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選択肢の外 1
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ジョバンニは、アシュリーとハインリヒの間に立っている。
背中から、アシュリーの怯えと恐怖が伝わっていた。
怒りからだろう、顔を赤くしているハインリヒを冷ややかに見つめる。
「彼女に、安易に、ふれないでいただきたい」
「アシュリーは私の従姉妹です」
「だから?」
「親族に無礼を働いているのは、あなたのほうでしょう」
「それで?」
「私は、公爵様の婚約者の親族だとわかっているのですかっ?」
代理風情が。
そう言いたいのは、わかった。
ハインリヒは、元々が感情を制御するのが、さほど上手くない。
かつて子爵家にいたことのあるジョバンニは、それを知っている。
本来は、人目があろうと、すぐに怒りを爆発させるような奴なのだ。
とはいえ、ここはラウズワース公爵家の敷地内。
騒ぎを起こせば不利になると、必死で自制しているのだろう。
しかし、いかんせん頭が悪い。
自らの言葉に矛盾があることにも気づいていないようだった。
「彼女が、あなたが仰る通りのお立場だと理解しておられるのであれば、いかにご親族であれ、自重すべきでは?」
「公爵様は、親族が軽く肩にふれる程度もお許しならない狭量なかただというのですね? 私は、てっきりもっと器の大きなかただと思っていましたよ。なにしろ夜会に婚約者と愛妾を同伴させるくらいですから」
ぴくっと、ジョバンニの眉が吊り上がる。
下品な揶揄に、いっそうハインリヒに対する侮蔑の念が広がった。
ローエルハイドは貴族らしくない貴族だ。
だが、貴族たちが公爵になにも言えずにいるのは、魔術師的な要素ばかりではない。
公の場で、公爵は誰よりも貴族然としている。
そのため、彼らは隙をつくどころか、称賛しさえするのだ。
サマンサのことにしても同じだろう。
貴族が愛妾をかかえるなど、めずらしくともなんともない。
ただ、正式な「妻」との立場ではない者を夜会に同伴するのは外聞が悪いとされているため、できないだけなのだ。
正妻や側室も含め、周囲の目を気にしている。
それに比べ、公爵は、あまりにも堂々としていた。
なにが悪いと言わんばかりの態度を取っている。
ジョバンニとて、諸手を上げて賛成してはいなかった。
アシュリーの立場が悪くなるのではと心配したからだ。
だが、貴族らは、公爵の堂々たる姿勢に、羨望のまなざしを向けている。
男性貴族は、自らもあのように振る舞えたらと想像し、女性貴族は、あのように扱ってもらえるなら愛妾でもいいのでは、と夢想しているのだ。
公爵の振る舞い次第で、外聞の悪さなど簡単に消し飛ぶ。
それが、ハインリヒには、わかっていない。
人を見る目がないわけではないのに、己の感情に振り回され、正しい判断ができなくなるのも、ハインリヒの欠点だった。
自らの利点を活かす方法を知らない馬鹿者だと、ジョバンニは思っている。
「あなたは公爵様の代理という盾を使って大きな顔がしたいのでしょうが、そのようなことをなされば、公爵様の品格を貶めるだけですよ」
公爵の名を盾としているのは、ハインリヒのほうだ。
ジョバンニの頭を押さえつけたつもりでいるのが伝わってきて、呆れる。
「あなたは、おわかりになってらっしゃらないようですね」
「なにがだ」
「私が公爵様の代理だということを、ですよ」
「だから、それを盾に……」
「まだ、おわかりにならない?」
ジョバンニは、身につけていた手袋を、わざとゆっくり外していく。
視線は、ハインリヒに向けたままだ。
「公爵様は騎士の称号を持っておられます。ええ、たいていの貴族の男は持っていると、あなたもご存知でしょう?」
1本1本、指先を引っ張り、時間をかける。
ハインリヒの顔色が変わっていた。
ジョバンニの意図に気づいたからだ。
頭が悪いといっても、そこまで馬鹿ではなかったらしい。
「当然、あなたも騎士の称号は、お持ちかと?」
ハインリヒの喉が、不自然に上下している。
額には冷や汗が浮かんでいた。
「よろしいのですか? 外し終えた手袋を私がどうするか、お考えになられては?」
じりっと、ハインリヒが後ずさる。
その間にも、ジョバンニは手袋を少しずつ引っ張っていた。
もう手の甲が半分見えている。
「繰り返しになりますが、私は公爵様の代理です。当然のことながら、公爵様の騎士の称号は飾りではありません。代理である私も同等と見做していただきたい」
ジョバンニが手袋を外す直前、ハインリヒが、バッと背を向けた。
アシュリーのほうを振り返りながらも走り去る。
ハインリヒの「騎士の称号」が、飾りなのはわかっていた。
辛抱強さを微塵も持たない者に「本物」が手に入れられるはずがない。
「少しは闘うそぶりを見せるかと思いましたがね」
呆れながら、ジョバンニは手袋をはめなおす。
騎士の称号を持っている者が手袋を投げつけられた場合、選択肢は2つ。
拾うか、拾わないか、だ。
拾えば「決闘」に応じたことになる。
どちらかが命を失うと、稀に私戦となる場合もあった。
私戦とは下位貴族も巻き込んでの、家同士の紛争で、それぞれの勤め人もが報復の対象とされる。
とはいえ、ハインリヒが手袋を拾う可能性は限りなくゼロだと判断していた。
己のことしか考えていない奴が、自らの命を危うくするわけがない。
だからこそ、ハインリヒは逃げたのだ。
手袋を投げつけられた上で「拾わない」との選択をする屈辱から。
「じょ……ジョバンニ……」
かぼそい声に、ジョバンニは振り返る。
アシュリーが両手を胸の前で握り込んでいた。
よほど恐ろしかったのだろう。
体が小刻みに震えている。
「姫様、もう大丈……」
ジョバンニの言葉が、途中で止まった。
アシュリーが手をほどき、その両手をジョバンニに差し出してきたのだ。
見た瞬間、駆け寄る。
そして、アシュリーの小さな体を抱き締めた。
「大丈夫、大丈夫ですよ……姫様」
お嬢様。
言葉が喉まで出かかるのを、堪える。
アシュリーは、あの日のことも、ジョバンニのことも忘れているのだ。
思い出してほしくもない。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私が……私が、離れたり、したから……」
「いいえ、私が遅過ぎたのですよ。姫様が、どこにおられようと、必ず私がお傍にまいります。お待たせすることのないよう、これからは気をつけますね」
ぎゅっとしがみついてくる体を抱きしめ返す。
4年前よりは大きくなっているが、それでもまだ、小さくてか弱い。
あの日は守り切れなかった。
公爵が現れなければ、2人とも死んでいた。
無力だった。
だが、今度こそ守ると、守り切ってみせると、心に誓う。
生きるも死ぬも、どうでもよかったジョバンニに、生きる楽しみを与えてくれたのはアシュリーだ。
寒さしか感じられなかった世界で、たったひとつの暖かな光。
彼女は、ジョバンニの、おひさまなのだ。
背中から、アシュリーの怯えと恐怖が伝わっていた。
怒りからだろう、顔を赤くしているハインリヒを冷ややかに見つめる。
「彼女に、安易に、ふれないでいただきたい」
「アシュリーは私の従姉妹です」
「だから?」
「親族に無礼を働いているのは、あなたのほうでしょう」
「それで?」
「私は、公爵様の婚約者の親族だとわかっているのですかっ?」
代理風情が。
そう言いたいのは、わかった。
ハインリヒは、元々が感情を制御するのが、さほど上手くない。
かつて子爵家にいたことのあるジョバンニは、それを知っている。
本来は、人目があろうと、すぐに怒りを爆発させるような奴なのだ。
とはいえ、ここはラウズワース公爵家の敷地内。
騒ぎを起こせば不利になると、必死で自制しているのだろう。
しかし、いかんせん頭が悪い。
自らの言葉に矛盾があることにも気づいていないようだった。
「彼女が、あなたが仰る通りのお立場だと理解しておられるのであれば、いかにご親族であれ、自重すべきでは?」
「公爵様は、親族が軽く肩にふれる程度もお許しならない狭量なかただというのですね? 私は、てっきりもっと器の大きなかただと思っていましたよ。なにしろ夜会に婚約者と愛妾を同伴させるくらいですから」
ぴくっと、ジョバンニの眉が吊り上がる。
下品な揶揄に、いっそうハインリヒに対する侮蔑の念が広がった。
ローエルハイドは貴族らしくない貴族だ。
だが、貴族たちが公爵になにも言えずにいるのは、魔術師的な要素ばかりではない。
公の場で、公爵は誰よりも貴族然としている。
そのため、彼らは隙をつくどころか、称賛しさえするのだ。
サマンサのことにしても同じだろう。
貴族が愛妾をかかえるなど、めずらしくともなんともない。
ただ、正式な「妻」との立場ではない者を夜会に同伴するのは外聞が悪いとされているため、できないだけなのだ。
正妻や側室も含め、周囲の目を気にしている。
それに比べ、公爵は、あまりにも堂々としていた。
なにが悪いと言わんばかりの態度を取っている。
ジョバンニとて、諸手を上げて賛成してはいなかった。
アシュリーの立場が悪くなるのではと心配したからだ。
だが、貴族らは、公爵の堂々たる姿勢に、羨望のまなざしを向けている。
男性貴族は、自らもあのように振る舞えたらと想像し、女性貴族は、あのように扱ってもらえるなら愛妾でもいいのでは、と夢想しているのだ。
公爵の振る舞い次第で、外聞の悪さなど簡単に消し飛ぶ。
それが、ハインリヒには、わかっていない。
人を見る目がないわけではないのに、己の感情に振り回され、正しい判断ができなくなるのも、ハインリヒの欠点だった。
自らの利点を活かす方法を知らない馬鹿者だと、ジョバンニは思っている。
「あなたは公爵様の代理という盾を使って大きな顔がしたいのでしょうが、そのようなことをなされば、公爵様の品格を貶めるだけですよ」
公爵の名を盾としているのは、ハインリヒのほうだ。
ジョバンニの頭を押さえつけたつもりでいるのが伝わってきて、呆れる。
「あなたは、おわかりになってらっしゃらないようですね」
「なにがだ」
「私が公爵様の代理だということを、ですよ」
「だから、それを盾に……」
「まだ、おわかりにならない?」
ジョバンニは、身につけていた手袋を、わざとゆっくり外していく。
視線は、ハインリヒに向けたままだ。
「公爵様は騎士の称号を持っておられます。ええ、たいていの貴族の男は持っていると、あなたもご存知でしょう?」
1本1本、指先を引っ張り、時間をかける。
ハインリヒの顔色が変わっていた。
ジョバンニの意図に気づいたからだ。
頭が悪いといっても、そこまで馬鹿ではなかったらしい。
「当然、あなたも騎士の称号は、お持ちかと?」
ハインリヒの喉が、不自然に上下している。
額には冷や汗が浮かんでいた。
「よろしいのですか? 外し終えた手袋を私がどうするか、お考えになられては?」
じりっと、ハインリヒが後ずさる。
その間にも、ジョバンニは手袋を少しずつ引っ張っていた。
もう手の甲が半分見えている。
「繰り返しになりますが、私は公爵様の代理です。当然のことながら、公爵様の騎士の称号は飾りではありません。代理である私も同等と見做していただきたい」
ジョバンニが手袋を外す直前、ハインリヒが、バッと背を向けた。
アシュリーのほうを振り返りながらも走り去る。
ハインリヒの「騎士の称号」が、飾りなのはわかっていた。
辛抱強さを微塵も持たない者に「本物」が手に入れられるはずがない。
「少しは闘うそぶりを見せるかと思いましたがね」
呆れながら、ジョバンニは手袋をはめなおす。
騎士の称号を持っている者が手袋を投げつけられた場合、選択肢は2つ。
拾うか、拾わないか、だ。
拾えば「決闘」に応じたことになる。
どちらかが命を失うと、稀に私戦となる場合もあった。
私戦とは下位貴族も巻き込んでの、家同士の紛争で、それぞれの勤め人もが報復の対象とされる。
とはいえ、ハインリヒが手袋を拾う可能性は限りなくゼロだと判断していた。
己のことしか考えていない奴が、自らの命を危うくするわけがない。
だからこそ、ハインリヒは逃げたのだ。
手袋を投げつけられた上で「拾わない」との選択をする屈辱から。
「じょ……ジョバンニ……」
かぼそい声に、ジョバンニは振り返る。
アシュリーが両手を胸の前で握り込んでいた。
よほど恐ろしかったのだろう。
体が小刻みに震えている。
「姫様、もう大丈……」
ジョバンニの言葉が、途中で止まった。
アシュリーが手をほどき、その両手をジョバンニに差し出してきたのだ。
見た瞬間、駆け寄る。
そして、アシュリーの小さな体を抱き締めた。
「大丈夫、大丈夫ですよ……姫様」
お嬢様。
言葉が喉まで出かかるのを、堪える。
アシュリーは、あの日のことも、ジョバンニのことも忘れているのだ。
思い出してほしくもない。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私が……私が、離れたり、したから……」
「いいえ、私が遅過ぎたのですよ。姫様が、どこにおられようと、必ず私がお傍にまいります。お待たせすることのないよう、これからは気をつけますね」
ぎゅっとしがみついてくる体を抱きしめ返す。
4年前よりは大きくなっているが、それでもまだ、小さくてか弱い。
あの日は守り切れなかった。
公爵が現れなければ、2人とも死んでいた。
無力だった。
だが、今度こそ守ると、守り切ってみせると、心に誓う。
生きるも死ぬも、どうでもよかったジョバンニに、生きる楽しみを与えてくれたのはアシュリーだ。
寒さしか感じられなかった世界で、たったひとつの暖かな光。
彼女は、ジョバンニの、おひさまなのだ。
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