妖が潜む街

若城

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3章

12話

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 あれから、どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。
 雪霧は病院の手術室の前に設置されている椅子に項垂れる形で座り、霧本の無事を祈っていた。
 ふと、壁に掛けられた時計に目をやると、帰宅してから二時間も経っていない。感覚では数時間、十数時間さえ感じた。
 救急車が霧本宅に到着し、男性数人が家の中に駆け込んできてはその異様な光景に一瞬固まったが、すぐに霧本を担架に乗せる。その際、腹部が凍らされていることが不審に思ったのか、こちらに目を向けてきた。しかし、刻一刻を争う状態であるため、詮索することなく、救急車へと乗り込んでいった。

「俊哉……っ」
「雪霧ちゃんっ!」

 廊下に響く声に顔を上げ、そちらに目やると息を乱しながら駆け寄ってくる梨沙と母が居た。

「俊哉は!? 俊哉は!?」

 母が雪霧の衣服を掴み、問いかけてくる。

「今、あちらで処置を……」
「あ……」

 母は青ざめた顔を手で覆うと、雪霧の隣に座り、俯いてしまう。一方で、理沙は壁に寄りかかり、険しい表情で点灯されている『手術中』を睨みつけていた。

「ねぇ、雪霧ちゃん」
「……はい」

 梨沙の低い声に、雪霧は遅れて返事をする。

「俊哉を襲った奴って、どんなやつなの? 顔、見えなかったの?」
「詳しくは……ただ、俊哉さんとは一度会っているような口ぶりではありました」
「あの子がそんな危ない奴と面識が? ありえない。自分より大きい奴見たら、すぐに弱腰になるような小心者がそんな奴と面識すら持とうとしないっての」

 生まれた頃からずっと近くに居たからこそ分かる霧本の性格に反論することは出来ない。彼と出会って数ヶ月程度の自分に、彼女が間違っているという指摘するほど、彼の事を知らないのだ。だが、それはあくまで『人間相手』だからだろう。
 霧本は他の妖怪とも友達になりたいとと言っていた。もしかしたら、話し掛けた相手が不運にも悪の道を行く妖怪だった、というのも考えられる。彼の周りには悪に染まった妖怪が居なすぎたが故に、それに対する警戒心というものが小さかったのかもしれない。

「とにかく……俊哉を襲った奴は絶対に許さない」
「はい。絶対に……」

 胸の奥で芽生える、久しく現れなかった感情に雪霧は着物の裾を握り締め、唇を噛む。
 すると、廊下に響く一つの慌ただしい足音が聞こえてきた。そちらに目をやると、赤髪を振り乱し、駆け寄ってくる少女が目に入った。

「沙綾香さん、どうして……」
「はぁ……はぁ……おばさんが見えた……から……」

 おそらく嘘だ。彼女が霧本の身に起きたのを察したのは、妖怪に関する事だろう。彼女の母と理沙を一瞥する動作が、それを物語っていた。

「さやちゃん……」

 母が弱々しく呟くと同時に、手術室から一人の男性が険しい表情を浮かべて出てくると、彼は母や梨沙の顔を見るなり頭を下げる。

「霧本俊哉さんのご家族様ですか?」
「は、はいっ」

 母は男性の下に駆け寄ると、彼の服の掴み、涙声で問い掛ける。

「俊哉は大丈夫なんです……か……?」
「ご家族にご報告を、と退室しましたので、今も処置を行っています。現時点で申し上げますと、一命を取り留めることは出来ます」
「よか――」
「ですが、腹部が酷く損傷していますので、大きな傷が残ることだけは頭に入れていただきたい」

 大きな傷。それもそうだ。腹部を抉られた状態であったのに、綺麗に塞がるということ自体ありえない。だが、どれほどの傷を負ったのか把握していない母と梨沙にとっては予想だにしていなかった言葉であり、その中でも理沙は明らかに表情を曇らせた。

「雪霧さんから簡単に聞いただけですけど、どれほどの傷なんですか?」
「出血多量で亡くなる可能性が高かった傷、とだけ」
「厳密には?」
「……右横腹を直径約一〇センチの穴がありました。それも切り開かれたのではなく、抉られたもので、歯形もありました。動物に襲われたのですか、彼?」
「穴? 歯形?  なにそれ、俊哉は――」

 すると突然、母がその場に倒れてしまった。どうやら、あまりの衝撃に気を失ったのだろう。
 それを見た男性は片膝を着き、彼女を抱き起こすと、廊下に響くほど大きな声で看護師を呼ぶ。すぐに看護師数名が駆け寄ってくるなり、迅速に母をテレビで見かけたストレッチャーと呼ばれるもので何処かへと連れ去っていった。
 梨沙は気を失うとまではいかなくとも、知らされた事実にこめかみを揉む。あえて伏せていたものを無理に聞いた後悔と弟の状態に目には薄らと涙を浮かばせていた。

「……では、私は戻ります。大丈夫です、彼は助かりますから」
「はい、よろしくお願いします」

 男性が手術室へと戻っていくのを見送ると、梨沙がこちらに目を向けているのに気付いた。特に怒りを抱いているようには見えず、彼女の口元には僅かな笑みをうかべさせていたが、無理矢理作っているのが容易に分かった。


「雪霧ちゃんも休んだら? 嫌なもの見たしさ。さやちゃんも、来てくれてありがとね」
「う、ううん……雪霧さん、ちょっといいですか?」
 赤崎が顎で場所を変えるよう促してくる。そんな彼女が何処か思いつめているようにも見え、ここで断るのは不躾な気がした。

「……はい。梨沙さん、失礼致します」

 雪霧は二人に頭を下げ、歩き出す赤崎の後をついていく。
 夜にも関わらず、病院内は少し慌ただしい。落ち着きのない子供が走り去っていき、それを若い看護師が追いかける光景が遠目に見えた。身近な人が危険な状態なのに、一瞬だけ気持ちが楽になった気がした。
 赤崎が向かう先は人気の少ない所へと変わっていき、辿り着いたのは人の居ない裏庭だった。しかし、そこにはまるで待っていたかのように人間の姿をした烏丸が腕組みしながら目を閉じ、立っていた。
 烏丸はこちらの気配に気付いたのか、目を開けると、鼻を鳴らした。

「何情けない顔をしている、雪女」
「ご主人が死にそうになってるのに、涼しい顔してるあんたもあんたじゃない」

 仕返しのように鼻で笑う赤崎に烏丸が苛立たしげに唸るが、それを彼の頭に正座しているコロが撫でて宥める。

「誰が主人だ。我は小僧をそのように思ったことなどな――」
「そんなことどうでもいいけどさ。私が言いたいのは……」

 すると突然、赤崎が雪霧の胸倉を掴み上げ、病院の壁へと力任せに叩きつける。予想だにしていなかった事で、雪霧は目を大きく見開き、無理矢理吐き出されてしまった酸素によって咳き込んだ。

「なんで雪霧さんが居ながら、あんな事になったのよっ!?」
「さや……かさん……」
「いっつもトシの近くにいるのにこんな時になんで傍に居なかったのかって聞いてるの!」
「……忘れ物を取り……に……」
「忘れ物……? それであいつを一人にしたの?」
「どうしても……彼に見せたくて……財布を……」
「さ、財布って……それだけで……あいつ……」

 自分には見せた事のない、怒りの篭った瞳が真っ直ぐ雪霧を睨みつける。少女といえど、激情している者の瞳というものは恐ろしいものだ。彼女にとって、霧本の存在は大きくなっているということを示唆している。
 胸倉を掴んでいた両手のうち、片方が外れ、後ろへと振りかぶられる。
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