若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ

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幸せの途方 2

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 リビーの目が、とても痛い。
 日に日に、痛くなってくる気がする。
 だが、まだ少しも慣れないのだ。
 
「リビー、私は、条件通り、口も手も出していないよ?」
「そうですね。口や手は出していないですね」
「それなら、そういう目で見なくてもいいじゃないか」
「ジョバンニの視線が、うるさいからですよ」
 
 ぐ、と言葉に詰まる。
 とはいえ、心配なものは心配だった。
 アシュリーは、今まで1度も働いたことがない。
 ちょっとしたことで怪我をするかもしれないのだ。
 働き始めて、まだ7日も経っていないのだし。
 
「ご自分の仕事をなさったら、いかがですか?」
「ちゃんと仕事はしているさ。みんなの仕事ぶりを監督するのも、私の役目だ」
「監督ねえ」
 
 非常に疑わしげな目で見られる。
 もちろん、監督でないことは、ジョバンニも、よくわかっていた。
 なにしろ、アシュリーの行くところについて回っている。
 姿を消して見守ろうかとも思ったのだが、あまりに怪し過ぎる気がしてやめた。
 
「姫様の、お茶の飲まれかたは完璧です。それは茶器の扱われかたも、知っておられるということです。ですから、監督など不要です」
 
 アシュリーは、今、茶器の手入れをしている。
 手つきは悪くないが、うっかりすることもあるだろう。
 茶器が壊れるのはいい。
 が、壊れた茶器にさわって、アシュリーが怪我をするかもしれない。
 そういう、いちいちが、ジョバンニは心配でならないのだ。
 
「私は大丈夫だから、心配しないで」
「ですが、ひ……」
「姫様も、こう仰っておられます」
 
 リビーが、あからさまに、あっちへ行けと、手振りをする。
 そう言われても離れがたい。
 今となっては、ジョバンニのほうが距離感がわからなくなっていた。
 同じ勤め人同士として接したことがないからだ。
 
「ジョバンニが見ていると、逆に姫様がうっかりされるかもしれませんよ」
「それは……あるかも……」
 
 ちらっと、アシュリーがジョバンニに視線を投げてくる。
 少し照れくさそうに、頬を染めていた。
 う…と、また言葉に詰まる。
 が、リビーに、ぴしゃりとやられた時とは異なる詰まりかただ。
 
 小さい頃から、アシュリーは可愛かった。
 産まれた時には、すでに可愛かったといっても過言ではない。
 可愛らしい、愛らしい、としか思ったことがないくらいに。
 
(未だに……お嬢様が、私に想いを寄せてくださっているのが信じられないが……)
 
 アシュリーの表情を見ていると、なにか胸にぎゅっとくる。
 気づいて、ジョバンニも気恥ずかしい気分になった。
 
 ぱんぱん!
 
 手を叩く大きな音に、びくっとする。
 アシュリーも、ハッとしたように、止まっていた手を動かし始めた。
 リビーが半眼で、ジョバンニを冷たく見つめている。
 
「時間があるのでしたら、ご自分の屋敷に帰られてはいかがですか? 最小限の勤め人しか置いていないのでは、どのようなことになっているやら」
「いや、しかし、私には、こちらでの仕事が……」
「しているように見えないから言っているんです」
「それはないさ。自分で言うのは気が引けるが、私は優秀なのだよ?」
「その優秀さを無駄にしているようですね。2年後は、姫様もあちらで生活なさるのですよ? 荒れ放題では、姫様が苦労なさいます」
 
 リビーの言葉に、はたとなった。
 言われてみれば、そうかもしれない。
 ジョバンニは、公爵の計らいで、男爵家の爵位停止を解除されただけではなく、侯爵にまで引き上げられている。
 
 これまで、爵位など気にしたことはなかった。
 あくまでも、ローエルハイドが下位貴族を持つという、形を整えるためのものに過ぎないと思っていたからだ。
 言うなれば、ただの飾りだと判断していた。
 
 だが、実際に、アシュリーと婚姻すれば、彼女は侯爵夫人となる。
 社交も、まったくしないというわけにはいかないかもしれない。
 ローエルハイド自体は、社交には身を入れていないが、それでも外せない夜会がなくもないのだ。
 王族が主催する夜会だとか。
 
(確かに、あのさまでは、まずいな。魔術道具も、ひと通り揃えておかなければ、お嬢様にご負担をおかけしてしまう……)
 
 爵位とともに、ジョバンニにも屋敷が与えられている。
 とはいえ、屋敷に帰ることは、ほとんどなかった。
 雇っている勤め人も通いであり、住み込みの者はいない。
 庭師もおらず、まさに荒れ放題なのだ。
 
「ローエルハイドの下位貴族だろうと、コルデア侯爵家のご当主様でしょうに」
「リビー、きみの言うことは正しい」
「知っています」
 
 ジョバンニの頭の中に、勤め人の雇い入れに人員配置、魔術道具の準備などが、目まぐるしく思い浮かんでくる。
 新しく雇い入れた者には教育も必要だ。
 
「私は、やりませんよ?」
「まだ、なにも言っていないが」
「教育係を任されるのはごめんだという話です。私は、姫様付きのメイドであってメイド長ではございません。ちなみに、メイド長をやるつもりもありませんから」
 
 アシュリーが、不意に、ぴたっと手を止める。
 2人のやりとりには慣れているからか、こういう場合、あまり会話に入っては来ないのだ。
 中立、という立場を取っている。
 
「でも、リビー。メイド長のほうが……ほら、給金とか高いのじゃない?」
「だとしても、姫様のお世話をさせていただくほうが、私には価値があるのです」
「いいの? 私は嬉しいけれど……」
「私は、姫様のお世話をするのが好きなのですよ」
 
 アシュリーの嬉しそうな表情に、もやっとした。
 1番の難敵は、リビーかもしれない。
 お互いに「世話焼き」という属性も被っている。
 しかも、リビーの言うことは、いつも概ね正しいのだ。
 
「では……ここは、きみに任せて、私は屋敷に戻ってみるよ」
「そう言いながら、姿を消して佇んでいたりしません?」
「それは大丈夫よ、リビー。私ね、ジョバンニが姿を消していても、なんとなく、わかるの。ジェレミー様は、ちっともわからないのに不思議ね」
 
 ジョバンニは、アシュリーの言葉に驚いていた。
 魔術師相手であれば、たとえ姿を消していても、魔力感知に引っ掛かる。
 そのため、存在が露見することは驚くに値しない。
 だが、アシュリーは魔力持ちではなかった。
 魔力感知なんてできるはずがないのだ。
 
「なにか、おかしなものが、だだ洩れているのでしょう」
「おかしなものって?」
「それは、もちろん下ごこ……」
「リビー! 私は屋敷に戻る。戻るから、そういう話はしないでほしい」
 
 リビーが軽く肩をすくめ、了承の意思を示す。
 やはり強敵だ。
 ジョバンニは大きく息をつき、アシュリーに視線を向けた。
 きょとんとしている表情に、自然と苦笑が浮かぶ。
 
 実際のところ、ジョバンニは下心などいだいていない。
 むしろ、アシュリーにふれるのでさえ、恐々こわごわといった感じになっていた。
 世話役としてなら、いくらでも抱きしめられたのに、婚約者となると意識してしまうのだ。
 アシュリーを怖がらせてしまわないか、とか。
 
「それでは、行ってまいります。すぐに帰りますね」
「行ってらしゃっい、ジョバンニ」
 
 にっこりされ、微笑み返す。
 そして、将来、アシュリーと暮らす自らの屋敷に転移した。
 中を、ぐるっと見回して、膝が崩れそうになる。
 
「…………リビー……きみは、正しい……」
 
 ローエルハイドの屋敷より小さいが、子爵家より遥かに広い屋敷。
 ほとんど帰ることがなかったので気にもしていなかった。
 
「これほど……荒れ放題になっていたとは……」
 
 到底、アシュリーには見せられない。
 その日から、ジョバンニは、夜通し「屋敷大改造計画」に頭を使うことになる。
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