若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ

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素足の庭で 2

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 深夜に目が覚めた。
 室内は心地いい、快適な温度が保たれている。
 屋敷や敷地内は、どこもこういう具合だ。
 雇われ魔術師がいる屋敷ではめずらしくないそうだが、子爵家は魔術師を雇っていなかった。
 そのため、夏は暑く、冬は寒い、という中で過ごしてきている。
 
 魔術師が苦手だったのと同じで、どういうわけか、アシュリーは夏が苦手だ。
 暑いから、との理由ではない。
 気温が高くなるだけで、毎日は、さして変わりなかった。
 なのに、どうにも気が滅入る。
 夜中に目を覚ますことも、しばしばあった。
 
 だが、今年は例年になく、気分が良かったのだ。
 夜中に目を覚ましたのも、今夜が初めてだった。
 やはり、気温とは無関係だったらしい。
 ベッドで体を起こし、アシュリーは泣きたくなるような気持ちを抑えつける。
 
(夢を見ていたのは覚えているのに、いつも思い出せない……)
 
 夢を見ていたこと自体は、感覚が残っていた。
 けれど、目が覚めると、どんな夢だったのかが、まるきり思い出せないのだ。
 ひどく胸苦しくて、落ち着かない。
 泣きたくなるのは、夢が思い出せないもどかしさからかもしれない、と思う。
 
 とはいえ、どれだけ頑張っても思い出せないのは、わかっていた。
 夏が来るたび、繰り返し夢を追い続けてきたからだ。
 なにか残ってはいないかと、目をつむり、朝まで考えたこともある。
 そのどれもが、失敗に終わっていた。
 
(いっそ、夢を見たってことも忘れていればいいのに)
 
 思いはするが、それだけは忘れられない。
 感覚が消えてくれないのだ。
 そういうこともあって、夏になると、憂鬱になる。
 この屋敷なら大丈夫だと思っていたので、がっかりした。
 
 大きく溜め息をつき、アシュリーはベッドから降りる。
 しばらく眠れそうにないと感じ、気分転換をすることにした。
 どうせ夢のことを、あれこれ考えてしまうのだ。
 じっとしているより、中庭でも散歩していたほうが、まだ気がまぎれる。
 
(こんな時間に、ジョバンニやリビーを呼ぶのは迷惑よね)
 
 あえて「呼び鈴」は使わず、そっと部屋を出た。
 誰かと鉢合わせしたら、正直に「眠れないので散歩」と言えばいい。
 起きていた人であれば、付き添ってもらうにしても、それほど迷惑にはならないだろうし。
 
 階段を降り、小ホールに向かう。
 誰とも鉢合わせず、小ホールに入った。
 そこから、ガラス戸を開き、中庭に出る。
 素足に、短い芝の感触が、くすぐったかった。
 
 空には雲がなく真っ黒だったが、月と星が辺りを照らしている。
 昼間ほどではないにしても、周囲は比較的よく見えた。
 アシュリーは、中庭をのんびりと歩いて行く。
 その視線の先に、ぼんやりと建屋があった。
 
 サマンサのいる「離れ」だ。
 
 なんとなく、そちらに向かって歩を進める。
 深夜、親密な関係にある男女が睦み合っている可能性のある時間だ。
 だが、アシュリーは、公爵がサマンサの元を訪れているかもしれない、とまでは考えてもいなかった。
 というより、考えが及ばずにいた。
 
 彼女にとって、男女のいとなみなど、貴族教育上のものでしかない。
 婚約や婚姻に実感がないのと同様、身近なものとして捉えられずにいる。
 いずれ起こり得ることだとしても、想像すらしていなかった。
 
 ぼんやりとしていた建屋が、はっきりとした形で見えてくる。
 本邸より小さいとはいえ、子爵家より大きい。
 爵位の差が、これほどの違いをもたらすのかと、改めて驚いていた。
 財においてもローエルハイドが別格だと、アシュリーは知らないので。
 
「……アシュリー様?」
 
 声に、小さく声を上げて飛び上がる。
 建屋を見上げていたため気づかなかったが、向かい側に人影が見えた。
 近づいてくる人影が、サマンサだとわかる。
 アシュリーとは違い、艶めかしい寝間着の上に薄いショールを羽織っていた。
 もちろん素足でもない。
 
「どうなさったのですか? このような夜更けに……」
「あ、あの……」
 
 自分の格好が恥ずかしくて、いたたまれなくなる。
 そのせいで、しどろもどろになり、言葉がうまく出てこない。
 
 子供っぽいワンピースの寝間着に、素足。
 
 しかも、深夜の徘徊だ。
 どう説明すればいいものか、思い浮かばなかった。
 たとえ眠れなかったとしても、外を素足で徘徊するなど、頭がおかしくなったと思われてもしかたがない。
 
「もしかして……」
 
 サマンサが、サッと顔色を変える。
 そして、アシュリーの肩に手を乗せてきた。
 少しかがみこむようにして、顔をのぞきこんでくる。
 ひどく心配そうな顔に、頭がおかしくなったと思われたかと不安になった。
 
「彼に酷いことをされたのではないでしょうね?」
 
 言いながら、サマンサは、アシュリーの首筋や胸元を調べるように視線を走らせてくる。
 袖をまくられ、腕も確認しているようだ。
 わけがわからず、アシュリーはされるがままになっている。
 
「ああ、良かった……体は、なんともなくて……では、彼に酷いことを言われたのでしょう? 身勝手で皮肉屋で冷酷で、人を平気で傷つける男ですもの」
 
 いったい誰のことを言っているのかが、曖昧だった。
 サマンサの言葉で、アシュリーに思い浮かぶのは、ハインリヒだけだ。
 だが、ハインリヒは、ここにはいない。
 もしかすると、サマンサは、夜会でハインリヒに会ったのだろうか。
 それで、心配してくれているのかもしれない、と思う。
 
「少し怖い思いはしましたけれど、ジョバンニが助けてくれたので大丈夫でした」
 
 サマンサの気遣いが嬉しくなって、アシュリーは、にっこりして言った。
 のだけれども。
 
「ジョバンニ? あの執事?」
「はい? はい。そうです、執事のジョバンニです」
「そう……あの執事、思ったより、言いなりではないのね……」
 
 サマンサは、なにか1人で納得したようにうなずいている。
 
「でも、良いことですわ。味方をしてくれる人がいて、アシュリー様も心強いことでしょう。ですが、それなら、なぜこちらに……?」
「ね、眠れなくて……」
 
 ついフラフラと散歩に出た、とは言えなかった。
 また少し恥ずかしくなり、もじもじしてしまう。
 そのアシュリーの手を、サマンサが握ってきた。
 
「では、私と同じですね。私も眠れなくて、外に出てきたのです」
「そうなのですか……あ! でも、私は……夢見が悪くて目が覚めてしまって、そのあと眠れなくなってしまったのです」
「夢見が……なにか悩まれておいでとか?」
「夢の内容を覚えていないので……よくわからないのです」
 
 アシュリーは、いよいよ恥ずかしくなって、曖昧に笑う。
 サマンサに笑われるかもしれない、と思ったのだ。
 だが、サマンサは、笑うというより、微笑みを浮かべる。
 
「中でお茶でもいかがでしょう? お帰りの時には履物も、お貸しいたしますわ」
「よろしいのですか?」
「眠れない者同士という……」
 
 サマンサが、言いかけた言葉を止めた。
 アシュリーは、きょとんとなる。
 
「姫様に、なにをされておられるのですか?」
 
 硬くて冷たい声に、びくっとなった。
 ハインリヒに対しての時と同じだ。
 それがジョバンニの声だと気づいている。
 アシュリーが振り向く前に、ジョバンニは彼女の前に立っていた。
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