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明暗あれど 1
しおりを挟む「そりゃあ、どういうことだっ?! 意味がわからねぇんだよ! ふざけてんじゃねぇぞ、この腐れ遊び人どもがっ!」
ハインリヒは、伯父と伯母を前に、怒鳴り散らしていた。
曲がりなりにも、2人は子爵家の当主と、その妻だ。
常識的には、分家のハインリヒが、暴言を吐いていい相手ではない。
だが、ハインリヒは、おかまいなしだった。
ガシャーンッ!!
小ホールに、大きな音が響き渡る。
叩き落された花瓶が粉々に砕け散っていた。
伯父と伯母が、その欠片に惜しそうな視線を向けていることにも腹が立つ。
そんなことを気にしている場合か、と頭に血が昇った。
「誰のおかげで、遊び呆けていられると思ってやがるッ! 寄生虫の分際で、俺の許しも得ず、勝手なことしやがってっ!!」
「で、でもね、ヘンリー……」
伯母を、ギロッとにらみつける。
瞳は青色だが、アシュリーとは違い、濁りがあった。
長年の放蕩のツケだろう。
アシュリーの、あの宝石のような瞳とは似ても似つかない。
そのせいで、わずかにも同情心はいだけずにいる。
ただただ腹が立った。
「誰が、愛称で呼んでいいと言った? それも、俺の許しを得てねぇよなあ?!」
「わ、悪かったね、ハインリヒ。妻も悪気はなかったのだよ。親族だから……」
「そうだよ、親族だ。だから、大目に見てきてやったんだろうが。お前らは、俺にとっちゃゴミクズ以下の存在だ。アシュリーの親って意味しかねぇんだよッ!」
今度は、さらに大きな音が響く。
ハインリヒがイスをつかみ、それを窓に向かって放り投げたからだ。
イスはガラスを砕き、窓枠に当たってから、床に転がり落ちる。
伯父と伯母は、すっかり体を縮こまらせていた。
あまりの怒りに、ハインリヒは肩を震わせている。
昼間に訪ねてきてから、頭に血が昇りっ放しなのだ。
2人から聞かされた話に、ハインリヒの描いていた未来が一瞬で崩れた。
そのことに激怒している。
「……ちくしょう……お前らが無能なせいで……」
「で、でも、あなたから、そんな話は……」
「そ、そうとも……きみがアシュリーを望んでいると、私たちは知ら……」
「知らなかった?」
はっと、ハインリヒは、彼らを嘲笑した。
当主との肩書がなければ、2人を死ぬほど殴っていたはずだ。
「俺は頻繁に“アシュリーに”会いに、この屋敷に来てた。アシュリーの面倒をみる理由が、ほかにあるってのか? その程度のこともわからねぇから、お前らはゴミクズ以下なんだよっ!」
怒りに打ち震えているのは、ハインリヒ自身、どうにもできないからだ。
その怒りを2人にぶつけている。
「ローエルハイドだと……っ……」
相手が公爵家となれば、子爵家ごときでは手も足も出せない。
その上、アシュリーを連れて行ったのは、ただの公爵家ではなかった。
人ならざる者、ジェレミア・ローエルハイド。
黒髪、黒眼のローエルハイド現当主は、人であって人にあらず。
恐ろしい力の持ち主だとされている。
実際のところは不明だ。
なにしろ、会ったことも見たこともない。
名だけは知っていたものの、実在するのかすら疑わしかった。
2人が「黒髪、黒眼」を持ち出さなければ、どこかの魔術師に担がれた、としか思えなかっただろう。
それほど現実味に乏しい人物なのだ。
ハインリヒは物に八つ当たりしながら、小ホールをウロウロと歩き回る。
どうすればアシュリーを取り戻せるのかを考えていた。
相手が「ローエルハイド」と知った時点で諦めるのが普通だ。
だが、諦めきれずにいる。
ハインリヒは、アシュリーを気に入っていた。
その1点において、彼は、ある種の誠実さを持っている。
歪んだ執着には違いないが、それはともかく。
アシュリー以外の女を妻に娶るつもりもなければ、側室を迎える気もなかった。
今も後腐れのない相手と、割り切ったつきあいしかせずにいる。
もちろん、それだってアシュリーとの婚姻が決まったら清算するつもりだった。
ハインリヒの未来には、アシュリーしかいない。
彼女との未来を脅かされないためにこそ、なんでもしてきた。
それは、人殺しを命じるほど「なんでも」だ。
ありとあらゆる手を打ってきたと、信じていた。
「くそっ……くそ、くそ、くそ……っ……くそったれ……っ……」
小ホールの中には、まともな形で残っている装飾品がなくなりつつある。
壁にかかっていた絵画も破れ、斜めに傾いていた。
窓ガラスは割れ、カーテンは破れている。
まともなのは、伯父と伯母の座っているイスくらいだ。
テーブルは、とっくに蹴倒されていたので。
(こんなことなら、つまんねぇ気を遣うんじゃなかったぜ……っ……)
アシュリーは、大人と呼ばれる歳とはいえ、まだ14歳。
ベッドの相手をさせるには、まだ幼い。
欲望の発散というだけなら、ほかの女で「我慢」もできる。
あと、たったの2年だ。
そうした気遣いが、甘さに繋がったのだと悔やむ。
もとよりハインリヒの性分ではない。
らしくないことを考えた結果、最悪の事態となっている。
それが悔しくて、腹立たしくてしかたがなかった。
好機は、いつまでも目の前に留まってはいない。
祖父の言葉が思い出される。
ほんの数日前まで、好機はハインリヒの目の前にあったのだ。
だが、わずかに目を離した隙に失った。
アシュリーは、この屋敷には、もういない。
(上位貴族……駄目だ。ラペルなんぞじゃ話にならねぇ……)
セシエヴィル子爵家の上位貴族は、ラペル公爵家だ。
なにか問題が起きた際に、頼るべきところが上位貴族とされている。
とはいえ、ラペル公爵家は、まるきり「アテ」にならない。
公爵家との名目で、王宮の重臣に名を連ねてはいるものの、ほかの公爵家からは相手にされていないのだ。
末端も末端、存在しているというだけのことに過ぎないと知っている。
(しかも、アドラントだと……ふざけやがって……っ……)
アシュリーは、ローエルハイドのアドラント領に連れて行かれたらしい。
アドラントは、ロズウェルドの法治外にある。
元が別の国だったため、足を踏み入れるのも困難だった。
思った時、ハッとなる。
何事にも例外はあるものだ。
ハインリヒは、歩き回るのをやめる。
ここで、苛々していても、アシュリーを取り戻すことはできない。
打てる手は打つ。
それこそ「なんでも」するつもりだ。
(しゃあねぇな。爺さんに話してみるか)
祖父は、常に誰かを利用している。
ハインリヒも似たようなものなので、祖父を悪く言う気はない。
だが、たとえ孫だろうと、祖父が見返りを要求するのは目に見えていた。
それに、祖父はセシエヴィル子爵家の爵位がほしいだけなのだ。
ハインリヒほど、アシュリーにこだわる理由がない。
危険を冒してまで手を貸すとなれば、相応の見返りを要求される。
わかりきってはいたが、アシュリーを諦めきれなかった。
(例外は商人。爺さんなら、アドラント領への通行証も持ってるはずだ)
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