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1話 蒼と黄金
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私は自分が嫌いだ。
身長、一七八センチ。男性の平均身長よりも高く、同じ高校の男子からも見上げられ、からかわれる。その上、黒髪のショートヘアだからか、後ろ姿は男に見えるらしく、道を聞かれて振り返った時に大体が驚かれる。そして、前髪は六:四の割合で右に流すという髪型にしている。勿論、女子数百人の中では一番背が高い。この身長活かしたスポーツをすればいいのだが、それは存在しなかった。何しろ、自分が通う高校は一般的に進学校と呼ばれ、スポーツに特化された学校ではない。
バレー部、バスケ部はある。しかし、女子の部が無い。二百人近くいるのだから、女子の部も創部してもいいのだろうが、ここに通う者は運動よりも勉学に励む者が極端に多いという事だろう。それに、ある一定の成績を保てばいいと思っている者も、少ない時間を遊ぶ事に回す事を優先してしまっている。その結果、身長活かした運動部に入る事も叶わない。以前、友人から学外で活動しているスポーツクラブに入ればと勧めてくれた。しかし、自分は人見知りが激しい人種である為、そんな空間に放り込まれてしまえば、ストレスで倒れてしまいかねないという事で断念した。こういう性格も嫌いな要因だ。
剣崎葵は高校二年となり、六月を迎えた。夏も目前という事もあり、気温が高く、少し外に出れば少しであるが、汗をかくようになった。自分の席で額から流れる汗を手で拭い、深くため息をついていると、二人の女子が歩み寄ってきた。
「ねぇ、葵」
茶色に染めた長い髪をハーフアップに纏めた少女、日向貴美子が剣崎の机に手を置いて話しかけてきた。もう片方の、黒い長髪を纏める事無く、下ろしている女性が緑原葉菜。整った顔立ちをしており、同性である自分でも綺麗と思える程だ。長い髪もとても綺麗で入念に手入れされているのが見てとれる。
「なに?」
少し垂れ目気味の目で二人を見上げ、首を傾げる。
「放課後にさ、どこか遊びに行かない?」
「うんうん、近くに美味しい所みつけたんだぁ!」
少し興奮気味に言っている辺り、良いもの見つけたのだろう。
しかし。
「ごめんね、今日は用事があるの……。それに、もうすぐ中間テストだよ?」
「それを言わないでよぉ……。気にしないようにしてたのにぃ……」
「ご、ごめん……」
日向が嘆いていると、緑原が苦笑いしながら彼女の頭を軽く叩く。
「まぁ確かに勉強はしないとねぇ。あんたはここにギリギリで入った訳だし」
「二人みたいに賢くなりたいなぁ……」
日向の言葉に剣崎は苦笑いしながら首を横に振った。
「私もそんなに賢くないよ。毎日勉強しないと置いてかれちゃうもの」
「その時点で私には不可能なの! コツを教えて!」
「だから、毎日復習をして――」
「それ以外は!?」
それ以外と言われ、剣崎は顎に手を当てて考えてみるが、何も思い付かない。それ以外の方法などない。毎日の積み重ねが身につくのが当たり前だ。それは、筋力トレーニングと同じである。
「ない……かな?」
そう言った瞬間、日向はがっくりと肩を落とし、深いため息を吐いた。それに対し、緑原が追い打ちを掛けるような言葉を彼女に振りかざす。
「そんな事言ってるから成績が伸びないんだと思うよ?」
「ですよねぇ……」
「これから少しでもいいから勉強しな」
「……はぁい」
気乗りがしないのが分かるような返事を返し、重い足取りで自分の席へと戻っていく。戻っていく姿を見た後に、ふと壁に教壇の上に掛けられている時計に目をやると授業が始まる三分前を指していた。
「時間はちゃんと守るのよね、あの子」
「ルーズよりは良いと思うよ」
「試験が近くなったら勉強見てあげよっか」
「うん」
「そういえば、用事ってお父さん?」
「え? あ、うん。今日は早く帰ってくるの。通り魔事件で忙しかったみたいでね。まだ、解決してないけど……」
「行方不明者が出てるあれでしょ? 警察のお偉いさんは大変だね。気を付けてくださいって伝えておいて」
「うん、ありがとう」
「じゃ、私も戻るね」
緑原は剣崎に軽く手を振ると、自分の席に戻っていった。それと同時にチャイムが鳴り、しばらくしてから教師が入ってきた。それを見て、剣崎は机の引き出しから教科書を出し、授業に入る体勢に入った
放課後。
校門まで日向と緑原の三人で来ると、剣崎は日向に中間テストについて忠告した。
「勉強、頑張ってね」
「うぅ……わかってるよぉ……。じゃあね」
「じゃあ葵、私も寄る所あるから」
日向は心底嫌そうな顔をすると軽く頷き、手を振ってきた。
「うん」
剣崎も二人に手を振ると、背を向けて歩き出す。
剣崎の家は通っている学校から三キロ離れた所に建っている。通学は徒歩であり、自転車を使用するよりも、歩いて見慣れた景色を歩きながら眺めるのがここ数年の趣味となっている。歩くのが遅い為、冬などは帰る頃には外も暗くなっている事が多く、心配される事が多かったのだが、最近は一七になったという事で、そこまで言われなくなった。
家の近くとなり、自宅が見えてきた。
一軒家で、三人で住んでいるのにも関わらず、大き目に造られている。道路から見えるベランダには洗濯物が干されており、風に靡いていた。外装は壁が朱色で彩られ、玄関先は青や赤と、カラフルな構造となっている。これは、母親の趣味であり、建てる際には父親に反対されたらしいが押し通したという。
玄関のドアに手をかけ、開けるなり挨拶をする。
「ただいまぁ」
「おかえりぃ」
奥から母親の美紀の声が聴こえてきた。
靴を脱ぎ、綺麗に直してからリビングへと向かう。しっかり直さないと父親が帰ってきた時に怒られてしまうからだ。
リビングは広く、中央に大き目なテーブルが置かれており、その下には絨毯が敷かれている。そのすぐ傍には三人が座れるスペースのあるソファがあり、その向かいには四十インチを超えるテレビがテレビ台の上に置かれている。そのテレビはニュース番組が流れ、様々なニュースをキャスターが読み上げている途中だった。
剣崎はソファに鞄を置き、その隣で腰を下ろした。
「ふぅ……」
「葵ぃ、今日はお父さん帰ってくるのは聞いてるわよね?」
台所から聴こえてくる母親の声に、剣崎は返事する。
「知ってるよぉ。何時に帰ってくるの?」
「もうすぐ帰ってくる筈だけど」
そんな事を話していると、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。
「ただいま」
父親の声だ。
足音が聞こえた後、リビングに父親の宗司が重い足取りで入ってきた。長すぎず短すぎずの黒髪に目付きが鋭く、常に眉間に皺を寄せており、毎日機嫌が悪いと思えてしまう。そして、第一印象が怖くて話しかけづらいという声が知り合い達から良く聞く。そんな彼の顔は、疲れきっており、目の下には隈が出来ていた。
宗司はソファへと歩き、鞄が置いてある為、剣崎と一人分の間隔を置いて体を投げ出すように座った。
「おかえり、お疲れ様」
「あぁ」
「犯人は捕まった?」
「いいや。だが、必ず捕まえる」
「うん。あ、葉菜ちゃんが気を付けてくださいだって」
「ん。良い子だなあの子。いや、あの子達か。いい友達を持ったな。大切にしなさい」
「うん」
脈絡の無い会話だが、これが普段の会話である。父親は口数が少なく、自分とは余り話さない。帰ってくる時間も遅い為、会話をしない日だってある。母親からは、もっと話をしたいと言っていたらしいが、そんな風には思えない。
「ねぇ、通り魔の事なんだけど」
「……ニュースでも言っている通りだ。事件現場に大量の血痕と居なくなった被害者。最初の内は病院に担ぎ込まれていたんだが、数日後に行方不明になった。それが、最近じゃあ血痕のみ。誘拐という事で進めているが、手掛かりなんて皆無だ」
「そう……」
「夜の犯行が多いから、お前は夜に出掛けるのは止めろ。わかったな?」
鋭い目が剣崎を睨むように見た。それに対し、剣崎は何度も頷く。彼の眼光にはどうしても逆らえない。これは、幼少時からそうだ。逆らわずに過ごしてきた結果、反抗期は父親に対する無視のみとなった。それも長くは続かず、三か月で幕を閉じる事となり、反抗期だったのだろうかと疑問に思ってしまう程の期間だ。
それからしばらくはテレビを二人で見るだけで、会話は一切ない。話がしたいと言っていたくせに、進んで話しかけてくる事もなく、殆どがこちらから話す事となる。それでも、会話が続かずに、沈黙が続くのだ。
その沈黙を破るのがいつも母親によるコール。
「御飯出来たわよぉ」
ソファから立ち上がり、リビングの奥にある食卓へと移動する。左側に宗司、母親。その向かい合う形で剣崎が座る。
一日、何があったなど、至って普通な会話を三人で交わす。それが、剣崎家の夕飯における行事だ。この行事に、父親の仕事について聞く事は禁止されている。食事の時くらいは仕事を忘れ、落ち着いて食べたいという事だ。した時には注意された後に好物の菓子を与えるまで不機嫌になってしまう。その辺り、子供じみた性格している。この事は家族しか知らず、他人からはとても威厳のある人物と認識されている。娘である自分からしては、面倒臭い性格をしている大きな子供だ。しかし、目付きだけは怖い。
「御馳走様」
剣崎は手を合わせると席を立ち、冷蔵庫へと歩く。
日課である勉強するに必要なオレンジジュースを取り出す為に開けたのだが、オレンジジュースが見当たらない。母親に頼んでおいたのだが、買い忘れてしまったのだろうか。
「お母さん、オレンジジュース……」
「あ、忘れてた……。ごめぇん」
美紀が顔の前で両手を合わせると申し訳なさそうな顔をする。それを見て、剣崎はため息を吐くとソファに移動し、置いてあった鞄のチャックを開け、財布を取り出す。
「待て、どこ行く気だ?」
「……ジュース買ってくるの」
「駄目だと言っただろう?」
「すぐそこだから。行ってきます」
宗司の言葉を待たずに玄関に向かい、そそくさと靴を履いて外へと出た。後ろから戻ってこいという宗司の声と宥める美紀の声が聴こえてきた。
不機嫌になったであろうから、帰りにコンビニに寄って好物の菓子を買ってあげなければならない。これで機嫌を直してくれるなら安いものだ。逆らえない事が多いが、オレンジジュースの為ならば、これぐらいの困難は余裕で挑んでみせる。
太陽も完全に沈み、月が空を漂っている。綺麗な満月が通り道を照らし、剣崎は満月を見上げながら一キロも無い距離に位置するコンビニへと歩く。夜という事もあり、涼しい風が剣崎の肌を撫で、心地良い気分にさせられる。
近くの自動販売機に目当てであるオレンジジュースがあるのだが、菓子を買うという理由もあるのでここは素通りする事になる。
コンビニに着くと、慣れた手付きでオレンジジュースの大きなペットボトルと菓子のポテトチップスを買い物籠に入れた後、レジへと向かう。同い年くらいの女性がやる気の伝わらない声で商品を読み上げ、合計金額を言った。これらは慣れた事なので、要求された金額を財布から取り出し、丁度渡す。商品を買いもの袋を受け取り、外へと出る。その際にも、浮き沈みの無い声で営業トークを耳にした。これまでの流れは五分と掛からなかった。
帰り道、ふらふらと歩いていると携帯電話が鳴った。制服の胸ポケットからタブレット式の携帯電話を取り出し、ディスプレイに視線を落とす。
メールのようで、差出人は緑原。メールの内容は今日行こうと誘われていた店に明日行こうというものだった。明日は特に予定はないので、了解の内容を、絵文字等を利用して返信した。
「美味しいところかな?」
少しばかりの期待を胸に秘めながら携帯電話を眺めていると、ふと視線を感じた。
視線は前からであり、剣崎は携帯電話から目を離し、前を見た。
五〇メートルも無い距離。その先には、月に背を向けている事もあって黒いシルエットとなり、誰なのか分からなかった。だが、体格的に男というのだけは辛うじて認識出来た。
視線を感じたということは、こちらを見据えているのだろう。一歩も動こうともせず、無言の圧力を掛けてきているように感じた。そして、右手に持っている物に目をやる。
細く、長いもの。月明かりに照らされ、不気味に光る鋭利。
刃が黒い日本刀。
「え……? え……?」
突然すぎる出来事に戸惑っていると、日本刀を持った男が動き始めた。
一歩、一歩とこちらに向かって歩き始める。その一歩が剣崎に対し、恐怖心を煽る。
ここ最近の事件は血痕と行方不明者が続出していた。その事件は、剣崎が住む地域より数キロ離れた所で起こっていた。いつ自分が住む地域に足を伸ばしてもおかしくない。
しまった、と剣崎は後悔する。
おそらく、彼は通り魔だろう。父親の忠告を従い、家に居るべきだった。或いは、菓子を買わずに近くの自動販売機でジュースだけ買えば良かった。後悔先に立たず、とは良く言ったものだ。
剣崎は男が一歩進む毎に自分も後ろに退いた。そして、男に背を向けて全力で走る。走るのだが、走る事は得意ではなく、大した速度も出ない。しかも、走った事で男も走り始めた。全速力で走るのだが、差が徐々に縮まってくる。
このまま直線で走り続けても追いつかれるのが目に見えている。そう思い、何度も曲がり角を曲がって撒こうとするのだが、足音が一向に遠ざかる気配が無い。
「どうして!? どうしてついてこれるの!?」
地の利はこちらの方が圧倒的にある筈だ。しかし、男はまるで視えているかのような迷いの無い追跡をしてくる。着実に近くなっていく足音が、只ならぬ恐怖を与えてきた。
しばらく走っていると、右側に神社が見えた。石によって出来た階段が長く上に続き、その先には入り口として、大きな鳥居が立っている。剣崎は一度後ろを見、男が来ていないのを確認すると、何段もある石段を駆け上がる。
運動もあまりしない剣崎にとって、長い階段は辛いものだった。全力で駆け上がるのだが、徐々に速度が落ちていき、息を切らす。
なんとか全て上り終え、辺りを見回す。
夜という事もあり、人が誰も居ない。月明かりのみが神社の周囲を照らし、剣崎の視界の手助けをした。だが、来た事もない神社である為、わずかな明かりでは、何処に何があるのかわからない。
「どこか……、あ」
剣崎は大きな社とは別の、小さな社を見つけた。その社は、倉庫や大木の影となっている為、入り口からは僅かにしか見えず、隠れるには最適な場所と思えた。
荒い息を整えるのを後回しに、その小さな社へとふらつきながらも走る。社の引き戸は、正方形の穴がいくつもあり、それら全てから中を確認出来るものとなっていた。しかし、下半分は見えない為、それを背に隠れる事が出来る。
引き戸開け、中に入るなり音を立てないようにゆっくり閉めるとその場に座り込む。
買い物袋の横に置き、酷く荒れた息を整えていく。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
徐々に息を整えられていき、追手の気配を感じなくなった事もあり、先程の恐怖や焦りが薄らいでいった。そのお蔭で、自分の目の前にある光景に視野を広げる事が出来るようになった。
社は正方形の造りとなっており、狭くも広くもない。全くと言っていい程使われていないのだろうか。やけに埃っぽく、鼻がむずむずする。そして、剣崎の対面する壁に密着する形で横に長い鉄製の箱が南京錠に巻かれた状態で置かれていた。
このような物があるのに、手入れされていない社。
まるで、誰も入りたがらない社かのように。
「入っちゃダメな所だったかな……? あ、そうだ。お父さんに電話しないと……。後、警察に」
こういう時に警察官である父親が役に立つ。彼の力ならば、待機している警察官を招集させ、周囲に配置する事も可能だろう。それに、ここから動きたくない。
剣崎は携帯電話を取り出し、電話帳を開く。いくつもの電話番号から父親の電話番号を探し出し、それに指で押す。押す事で、父親の電話番号が大きく表示され、通話ボタンが現れる。後は押して耳に当てるだけだ。
人差し指で通話ボタンを押そうと指を動かす。
携帯電話のディスプレイに縦線が走った。
それだけでは終わらず、剣崎の体が段々と仰け反り始める。背中から胸にかけて感じる異物感。先程まで出来た呼吸がし辛くなり、胃液が逆流したかのように込み上げてくる感覚。
「あ……あぁ……かっ……」
ゆっくり顔を真上に上げると、二つの黄色の瞳が正方形の穴からこちらを見下ろしているのが見えた。その目は、目が合ったのが分かるなり笑うように細められる。
「う……そ……」
気配なんて感じなかった。それなのに、貫かれるまで気付かなかったというのか。真後ろにまで近づいていれば、一般人でも気付く筈なのに。
有り得ない。
男性は剣崎から日本刀を雑に抜き取った。その後、すぐに金属音が聞こえた。おそらく、日本刀を鞘に納めた音なのだろう。そして、その場を去っていく音が段々と遠のいていき、最終的には聞こえなくなった。
剣崎は抜かれた事で上半身だけ前のめりに倒れ、額を床に強くぶつけた。
喉の奥から込み上げてくるものを床に撒き散らす。
血。真っ赤な血。
床に跳ねた血が、剣崎の制服を何点か赤く染めていく。
だが、それだけでは終わらない。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」
刺された胸を中心に何かが体中を駆け回る感覚に襲われ、今まで体験した事のない激痛が剣崎を絶叫させる。短時間で五感を蝕んでいき、足の感覚、腕の感覚を奪い去っていく。しかし、奪われた感覚とは裏腹に、四つん這いの形で動き始め、南京錠で巻かれた鉄製で出来た箱へと近づいていく。
「い、いや……いやぁっ! きひ……、やめ……、ひひ……」
拒絶するも、自分の意志とは関係なく笑い声を上げる。そして、南京錠の鎖に手をかけると、引き千切る形で左右に引っ張り始めた。厚い鎖が破片を散らばさせながら欠けていく。とても女性が出せるような力ではない。それどころか、鍛え上げた男性であったとしても、これ程厚い鎖を引き千切る事など出来る筈がない。
引き千切る際に、剣崎の手に血が滲み始め、ブチブチと嫌な音を立てていく。そして、遂に鎖が千切れ、箱を閉じる物が無くなった。手から滴る血に悲鳴を上げるが、体は構わずに箱をこじ開ける。
箱が開けられ、中にあった物が露わになった。
柄から鞘まで白い日本刀。
男性が持っていた日本刀とは真逆の代物。禍々しくなく、思わず見惚れてしまいそうになる程に純粋な白色をしていた。白以外に染められた色は無く、それ以外の色を何一つ受け付けないであろう、そんな色合いだった。
「ひひ……。ひゃははははぁ……」
剣崎の意志とは裏腹に、体は純白の日本刀を両手に握り締めると、高く掲げた。
その時だ。
剣崎の身体能力では有り得ない速度で日本刀を抜き、逆手に持った瞬間に自分の胸の中心へと突き刺した。
「……え?」
余りの速さに、その言葉しか出て来なかった。その次には、黒い日本刀に刺された時以上の激痛が剣崎を襲った。それは、悲鳴さえも出させない程となった、しかし、彼女の五感を蝕んでいたものが無くなっていくのを、胸の中心から感じた。
剣崎は純白の日本刀の柄に握り締めたまま、気を失った。
身長、一七八センチ。男性の平均身長よりも高く、同じ高校の男子からも見上げられ、からかわれる。その上、黒髪のショートヘアだからか、後ろ姿は男に見えるらしく、道を聞かれて振り返った時に大体が驚かれる。そして、前髪は六:四の割合で右に流すという髪型にしている。勿論、女子数百人の中では一番背が高い。この身長活かしたスポーツをすればいいのだが、それは存在しなかった。何しろ、自分が通う高校は一般的に進学校と呼ばれ、スポーツに特化された学校ではない。
バレー部、バスケ部はある。しかし、女子の部が無い。二百人近くいるのだから、女子の部も創部してもいいのだろうが、ここに通う者は運動よりも勉学に励む者が極端に多いという事だろう。それに、ある一定の成績を保てばいいと思っている者も、少ない時間を遊ぶ事に回す事を優先してしまっている。その結果、身長活かした運動部に入る事も叶わない。以前、友人から学外で活動しているスポーツクラブに入ればと勧めてくれた。しかし、自分は人見知りが激しい人種である為、そんな空間に放り込まれてしまえば、ストレスで倒れてしまいかねないという事で断念した。こういう性格も嫌いな要因だ。
剣崎葵は高校二年となり、六月を迎えた。夏も目前という事もあり、気温が高く、少し外に出れば少しであるが、汗をかくようになった。自分の席で額から流れる汗を手で拭い、深くため息をついていると、二人の女子が歩み寄ってきた。
「ねぇ、葵」
茶色に染めた長い髪をハーフアップに纏めた少女、日向貴美子が剣崎の机に手を置いて話しかけてきた。もう片方の、黒い長髪を纏める事無く、下ろしている女性が緑原葉菜。整った顔立ちをしており、同性である自分でも綺麗と思える程だ。長い髪もとても綺麗で入念に手入れされているのが見てとれる。
「なに?」
少し垂れ目気味の目で二人を見上げ、首を傾げる。
「放課後にさ、どこか遊びに行かない?」
「うんうん、近くに美味しい所みつけたんだぁ!」
少し興奮気味に言っている辺り、良いもの見つけたのだろう。
しかし。
「ごめんね、今日は用事があるの……。それに、もうすぐ中間テストだよ?」
「それを言わないでよぉ……。気にしないようにしてたのにぃ……」
「ご、ごめん……」
日向が嘆いていると、緑原が苦笑いしながら彼女の頭を軽く叩く。
「まぁ確かに勉強はしないとねぇ。あんたはここにギリギリで入った訳だし」
「二人みたいに賢くなりたいなぁ……」
日向の言葉に剣崎は苦笑いしながら首を横に振った。
「私もそんなに賢くないよ。毎日勉強しないと置いてかれちゃうもの」
「その時点で私には不可能なの! コツを教えて!」
「だから、毎日復習をして――」
「それ以外は!?」
それ以外と言われ、剣崎は顎に手を当てて考えてみるが、何も思い付かない。それ以外の方法などない。毎日の積み重ねが身につくのが当たり前だ。それは、筋力トレーニングと同じである。
「ない……かな?」
そう言った瞬間、日向はがっくりと肩を落とし、深いため息を吐いた。それに対し、緑原が追い打ちを掛けるような言葉を彼女に振りかざす。
「そんな事言ってるから成績が伸びないんだと思うよ?」
「ですよねぇ……」
「これから少しでもいいから勉強しな」
「……はぁい」
気乗りがしないのが分かるような返事を返し、重い足取りで自分の席へと戻っていく。戻っていく姿を見た後に、ふと壁に教壇の上に掛けられている時計に目をやると授業が始まる三分前を指していた。
「時間はちゃんと守るのよね、あの子」
「ルーズよりは良いと思うよ」
「試験が近くなったら勉強見てあげよっか」
「うん」
「そういえば、用事ってお父さん?」
「え? あ、うん。今日は早く帰ってくるの。通り魔事件で忙しかったみたいでね。まだ、解決してないけど……」
「行方不明者が出てるあれでしょ? 警察のお偉いさんは大変だね。気を付けてくださいって伝えておいて」
「うん、ありがとう」
「じゃ、私も戻るね」
緑原は剣崎に軽く手を振ると、自分の席に戻っていった。それと同時にチャイムが鳴り、しばらくしてから教師が入ってきた。それを見て、剣崎は机の引き出しから教科書を出し、授業に入る体勢に入った
放課後。
校門まで日向と緑原の三人で来ると、剣崎は日向に中間テストについて忠告した。
「勉強、頑張ってね」
「うぅ……わかってるよぉ……。じゃあね」
「じゃあ葵、私も寄る所あるから」
日向は心底嫌そうな顔をすると軽く頷き、手を振ってきた。
「うん」
剣崎も二人に手を振ると、背を向けて歩き出す。
剣崎の家は通っている学校から三キロ離れた所に建っている。通学は徒歩であり、自転車を使用するよりも、歩いて見慣れた景色を歩きながら眺めるのがここ数年の趣味となっている。歩くのが遅い為、冬などは帰る頃には外も暗くなっている事が多く、心配される事が多かったのだが、最近は一七になったという事で、そこまで言われなくなった。
家の近くとなり、自宅が見えてきた。
一軒家で、三人で住んでいるのにも関わらず、大き目に造られている。道路から見えるベランダには洗濯物が干されており、風に靡いていた。外装は壁が朱色で彩られ、玄関先は青や赤と、カラフルな構造となっている。これは、母親の趣味であり、建てる際には父親に反対されたらしいが押し通したという。
玄関のドアに手をかけ、開けるなり挨拶をする。
「ただいまぁ」
「おかえりぃ」
奥から母親の美紀の声が聴こえてきた。
靴を脱ぎ、綺麗に直してからリビングへと向かう。しっかり直さないと父親が帰ってきた時に怒られてしまうからだ。
リビングは広く、中央に大き目なテーブルが置かれており、その下には絨毯が敷かれている。そのすぐ傍には三人が座れるスペースのあるソファがあり、その向かいには四十インチを超えるテレビがテレビ台の上に置かれている。そのテレビはニュース番組が流れ、様々なニュースをキャスターが読み上げている途中だった。
剣崎はソファに鞄を置き、その隣で腰を下ろした。
「ふぅ……」
「葵ぃ、今日はお父さん帰ってくるのは聞いてるわよね?」
台所から聴こえてくる母親の声に、剣崎は返事する。
「知ってるよぉ。何時に帰ってくるの?」
「もうすぐ帰ってくる筈だけど」
そんな事を話していると、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。
「ただいま」
父親の声だ。
足音が聞こえた後、リビングに父親の宗司が重い足取りで入ってきた。長すぎず短すぎずの黒髪に目付きが鋭く、常に眉間に皺を寄せており、毎日機嫌が悪いと思えてしまう。そして、第一印象が怖くて話しかけづらいという声が知り合い達から良く聞く。そんな彼の顔は、疲れきっており、目の下には隈が出来ていた。
宗司はソファへと歩き、鞄が置いてある為、剣崎と一人分の間隔を置いて体を投げ出すように座った。
「おかえり、お疲れ様」
「あぁ」
「犯人は捕まった?」
「いいや。だが、必ず捕まえる」
「うん。あ、葉菜ちゃんが気を付けてくださいだって」
「ん。良い子だなあの子。いや、あの子達か。いい友達を持ったな。大切にしなさい」
「うん」
脈絡の無い会話だが、これが普段の会話である。父親は口数が少なく、自分とは余り話さない。帰ってくる時間も遅い為、会話をしない日だってある。母親からは、もっと話をしたいと言っていたらしいが、そんな風には思えない。
「ねぇ、通り魔の事なんだけど」
「……ニュースでも言っている通りだ。事件現場に大量の血痕と居なくなった被害者。最初の内は病院に担ぎ込まれていたんだが、数日後に行方不明になった。それが、最近じゃあ血痕のみ。誘拐という事で進めているが、手掛かりなんて皆無だ」
「そう……」
「夜の犯行が多いから、お前は夜に出掛けるのは止めろ。わかったな?」
鋭い目が剣崎を睨むように見た。それに対し、剣崎は何度も頷く。彼の眼光にはどうしても逆らえない。これは、幼少時からそうだ。逆らわずに過ごしてきた結果、反抗期は父親に対する無視のみとなった。それも長くは続かず、三か月で幕を閉じる事となり、反抗期だったのだろうかと疑問に思ってしまう程の期間だ。
それからしばらくはテレビを二人で見るだけで、会話は一切ない。話がしたいと言っていたくせに、進んで話しかけてくる事もなく、殆どがこちらから話す事となる。それでも、会話が続かずに、沈黙が続くのだ。
その沈黙を破るのがいつも母親によるコール。
「御飯出来たわよぉ」
ソファから立ち上がり、リビングの奥にある食卓へと移動する。左側に宗司、母親。その向かい合う形で剣崎が座る。
一日、何があったなど、至って普通な会話を三人で交わす。それが、剣崎家の夕飯における行事だ。この行事に、父親の仕事について聞く事は禁止されている。食事の時くらいは仕事を忘れ、落ち着いて食べたいという事だ。した時には注意された後に好物の菓子を与えるまで不機嫌になってしまう。その辺り、子供じみた性格している。この事は家族しか知らず、他人からはとても威厳のある人物と認識されている。娘である自分からしては、面倒臭い性格をしている大きな子供だ。しかし、目付きだけは怖い。
「御馳走様」
剣崎は手を合わせると席を立ち、冷蔵庫へと歩く。
日課である勉強するに必要なオレンジジュースを取り出す為に開けたのだが、オレンジジュースが見当たらない。母親に頼んでおいたのだが、買い忘れてしまったのだろうか。
「お母さん、オレンジジュース……」
「あ、忘れてた……。ごめぇん」
美紀が顔の前で両手を合わせると申し訳なさそうな顔をする。それを見て、剣崎はため息を吐くとソファに移動し、置いてあった鞄のチャックを開け、財布を取り出す。
「待て、どこ行く気だ?」
「……ジュース買ってくるの」
「駄目だと言っただろう?」
「すぐそこだから。行ってきます」
宗司の言葉を待たずに玄関に向かい、そそくさと靴を履いて外へと出た。後ろから戻ってこいという宗司の声と宥める美紀の声が聴こえてきた。
不機嫌になったであろうから、帰りにコンビニに寄って好物の菓子を買ってあげなければならない。これで機嫌を直してくれるなら安いものだ。逆らえない事が多いが、オレンジジュースの為ならば、これぐらいの困難は余裕で挑んでみせる。
太陽も完全に沈み、月が空を漂っている。綺麗な満月が通り道を照らし、剣崎は満月を見上げながら一キロも無い距離に位置するコンビニへと歩く。夜という事もあり、涼しい風が剣崎の肌を撫で、心地良い気分にさせられる。
近くの自動販売機に目当てであるオレンジジュースがあるのだが、菓子を買うという理由もあるのでここは素通りする事になる。
コンビニに着くと、慣れた手付きでオレンジジュースの大きなペットボトルと菓子のポテトチップスを買い物籠に入れた後、レジへと向かう。同い年くらいの女性がやる気の伝わらない声で商品を読み上げ、合計金額を言った。これらは慣れた事なので、要求された金額を財布から取り出し、丁度渡す。商品を買いもの袋を受け取り、外へと出る。その際にも、浮き沈みの無い声で営業トークを耳にした。これまでの流れは五分と掛からなかった。
帰り道、ふらふらと歩いていると携帯電話が鳴った。制服の胸ポケットからタブレット式の携帯電話を取り出し、ディスプレイに視線を落とす。
メールのようで、差出人は緑原。メールの内容は今日行こうと誘われていた店に明日行こうというものだった。明日は特に予定はないので、了解の内容を、絵文字等を利用して返信した。
「美味しいところかな?」
少しばかりの期待を胸に秘めながら携帯電話を眺めていると、ふと視線を感じた。
視線は前からであり、剣崎は携帯電話から目を離し、前を見た。
五〇メートルも無い距離。その先には、月に背を向けている事もあって黒いシルエットとなり、誰なのか分からなかった。だが、体格的に男というのだけは辛うじて認識出来た。
視線を感じたということは、こちらを見据えているのだろう。一歩も動こうともせず、無言の圧力を掛けてきているように感じた。そして、右手に持っている物に目をやる。
細く、長いもの。月明かりに照らされ、不気味に光る鋭利。
刃が黒い日本刀。
「え……? え……?」
突然すぎる出来事に戸惑っていると、日本刀を持った男が動き始めた。
一歩、一歩とこちらに向かって歩き始める。その一歩が剣崎に対し、恐怖心を煽る。
ここ最近の事件は血痕と行方不明者が続出していた。その事件は、剣崎が住む地域より数キロ離れた所で起こっていた。いつ自分が住む地域に足を伸ばしてもおかしくない。
しまった、と剣崎は後悔する。
おそらく、彼は通り魔だろう。父親の忠告を従い、家に居るべきだった。或いは、菓子を買わずに近くの自動販売機でジュースだけ買えば良かった。後悔先に立たず、とは良く言ったものだ。
剣崎は男が一歩進む毎に自分も後ろに退いた。そして、男に背を向けて全力で走る。走るのだが、走る事は得意ではなく、大した速度も出ない。しかも、走った事で男も走り始めた。全速力で走るのだが、差が徐々に縮まってくる。
このまま直線で走り続けても追いつかれるのが目に見えている。そう思い、何度も曲がり角を曲がって撒こうとするのだが、足音が一向に遠ざかる気配が無い。
「どうして!? どうしてついてこれるの!?」
地の利はこちらの方が圧倒的にある筈だ。しかし、男はまるで視えているかのような迷いの無い追跡をしてくる。着実に近くなっていく足音が、只ならぬ恐怖を与えてきた。
しばらく走っていると、右側に神社が見えた。石によって出来た階段が長く上に続き、その先には入り口として、大きな鳥居が立っている。剣崎は一度後ろを見、男が来ていないのを確認すると、何段もある石段を駆け上がる。
運動もあまりしない剣崎にとって、長い階段は辛いものだった。全力で駆け上がるのだが、徐々に速度が落ちていき、息を切らす。
なんとか全て上り終え、辺りを見回す。
夜という事もあり、人が誰も居ない。月明かりのみが神社の周囲を照らし、剣崎の視界の手助けをした。だが、来た事もない神社である為、わずかな明かりでは、何処に何があるのかわからない。
「どこか……、あ」
剣崎は大きな社とは別の、小さな社を見つけた。その社は、倉庫や大木の影となっている為、入り口からは僅かにしか見えず、隠れるには最適な場所と思えた。
荒い息を整えるのを後回しに、その小さな社へとふらつきながらも走る。社の引き戸は、正方形の穴がいくつもあり、それら全てから中を確認出来るものとなっていた。しかし、下半分は見えない為、それを背に隠れる事が出来る。
引き戸開け、中に入るなり音を立てないようにゆっくり閉めるとその場に座り込む。
買い物袋の横に置き、酷く荒れた息を整えていく。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
徐々に息を整えられていき、追手の気配を感じなくなった事もあり、先程の恐怖や焦りが薄らいでいった。そのお蔭で、自分の目の前にある光景に視野を広げる事が出来るようになった。
社は正方形の造りとなっており、狭くも広くもない。全くと言っていい程使われていないのだろうか。やけに埃っぽく、鼻がむずむずする。そして、剣崎の対面する壁に密着する形で横に長い鉄製の箱が南京錠に巻かれた状態で置かれていた。
このような物があるのに、手入れされていない社。
まるで、誰も入りたがらない社かのように。
「入っちゃダメな所だったかな……? あ、そうだ。お父さんに電話しないと……。後、警察に」
こういう時に警察官である父親が役に立つ。彼の力ならば、待機している警察官を招集させ、周囲に配置する事も可能だろう。それに、ここから動きたくない。
剣崎は携帯電話を取り出し、電話帳を開く。いくつもの電話番号から父親の電話番号を探し出し、それに指で押す。押す事で、父親の電話番号が大きく表示され、通話ボタンが現れる。後は押して耳に当てるだけだ。
人差し指で通話ボタンを押そうと指を動かす。
携帯電話のディスプレイに縦線が走った。
それだけでは終わらず、剣崎の体が段々と仰け反り始める。背中から胸にかけて感じる異物感。先程まで出来た呼吸がし辛くなり、胃液が逆流したかのように込み上げてくる感覚。
「あ……あぁ……かっ……」
ゆっくり顔を真上に上げると、二つの黄色の瞳が正方形の穴からこちらを見下ろしているのが見えた。その目は、目が合ったのが分かるなり笑うように細められる。
「う……そ……」
気配なんて感じなかった。それなのに、貫かれるまで気付かなかったというのか。真後ろにまで近づいていれば、一般人でも気付く筈なのに。
有り得ない。
男性は剣崎から日本刀を雑に抜き取った。その後、すぐに金属音が聞こえた。おそらく、日本刀を鞘に納めた音なのだろう。そして、その場を去っていく音が段々と遠のいていき、最終的には聞こえなくなった。
剣崎は抜かれた事で上半身だけ前のめりに倒れ、額を床に強くぶつけた。
喉の奥から込み上げてくるものを床に撒き散らす。
血。真っ赤な血。
床に跳ねた血が、剣崎の制服を何点か赤く染めていく。
だが、それだけでは終わらない。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」
刺された胸を中心に何かが体中を駆け回る感覚に襲われ、今まで体験した事のない激痛が剣崎を絶叫させる。短時間で五感を蝕んでいき、足の感覚、腕の感覚を奪い去っていく。しかし、奪われた感覚とは裏腹に、四つん這いの形で動き始め、南京錠で巻かれた鉄製で出来た箱へと近づいていく。
「い、いや……いやぁっ! きひ……、やめ……、ひひ……」
拒絶するも、自分の意志とは関係なく笑い声を上げる。そして、南京錠の鎖に手をかけると、引き千切る形で左右に引っ張り始めた。厚い鎖が破片を散らばさせながら欠けていく。とても女性が出せるような力ではない。それどころか、鍛え上げた男性であったとしても、これ程厚い鎖を引き千切る事など出来る筈がない。
引き千切る際に、剣崎の手に血が滲み始め、ブチブチと嫌な音を立てていく。そして、遂に鎖が千切れ、箱を閉じる物が無くなった。手から滴る血に悲鳴を上げるが、体は構わずに箱をこじ開ける。
箱が開けられ、中にあった物が露わになった。
柄から鞘まで白い日本刀。
男性が持っていた日本刀とは真逆の代物。禍々しくなく、思わず見惚れてしまいそうになる程に純粋な白色をしていた。白以外に染められた色は無く、それ以外の色を何一つ受け付けないであろう、そんな色合いだった。
「ひひ……。ひゃははははぁ……」
剣崎の意志とは裏腹に、体は純白の日本刀を両手に握り締めると、高く掲げた。
その時だ。
剣崎の身体能力では有り得ない速度で日本刀を抜き、逆手に持った瞬間に自分の胸の中心へと突き刺した。
「……え?」
余りの速さに、その言葉しか出て来なかった。その次には、黒い日本刀に刺された時以上の激痛が剣崎を襲った。それは、悲鳴さえも出させない程となった、しかし、彼女の五感を蝕んでいたものが無くなっていくのを、胸の中心から感じた。
剣崎は純白の日本刀の柄に握り締めたまま、気を失った。
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