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2章
8話
しおりを挟む赤崎は憤怒する。理由としては妖怪に対する怒りだ。妖怪の存在を知ってから、一ヶ月と少し過ぎた。その期間の中で驚く事もあったし、悲しくなった事もあった。嬉しい事も、いくつもの感情が胸の中を何度も駆け巡っていった。
しかし、目の前に居る存在が赤崎の怒りを最高潮にまで引き上げていく。
今、赤崎がしている格好は寝間義。しかし、裏表反対だったという事もあって、一度脱いだ状態。所謂、上半身裸である。
そして、目の前で毅然とした態度でこちらを見据える――天狗。
赤崎は寝間着を着、裸を見られた事で暴れる事を自制するために、一つ深呼吸した後、告げる。
「あんた、何様よ……」
「人間風情が、纐纈な種族、天狗に何様だと? 無礼だぞっ!」
赤い顔を引き攣らせ、野太い声が自室に響き渡る。
「ちょ、静かに……っ」
今は夜の一〇時を過ぎた頃だ。普通に考えて、娘にしか居ない家庭で、父以外の男性の声が聞こえてくるのが不自然極まりない。
案の定、
『沙綾香ぁっ!? うるさいわよぉ!?』
一階に居る母から怒声が聞こえ、赤崎は慌てて部屋から飛び出し、弁明する。
「ごめん、テレビの音大きくしすぎたっ!」
ありきたりな嘘を吐いた後、静かに部屋のドアを閉め、改めて天狗を睨みつける。
目の前に居る天狗は、自分が思い描いていた天狗像と何一つ相違点は無く、一〇人中一〇人が天狗と言ってのける外見をしていた。元の先入観と妖怪に対する耐性が身に付いたためか、特に驚く事はなかった。しかし、妖怪とはいえ、裸を見られたという事は、決して許したくないものであり、自分に妖怪を蹴散らす力があるならば、この場から叩き出していただろう。
「私に何か用? エロ天狗……」
「ふんっ、別に人間の体になど興味などない。同じ人間だったとしても、おぬしのような貧相な体に興奮する者などいまい」
天狗は鼻を鳴らすなり、こちらに指差す。
「ここに天逆毎様がおられるのは知っている。どこにやった?」
「あまの……まさか、天華の事?」
天華は天狗の祖というのは先日聞かされたのは覚えている。詰まらない天狗界に嫌気を差し、抜け出した後、封印された。現代を生きる天狗は、そんな心境を抱えていたという事を知らず、祖である彼女を天狗界に呼び戻そうとして来たのだろうか。
――そもそも、絶滅してなかったんだ。
赤崎は眉根を寄せる天狗を尻目に、勉強机に置いてある、妖怪達が封印された本を開き、普段、天華が居座るページまで捲った。そのページでは、天華が胡坐をかき、眠たそうに伸びをしている姿が描かれており、その膝の上で座敷童が何やら本を読んでいた。
「天華、お客さんみたいなんだけど……出てきてくれない?」
そう問いかけた瞬間、天華と座敷童が描かれた絵が一瞬にして消え失せ、気付いた時には、隣に姿を現す。この現象はいつになっても慣れる事が出来ず、本から出てくる度に心臓の鼓動を速くさせてしまい、健康に悪い。
「なんじゃ、妾はもう寝よう思っておったのに……」
天華は大きく欠伸をしながら、文句を言ったが、目の前に立っている天狗の存在で察したのか、深くため息を吐いた。
「夜中に訪ねてくるとは、良い度胸しておるな」
「眠い時の天華は不機嫌さんだよぉ」
彼女の後ろに隠れ、座敷童が天狗に向かって舌を出し、小さく笑う。
その言葉に、天狗の赤い顔が目に見えるように青ざめていき、その場で片膝を着くなり謝罪する。
「も、申し訳ございませぬっ!!」
さっきの自分への態度とは一八〇度違うもので、腹が立った。裸を見られたのに謝罪一つもない。それどころか、貧相な体だと暴言さえ吐かれた。天華が良いと言えば、引っ叩いてやろうか。
「で、何の用じゃ」
「はっ、天華様には、早急に出雲へ出向かれますよう、仰せつかっておりまして……お迎えにあがりました」
「……なに?」
天狗の言葉に心底嫌そうな表情を浮かべ、苛立たしげに舌打ちをする。
出雲と言えば、島根県だ。だがなぜ、天華がそのような場所に赴く必要があるのだろうか。
そこまで考えて、赤崎はある事に気付き、納得出来た。
「あぁ、一〇月……」
「一〇月がどしたの?」
ひとり、理解出来ていない様子の座敷童が、赤崎の脚を突き、首を傾げさせる。赤崎は彼女を振り返ると、天華が嫌がる理由を説明する。
「一〇月の別の読み方は、神無月っていうのは知ってる?」
「うん。月の名前がいっぱいあるんだよね?」
「そう。意味としては、各地の神様が居なくなる月になるの」
「神様は何処に行くの?」
「そこが出雲なの。出雲の島根県だけ、神無月とは言わずに、神在月って読んで、各地の神様が集まる月って言われているのよ」
八〇〇万という神が訪れるとも言われており、島根県が神によって敷き詰められる場面を想像すると、暑苦しくてならない。細かく考えていくと、相性の悪い神同士が嫌でも顔を合わす事になる。その状況は、自分で言うあの三人組と鉢合わせになるという事だ。
――嫌になるわね。
天華が行きたがらないのは、会いたくない連中が居るからだろう。彼女の事を知る為、天毎逆の伝記を読んだが、彼女を良く思わない存在は少なくない。むしろ、非常に多い。
「大変だね、神様も」
座敷童は天華を見上げ、気の毒そうに呟く。
一方、神在月という単語に関心したのか、天狗は長い鼻を撫で、数回頷く。
「ふむ、小娘の割には、良く知っているな」
「そこらの人と一緒にしないでくれない? 天華、行って来たら? 昔とは違うかもしれないわよ?」
赤崎にまで言われるとは思わなかったのか、衝撃を隠してきれない様子で目を見開かせる。断固として拒否する、と彼女の表情から見て取れたが、驚愕ものから諦めのものへと変化させ、頷いてみせた。
「……分かった。出雲に行こう」
「断らないのね」
「こやつの顔を見れば分かる。来なければ、ここに居座るつもりじゃろう」
呆れた様子で天狗を見つめ、ため息を吐く。
「あぁ……」
確かに、彼からは固い忠誠心を感じる。当時、天狗狩りがあったと聞いていたが、おそらく壊滅していない集団も存在していた。そして、再興と天華の健在を信じ、今に至る、という事だろう。
「で、いつ出雲に?」
「今宵からが望ましい、と思われます」
「妾に寝るなと言うのか?」
「も、申し訳ございません……っ」
その場に片膝をつき、頭を垂れる。
赤崎は天華を一瞥すると、彼女と同じように溜め息を吐く。
会った事も無いのに、この主に付き従う姿勢。それほどまでに、天華の存在は天狗達にとって絶対的な存在であり、そう容易く抗えないもの。だからこそ、今回の招待は、他の天狗にも重要にとも言えるものになるだろう。
「あんたのスピ――速度なら、すぐに島根に着きそうだけど? てか、渋って家に居られるのは溜まったもんじゃないんだけど……」
「むう……、おぬしは妾が居なくなっても寂しくならぬのか?」
子供のように頬を膨らませ、こちらを睨む天華だが、特に恐怖を感じない。友だからこそ見せる表情であり、甘えなのが一目で分かる。彼女達の言葉を受けてから、日は経ってはいないものの、酒呑童子、座敷童、天華と確かな友情を築けている(がしゃどくろとは会話が出来ない為、親睦を深めにくい)。他の妖怪は、封印が解けてからは中々戻ってきていない。現代の光景を知りたいのだから仕方ない事だが、白紙のページが目立って侘しい。
「ん……まぁ、寂しい、かな。それに、酒呑の相手が減るのはしんどい……」
彼だけは相も変わらず、四方八方から絡んできて、非常に面倒臭い。最近では、座敷童すら相手するのが億劫なっている様にも見える程だ。口には出せないが、彼は当時、鬼の頂点に立っていた鬼とは思えない程、良い妖怪である。彼に対し、確かな信頼関係を築けている、筈だ。
「酒呑?」
天狗が顔を上げ、疑問を投げかけてくる。
「話の腰を折るな。酒呑童子の事じゃ。童子まで付けるのは面倒くさいからな。そう呼んでおる」
「も、申し訳ございませんっ!!」
再び頭を垂れ、謝罪する彼がここまで来ると可哀想になってくる。今となっては、天狗の関係が終わっている様にも感じるが、何年経とうとも拭い切れないものがあるのかもしれない。
「全く……なるべく早く戻る。待っていてくれ」
「うん」
赤崎は天華と抱き合い、しばしの別れを交わす。天華の方が、背が高い為、口元が彼女の豊満な胸によって塞がれてしまう。同性であっても、胸が高鳴るのは止められず、その柔らかさに唸るしかなかった。
そこで、赤崎と天華の会話が不服と思ったのか、抱き締める赤崎を引き剥がしては眉根を寄せる。
「先程から貴様、天毎逆様に無礼であるぞっ。人間如きが、神に向かって――」
「貴様の方が無礼じゃぞ」
天華は以前、鬼にも見せたように朱色に化粧が、紅く染まっていく。
「沙綾香は妾の友であり、主じゃ。初めて顔を合わせる者にとやかく言われる筋合いなどない」
天華の睨みに大きく体を震わせ、再び片膝を着かせた。
「ももも申し訳ございませんっ!!」
「ふん、行くぞ。さっさと出雲に赴き、ここに舞い戻る」
天華は片膝を着く天狗の襟首を掴むなり、天狗が裂きほと入ってきた窓へと歩きだす。
窓の前で、彼女は赤崎を振り返り、笑みを浮かべて見せる。
「ではの」
そう言い残し、その場から姿を消した。正確には、赤崎の目では負えない速度で、窓から飛び去ってしまった。その証拠に、部屋に突風が吹き荒れ、棚に仕舞っていた本やプリント等が宙を舞った。
突風によって乱れた髪を整え、赤崎は鬼と戦った時の天華の事を思い出す。
「どっか行く時はあっという間ね……」
呆然と呟き、いつになるか分からない彼女の帰りを待つ事にした。
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