妖が潜む街

若城

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3章

1話

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 夏の暑さが終わり、多くの人が衣替えに箪笥に眠る長袖やコートをいそいそと入れ替え始める一一月。昼から晩にかけては暖かな気温に過ごしやすい時期ではあるが、日が沈むと人によっては上に羽織る者もぽつぽつと目立つ。
 夜の気温が徐々にダメージを受けているのは体温調節が難しくなった老体だけではなく、十代の真ん中に差し掛かった少年もだ。暑さよりも寒さの方が苦手な霧本俊哉は、幼馴染みである赤崎沙綾香宅にて、日課になりつつある勉強に勤しんでいた。

「……正解。けど、ちょっとあんたのやりかたは回りくどいわよ。こうすると……ここの式は省けるから、時間短縮になるわ」

 苗字に因み、赤髪に染めた少女、赤崎は自身のシャーペンをノートに走らせ、訂正する。それを見た霧本が凝視し、時間掛けて理解しようと試みていた。

「そっか。まだいまいちだなぁ……手っ取り早く進められる方法ってないの?」
「見りゃわかるじゃない。数よ数。そんな方法あるなら、東大なんて学歴がしょぼくなるわ」
「小さな事からコツコツと、か……」
「わかってんじゃない」

 赤崎はシャーペンの頭で霧本の額を突き、鼻を鳴らす。
 現在、夕方の六時半を過ぎようとしていた。夏ならば、まだまだ明るい時間帯ではあったが、今となっては既に薄暗くなりつつある。いくら勉強を教えてもらっているとはいえ、暗くなるまで居座るのはよろしくない。ましてや、異性の家にだ。幼馴染みでも、関係修復し始めて日が浅い。気を遣ってしまう。

「時間も時間だし、そろそろ帰るよ。雪霧さんを迎えに行かないとだし」

 霧本はノートと参考書、筆記用具を片付けながら告げる。

「そうね。あいつらも帰ってくる頃だから、勉強どころじゃなくなるわね」

 あと、と赤崎は続ける。

「雪霧さんは大丈夫なの?」

 大丈夫、というのは雪霧の腕の事だ。先月、茨木童子との戦闘により、右腕で粉々に砕かれてしまった。自身の力で修復する事が出来、一月経ったものの、未だに不自由している部分があるようで、時折物を落としたりしている。

「んー、まだまだ本調子じゃないみたい。腕は元気そうだけどね」
「物とか持ってあげなさいよ? あんた、気配り出来ないんだしさ」
「そ、そんなことないって……」
「……ふぅん?」

 冷ややかな視線を向けてくる赤崎だったが、突如開かれる窓によって、その視線は数秒で終えた。

「あいつはいるかい!?」

 物凄い剣幕で窓を開け放ち、縁に座り込む鬼、茨木童子だった。彼女は赤崎の部屋を見渡し、目の敵にしている妖怪を探す。しかし、その妖怪の姿が見えないと肩を落とし、誰の許可も取らずに上がり込んでは床の上で胡座をかいた。

「居ないのかい。来て損したじゃないか」
「毎日毎日、よくもそう飽きずに来れるわね……」

 赤崎が呆れた様子で彼女を見下げ、ため息を吐く。

「今日こそは勝てそうなんだ。小娘、あいつは何処だい?」
「天華なら……後ろに居るわよ」

 二人しか居なかった部屋に、天華がベッドに腰掛ける姿で現れた。
 妖怪本の中に居るのは分かっていたのだが、茨木童子の叫び声に出てきたという事だ。そのため、少し不機嫌そうな表情を浮かべていた。
 茨木童子が探しているのは天狗の神、天華。天華に敗れ、遠くへと追いやられた名も無き鬼のお礼参りとして、天華を求め、この街に訪れてきた。しかし、一〇月。つまり神無月であったため、しばらくの間、彼女と出会えないままだった。天華が帰ってきたのは、街を出て二週間程経った頃で、茨木童子は帰ってくるなり彼女に勝負を挑んだ。だが、神と鬼。酒呑童子よりも実力が劣り、片腕を失っている状態では勝てる筈もなく、僅か数秒で地面に伏した、と赤崎が言っていた。それ以降、負けず嫌いな性格だった故に執拗な天華への挑戦が始まることになった。

「面倒くさい奴が……興醒めじゃな」
「あたいはむしろ滾るねぇ! 勝負だよ!」

 茨木童子が天華を指差し、嬉々として叫ぶが、申し入れされた本人は乗り気ではないようで、ため息を吐くだけだ。

「沙綾香よ、した方が良いのか?」

 問いかけられた赤崎は、茨木童子を一瞥すると、一度だけ頷く。
 彼女も茨木童子の挑戦が受けてやらないと帰らないと踏んでの判断なのだろう。二週間で学んだ事は、この鬼は我が道を行くタイプという事だ。

「……全く、勝負を受ける側として、何をするのかは妾が決めるぞ?」
「あぁいいさ。何でもきなっ!」

 茨木童子と天華の無謀な戦いを全て見たわけではないが、最早約束事となりつつある。茨木童子が勝負を挑み、天華が何をするのか決める。そして、天華の圧勝に終わる。
 ――よく飽きないな。
 霧本は勉強道具を全てしまい、体を一体の神と一体の鬼へと向ける。赤崎も同様に、壁に凭れ掛かり、腕を組んでは退屈そうに眺める。

「今回は……腕相撲じゃ」

 確か、前回は相撲だった気がする。霧本からすれば、あれは相撲とは言えなかった。決まり事の一言の後、茨木童子が天華の触れる前に片腕だけで放り投げられ敗北していた。組手という言葉にも当て嵌まらない光景が気の毒としか思えなかった。

「いいねぇ。床に減り込ませてやる」
「いや、やめて?」

 手を鳴らし、乗り気な茨木童子に向けて赤崎か間髪入れずに中止を求める。しかし、彼女達の戦いは既に始まっており、茨木童子が一人分後ろへ下がり、その空間に天華がうつ伏せになる。

「うっ……」

 二体の妖怪がうつ伏せになり、互いの腕を組んだところで霧本は目を背けた。
 人間とは異なる存在だとしても、人間と同じ姿をしている。そして、彼女達の容姿は誰から見ても魅力的なものだ。思春期である少年には少々刺激的な容姿、トップモデル並の整った顔立ち。それだけで目に毒である。極め付けは、茨木童子と天華の大きな胸。
 床に体を着ける事で胸が潰れ、彼女達の胸の大きさが強調される。天華の着物でも胸の大きさは分かるが、唯一の救いは肌の露出が少ない。しかし、一方の茨木童子は、はだけた着物の下にサラシのみ。谷間の深い胸が一層強調され、見る男なら歓声を上げてもおかしくない状態だった。
 そこで、赤崎から今まで聞いたことのない程、大きな舌打ちが聞こえ、慌てて彼女の方へ目を向けると、天華達に妬みの視線を向けていた。

「さ、さや姉さん?」
「変なこと言ったら容赦しないわよ?」
「え」

 冗談に聞こえない低い声に、霧本は体を大きく震わせる。そんな危機的状況に気付かない茨木童子が、不機嫌に口を尖らせ、文句を言ってきた。

「小娘、合図言いな。始まんないじゃないか」
「……勝手に始めなさいよ」

 醒めた声で告げる赤崎に、天華は自分の胸を見下ろした後、茨木童子の手を指で叩く。

「沙綾香は少し機嫌が悪い。おぬしの好きな時に始めろ」
「はぁ? 仕方ないねぇ……。せぇ――のっ!!」

 掛け声と共に、唐突に茨木童子が手に力を込める。しかし、互いの手が小刻みに震えるのみで一切動かない。

「おぉっ」

 茨木童子は額に青筋を立て、床に額を着く寸前まで俯く。それ程までに、自身が出せる最大の力を腕に込めているのが分かった。
 一方、天華は開始時と殆ど変わらない表情で、必死に力を込める茨木童子を見下げていた。一瞬、眉が動いたのを確認出来たが、すぐに対等の力加減に修正し、水平を敢えて保っているのが窺えた。

「そこそこといったところじゃな。妾が会った中で二番目に強い」

 一番はおそらく、酒呑童子だろう。

「しかし、まだまだ青いな」

 そう言い、赤子の手を捻るが如く、腕を動かす。すると、一瞬にして茨木童子の手の甲が床に着き、その勢いで仰向けにひっくり返ってしまった。

「ふぎゃっ!」

 神の中でも腕力においては別格の強さを持つ、天逆毎。鬼の中でも二番目に強いと言われた茨木童子すら、捻ってしまう辺り、その強さは絶対的なものだと感じた。
 味方で良かった。霧本は心の底から思った。

「鬼というのは鍛錬不足の傾向にある。元来持つ力を、活かす事もなく振り回す程度にすぎん。そんな事じゃ、神には勝てんぞ?」
「その言い草、酒呑もそうなの?」

 赤崎はそう問い掛けると、仰向けに転がった茨木童子に睨まれ、僅かに体を震わせる。護ってくれる約束はしたものの、赤崎自身が抱く、茨木童子に対する恐怖心は拭い切れていない様だ。

「あぁそうじゃ」

 天華は茨木童子を見ることなく、彼女の頬を叩き、返答する。

「鬼の頂点といえど、所詮は生まれつきの才を無闇に振り回しているだけの子供。妾に一度とも倒す事も出来んかった。じゃが、戦い方を教えればすぐに上達してな、今となっては面白い。もう一〇〇年以上、組み合ってはいないが、今やりあえばどうなるやら」

 嬉しそうに笑う彼女が、まるで弟子の成長を喜ぶ師のようだった。
 それを見た茨木童子が体を起こし、涙目になりながら、窓へと駆け出す。そして、窓の縁に足をかけた後、天華を振り返り、

「ばぁかっ! 乳でかぁ!!」

 と、言い残し、何処かへと飛び去って行った。
 茨木童子の退場を呆然と見送った後、沈黙が流れる部屋で天華が呆れた様子で呟く。

「なんじゃあれは……子供か」

 胸が大きいのは事実なので、霧本は事態を深刻化させない為にも黙って首を傾げさせる。一方で、相変わらず醒めた目で天華の胸部を見つめたままだったが、ブツブツと何かを呟いていた。小さくだが、『大きいのがいいとか……』、『羨ましい……』など、同性が故の感情が言葉として聞こえてきた。
 男にとって、女性の胸というのは見てしまう部位の一つだ。それは霧本も例外ではない。
 ――良いもの見れたな。霧本は口に出せば、隣に居る赤崎から怒涛の殴打を食らうので、気付かれないように笑みを浮かべた。
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