若輩当主と、ひよっこ令嬢

たつみ

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夜に戸惑い 4

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 アシュリーは、ジョバンニの気が逸れていることに気づいていた。
 それが気に入らなかった、というのではない。
 ジョバンニが見ていたのは、ホールのほうだ。
 そこには公爵とサマンサがいる。
 
 おそらく、このあと、またホールに戻るのだろう。
 思ったら、体が動いていた。
 気づかれないよう、そっと立ち上がり、グラスをイスに置く。
 そして、後ずさりしながら中庭のほうに移動した。
 
 もうちょっとだけ、ジョバンニと2人きりでいたかったのだ。
 
 中庭の整えられた小道には、両脇に植木があった。
 そこに隠れつつ、奥へと進む。
 ジョバンニの背中が見えなくなったところで立ち止まった。
 
「ジョバンニなら、すぐに見つけてくれるわ」
 
 小さく笑う。
 彼に子供扱いされるのが嫌だったはずなのに、子供じみた真似をしていることが、おかしかったのだ。
 これでは、まるで「かくれんぼ」のようだ、と。
 
「それに、ジェレミー様もサマンサ様と2人でいたいのじゃないかしら?」
 
 公爵は、アシュリーを「大事だ」と言ってくれている。
 アシュリーも、公爵を「いい人」だと思っていた。
 優しくて、なにかと気遣ってくれていると感じている。
 最初に怯えたのが不思議になるほど、今では、わずかな恐怖もいだいていない。
 むしろ、公爵が自分を傷つけることはないと、無意識に信じていた。
 
 とはいえ。
 
 なにかが違うのだ。
 婚約者としては、こういうことではいけないのかもしれない。
 だが、どうしても「公爵の婚約者」だとの実感がいだけずにいる。
 
 2年の間に変わるのだろうか。
 それも、わからなかった。
 ただ、現状、アシュリーをどきどきさせたり喜ばせたりしているのは、公爵ではなく、ジョバンニなのだ。
 
 公爵といる時には、あの「感情の浮き沈み」がない。
 
 あんなふうになってしまうのは、ジョバンニに対してだけだった。
 些細なことで気持ちが高揚し、ちょっとしたことで落ち込む。
 なのに、ただそばにいるだけでも嬉しい。
 ジョバンニの瞳に、自分だけが映っていると胸が高鳴る。
 
 ダンスの最中さいちゅうは、それが顕著に感じられた。
 楽しかったのは、ジョバンニがアシュリーだけを見ていたからだ。
 それに、踊っている間は、人目を気にせず、ふれたり、ふれられたりできる。
 距離が近くて、ダンスの最後では、抱きしめられた気分にさえなれた。
 
「お屋敷に帰っても、ジョバンニがダンスをしてくれるといいなぁ」
 
 夜会でなければダンスができないということはない。
 そんなふうに、ジョバンニは言っていた。
 アシュリーは、すっかりジョバンニを相手とするダンス姿を想像している。
 彼が、公爵の「代理」だなとどは思ってもいない。
 
「私を、探してくれているかしら」
「探してたぜ、アシュリー」
 
 声に、びっくりして飛び上がった。
 心臓が、嫌なふうに、ばくばくしてくる。
 聞き覚えのある声と口調に、振り向くのが怖かった。
 
「やっぱり逃げ出したかったんだな」
 
 それでも、振り向かないわけにはいかない。
 どうか幻か幻聴でありますようにと願いながら、振り向いた。
 瞬間、緊張に、体がこわばる。
 声が幻聴ではなかったとわかったからだ。
 
 小道の脇からハインリヒが姿を現している。
 大股で、アシュリーに近づいて来た。
 ひどく臆病になって、アシュリーは両手を胸の前で握り締める。
 子爵家でのことが、頭に蘇っていた。
 
 ハインリヒは、アシュリーに暴力をふるったことはない。
 両親がいない間、気にかけてくれていた相手でもある。
 そもそも、アシュリーの従兄弟だ。
 だが、ハインリヒの粗野なところが、彼女は苦手だった。
 
 ローエルハイドの屋敷での穏やかな生活のほうが暮らし易い。
 そう感じるくらいに、アシュリーにとって、ハインリヒの存在は大きな負担になっていたのだ。
 嫌いとは言えないまでも、会わずにいられるのなら、会いたくない相手だった。
 
 まして、アドラントで暮らすようになって、心が軽くなったのを感じている。
 子爵家に戻されるのなら、ローエルハイドの屋敷で勤め人をしたいとまで考えるほどに、アシュリーの気持ちは、ハインリヒから離れていた。
 だからこそ、本能的に脅威として捉えている。
 
 ハインリヒは自分を連れ戻しに来たのだ。
 
 もし帰らないと言ったら、なにをされるかわからない。
 ハインリヒが子爵家の勤め人たちに暴力をふるっていた姿を思い出す。
 口ごたえをすれば、その矛先が自分に向けられる可能性は十分にあった。
 それを感じているから、怖いのだ。
 
 アシュリーは「帰りたくない」と、はっきり感じているのだから。
 
 ハインリヒが来ていると知っていたら、ジョバンニの傍を離れはしなかった。
 さっきまでの高揚感は、微塵も残っていない。
 ひたすら恐怖にすくみあがっている。
 
「さっきの男は誰だ? ダンスしてただろ?」
 
 いかにも不愉快そうに、ハインリヒはアシュリーに詰問してきた。
 いかにローエルハイド公爵家であっても、ジョバンニが勤め人だと言えば激怒されるかもしれない。
 まさか高位の爵位の勤め人に暴力をふるったりはしないだろうけれど。
 
(わからないわ。ヘンリーは怒ると見境がなくなるもの……)
 
 ジョバンニは魔術師だ。
 簡単にハインリヒに殴られたりしない、とは思う。
 だが、勤め人と貴族とでは、立場が違うのだ。
 ジョバンニが気を遣うことは考えられる。
 
「ジ……こ、公爵様の、代理のかたよ……」
 
 公爵を愛称で呼んでいることも、ハインリヒを怒らせる気がした。
 咄嗟に呼びかたを変え、ジョバンニのことも曖昧に濁す。
 
「そりゃそうだろうぜ。公爵はティンザーの娘に夢中で、お前を放ったらかしにしてるんだからな。いいか、アシュリー、公爵のところになんかいることはねぇんだよ。お前は世間知らずだから、うまいこと言いくるめられたんだ」
「で、でも、ヘンリー……」
「公爵はティンザーの娘の気を引くために、お前を利用しただけさ。あの女が手に入ったら、すぐに捨てられるぞ」
 
 婚約が解消になる可能性については、アシュリーも考えたことだ。
 その結果が「勤め人となって屋敷に残りたい」だった。
 子爵家に戻ろうとは1度も考えていない。
 帰りたくない、とは考えたけれど。
 
「これからホールに戻って、子爵家に帰るって、公爵に言え。それで終わりだ」
「お、終わりって……」
「この国では女性の意思が尊重される。そう習っただろうが」
 
 ハインリヒは、段々にイライラしてきているようだ。
 アシュリーがハインリヒを拒絶していると、無意識に感じ取っているのかもしれない。
 実際、彼女はハインリヒに駆け寄りもしなかったし、今も動かずにいる。
 迎えが嬉しかったのなら、そういう言動になりはしない。
 
(終わり……終わりになったら、子爵家に戻されて……)
 
 ジョバンニに会えなくなる。
 
 胸が、ぎゅっと痛くなった。
 ジョバンニの優しい笑顔が頭に浮かぶ。
 
「私……し、子爵家には……」
「お前は黙って、俺の言うことを聞いてりゃいいんだよッ!」
 
 アシュリーの言葉の先を察したのか、ハインリヒは最後まで言わせない。
 そして、アシュリーの腕を掴むためだろう、手を伸ばしてきた。
 その彼女の前に、黒い影が落ちて来る。
 
「あなたごときが彼女にふれていいと、お思いで?」
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