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後日談
躊躇う2人
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アシュリーは、ほうっと小さく息を吐く。
今年も、もうあと半月。
その前には、ローエルハイド公爵家恒例の大掃除が待っていた。
そして、そのさらに半月後に、彼女は16歳になる。
14歳で、アシュリーはアドラントにやって来た。
その時は、自分が、ローエルハイド公爵の婚約者だから呼び寄せられたと、思いこんでいたのだ。
だから、別の男性に心惹かれていることに、ほんの少しだが悩んだこともある。
けれど、アシュリーの婚約者は、ローエルハイド公爵ではなかった。
公爵は、彼女を1度も「自分の婚約者」だと言ったことはない。
教えられれば、確かにそうだ。
あえて誤解させられていたのだとしても、結果として、アシュリーは、望む愛を手にしている。
この2年近く、ローエルハイドの勤め人として働きつつ、毎日、本当の婚約者と一緒にいられるのを、幸せを感じていた。
彼は、ローエルハイドの執事をしているのだ。
勤め人たちのまとめ役であり、屋敷のことを、常に把握している。
アシュリーに任されているのは、主にメイドの仕事だが、2年の間に屋敷内での様々な役割を学んでいた。
それは、今後、アシュリーが、コルデア侯爵夫人となった際の、実質的な知識と経験になるだろう。
ともに働くことで、勤め人たちが、どのように協力し合い、効率的に動いているかが、良く分かった。
なにも知らない子爵家令嬢のままだったなら、とても屋敷の切り盛りなんてできなかったはずだ。
「アドラントの生活も、ほとんど元通りね」
「最初の1年は、厳しい状況もありましたが、ようやく落ち着いてまいりました」
アシュリーは、婚約者であるところのジョバンニ・コルデアの私室にいる。
アドラントの財政状況については、彼から聞いて、少しずつ理解を深めていた。
2人で外出し、街の状態を確認することもある。
けして「デート」ではない。
もっとも婚約者とのお出かけで、真面目な話ばかりとはいかなかったが、それはともかく。
今は小ホールのソファで、テーブルを挟み、向かい合って2人は座っていた。
お互い書類を手に、内容を確認し合っているのだ。
最近では、ジョバンニの仕事をアシュリーが補佐する姿もめずらしくなくなってきている。
「商人の力というのは、侮れないものなのね。2年前の、あの飢饉かと思うような有り様にはゾッとしたわ」
「アドラント王族の食糧支援がなければ、飢えに苦しむ民も、少なからずいたことでしょう。支援要請に応じたのは皇女殿下と彼女を推している王族だけでしたが」
「私が、ジェレミー様にお願いしたから……」
2年前。
ローエルハイドと商人カウフマンとの間で、民の目には見えない戦争があった。
アドラントを手に入れ損なったカウフマンは、嫌がらせとばかりに、アドラントへの食糧供給を押さえたのだ。
商人を介して本国からもたらされる様々な品での生活に、アドラントの民たちは完全に依存していた。
それが一気に取り上げられ、市場も閑散となる始末。
日々のパンを作るための小麦でさえ、手に入りにくくなった時期があったのだ。
見かねたアシュリーは、公爵に、どうにかならないかと相談をもちかけている。
その結果が、アドラント王族からの支援だった。
「旦那様は、気にされてはおられませんよ」
「でも、サマンサ様に無用なご心配をさせたのではないかしら」
「心配なさっていたとしても、あのかたなら旦那様に直にお聞きになられたかと」
アシュリーは、赤褐色の髪と瞳の婚約者に視線を向けた。
相変わらず、アシュリーの目には、素敵な男性に見える。
とはいえ、彼は、公爵の妻サマンサに対しては、いつまで経っても手厳しい。
嫌っているわけではないらしいのだが、ソリが合わないのだそうだ。
(サマンサ様は、私には、とても良くしてくださるし、お優しいかたなのに)
アシュリーは、2人に好感をいだいている。
そのため、なぜ「仲良く」できないのかが不思議でならない。
良い関係になってくれればいいのに、と思っている。
できれば、アシュリーがコルデア侯爵家に移る前までには。
アシュリーは、ひと月もすれば16歳。
ロズウェルド王国では、自らの意思で、何事も決められる歳とされている。
とはいえ、彼との婚約は政略的なものではない。
お互いの気持ちの上に成り立っていた。
2年経っても、アシュリーの気持ちは変わらずにいる。
ただし、変わったこともあった。
14歳の頃なら平気でできていたことが、年々、できなくなっている。
恥ずかしいと思うことも増えていた。
「お疲れになりましたか、アシュリー様」
これも問題だ。
彼は気軽な口調で話しかけてくれないし、「様」も、なかなか取ってくれない。
いつも丁寧で、腰が低かった。
そもそも、彼は幼い頃のアシュリーの世話役。
時々、その関係性が、今も彼を縛っているのではないかと思えてしまう。
2年前には、考えもせずにいたことだ。
ただただ、彼を好きだと思っていて、彼から向けられている想いが嬉しかった。
アシュリーは、彼の心を疑ってはいない。
だが、もっと距離を縮めたくてたまらなくなる。
すでに婚姻をしている、公爵とサマンサのように。
2人は、傍目から見ると、仲がいいのか悪いのかわからないところがあった。
けれど、アシュリーからすれば、お互いが愛し合っているのは一目瞭然。
ちょっぴり言い争ったり、サマンサが公爵の脛を蹴飛ばしたりできるのは、互いの気持ちを信じているからだ。
それを羨ましいと感じることもある。
アシュリーも、少しずつ大人になっていた。
幼い頃のように、なんでも疑問を口にすることはできない。
彼の反応を気にするようになったからだ。
我儘を言うみたいで、気後れすることもある。
彼が躊躇うようなそぶりを見せると、それ以上は望めなくなってしまうのだ。
「平気よ、このくらい」
ジョバンニと婚姻すればコルデア侯爵夫人となり、屋敷の女主人となる。
公爵の側近としての仕事が、ジョバンニの主な仕事なのだ。
屋敷だけではなく、領地の管理もできるだけのことはしようと思っている。
ジョバンニの負担を少しでも軽くしたかった。
長く頼りきりになっていたので、これから先は彼を支えられる自分でありたい。
そう考えている。
ただ、自分の未熟さにも自覚があり、もっと学ばなければ、とも思っていた。
「今までも、それほど領地管理に、力は入れておりません。ですが、これといった問題も起きていませんから、そう心配されることはないのですよ?」
「でもね、ジョバンニ。前みたいな状況になった時に、もっと適切な対処ができるようにしておきたいって、考えずにはいられないの。アドラントは穏やかで平和、みんなが笑っていられるほうがいいわ」
ジョバンニは、公爵の側近だ。
公爵が力をふるえば、その罪をジョバンニも背負う。
だとしても、アシュリーは、そのジョバンニの罪を分かち合いたかった。
なるべくなら、そもそもの罪を軽減したくもある。
そのためには、アドラントを守らなければならない。
強い想いを胸に秘めつつ、ジョバンニに微笑みかけた。
とたん、ジョバンニが、わずかに視線をそらせる。
これも最近よく増えた出来事だ。
どうしてなのか、アシュリーにはわからず、いつも戸惑う。
「アシュリー様……そろそろ遅くなってまいりました。続きは明日にしましょう」
ジョバンニが立ち上がった。
アシュリーも、しかたなく立ち上がる。
もっと2人だけで過ごしたかったのだが、ジョバンニには仕事が山積みだ。
我儘は言えないと、小ホールを後にする。
今年も、もうあと半月。
その前には、ローエルハイド公爵家恒例の大掃除が待っていた。
そして、そのさらに半月後に、彼女は16歳になる。
14歳で、アシュリーはアドラントにやって来た。
その時は、自分が、ローエルハイド公爵の婚約者だから呼び寄せられたと、思いこんでいたのだ。
だから、別の男性に心惹かれていることに、ほんの少しだが悩んだこともある。
けれど、アシュリーの婚約者は、ローエルハイド公爵ではなかった。
公爵は、彼女を1度も「自分の婚約者」だと言ったことはない。
教えられれば、確かにそうだ。
あえて誤解させられていたのだとしても、結果として、アシュリーは、望む愛を手にしている。
この2年近く、ローエルハイドの勤め人として働きつつ、毎日、本当の婚約者と一緒にいられるのを、幸せを感じていた。
彼は、ローエルハイドの執事をしているのだ。
勤め人たちのまとめ役であり、屋敷のことを、常に把握している。
アシュリーに任されているのは、主にメイドの仕事だが、2年の間に屋敷内での様々な役割を学んでいた。
それは、今後、アシュリーが、コルデア侯爵夫人となった際の、実質的な知識と経験になるだろう。
ともに働くことで、勤め人たちが、どのように協力し合い、効率的に動いているかが、良く分かった。
なにも知らない子爵家令嬢のままだったなら、とても屋敷の切り盛りなんてできなかったはずだ。
「アドラントの生活も、ほとんど元通りね」
「最初の1年は、厳しい状況もありましたが、ようやく落ち着いてまいりました」
アシュリーは、婚約者であるところのジョバンニ・コルデアの私室にいる。
アドラントの財政状況については、彼から聞いて、少しずつ理解を深めていた。
2人で外出し、街の状態を確認することもある。
けして「デート」ではない。
もっとも婚約者とのお出かけで、真面目な話ばかりとはいかなかったが、それはともかく。
今は小ホールのソファで、テーブルを挟み、向かい合って2人は座っていた。
お互い書類を手に、内容を確認し合っているのだ。
最近では、ジョバンニの仕事をアシュリーが補佐する姿もめずらしくなくなってきている。
「商人の力というのは、侮れないものなのね。2年前の、あの飢饉かと思うような有り様にはゾッとしたわ」
「アドラント王族の食糧支援がなければ、飢えに苦しむ民も、少なからずいたことでしょう。支援要請に応じたのは皇女殿下と彼女を推している王族だけでしたが」
「私が、ジェレミー様にお願いしたから……」
2年前。
ローエルハイドと商人カウフマンとの間で、民の目には見えない戦争があった。
アドラントを手に入れ損なったカウフマンは、嫌がらせとばかりに、アドラントへの食糧供給を押さえたのだ。
商人を介して本国からもたらされる様々な品での生活に、アドラントの民たちは完全に依存していた。
それが一気に取り上げられ、市場も閑散となる始末。
日々のパンを作るための小麦でさえ、手に入りにくくなった時期があったのだ。
見かねたアシュリーは、公爵に、どうにかならないかと相談をもちかけている。
その結果が、アドラント王族からの支援だった。
「旦那様は、気にされてはおられませんよ」
「でも、サマンサ様に無用なご心配をさせたのではないかしら」
「心配なさっていたとしても、あのかたなら旦那様に直にお聞きになられたかと」
アシュリーは、赤褐色の髪と瞳の婚約者に視線を向けた。
相変わらず、アシュリーの目には、素敵な男性に見える。
とはいえ、彼は、公爵の妻サマンサに対しては、いつまで経っても手厳しい。
嫌っているわけではないらしいのだが、ソリが合わないのだそうだ。
(サマンサ様は、私には、とても良くしてくださるし、お優しいかたなのに)
アシュリーは、2人に好感をいだいている。
そのため、なぜ「仲良く」できないのかが不思議でならない。
良い関係になってくれればいいのに、と思っている。
できれば、アシュリーがコルデア侯爵家に移る前までには。
アシュリーは、ひと月もすれば16歳。
ロズウェルド王国では、自らの意思で、何事も決められる歳とされている。
とはいえ、彼との婚約は政略的なものではない。
お互いの気持ちの上に成り立っていた。
2年経っても、アシュリーの気持ちは変わらずにいる。
ただし、変わったこともあった。
14歳の頃なら平気でできていたことが、年々、できなくなっている。
恥ずかしいと思うことも増えていた。
「お疲れになりましたか、アシュリー様」
これも問題だ。
彼は気軽な口調で話しかけてくれないし、「様」も、なかなか取ってくれない。
いつも丁寧で、腰が低かった。
そもそも、彼は幼い頃のアシュリーの世話役。
時々、その関係性が、今も彼を縛っているのではないかと思えてしまう。
2年前には、考えもせずにいたことだ。
ただただ、彼を好きだと思っていて、彼から向けられている想いが嬉しかった。
アシュリーは、彼の心を疑ってはいない。
だが、もっと距離を縮めたくてたまらなくなる。
すでに婚姻をしている、公爵とサマンサのように。
2人は、傍目から見ると、仲がいいのか悪いのかわからないところがあった。
けれど、アシュリーからすれば、お互いが愛し合っているのは一目瞭然。
ちょっぴり言い争ったり、サマンサが公爵の脛を蹴飛ばしたりできるのは、互いの気持ちを信じているからだ。
それを羨ましいと感じることもある。
アシュリーも、少しずつ大人になっていた。
幼い頃のように、なんでも疑問を口にすることはできない。
彼の反応を気にするようになったからだ。
我儘を言うみたいで、気後れすることもある。
彼が躊躇うようなそぶりを見せると、それ以上は望めなくなってしまうのだ。
「平気よ、このくらい」
ジョバンニと婚姻すればコルデア侯爵夫人となり、屋敷の女主人となる。
公爵の側近としての仕事が、ジョバンニの主な仕事なのだ。
屋敷だけではなく、領地の管理もできるだけのことはしようと思っている。
ジョバンニの負担を少しでも軽くしたかった。
長く頼りきりになっていたので、これから先は彼を支えられる自分でありたい。
そう考えている。
ただ、自分の未熟さにも自覚があり、もっと学ばなければ、とも思っていた。
「今までも、それほど領地管理に、力は入れておりません。ですが、これといった問題も起きていませんから、そう心配されることはないのですよ?」
「でもね、ジョバンニ。前みたいな状況になった時に、もっと適切な対処ができるようにしておきたいって、考えずにはいられないの。アドラントは穏やかで平和、みんなが笑っていられるほうがいいわ」
ジョバンニは、公爵の側近だ。
公爵が力をふるえば、その罪をジョバンニも背負う。
だとしても、アシュリーは、そのジョバンニの罪を分かち合いたかった。
なるべくなら、そもそもの罪を軽減したくもある。
そのためには、アドラントを守らなければならない。
強い想いを胸に秘めつつ、ジョバンニに微笑みかけた。
とたん、ジョバンニが、わずかに視線をそらせる。
これも最近よく増えた出来事だ。
どうしてなのか、アシュリーにはわからず、いつも戸惑う。
「アシュリー様……そろそろ遅くなってまいりました。続きは明日にしましょう」
ジョバンニが立ち上がった。
アシュリーも、しかたなく立ち上がる。
もっと2人だけで過ごしたかったのだが、ジョバンニには仕事が山積みだ。
我儘は言えないと、小ホールを後にする。
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