若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ

文字の大きさ
上 下
47 / 64

背中だけが 3

しおりを挟む
 ジョバンニが、ジョバンニだった。
 
 そのことで胸がいっぱいになっている。
 なぜ忘れていたのかを、アシュリーは自覚していない。
 
 あの日、彼女が最後に見たのは、ジョバンニの悲痛な表情だった。
 自分の血ではあったのだが、真っ赤に染まった彼の姿に、誤解をしている。
 彼が死んでしまったと思ったのだ。
 それが、あまりに悲しくて、彼女は記憶からすべてを消し去っている。
 
 早くジョバンニに帰ってきてほしかった。
 思い出したことを話したかったからだ。
 ジョバンニが生きていたとわかり、本当に嬉しかった。
 
 とはいえ、心配して集まってくれた勤め人のみんなを放置することはできない。
 アシュリーは食堂で夕食を取っている。
 街に出て以降、なにも口にしていなかったのだ。
 ジョバンニのことは気掛かりだが、食べながら待つことにした。
 
「ホント、姫様に、なにもなくて良かったですよ」
 
 マークの言葉に、周囲がうなずく。
 アシュリーが食事中も、みんな、テーブルの近くから離れようとせずにいた。
 うっすら、なにかに気づいているのかもしれない。
 リビーは、お互いにさらわれたことについて話してはいないようだったけれども。
 
「買い出しに出てたら、街で風船が爆発したって話を聞いたんで、そりゃあもう、びっくりしましてね」
 
 そう言ったのは、ワットだ。
 だから、何事かあったと気づいたのだろうと、アシュリーは納得する。
 確か、ジョバンニは「ふうせん」が爆発するのは、稀だと話していた。
 たまたまアシュリーが街に出ていた日に「事故」が起こるなんて不自然だ。
 なにかあったと思っても、おかしくはない。
 
「まったく、旦那様も、こんな時にあの女と旅行だなん……」
「マークッ!!」
 
 ミレーヌが大きな声を出す。
 アシュリーは、びっくりしただけだったが、周りは気まずげだ。
 公爵の話を持ち出したマークは、ひどく決まりが悪そうな顔で口を閉じている。
 アシュリーは、きょとんとして首をかしげた。
 
「お2人は、サハシーにでも行かれているの?」
 
 公爵は、高位の貴族だ。
 高位の貴族と言えば、旅行はサハシー。
 そんな思い込みが、アシュリーの中にはある。
 
「あ~……サハシーではないみたいですね」
「そうなのね。ロズウェルドに住んでいるのに、私は観光地を知らないから」
 
 てっきり、そうだと思った。
 と、アシュリーは軽い気持ちで言ったのだけれども。
 
(どうしたのかしら……みんな、顔を見合わせているけれど……)
 
 なにか変なことを言ってしまったのだろうか。
 下位の貴族とはいえ、自分は子爵家の令嬢だ。
 観光くらいしたことがあって当然とも言える。
 そのため、いぶかしがられているのかもしれない。
 アシュリーは、慌てて言い訳を口にした。
 
「お父さまたちが旅行好きで、いつもお屋敷を空けていたの。だから、私が留守を守っていて、それで、あまり外には出ていなかっただけよ。でもね、アドラントに来られたから、普通の旅行をするより、ずっと良かったわ」
「姫様…………」
 
 言い訳が言い訳にならなかったようだ。
 みんな、しんみりしてしまっている。
 だが、そんな中、マークが声を上げた。
 
「アドラントは観光地じゃないすけど、見るとこはたくさんあるんです! 今度、あちこち見て回りましょうよ!」
「そうですね! その時は、僕も馬車を出しますから!」
「食事をご用意して、ピクニックもいたしましょうね!」
 
 急に、みんなが張り切り出す。
 マークもワットもミレーヌも、料理長までもが「それなら自分が腕をふるう」と意気込んでいた。
 
 ここは、あたたかい。
 
 みんなが、こうやってグイグイ来てくれるので、距離を取らずにすむ。
 それに「ピクニック」との響きには、心惹かれるものがあった。
 昔は、ジョバンニと、あの森で、よくピクニックをしていたからだ。
 楽しい光景を想像することで、嫌な記憶が書き換えられていく。
 にっこりして、うなずいた。
 
「お待たせいたしました」
 
 声に、かたんっとイスから立ち上がる。
 一応は、人目を気にして、抱き着くのはやめておいた。
 食堂にジョバンニが入ってくる。
 
 ジョバンニだ、と思った。
 
 髪と目の色は違うけれど、確かに「ジョバンニ」だ。
 思い出してしまえば、見間違えるはずがない。
 持っている雰囲気で、わかる。
 
「みんな、悪いが、私は姫様に少し話しておかなければならないことがあってね」
 
 ジョバンニの言葉に、みんながアシュリーに声をかけながら、それぞれの役割に戻って行った。
 アシュリーもジョバンニと一緒に自室に戻る。
 周りを、きょろきょろしたが、リビーはついて来ていなかった。
 
 リビーには、かつての自分とジョバンニのことを話しておきたい。
 ジョバンニが嫌がらなければ、だけれども。
 
「ジョバンニ、あのね」
「姫様……」
 
 ジョバンニと2人になったら話そうと思っていたことを口に出しかけたのだが、言葉を止める。
 彼の表情が変わっていることに気づいたからだ。
 
「ハインリヒを殺しました」
「え……? え……? あの……えっと……あの……」
「姫様の従兄弟、ハインリヒ・セシエヴィルを、私は殺してきたのです」
 
 あまりの衝撃に、頭が思考を停止させる。
 ジョバンニの赤褐色に変わった瞳を、じっと見つめた。
 働かない頭が、ひとつだけ結果を伝えてくる。
 
 ハインリヒは死んだ。
 
 ジョバンニが殺したらしいが「殺す」ということ自体、アシュリーにとっては、とても非現実的だった。
 彼女の日常からは、遠く離れた場所にある。
 手をくだされる側になったことはあった。
 
 あの夏の日、アシュリーは殺されかけた。
 ジョバンニもだ。
 
 けれど、逆は、なぜか想像すらしたことがない。
 思い出した今でさえ、あの魔術師に復讐したいとは考えてもいなかったのだ。
 
「じょ……ジョバンニ……大好きよ……」
 
 意味がわからない。
 ただ、そう言いたかった。
 
 ジョバンニが、とても悲しい目をしていたからかもしれない。
 人殺しを是とはしていなかったが、それでも彼を抱きしめたくなる。
 怖いとは、少しも思わなかった。
 
「姫様のためではありませんよ? 危険な人物だと判断したので、排除したに過ぎないのです」
 
 理由なんて関係ない、と思う。
 よくわからないけれど、ジョバンニが傷ついている気がするのだ。
 1人ぼっちで立っているように見える。
 
 あの頃、いつも2人は、2人ぼっちだった。
 
 彼は彼女を1人にはしなかったし、彼女も同じ。
 今も、その気持ちは残っている。
 彼を1人にはしたくない。
 自分たちは「いつだって2人」なのだから。
 
「ジョバンニ……大好き……」
 
 アシュリーは、両手を差し出す。
 けれど、ジョバンニは抱きしめ返してはくれない。
 むしろ、1歩、後ろに退がった。
 
「私の汚れた手でふれるべきではないかと。私は、姫様に、そう仰っていただけるような者ではございませんので。どうか……」
 
 スッと、ジョバンニが体を翻し、部屋から出て行く。
 また背中だ。
 
 ジョバンニは、そうやって背中を見せ、自分の元からいなくなる。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……

buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。 みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……

ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。

光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。 昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。 逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。 でも、私は不幸じゃなかった。 私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。 彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。 私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー 例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。 「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」 「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」 夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。 カインも結局、私を裏切るのね。 エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。 それなら、もういいわ。全部、要らない。 絶対に許さないわ。 私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー! 覚悟していてね? 私は、絶対に貴方達を許さないから。 「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。 私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。 ざまぁみろ」 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめる事にしました 〜once again〜

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【アゼリア亡き後、残された人々のその後の物語】 白血病で僅か20歳でこの世を去った前作のヒロイン、アゼリア。彼女を大切に思っていた人々のその後の物語 ※他サイトでも投稿中

【書籍化・取り下げ予定】あなたたちのことなんて知らない

gacchi
恋愛
母親と旅をしていたニナは精霊の愛し子だということが知られ、精霊教会に捕まってしまった。母親を人質にされ、この国にとどまることを国王に強要される。仕方なく侯爵家の養女ニネットとなったが、精霊の愛し子だとは知らない義母と義妹、そして婚約者の第三王子カミーユには愛人の子だと思われて嫌われていた。だが、ニネットに虐げられたと嘘をついた義妹のおかげで婚約は解消される。それでも精霊の愛し子を利用したい国王はニネットに新しい婚約者候補を用意した。そこで出会ったのは、ニネットの本当の姿が見える公爵令息ルシアンだった。書籍化予定です。取り下げになります。詳しい情報は決まり次第お知らせいたします。

不貞の末路《完結》

アーエル
恋愛
不思議です 公爵家で婚約者がいる男に侍る女たち 公爵家だったら不貞にならないとお思いですか?

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!

ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。 退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた! 私を陥れようとする兄から逃れ、 不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。 逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋? 異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。 この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?

処理中です...