若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ

文字の大きさ
上 下
29 / 64

選択肢の外 1

しおりを挟む
 ジョバンニは、アシュリーとハインリヒの間に立っている。
 背中から、アシュリーの怯えと恐怖が伝わっていた。
 怒りからだろう、顔を赤くしているハインリヒを冷ややかに見つめる。
 
「彼女に、安易に、ふれないでいただきたい」
「アシュリーは私の従姉妹です」
「だから?」
「親族に無礼を働いているのは、あなたのほうでしょう」
「それで?」
「私は、公爵様の婚約者の親族だとわかっているのですかっ?」
 
 代理風情が。
 
 そう言いたいのは、わかった。
 ハインリヒは、元々が感情を制御するのが、さほど上手くない。
 かつて子爵家にいたことのあるジョバンニは、それを知っている。
 本来は、人目があろうと、すぐに怒りを爆発させるような奴なのだ。
 
 とはいえ、ここはラウズワース公爵家の敷地内。
 騒ぎを起こせば不利になると、必死で自制しているのだろう。
 しかし、いかんせん頭が悪い。
 自らの言葉に矛盾があることにも気づいていないようだった。
 
「彼女が、あなたが仰る通りのお立場だと理解しておられるのであれば、いかにご親族であれ、自重すべきでは?」
「公爵様は、親族が軽く肩にふれる程度もお許しならない狭量なかただというのですね? 私は、てっきりもっと器の大きなかただと思っていましたよ。なにしろ夜会に婚約者と愛妾を同伴させるくらいですから」
 
 ぴくっと、ジョバンニの眉が吊り上がる。
 下品な揶揄に、いっそうハインリヒに対する侮蔑の念が広がった。
 
 ローエルハイドは貴族らしくない貴族だ。
 だが、貴族たちが公爵になにも言えずにいるのは、魔術師的な要素ばかりではない。
 公の場で、公爵は誰よりも貴族然としている。
 そのため、彼らは隙をつくどころか、称賛しさえするのだ。
 
 サマンサのことにしても同じだろう。
 貴族が愛妾をかかえるなど、めずらしくともなんともない。
 ただ、正式な「妻」との立場ではない者を夜会に同伴するのは外聞が悪いとされているため、できないだけなのだ。
 正妻や側室も含め、周囲の目を気にしている。
 
 それに比べ、公爵は、あまりにも堂々としていた。
 なにが悪いと言わんばかりの態度を取っている。
 ジョバンニとて、諸手を上げて賛成してはいなかった。
 アシュリーの立場が悪くなるのではと心配したからだ。
 
 だが、貴族らは、公爵の堂々たる姿勢に、羨望のまなざしを向けている。
 男性貴族は、自らもあのように振る舞えたらと想像し、女性貴族は、あのように扱ってもらえるなら愛妾でもいいのでは、と夢想しているのだ。
 
 公爵の振る舞い次第で、外聞の悪さなど簡単に消し飛ぶ。
 
 それが、ハインリヒには、わかっていない。
 人を見る目がないわけではないのに、己の感情に振り回され、正しい判断ができなくなるのも、ハインリヒの欠点だった。
 自らの利点を活かす方法を知らない馬鹿者だと、ジョバンニは思っている。
 
「あなたは公爵様の代理という盾を使って大きな顔がしたいのでしょうが、そのようなことをなされば、公爵様の品格をおとしめるだけですよ」
 
 公爵の名を盾としているのは、ハインリヒのほうだ。
 ジョバンニの頭を押さえつけたつもりでいるのが伝わってきて、呆れる。
 
「あなたは、おわかりになってらっしゃらないようですね」
「なにがだ」
「私が公爵様の代理だということを、ですよ」
「だから、それを盾に……」
「まだ、おわかりにならない?」
 
 ジョバンニは、身につけていた手袋を、わざとゆっくり外していく。
 視線は、ハインリヒに向けたままだ。
 
「公爵様は騎士の称号を持っておられます。ええ、たいていの貴族の男は持っていると、あなたもご存知でしょう?」
 
 1本1本、指先を引っ張り、時間をかける。
 ハインリヒの顔色が変わっていた。
 ジョバンニの意図に気づいたからだ。
 頭が悪いといっても、そこまで馬鹿ではなかったらしい。
 
「当然、あなたも騎士の称号は、お持ちかと?」
 
 ハインリヒの喉が、不自然に上下している。
 額には冷や汗が浮かんでいた。
 
「よろしいのですか? 外し終えた手袋を私がどうするか、お考えになられては?」
 
 じりっと、ハインリヒが後ずさる。
 その間にも、ジョバンニは手袋を少しずつ引っ張っていた。
 もう手の甲が半分見えている。
 
「繰り返しになりますが、私は公爵様の代理です。当然のことながら、公爵様の騎士の称号は飾りではありません。代理である私も同等と見做みなしていただきたい」
 
 ジョバンニが手袋を外す直前、ハインリヒが、バッと背を向けた。
 アシュリーのほうを振り返りながらも走り去る。
 ハインリヒの「騎士の称号」が、飾りなのはわかっていた。
 辛抱強さを微塵も持たない者に「本物」が手に入れられるはずがない。
 
「少しは闘うそぶりを見せるかと思いましたがね」
 
 呆れながら、ジョバンニは手袋をはめなおす。
 騎士の称号を持っている者が手袋を投げつけられた場合、選択肢は2つ。
 
 拾うか、拾わないか、だ。
 
 拾えば「決闘」に応じたことになる。
 どちらかが命を失うと、稀に私戦となる場合もあった。
 私戦とは下位貴族も巻き込んでの、家同士の紛争で、それぞれの勤め人もが報復の対象とされる。
 
 とはいえ、ハインリヒが手袋を拾う可能性は限りなくゼロだと判断していた。
 己のことしか考えていない奴が、自らの命を危うくするわけがない。
 だからこそ、ハインリヒは逃げたのだ。
 手袋を投げつけられた上で「拾わない」との選択をする屈辱から。
 
「じょ……ジョバンニ……」
 
 かぼそい声に、ジョバンニは振り返る。
 アシュリーが両手を胸の前で握り込んでいた。
 よほど恐ろしかったのだろう。
 体が小刻みに震えている。
 
「姫様、もう大丈……」
 
 ジョバンニの言葉が、途中で止まった。
 アシュリーが手をほどき、その両手をジョバンニに差し出してきたのだ。
 見た瞬間、駆け寄る。
 そして、アシュリーの小さな体を抱き締めた。
 
「大丈夫、大丈夫ですよ……姫様」
 
 お嬢様。
 
 言葉が喉まで出かかるのを、こらえる。
 アシュリーは、あの日のことも、ジョバンニのことも忘れているのだ。
 思い出してほしくもない。
 
「ごめんなさい……ごめんなさい……私が……私が、離れたり、したから……」
「いいえ、私が遅過ぎたのですよ。姫様が、どこにおられようと、必ず私がおそばにまいります。お待たせすることのないよう、これからは気をつけますね」
 
 ぎゅっとしがみついてくる体を抱きしめ返す。
 4年前よりは大きくなっているが、それでもまだ、小さくてか弱い。
 
 あの日は守り切れなかった。
 公爵が現れなければ、2人とも死んでいた。
 無力だった。
 
 だが、今度こそ守ると、守り切ってみせると、心に誓う。
 生きるも死ぬも、どうでもよかったジョバンニに、生きる楽しみを与えてくれたのはアシュリーだ。
 寒さしか感じられなかった世界で、たったひとつの暖かな光。
 
 彼女は、ジョバンニの、おひさまなのだ。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

思い出してしまったのです

月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。 妹のルルだけが特別なのはどうして? 婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの? でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。 愛されないのは当然です。 だって私は…。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結80万pt感謝】不貞をしても婚約破棄されたくない美男子たちはどうするべきなのか?

宇水涼麻
恋愛
高位貴族令息である三人の美男子たちは学園内で一人の男爵令嬢に侍っている。 そんな彼らが卒業式の前日に家に戻ると父親から衝撃的な話をされた。 婚約者から婚約を破棄され、第一後継者から降ろされるというのだ。 彼らは慌てて学園へ戻り、学生寮の食堂内で各々の婚約者を探す。 婚約者を前に彼らはどうするのだろうか? 短編になる予定です。 たくさんのご感想をいただきましてありがとうございます! 【ネタバレ】マークをつけ忘れているものがあります。 ご感想をお読みになる時にはお気をつけください。すみません。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

処理中です...