妖が潜む街

若城

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3章

10話

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 彼女の後姿が妙に嬉しそうに跳ねているように見えた。見せたい物と何か関係があるのだろうか。とにかく、気分が沈んでいる様子がないので、ひとまず安心出来た。
 肌寒くなった夜道を歩きながら、赤崎との勉強の復習を呟く。
 他人から見れば、独り言を言う変な少年に見られるが、今は誰も通っていない。誰かが来れば、頭の中で復唱すれば問題ない。

「さむっ……」

 体を震わせる。
 少し着込んでいても寒く感じる中、雪霧は未だに着物一枚のままだ。雪の妖怪という事もあって、寒がるどころか心地よいと言わんばかりに出て行っては帰ってくる。
 そんな彼女が羨ましくもある。だが、夏場はこれ以上にない程に大変な時期でなり、体に支障を来たさないように心がけなければならない事を考えると、一概には言えない。
 自宅に辿り着くと、家の灯りが点いていないのを確認する。
 両親はまだ帰宅していない。理沙に関してはこちらの友人達と遊びに出かけてくると言っていた為、今日中に戻ってくる事すら怪しいくらいだ。
 霧本は鍵を開け、家の中に入ると靴を脱ぎ、リビングへと入る。リビングの灯りのスイッチに手が触れた時、誰かの気配を感じた。それは烏丸でもコロでもなく、全く知らない誰か。
 その何者かを認識するために目を凝らす。すると、ソファに腰掛けているシルエットを認識が出来、背筋が寒くなった。

「だれっ?」
「やぁやぁ、お邪魔してるよ。霧本俊哉君」

 目が慣れてきてシルエットとなっていた男の姿が鮮明になってくる。
 ベリーショートの銀髪、両耳には五つずつピアスが付けられていた。吊り上がった目からは善人と呼べる要素が見当たらず、見かけで判断しても申し分ないものだった。首から垂れる複数のアクセサリーは骸骨など如何にもその類の者が好んで身に付けるようなもので、きりもとにとって、その良さが全く分からない。

「僕はあなたを知りませんよ」
「こっちは知ってるんだよなぁ。お前の連れ、本人が来いって言いやがったから、わざわざ来てやったんだよ」

 その言葉で、霧本の脳内に浮かんだのは一つ。

「鬼塚……」
「せぇいかい。そう身構えんなよ、長居はしねぇから。大人しく聞いてくれたらな」
「…………」
「単刀直入に言うぞ。鬼蜘蛛丸に手を貸してくれよ。悪いようにはしねぇ」

 やはり、あのふたり組が言っていた事だ。それがグループのトップの口から言われると、下っ端の戯言なのではないというのを実感した。

「別に妖怪をどうこうするつもりなんてない。僕が力ずくで言う事を聞かせてるっていうんですか?」
「でねぇと、あいつらを顎一つで動かせねぇだろ」
「そう見えるなら……何も見えちゃいないよ」
「……ほう。で、答えは?」

 じろりと悪意に満ちた瞳をこちらに向け、笑みを浮かべる。

「お断りだっ!!」

 雪霧や烏丸、コロは駒ではない。友達なのだ。他愛のない話をし、笑ってくれたり、呆れたり、怒ったり、様々な感情を見せてくれる。気兼ねない関係を築いていく事に喜びを感じている中で何故、駒扱いにするのか。自分が妖怪達と関係を結ぶのは使う為ではない。これから先の生活を有意義していきたいからこそ、彼らと友達になりたいからだ。そして、彼らが少しでも楽しいと思ってくれたら、これほど嬉しいことはない。
 それを、目の前にいる妖怪が邪魔しようとしている。
 保身のために友達を売るくらいなら、どんなに怖い相手であろうが、抗ってみせる。臆病である自分でも、そこだけは引き下がれない。

「あら、聞き間違いか? 断るって聞こえた気がするんだけど?」

 耳に手を当て、首を傾げさせる。
 どこまでもふざけた妖怪だ。

「何度でも言うよ。おこと――」

 言葉が最後まで出る前に、左腕から何かが砕ける音と共に衝撃が走った。プラスチックの破片が床にぱらぱらと落ち、数本の乾電池が転がるのを暗がりの中でも確認が出来、テレビのリモコンなのだと認識した。
 そして、衝撃を受けた部位から熱いものが込み上げ、金槌で何度も殴られているような痛みへと変わっていく。
 霧本は痛みに顔を歪めながら、恐る恐る左腕を見下ろす。そこで、痛みの正体を理解した。
 左腕が僅かに有らぬ方向へと曲がっていたのだ。

「あ――――!!」

 今まで体験したことのない激痛に絶叫し、あまりの痛みに膝から崩れ落ちる。腕を押さえ、どうにかして痛みを和らげようと模索するが、一向に良くならない。それどころか、痛みは増すばかりで確実に思考回路を奪ってくる。

「そっちがわるいんだぜ? せっかく友好関係を築こうと歩み寄ったのに、それを無下にするのは失礼だろ」

 男はソファから立ち上がり、霧本へと歩み寄っていく。そして、その場で腰を曲げ、霧本の髪を掴むと引き寄せた。

「二言はねぇ。そういう顔してるな。ガキのくせにその態度、悪くねぇ。だが――」

 その瞬間、視界が反転し、ソファ横の床に体を叩きつけられた。どうやら、放り投げられたらしい。幸い、折れた腕が床に触れなかった為、体の右側に鈍い痛みが走っただけで終わった。もし、これで折れた腕が下敷きなっていたら、先程の痛みの比ではない激痛に襲われていただろう。

「よし、最後にもう一度聞くぞ。手を貸してくれないか?」

 このまま頷けば、これ以上の暴力を加えられる事はないかもしれない。自分は彼らと違って何処にでもいる当たり障りのない中学生だ。苦痛から逃れるためにその選択をしても、後々雪霧達がどうにかしてくれるだろう。
 しかし、その言葉を受け、彼女達はどう思うのだろうか。同情してくれるのか、軽蔑されるのか。それは分からない。少なくとも、その選択をすることによって、自分が抱えるものが彼女達に対する罪悪感へと変化してしまう。
 これからも、彼女達と気兼ねのない関係を築いていきたい。
 自分が死ぬまで。

「いや……だ……」
「そうかよ」

 男の声が頭上から聞こえてきたと思えば、霧本の右肩から手首に掛けて数度の衝撃が走った。

「――――っ!!」
「いい音だなぁおいっ!! 立派な骨だったんだなぁ」

 彼の足が霧本の腕を何度も踏みつける。踏む度に骨が砕ける音が聞こえ、激痛が全身を駆け巡っていく。意識が飛びそうになるが、痛みに覚醒し、再び激痛で悲鳴を上げた。
 喰いしばる歯が僅かに砕ける音が聞こえた。止まる事なく流れる涙が床を濡らしていき、冷たくなった涙の水溜りが霧本自身の体温を表しているようにも思えた。

「従わねぇ奴に忠告だ」

 男はうつ伏せになっていた霧本を足で仰向けにさせると、笑みを浮かべさせる。

「お前が協力しないとなると、こっちはこっちでそれなりの報復はさせてもらうぜ? そうだな、とりあえず、あの赤髪の女からだなぁ」
「な……に……っ?」

 そういえば、彼女もこの男の下の妖怪に襲われていた。幸い、茨木童子が助けに入ってくれたおかげで怪我を負う事もなかったが、常日頃近くにいるとは限らない。それは酒呑童子や天華も例外ではない。これは自分の問題であり、赤崎は関係ないのだ。巻き込むわけにはいかない。
 悪に塗れた手を彼女に触れさせてはならない。

「ふざ……けるな……っ!」

 激痛に耐えながら、霧本は男を睨みつけ、震える声で叫んだ。
 満身創痍。その上、人間の子供がどんなに怒りを露わにしたところで、相手には響かないだろう。だが、虚勢でも何でもなく、漸く繋がり直せた幼馴染みを危険な目に合わせる相手が許せない。悪の妖怪だからといって、退いていい場面ではない。今、優先させるものは自分が抱く感情だ。
 ぼろぼろの霧本を、男が鼻で笑うと思っていた。だが、そんな予想とは裏腹に、男は驚愕に目を見開き、額に薄っすらと汗を滲ませていた。

「……っ! なんでお前が鬼に喧嘩売って生きてたかわかったぞ……」

 忌々しそうに目を細めさせ、舌打ちする。

「クロバトか……お前……?」
「く……ろ……?」

 以前にも、その名前を茨木童子が言っていた。それが一体なんなのか、彼女に聞けずにいたのだが、現代の妖怪の口から出てくるとなると、ただの名前ではなさそうだ。

「まぁいいさ……。クロバトのお前には、良い体験をさせてやるよ」

 男はしゃがみ込むと、尖った歯を見せ、何度か打ち鳴らした。

「生きるか死ぬかはお前の気合いで決まる。お前らがしてきた事を考えれば、安いもんさ。まぁ、ガキにとっては生き地獄かもな?」

 不気味な笑みに霧本は激痛とはまた違った寒気が全身を震え上がらせた。
 彼は何をしようとしている。
 まともな思考回路でない中、必死に巡らせるも何も思い浮かばない。命令な背き、骨を折られ、それでも尚否定した。その次は――死。
 彼は生きるか死ぬかと言っていた。今、この瞬間、自分はその局面に立たされている。果たして、自分に耐えられるのか。この間にも、雪霧が助けにきてくれるのだろうか。そればかり考えてしまう。

「どうする? 怖けりゃ、乞いたらどうだよ。お友達を――」
「しつこい……」

 彼の苛つく言葉ではっきりした。たとえ、怖かろうが、友達を売ることはしない。
 相手が悪なら尚更だ。

「そうかよ。ならよ」

 男の顔が視界から消え、言った。

「生きながら喰われるのは、どんな気分だ?」

 その瞬間、喉を裂けかねない絶叫が部屋に木霊した。
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