極左サークルと彼女

王太白

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 その日のうちに、寅雄は着替えや蔵書などの荷物をまとめて、旅行カバンにつめこみ、あらかじめ打ち合わせておいた駅前のコンビニで優希と落ち合うと、学科の数少ない友人、やぐちあきお矢口秋夫の下宿に向かった。秋夫はゲームばかりしているので、授業のない日は、ほぼ下宿にいるとわかっていたからだ。二人が秋夫のアパートに着くと、秋夫はもう寝ようとして寝間着に着替えていたが、二人を部屋に招き入れ、緑茶をマグカップに入れてふるまった。秋夫は小柄で分厚い眼鏡をかけた小太りの、いかにもオタクっぽい大学生である。
「……事情はわかった。まあ、ボクも寅雄を助けてやりたいが、できることには限度があるぞ。アパートに泊めてやって飯を食わせるぐらいならできるがな。でも、あんな政治サークルなんかにかかわるなと忠告したのに、結局、大門辰夫という先輩のかたき討ちのために深入りしちまうんだからな……。本当に底抜けのお人よしだよ」
 秋夫はため息をついたが、その顔はどこか楽しそうだった。
「でも、ボクも久しぶりに、ゲーム以上にのめりこめそうなものができて、何か楽しくもあるんだ。極左組織を敵に回して戦えるなんて、たとえ学生のお遊びに過ぎないとしても、なかなか体験できなさそうだしな」
 そこで、秋夫は紙コップとビール瓶を取り出して、ちゃぶ台に置く。
「そうと決まれば、今夜は飲み明かそうぜ。あいにく、ビールしかないがな。つまみも柿ピーしかないが、それも勘弁してくれ。このアパートは防音設備がしっかりしてるから、近所迷惑にはならないからさ」
 こうして、三人はビールで乾杯した。酒が回ると、秋夫はゲーム談義、寅雄と優希はマルクス談義に夢中になった。
「最近のボクは、スマホのゲーム、『シャドウバース』に夢中になっててさ。オンラインのカードゲームとしたら、面白いんだよ。カードの特性を使い分けて、敵の本体に打撃を与えていくゲームでさ。カードの選択や組み合わせを考えるのが、実に興味深いんだ」
「ゲームといえば、俺は『三国志』ぐらいかな。武将は必ず劉備を選択して、劉備で天下統一するようにしているけど。オリジナルの武将を作れるバージョンの『三国志』なら、オリジナルの名前を『アナーキスト』なんて入力して統一したこともあるぜ。アナーキズムは、レーニン主義ほど有名じゃないけど、主要な革命思想だからな」
「あたしも、アナーキストの英雄、『マフノー』を、オリジナルの名前として入力してプレイしたよ。レーニンほどじゃないけど、知ってる人は知ってるもんね」
「そういえば、寅雄に聞きたかったんだけど、寅雄はマルクス主義とアナーキズムと、どっちを信じているんだ? ボクみたいに思想に疎い人間にゃ、よくわからないんだけど」
「俺はマルクス主義のほうを信じているよ。『我々の目的は、できるだけ完全な理想社会をでっちあげることではなく、階級的矛盾の原因を突き止めることにある』と述べているからさ。何だかんだいっても、科学は信用できるんだ。ただ、極左組織のやることは、科学じゃなくて宗教じみていると思っているだけ」
 その後、柿ピーが無くなったので、夜中にもかかわらず、秋夫が近くのコンビニまで行って、つまみを仕入れてきた。
「お~、また柿ピーか。俺、柿ピーが好きだから、嬉しいぜ」
「裂きイカもあるぜ。ボクは裂きイカのほうがビールに合うけどな」
「あたしは両方とも好きよ。でも、矢口くんが話のわかりそうな人で良かったわ」
「やだなぁ。矢口くんなんて、他人行儀で。ボクは自分から進んで来栖先輩を泊めているんですから、寅雄同様に、ボクのことも秋夫と呼んでくださいよ」
「わかった。じゃあ、秋夫くんで」
 結局、明け方まで飲み明かし、三人とも床で雑魚寝した。
 翌朝、三人は十時頃になって、ようやく起き出した。秋夫がトーストと目玉焼きとインスタントコーヒーをふるまう。
「友達が置いていったビールを処分できて良かったよ。二人が飲んでくれたおかげだ。それから、今日の朝飯まではボクがおごるけど、昼飯からは、食費を徴収させてもらうよ。そのぐらいの金は、用意してきているんだろう?」
「もちろん、そう言うと思って、銀行のキャッシュカードと通帳と印鑑は、全て持ってきてあるよ。俺だって、秋夫にタカるわけにいかないからな」
「あたしだって、ちゃんと持ってきているよ。もちろん、お風呂に入るときのシャンプーや石鹸もね」
 二人がキャッシュカードや通帳を広げてみせたのを確認すると、秋夫は「わかった」と言い残して大学へ行く。残された二人は、暇なので、持ってきた蔵書を開いて勉強することにした。
「鍋山貞親『共産党をたたく十二章』は興味深いですね。レーニンの『我々は法律違反、事実隠蔽、虚偽瞞着を平気で行わねばならない』という言葉まで載っていますし」
「それで、極左組織が日本反帝同盟の内部に、スパイを送り込む理由がわかるわ。やつらは事実を隠蔽しようとしているから、真実を知ろうとするあたしたちは、むしろ邪魔なのよ。ザミャーチン『われら』で、真実を知ろうとしたデーД503が、最後には独裁者に洗脳されたみたいにね」
「でも、このアパートに潜んでいても、俺らはいずれ金も尽きるし、ジリ貧ですよ。行動を起こせるうちに起こさなければなりませんね」
「とりあえず、兄さんに連絡をとってみるわ。いざというときの、兄妹二人だけの秘密の連絡方法があるの。兄さんは、夕方のアニメ『デカまる子ちゃん』だけは、欠かさず観てるから、そのファンサイトの掲示板に書き込むの。いざ、下宿にいられなくなった場合、潜伏先と潜伏している仲間のことを、ロシア文字で書き込むのよ。大学でロシア語なんて選択しているサークル員はいないはずだから、まずバレないわ。あと、ハンドルネームは必ず『イワン・イワノフ』でね。心配しなくても、ドストエフスキー『悪霊』で風刺されている虐殺事件の被害者の名前なんて、誰も知らないわよ」
 かといって、どこから足がつくかわからない以上、二人とも簡単に外出できない。仕方ないので、秋夫が大学から帰るのを見計らって事情を説明し、秋夫に近くの漫画喫茶からサイトに書き込んでもらった。もっとも、秋夫はロシア文字が読めず、悪戦苦闘したが。
「これで準備は整ったわ。あとは兄さんが訪ねてくるのを待つだけよ。兄さんは『ネチャーエフ』と名乗って訪ねてくるはずだから、合言葉として『イワン・イワノフ』と言って、間違いないように部屋に入れること。非合法の活動中のために、変装で顔をいろいろ変えているから、顔で判別するのは不可能だからね。それに寅雄は面識がないし」
 そのとき、優希は非常時にもかかわらず、安心しきった顔をしていた。優希をここまで信頼させる兄の存在が、寅雄には何だか、ねたましかった。こんなことを考えてはいけないと、何度もかぶりをふって心を落ち着けようとしたが、いっこうに落ち着かないので、持ってきた蔵書に目を通してみるが、何となく集中できなかった。
(落ち着け、俺。優希さんが、俺と一蓮托生だと言ってくれたのを忘れたか? だいたい、相手は優希さんと十数年も一緒に育ってきた兄さんじゃないか。どだい、俺とは絆の深さが違う。これは、ただのねたみだ。男のねたみは、みっともないぞ……)
 どうしても落ち着かないので、アパートの本棚にあった、クロスワードパズルの本をめくり、解いてみる。そうすると、意外に意識がクロスワードパズルに集中していくのが感じられた。何もしなくても、よけいなことばかり考えてしまうし、かといって本を読んでいても、自分の生き方などを考えさせられるので、集中できない。そのため、よけいなことを考えずに済むクロスワードパズルは、格好の娯楽品となった。

 それから数日間は、何事もなく過ぎた。ゲームオタクである秋夫相手の来客は、いつもほとんどなく、来たとしても宅配便ぐらいのものだ。寅雄は、本棚にあったクロスワードパズルの本を、全部解いてしまい、秋夫に新しい本を買ってきてくれとせがむ。一方、優希は密かにフリーメールアドレスを作り、兄とロシア文字の暗号で連絡を取り合っており、秋夫はその都度、漫画喫茶で連絡役を務めていた。
 そして、局面が動いたのが、二人が秋夫のアパートに潜んでから十日目のことである。十日目の夜半、ふいに、アパートの玄関側に当たる駐車場のほうで、ガヤガヤと数人で騒ぐ声が聞こえてきた。寝入っていた三人は、にわかに起き出し、いつでも逃走できるように準備を整える。
「誰だ? ボクらを追ってきたのか? なら、すぐに戦うか逃げるかしないと……」
 閉めたカーテンの隙間から、秋夫がこっそり外をのぞく。街灯もろくについていない駐車場では、数人の人影が、懐中電灯を持って何事か話し込んでいた。そのまま、人影はこちらに向かってゾロゾロと歩いてくる。
「まずい。こいつらは、極左組織直属の親衛隊だ! あたしたちの潜伏先が、ここだと突き止めて、襲ってきたんだわ。どうしよう。こんなアパートじゃ、玄関と裏口に回られたら、手も足も出ない。万事休すだわ」
 優希が悲鳴をあげる。寅雄も秋夫も、今度ばかりは詰んだと思った。それでも、せめて最後の抵抗をしようと、寅雄は包丁を、秋夫は金属バットを、優希は殺虫剤のスプレーを持って、玄関の扉の裏で敵を待ちかまえた。
 そのまま、敵はゾロゾロと玄関前に集まってくる。小声で「ここだ」だの「ドアの鍵を破れ」だのとつぶやくのが聞こえる。扉には鍵とチェーンをかけてあるとはいえ、相手の装備しだいでは、破られるときは破られるものだ。実際、扉の鍵穴に針金を差し込む金属音が聞こえてくる。三人は、互いの心臓の鼓動が聞こえるほど、緊張感で張り詰めていた。
 突如、鍵が開く音がして、扉が開く。扉の隙間から、懐中電灯の光が一筋、差し込んでくる。三人は、本当に万事休すと覚悟した。
 そのとき、ふいに扉の外で、乱闘する物音や、「何だ、てめぇ!」だの「この野郎!」だのという怒号が聞こえてきた。殴ったり蹴ったりする物音がしばらく続いたかと思うと、決着がついたとみえて、「この野郎、覚えてろよ!」と叫ぶ大声とともに、敵がゾロゾロと引き上げていく気配がしてきた。
 やがて、扉の前に一人が立つ気配がしたかと思うと、「ネチャーエフ」と言う声がした。それを聞いた優希が、安堵したように「イワン・イワノフ」と言う。
「優希だな。オレだ。くるす来栖じょうじ譲司だ。開けてくれ」
「んもう、遅いよ、兄さん。あたしは、もう殺されるしかないと覚悟したんだからね」
 優希が扉のチェーンを外して、扉を開ける。そこには、グレーのパーカーを着た、精悍な顔つきの背の高い青年が立っていた。何日も旅をしてきたのか、顔には無精ひげが生えている。
「紹介するわ。あたしの二つ上の兄、来栖譲司よ。うちの大学の五回生だけど、大学には行かずに極左組織の運動員として活動しているの。ケンカも強くて学識もあるし、とっても頼りになるんだ。今回は東北地方の大学まで、極左サークルを糾合しに行っていたけど、あたしの要請に応じて急に戻ってきてもらったから、まずはお風呂に入れて、温かい食事でもふるまって、旅の疲れを癒してあげて」
 秋夫は早速、食事と風呂の用意をする。
「優希に言っておかにゃならないことだが、実はオレは、極左組織を脱会してきたんだ。それも、かなり一方的にな。正直、オレみたいな末端の細胞員には何も情報を知らせず、直属の細胞長にさえ、指令や情報を全て伝えないような反民主的な組織には、いい加減、飽き飽きしていたところだったからな。今回の優希の一件で、かえって踏ん切りがついたよ。オレは組織と戦うぜ」
 インスタントラーメンとご飯と生卵だけの質素な食事を食べながら、譲司は語り出した。一度、語り始めると、話は極左組織の種々雑多な事情に及び、話題は尽きなかった。
「極左組織なんてのは、最初は甘い言葉で勧誘してくるもんだ。『我が党は言論の自由を保障している』とか、『毛沢東のやった経済民主みたいに、財政は全て公開している』とかな。いざ、入ってみても、組織内の矛盾には簡単には気づかない。こちらが活動するのに、最低限必要な情報しか与えないもんだからな。まるで、ドストエフスキー『悪霊』に出てくる革命組織みたいな、正体がボンヤリとしかわからない組織だったよ。そのくせ、脱会しようとすると、裏切り者と見なされて刺客を差し向けられるから、オレも辞める決心がつかなかったんだ」
 そこで、熱い緑茶を一口飲み、ふうっと一息つく。
「実は、優希に日本反帝同盟に入るように仕向けたのも、極左組織の意向なのさ。断れば、オレ自身はもちろん、優希の身も危なかった。それぐらい、極左組織ってのは、上が党員の個人情報を握っているんでな。逆らえば、さっきみたいな直属の親衛隊が襲ってきて、どこに逃げても追いかけてきて殺される。まるでヤクザの組織だよ。さっきは、暗闇で不意をついたから勝てたが、次は勝てるかどうか、わからないしな」
 ご飯に生卵を割り込んで食べながら、寅雄のほうを見て、思い出すように語る。
「寅雄くんだったな。先輩の大門辰夫くんとは、オレも何度か会ったことはあるが、実に無欲な男だったよ。革命のためと称して、学業も放棄して、ひたすら日本反帝同盟のために尽くしていた。組織の硬直化を怖れ、民主化しなければ組織は衰退すると言って、改革を訴えていたものだ。おそらく、事故死に見せかけて殺されたのは、そういう意見を上層部が危険視したからじゃないかな。オレとしては、大門辰夫くんみたいな有為の人材を殺した組織が許せない。こうなれば、何が何でも、組織の上層部をつぶさないと。これは、大門辰夫くんの弔い合戦でもあるんだ」
「でも、俺みたいなペーペーに、どうやって極左組織と戦って勝てと言うんですか? さっきの親衛隊が襲ってきても、俺は何もできませんでした。譲司さんが来なければ、絶対殺されていたでしょう」
「いや、まるっきり何もできなかったわけじゃないぞ。現に、居酒屋での飲み会の際に、ゆで卵に紙を入れてたそうじゃないか。あんなことは、常人じゃ、まず思いつきもしないよ。それだけを見ても、常人よりは智恵が回るほうだと、オレは思うぜ」
「でも、その後、日本反帝同盟の番田会長と議論して、まるで勝てませんでしたよ」
「番長くんは、極左組織に逆らうのが怖いだけさ。労働運動には興味があるが、一人で組織を率いていくだけの度胸や覚悟は無い。だから、日本反帝同盟の会長のまま、できる範囲で活動しようとしているだけさ。オレは、番長くんは味方につけられると思う」
 寅雄はしばらく考えた。譲司の言いたいことはわかる。でも、番長を味方につけるなんて、どうしたら良いのか?
「番長くんを味方につける説得は、寅雄くんにやってもらうぜ。これは、オレが寅雄くんに課す試験だ。オレの力を借りたけりゃ、まずは自力で番長くんぐらいは口説き落としてみろ。会う段取りぐらいは、オレがつけてやるからさ。何たって、寅雄くんは優希をほれさせたんだからな」
 寅雄は正直、身がすくむ思いだった。確かに優希はほれさせたが、番長ともなると、口説き落とす自信はない。そんな寅雄の心中を知ってか知らずか、譲司は食事と風呂を終えると、再びアパートを出て行った。そして、夜が明けて三人が起き出す頃になると、番長を連れて戻ってきたのだ。番長は起き抜けらしく、服はちゃんとジーパンとTシャツに着替えていたが、あくびを何度もしていた。一応、客なので、秋夫が緑茶の入ったマグカップを置く。
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