子が視線をそらせた。
 反論できないのなら、そもそも言わなければいい。
 
 最も簡単に事態を好転させる方法を、皇太子は知っている。
 ディオンヌと婚姻すればいいだけだ。
 が、皇太子は、そうとは言わず、別の提案をしてくる。
 
「では、こうしよう。リュドサイオ側に、その者に手出ししないよう伝えておく。そうすればアトゥリノと、その下についている国だけに集中できよう」
「リュドサイオの代表は誰? セウテル? あんたの言うこと聞くの?」
「財のアトゥリノ、忠のリュドサイオと言われていてな。リュドサイオは、皇帝の命を絶対としている。伝えかた次第で、俺の言うことでも聞かせることはできる」
 
 皇太子の言葉は、自信に満ちていた。
 それで気づく。
 
(皇命で婚約者になった私に手を出すのは、皇帝に逆らうも同然……てことか)
 
 皇帝への忠義が厚いのであれば、その道理も通じるはずだ。
 もちろん、カサンドラがセウテルに頼んでも無視されるだろうが、皇太子からの言葉となれば無視もできない。
 おそらく、そういうことだと理解する。
 
「まったく……あんたがディオンヌと婚姻すればすむ話なのにさぁ」
「それはできんと言ったではないか」
「ああ、そうですか、はいはい」
 
 皇太子と婚姻する日など、百万年経っても訪れはしない。
 彼女は、逃亡することしか考えていないのだ。
 気づかれて阻止されるのを防ぐため、適当にあしらっているに過ぎなかった。
 皇太子に対し、悪いなどとは1ミリたりとも思っていない。
 
「フィッツ、お腹空いた。とりあえず、お昼にしようよ」
「すぐにご用意します」
 
 フィッツが胸に手をあて、恭しく会釈する。
 その姿も、もう見慣れたものになっていた。
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