妖が潜む街

若城

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3章

15話

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「待てって雪霧さんっ!」

 後方から制止するよう叫んでくる酒呑童子の声に、雪霧は苛立たしげに舌打ちしながら首だけで振り返る。
 彼が追いかけるまでの時間はそう短くはなかった。だが、それでも追いついてくる速さに、さすが鬼であると舌をまくほどだ。

「待てと言われて待てるほど、私の機嫌は良くないのは分かっているはずだぞ」
「その場限りの感情に任せてたら、後悔すんぞっ!」
「後悔するわけがない」
「いいや、する。雪霧さんは殺しには向いてないからな」
「なに?」

 雪霧は跳ぶことを止め、灯りの消えたビルの屋上で降り立つと、同じようにして降り立った酒呑童子を睨みつける。
 向いている向いていないの問題ではない。目の前で大切な存在が血の海に沈み、生死を彷徨っている。それをただ茫然と眺めていられるほど、冷静でいられる性格をしていない。

「俊哉を酷い目にあわせた奴を見逃せと言いたいのか? 戯言を……」
「見逃せとは言ってねぇよ。ただ、とどめを刺すのは俺がするって言ってんだ」

 それだと意味がない。この手で牛鬼を仕留めなければ、この怒りを抑えられるとは思わない。自身の感情だけで動いてきたであろう鬼ならば、この感情を理解していると思うのだが、彼はそうでないのか。

「それで私の気が済むと? ふざけるな!!」
「思ってねぇさ。けど、殺しをやってない奴より何百とやってきた奴の方が背負うもんなんて知れてるだろ」
「俊哉の為ならそれも厭わない。私の覚悟だ」
「自分のせいで雪霧さんに殺しをさせてしまったと知ったら、少年はどう思う?」

 私が相手を殺したなど、わざわざ彼に話すことはない。勝手に行方を眩ました。または叩きのめして、街から追い出してやったと言ってしまえばバレる事はないはずだ。どちらにしろ、先のことを彼が知る必要はない。

「知らなければいい。それで済む話だ」
「無理だな。少年は妖こっち側に足を突っ込み始めてる。鬼蜘蛛丸の事なら、すぐに耳に入る筈だ。雪霧さんが牛鬼を殺したってな」
「さっきから……脅しのつもりか?」
「あぁ、そのつもりだけど? それに俺も言うつもりだしな、少年に」

 肩を竦ませ、不敵な笑みを浮かべる酒呑童子を、雪霧は唇を噛み締めながら睨みつける。

「お前……っ」
「少年ならわかってくれるってか? そんな都合の良い事あるかよ」

 霧本の事を何一つ知らないのに、いけしゃあしゃあと彼を語ってほしくない。この手で牛鬼を殺めれば、きっと悲しむだろう。もしかしたら、怒るかもしれない。だが、きっと彼は分かってくれる。自分の為にしてくれたのだと。

「お前に俊哉の何がわかるっ!?」
「てめぇも少年の何がわかんだよ?」

 酒呑童子は浮かべていた笑みを消し、こちらをまっすぐ見据える。

「誰かの為に動くってのは良い事だ。互い信頼し合ってるみたいでな。自分を投げ打ってでも友達を売らなかった少年を、俺は尊敬するさ。けど、今の雪霧さんはどうよ? ただの自己満足じゃねぇか」
「自己満足など……」
「少年を大切にするのは良い。ただ、目先の事だけ見てたら後悔するぞ。俺はそれを何度も見てきたんだ。雪霧さんには、人間に対して後悔なんてしてほしくない」

 あらゆる妖怪、あらゆる人間と争ってきた者だからこその言葉なのか。普段の軽いものではなく、ぶれる事のない真っ直ぐな言葉だった。自分よりも長く生き、多数の敵意を受けてきた彼にとって、この現状を黙っていられないのだろう。
 しかし、とてもじゃないが冷静に物事を見定める余裕など、今はない。こうしている間にも霧本は病室で苦しんでいるのだ。何が正しき道なのか、分からない。教えて欲しい。今、自分が何をすべきなのか。何を向けて突き進めばいいのか。

「ならば、どうすればいい……? 私は何を……」
 彼なら知っているのか。自分が優先するべき行動を。
「それは――」
「おい、貴様ら」

 痺れを切らした烏丸の怒りの声に、雪霧と酒呑童子は彼に目を向けると、腕を組み、いらだたしげに指を叩いている姿があった。

「牛鬼の下に向かうのではないのか? 無駄話をする為に道案内しているのではないぞっ!」

 それに、と彼は続け、視線を前方へと向ける。

「下賤な輩に付かれた」

 雪霧は烏丸が向ける方へ目をやると、彼と同じように空を舞っている男性二人が、こちらをにやつかさせながら見下ろしていた。
 妖怪の気配を感じなかった。やはり、現代の妖怪の気配は当時の妖怪に比べて気配が薄い。ここ数ヶ月で感じたのは、己から発する気配を周囲に振り撒く必要ないからだろう。当時は自分や仲間以外への牽制の為、常に周囲へ気を払う必要があった。だが、現代では、ほぼ全ての妖怪が互いに敵意を向けず、平和に過ごしているからこそ、振り撒く力すら持ち合わせていないのかもしれない。

「やんややんや、馬っ鹿じゃねぇの?」
「馬鹿というよりボケカスじゃね?」

 それでいて、一部の妖怪はその気配をさらに消す事が出来る、という事。必要性を感じないが、彼らのように、敵意を放つ者にとっては都合の良いものだろう。全ての気配を消して、相手を地面に伏してやるには最適だ。
 片方は右目が、片方は左目が隠れる程の左右非対称の髪型をした男性二人の顔は、瓜二つであり、同じ日に生まれた双子のようだった。宙を舞う時点で人間ではない。しかし、同じ妖怪とはいえ、どのような妖怪なのかまでは分からないので、すぐに対策を取るという行動は出来ない。彼等との会話、戦闘で正体を暴いていく他ないだろう。

「お前ら、鎌鼬か」

 酒呑童子が目を細めさせ、問いかける。
 鎌鼬にも様々な種類は存在するが、彼らを見る限り兄弟。つまり、辻斬りの鎌鼬だ。本来の辻斬りは三体の鎌鼬の兄弟で成り立っているが、目の前に居るのは二体。一体足りない。

「なんだと?」

 雪霧は彼に倣い、鎌鼬の兄弟を見上げ、小さく舌打ちをする。

「面倒な。だが、兄弟ならば、一匹足りない」
「いらねぇから追い出したんだ。傷しか治す事しか能がねぇ奴、鬼蜘蛛丸にはいらねぇ」

 右目を隠した鎌鼬がここには居ない兄弟を思い出しながら、吐き捨てるように言い放つ。それに対し、左目を隠した鎌鼬が同意の頷きを何度もする。

「そうそう。あんな役立たずがいちゃあ、鬼塚さんとこ入れねぇよ。なぁ兄貴」
「下らない集まりの為に兄弟を切り捨てたのか……」

 兄弟にも相性というものがある。仲が良ければ、仲の悪い兄弟と様々だ。しかし、それでも時が経てば、互いが精神的に大人になり、ある程度修復される。それを我慢せず、道を踏み外した連中が集う下らない組織に入ったという事。あまりにも無粋な考えであり、愚かだ。血の繋がった兄弟よりも、悪影響でしかない連中と居て、何になる。

「下らないな」
「あぁ!?」
「お前達の相手をしている場合ではない。とっとと――」

 失せろ、と言いかけたところで、傍に居た酒呑童子がわざと首を傾げさせ、大きなため息を吐いた。その行為に疑問を覚え、彼の方へ目を向ける。

「なんだ」
「いや、お兄さんはここでお暇させてもらおうと思ってね」
「……は?」

 何を言っている。最終目標である鬼塚の下へ辿り着くには酒呑童子の手を借りてさっさと終わらせてしまいたかったのだが、彼はそれを願ってはいないようだ。

「だってさ、空飛んでる奴に俺の攻撃届かねぇもんよ。だから、ここは任せようかと」

「そう言って、ひとりで鬼塚の下に向かうのではないだろうな?」
「はい。なので、お願いしやす」
「私が考えている事を承知の上でぬかすのか?」

 この手で鬼塚を仕留めると告げていた筈だが、忘れているのだろうか。先に言って、鬼塚を含む『鬼塚丸』を殲滅しようと考えているのかもしれない。自分が臨もうとしている事を、彼は横から掻っ攫っていこうと企んでいる。

「雪霧さんがやる必要はないって言っただろ?」
「それで納得する訳がないだろう?」
「……鬼塚だけは残しておくさ」
「……本当だな?」
「あぁ、後の事は雪霧さんに任せる。だから、此処は任せた」

 任せるというのは、おそらく嘘だ。鬼塚の殺害を拒否していた彼が、言うとは思えない。もしかすると、鬼塚を残す事自体が嘘なのかもしれない。口ではそう言って、容赦なく殺してしまう事だって可能だ。何しろ、彼は妖怪の中でも突出した力を持った鬼の中の頂点なのだから。
 だが、ここでうだうだしていても仕方ない。どちらに転んでも、酒呑童子がここに残って鎌鼬と戦う事はないだろう。

「もし、その言葉を実行しなければ、お前を許さないぞ」
「了解」

 酒呑童子は小さく笑みを浮かべると、その場から立ち去った。
 彼の背中が小さくなっていくのを見送った雪霧は、空を見上げ、鎌鼬兄弟を睨む。

「烏丸」
「なんだ」

 烏丸がこちらを見下げ、苛立たし気に目を細めさせる。

「片方を頼む。もう片方は私がやる」
「言われなくともそのつもりだ」
「そうか」

 雪霧は手を口元に持っていくなり白い息を吐き、

「態度の悪い子供には、躾けしなければな」

 歯を嚙み締めた。
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