妖が潜む街

若城

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2章

15話

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「あたいは勝手にやらせてもらうさ」

 その瞬間、女の手元にあった車が雪霧に迫る。空気を切る重い音が響き、雪霧は咄嗟に片手を振り上げた。雪霧の目の前には、高さ数メートルの氷壁が現れ、女が放った車を受け止める。しかし、付け焼刃の氷壁である為、激突音と共に亀裂が入り、音を立てて崩れ落ちると、飛散する破片が彼女の頬に小さな切れ目を入れた。

「な、何を考えているっ!?」
「邪魔者の排除。他に理由なんてあるかい?」

 女は口に手を当て、笑う。
 奴は何も考えていない。ただ、自分がやりたい事をしたいだけ。人間を護ると言い放った雪霧に対する嫌がらせなのだろう。この街に住む妖怪が自身の正体を隠しているのを、女はおそらく知っている。だからこそ、街に馴染もうする、雪霧を含めた妖怪達の居場所を失くす意図も見受けられた。
 妖怪は人間に恐れる存在ではない。
 酒呑童子を知る鬼ならば、このような思想を抱いていても不思議ではない。
 作り物ではなく、現実であるという事を薄々感じ始めた人間達がざわつき始め、自分達と一定の距離を取り出す。賢明な判断ではあるが、その行為が女の衝動を駆り立たせた。

「逃げるだなんてやめないかい、あんた達ぃ?」

 警戒心を抱き始める人間を一人ひとり見て、不気味に笑う、そして、片足を一歩退かせると、身を屈めさせる。
 その構えは誰にでも予測が出来た。獣が獲物目掛けて飛び掛かる前動作。妖怪の捕食対象である人間と捕食者、妖怪。
 狩りだ。

「いい加減にしろっ!!」

 雪霧は激昂し、今にも飛び掛かろうとする女へと駆け出す。
 コンクリートの地面が音を立てて砕ける音と共に、女との距離が一気に縮まる。しかし、女の表情は驚愕へと変わる事も無く、眼前を飛ぶ虫に対する視線を向けては舌打ちをした。

「邪魔すんじゃないよ」

 女は着物を掴もうと伸ばす雪霧の手から、僅かに身を逸らす事で避け、左手で彼女の頬を触れる。

「失せな」

 そう告げるや否や、横に薙ぐように振るう。

「ぐっ――!」 

 傍から見れば、軽く頬を叩いたように見えるだろう。しかし、雪霧の頬に伝わったものはそんな表現は生温かった。女の手の甲が頬に触れると、思わず耳を覆いたくなるような鈍い音と骨が軋む音が入り交じる。そして、成人女性の体重を持つ体が綿の様にふわりと宙を浮き、数秒の滞空時間を経て、何度も地面に叩きつけられる。

「がっ……」

 固い地面に体を叩きつけられて四度目。交差点で停車していた車のトランク部分に、背中を強打し、漸く止まった。酷い打撲に白い肌が内出血を起こし、紫色に痛々しく変色していた。刺さるような痛みではなく、じわじわと迫るような痛みだ。長く続くであろう鈍痛が戦闘に対する影響への懸念と、鈍痛による不快感が集中力を確実に削いでくる。

「今のに反応出来ないようじゃ、あたいには勝てないよ。それ以前に、鬼に刃向おうとする事自体が間違ってんだよ」

 進行邪魔をする女に対して、クラクションを鳴らす車に向けて、彼女は小石を蹴るように、足を振り上げる。車は轟音と共に宙を舞い、更に後ろで停車していた車の上に落下すると、二度目の轟音が周辺に響き渡る。
 その異常な光景に、周囲の人間が遅い悲鳴を上げる。しかし、その場を動けるような者は少なく、ただ悲鳴を上げるだけで、立ち尽くす者の方が多く見受けられた。
 女の脅威が、弱い人間達が持つ恐怖心に着実に踏み込んでいく。同じ人間の姿をしているも、怪物とも言える業を成し、人々の直観的な思考を物の見事に奪い去ってしまっている。

「間違っては……いない……私には、護らなければ……」
「人間を護る? 必死になって護る価値なんてあるのかい?」

 女は逃げ惑う人間を睨むように見ると、『クククッ』と喉を鳴らす。

「あいつらはこの世で一番優れていると思いたがる存在だ。現代の繁栄を自ら、零から作り上げたと言いやがる。いいや、違うね。あたい達の場所を奪い、壊し、威張り散らして……虫唾が走るね!」

 傍にあった車のボンネットを殴り、大破させ、吠える。

「そんな奴らに頭を垂れて生きる妖怪にもさ。垂れるくらいなら、その場で殺せばいい。力で捩じ伏せてこその妖怪だ。人間が威張るなど、必要ない!」

 あまりにも暴力的な持論を持つ女に、雪霧は苛立ちを覚えた。
 ここに住む妖怪達は嫌々人間に従う暮らしを選んでいる訳ではない。好きで選んでいるのだ。種族の違う者と接して、新たな発見を楽しみにし、時には激しく反発する事だってある。人間の疾しさを嘆く者とも、ここ数週間で出会ったが、生活を否定するような事はしなかったが、生活を否定するような事はしなかった。面倒な所があっても、人間が、街が好きだから居られるのだ。それを、何も知らない鬼にとやかく言われる筋合いなどない。

「護る価値、か。そんなもの……好きだからに決まっているだろう」

 雪霧は激痛が走る体に鞭を打ち、立ち上がる。
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