妖が潜む街

若城

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2章

17話

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 女が追いかけてくるが、滑走する雪霧の方が僅かに速く、寸での所で捕まえる事が出来ないでいた。それが女の怒りを促進させ、捕獲という行為から破壊へと移り変わる。
 女の左手が、避け続ける雪霧の着物を掠め、コンクリートで構成された地面に触れる。その瞬間、左手を中心に地面が割れ、近辺に置かれていた車や信号機等が次々と音を立てて崩れ落ちていく。

「……馬鹿力め」
「あんたが逃げなけりゃ、被害は大きくならないさ」
「お前が大人しくしていれば、街は壊れないぞ」

 女の攻撃を避ける方法が解決した。次に解決するものは、奴の撃退。
 まともにやり合えば、自分が負けるのは目に見えている。それは、山姥の時もそうだ。山姥との戦闘で勝てたのは、自分の戦いやすい環境を作り上げたからこそだ。人間が蔓延るこの街ならば、それは叶わない。しかし、混乱によって周囲の人間の数が減少した今なら、出来なくもない。
 雪霧は地面から建物の壁をも滑走する対象にし、凍結の面積を着実に増やしていく。女が車や電柱を投げつけ、標的を潰そうとする、しかし、思うように雪霧を止める事が出来ず、地面を踏みつけ、悲鳴に近い雄叫びを上げた。

「時間稼ぎをしてんじゃないよ! あたいをコケにするのも――」

 口から漏れる白い息に、女は言葉を噤む。

「まさか、あんた……」

 女は壁に張り付き、凍結の面積を広げていく雪霧を見上げ、苛立たしげに呟く。
 漸く、周囲の気温が下がってくれた。秋に差し掛かっているものの、まだまだ暑い。ましてや、この街はコンクリートジャングルとも言われて、熱を溜めやすい。その元になるコンクリートの大部分を凍結させるのが一番手っ取り早い。そして、その周囲の凍結。いくつか女によって邪魔はされたが、目的は達成した。
 これで対等に戦える。
 雪霧は目を閉じ、再び開ける。移動した先は女の右側の死角。奴の利き腕はおそらく左。攻撃する際、常に左を先行させ、右手を一切使わない。こちらを舐めて掛かっての事なのか、不慣れ故の行動なのか定かではないが、右側が手薄なのは確かだ。
 狙うなら、この死角。霧本には申し訳ないが、女の命を奪う必要がある。このまま野放しにしていると、確実に人間が死ぬ。それどころか、人間の肩を持つ妖怪すら粛清という解釈で殺しかねない。
 ならば、この場で仕留める。
 自身の手を、今までで最大の硬さにまで凍らせ、女目掛けて照準を合わし、懺悔と共に腕を振るう。
 しかし、

「わかってんだよ」

 拳を握り締め、こちらにも照準を合わせた女が不気味に笑っていた。

「なっ!?」
「死ね」

 女の、固められた拳が何倍にも大きく見え、全身に緊張が走る。彼女の拳が体に叩きこまれた時、その一撃で自分の敗北が確定するだろう。ここで自分が敗北すると、現在、逃亡している霧本達はどうなる。
 敗北した後の事を考え、胸がきつく締め付けられる。
 負けては駄目だ。最低でも、差し違いにまでならないと彼らを助ける事は出来ない。
 雪霧は目を閉じ、集中する。そして、女の拳が頬に一瞬触れた後、数メートル先で再び粉砕音が耳に届く。

「……はっ、はぁ……はぁ……」

 痛みが走る頬を撫で、目の前に持っていく。一瞬の接触ではあるも、雪霧の頬を裂く腕力に戦慄が走った。

「なんだ、後ろにはいけんだねぇ」

 地面に突き刺さった引き抜き、感嘆の声を洩らす。

「なぜ……何故、分かった……?」

「左手でしか使ってないと、右手は使えないと思ってしまうんだよ、素人は。で、姿を消せるなら、その一瞬で右側を狙うもんさ。なら、あとは簡単」

 自分の思惑を実行する前から認識出来ている辺り、経験の差だ。じぶんでは得策と考えていたものが、相手にとっては愚策の愚策に過ぎず、幼稚なものだった。

「まぁ、他にも理由があんだけどね」
「……なに?」
「そこは、教える義理じゃないね。自分で考えな」

 動きを読む手段を得ている以上、迂闊な行動が取れなくなった。必勝法と考えていた手段も、理由は分からないが看破され、事実上使えなくなってしまった。
 打つ手が無い。
 敗色が濃厚だが、戦闘に勝つよりも優先するべき事を考えれば、残された手段は一つだ。

「……何故、俊哉達を追わず、私と戦おうと思った? お前なら、私を無視出来ただろう」
「そうだね、あたいの目的はあのガキ共だけど、あんたをぶちのめす理由があんのさ」

 女は手を腰に当て、こちらを見据える。

「あたいの居場所を奪おうとした」
「…………」
「あたいの隣にはいつもあいつが居た。それは死ぬまでずっと変わらないと思ってた。けど、あいつは居なくなり、出会えたと思ったら、あんたや人間が傍に居た。あいつの隣に居られるのはあんた達じゃない……あたいなんだっ!!」
「居たければ居ればいい。私は一向に構わない。だが、周りの者を巻き込むのはやめろ。あやつも望まないぞ」
「知った風な口を聞くんじゃないよ! あんたに、大切なものを奪われる気持ちが分かるのかいっ!?」
「分かっているさ。お前も感じた事があるのなら、私の大切な者を奪うな」

 あの時、護れなかった五つの小さな命。自分がどうにかしなければ、助かる事はなかった命。日が経つにつれて、押し寄せてくる後悔が重く圧し掛かってくる。
 護れなかった命の償いの為に、二人の子供を護れなければならない。この命に代えてでも。

「私には昔、護れなかったものがあった。救いたくとも阻まれ、それは叶わなかった。救えなかった罪を少しでも償う為にも、私は俊哉、沙綾香さんを護らなければならない。お前には、奪わせないぞ」

 雪霧は滾らせる冷気を周囲に撒き、凍結させていく。世間の疑問が浮かび上がっても構わない。自分に出来る事は、時間稼ぎでは駄目だ。それを女との会話で再認識出来た。この場で奴に勝ち、再び二人の下に戻る。
 車が氷に覆われ始め、次第に姿を見せなくなる。その周辺のポストや看板、置物も同様に凍り始め、次第に見えなくなっていく。
 今日の気温は二七度。数時間経てば、元の光景に戻るだろうが、その数時間の間は自分が最善の状態で居られる環境にさせてもらう
 電子掲示板に表示された気温は急速に落ち、氷点下を下回り、マイナスの記号へと変更される。

「私はもう、あの様な後悔をするつもりはない。ここで、お前を倒す!!」

 極寒とも言える現状に、身を震わせる事もなく、立ち尽くす女。彼女を凍った毛先を摘み、砕くと吊り上げさせた眉を下げる。

「あんた、その昔の話ってのはいつだい?」

 先程までの彼女とは打って変わり、静かな口調で問い掛けてきた。
 突然の事に、雪霧は困惑しつつも、その問い掛けに答える。

「四〇〇年前だ」
「……その護れなかったものって、ガキだろ? それも五人」
「なぜそれを――」

 何故、子供達の事を知っている。酒呑童子と共に行動していたのなら、平安時代の妖怪だ。そして、自分が生きていたのは江戸時代。つまり、四〇〇年程前だ。数百年の時代の差があるのに、どうして知っている。

「あの村を襲ったのかっ!?」

 鬼とはいえ、一〇〇〇年も容姿を変わる事無く生きていられるとは思えない。自分や烏丸のように封印された後、何処かで解き放たれたのなら、十分に有り得る。
 自分が居なくなった後、人間達を食い荒らしたのか。
 雪霧は歯を噛み締め、女を睨みつける。しかし、女は雪霧の問い掛けに呆れたのか、鼻を鳴らすと視線を外した。

「戦国の時代を過ごしちゃいないけど、一番人間が不味い時代って言うじゃないか。そんな人間食うより、そこらへんの家畜を喰った方が断然マシだね」
「ならば、何故――」
「なぜなぜなぜなぜ……少しは自分で考えなって言ったじゃないか」

 女は準備運動をするように首を回し、ため息を吐く。

「これではっきりした。あんたを殺すのはやめた」

 だけど、と続ける。

「ここで完膚なきまでに叩きのめす」

 女の言葉が終えたのを気付いた時、彼女を見ていた筈の視界が高速で移動した。自分の意思とは裏腹に視界が移動したのに加え、顎に強烈な痛みが走る。そこで、女に顎を掬い上げるように殴られたのを、漸く理解出来た。

「がっ……!?」
「それで終わると思ってんのかい?」

 その言葉の次には、五発の殴打。雪霧の体が宙を舞っている為、回避する事も出来ない。自身の姿を消す業をしようにも、意識を集中する暇さえ与えてくれない。完全に相手の連鎖に嵌り、成す術もないまま、延々と殴打が繰り返される事も有り得る。

「おぉらよっ!」

 女の蹴りが頬に直撃し、勢い良く地面を何度も打った。しかし、彼女の連打が終わり、反撃する機会を得る事が出来た。
 一瞬の移動を読まれている為、単調な動きは出来ない。ならば、数で勝負する。
 雪霧は瞬きするようにし、女の背後に移る。それに対し、やはり動きを読んでいた女が同じ妖怪とは思えない速度で振り返りざまに拳を放とうと振りかぶる。
 ――今だ。
 もう一度目を閉じ、次の移動先へ姿を消す。背後目掛け、拳を放つのが確定しているならば、急な方向転換は難しい。あの勢いでは空を切り、派手に体勢を崩してしまうだろう。その間に、奴の首を凍らせた袖で切断出来れば、勝利する事が出来る筈だ。
 雪霧の視界が女の右側の死角へと移動する。右側へと移動する。右腕は相も変わらず動かしておらず、恰好の的となっている、
 自身の袖を瞬時に凍らせ、大きく振りかぶる。
 これで終わりだ。

「がっ――!?」

 腕を振るうよりも速く、女の左手が雪霧の首を絞めつけた。
 有り得ない。女は完全に自分が居た方へ、足を踏み込み、腕を振るっていた。あれから横にまで移動した存在の、しかも首を的確に捉えられるとは思えない。

「そん……な……っ!?」
「あんた、鬼を舐めすぎじゃないかい? あたいに勝てると、今ので思ってんの?」
「ぐっ」

 雪霧は再び姿を消し、女の真上へと移動する。しかし、本来居る筈だった場所に女の姿はなく、凍結した地面のみが視界に広がっていた。

「馬鹿の一つ覚えだねぇ」

 女の声が頭上から聞こえる。

「勝手に焦るんなら世話ないさ。素人さんよぉ」

 女を視界に捉えてからでは遅い。奴は確実に字運を仕留める為の構えを取っている。圧倒的な差で動作に移る速度が劣っているのなら、見るよりも先に、行動に移さなければならない。
 雪霧は自身の右腕の全てを氷へと変換させる。少しでも柔らかい部分があると、女の腕力によって容易く押し潰されてしまう。人体に致命的な損傷を与えるには、相応の硬さが必要だ。少なくとも、自分が現時点で作り出せる硬さを相手に叩きつけなければ勝機はない。
 骨の髄まで強固と化し、振り返る勢いに任せて、全力で振るった。
 骨と氷が加減も無くぶつかり合い、形容し難い音が双方の耳に叩き込まれる。太陽光によって、空中に四散した氷の欠片を照らし、輝かしい美しさが視界に広がった。見る者全てが、口を揃えて綺麗等と漏らすだろう。惜しくも、この美しい光景を見た者は皆無だった。
 一方で、紅く舞った少量の液体が美しく照らされた、氷の破片を覆い、その美しさを奪い去っていく。愛される光景を、忌み嫌われるものによって邪魔され、光を失っていく。
 絶対的な腕力が、護る意志と比例した強固な氷を嘲笑うかのように、粉々に砕いた。

「そんな……」

 激痛も無く、ただ突きつけられる現実に雪霧は絶句する。
 自分の持つ全てをぶつけても、鬼に勝つ事が出来なかった。力こそが全てと謳う鬼に、力で押し潰されてしまった。
 また、護れないのか。

「そこで懺悔しな、裏切り者が」

 女は血に濡れた腕をもう一度、振り上げる。

「私は……私は……」

 子供達は恨んでいるのだろうか、自分を。痩せ衰えていく彼等を見捨て、何処かへ去っていったと絶望したのだろうか。違う。救いたかった。妖怪だと知られても、怖がられようとも、飢えから救いたかったのだ。死に奪われて欲しくなかったのだ。

「……許してくれ」

 そこで、雪霧の意識が途切れた。
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