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2章
7話
しおりを挟む「まさか、一枚も持っていないなんて……」
赤崎は以前、霧本と雪霧に鉢合わせたファミレスにて、申し訳なさそうに縮こまる雪霧に向けて、呆れた様子で呟く。
昨日、酒呑童子達のいじりを適当にあしらいながら勉強しているところ、どこから聞いたのか、自分の携帯に直接、霧本の母から電話があった。何事かと思ったが、単刀直入に下着や服を買いに連れて行ってほしいと告げられたのだ。
初めて会うわけではなく、佐野商店に足を運ぶ度に顔を合わすので、そこまで抵抗はなかった。ただ、同性だからという理由で、二言目でパンツとブラジャーの単語を言われるのは流石にどうかと思った。
「今日はありがとうございます。私ひとりだと、どうする事もできなかったでしょう」
下着や衣服が何着も入った買い物袋に挟まれた雪霧は、目の前に置かれたコーヒーをストローで飲みながら、眉根を寄せる。
「いつものように、俊哉についてきてもらおうと思ったのですが、母上殿に頑なに拒まれました……」
彼の事を下の名で呼ぶのに違和感を覚える。
そこまで親しくなっているのか。
「そりゃそうですよ。あの馬鹿に任せても仕方ないです。ましてや、男ですよ? 役に立ちませんって」
「下着が大切な代物だと先日、理解する事が出来ました。相手への思いやりですね。しかし、慣れていない故、どうも気になってしまって……」
これだけ聞くと、ただの露出狂の発言のようだが、仕方のないことだ。霧本の言っていた通りなら、下着という概念など皆無に近いだろう。四百年も前なら、女性が身に付ける物は前を隠す布程度で、履くというものではなかった。実際、下着が日本に飛躍的に広まったのは明治時代であり、長い歴史の中では最近の事だ。
「すぐに慣れますよ。逆に、履いてない方が気になりますからね? 履かずに外出たことないけど」
下着の概念を知りながらも履かない者の気持ちが、赤崎には理解する事がいまいち出来ない。 その上、外で自身の身体を見られて快感を得るというものなら、なおさら理解する事が出来ない。もし、見かけでもしたら、蹴り倒してしまうかもしれない。
「それより、私の感性だけで服選んで良かったんですか? 雪霧さん、自分で選んだの二、三着くらいしかないですよ?」
そう尋ねると、雪霧は綺麗な笑みを浮かべ、顔を前に軽く手を振った。
「構いません。現代の衣服は分かりません故……」
「あと……トシから聞いただけど、雪霧さんは封印されてたってホントですか?」
「え? あぁ、はい。少しばかり窮屈なところに」
彼の言っていたことは本当だったのか。酒呑童子達のように、一冊の本ではなく、絵として保管される物で統一しているのだろう。
しかし、彼女のような優しそうな妖怪が何故、封印されてしまったのか気になる。
「どうして封印されたんですか? 言いたくなければいいですけど」
赤崎の問いかけに、雪霧は一瞬眉を潜めさせたが、先ほど見せてくれた笑みを浮かべ、何も置かれていないテーブルを指で不規則になぞった。
「封印した側の勘違いです。私の住んでいた山の隣の山にも、同じ雪女が居たのですが、その雪女と私を間違えて……です」
「……弁明しなかったんですか?」
「したのですが、妖怪の言葉には聞く耳を持たないといった様子でして、そのまま封印されてしまいました」
苦笑はしているものの、その笑みから確かな怒りが込められているのを感じた。封印されてしまったか、などと安易に受け入れられるものではない。無実無根ながらも、数百年封印される身としては、たまったものではない筈だ。
「酷いはな――」
「ワルイ人もいるんだねぇっ! あたしならぷんすか怒るよぉ!」
突然、少女がテーブルの下から現れ、そのまま赤崎の膝の上に座り、雪霧が語る話に同情するように頷く。
「え、ちょっ……」
座敷童だ。
何故、彼女がここにいる。自室で天華と共にテレビを見ていた筈。気付かなかっただけで、ずっと付いてきてたのだろうか。
赤崎はハッとし、自身の肩掛け鞄のファスナーを開け、漁る。すると鞄の隅に当たり前のように、妖怪達が封印されていた紺色の本が、毅然とした態度で存在していた。
「なんか重いと思ったら……」
「一回も中を見ない沙綾香がいけないんですぅ」
確かに、雪霧を連れてここに来るまで、一度しか鞄を開けていない。財布を取るだけだったので、特に中身を見る事もせず行ったため、本の存在に気付けなかった。
「沙綾香さん、そちらの子供は?」
雪霧が小首を傾げさせ、座敷童に向けて疑問の視線を向ける。それに対し、座敷童は赤崎の膝の上で座り直すと、鼻高々といった様子で名乗る。
「あたしは座敷童です。沙綾香の友達なのですっ」
「座敷、童……、初めてみた……。幸を運ぶ妖怪か」
「そうだよぉ。皆を幸せにするよぉ。すごいでしょ? あ、あたしイチゴのこれ欲しいっ!」
テーブルの端に置かれているメニューの表紙に大きくプリントされた、イチゴパフェを指差す。
自己紹介から食べ物の要求という変化球に、雪霧は肩すかしを食らったようで、呆然と座敷童の事を見る。
「いや、私はおぬ……お前にはご馳走しないぞ。あくまで、沙綾香さんにご馳走する」
「えー、けち」
「けちじゃない。座敷童なら、色々引き起こして無償でたべさせてもらえばいいだろう。自身への幸として」
それもそうだ。幸せを運ぶ妖怪と呼ばれるのであれば、自分に幸せをもたらす事も可能な筈だ。座敷童というものは、そうすることで不幸のない充実とした日々を繰り返し、生き続けきたのだろう。
(あやかりたいものね)
「やだよ。他のひとならいいけど、自分に使うなんて絶対やだ」
「ワガママな奴だな」
「そもそも、ゆぎりん」
「ゆ、ゆぎりん?」
「幸せって、幸せだけがそこにあると思ってる?」
「……は?」
座敷童の言葉に、赤崎と雪霧は首を傾げさせる。
幸せが来るのなら、幸せしかない。その人が幸せと感じたのならば、それ以外のものは存在しない筈だ。
「幸せになる代わりに、誰かが不幸になるよ。あたしの力を使ったら、なおさら」
例えば、と彼女は近くを歩くウエイトレスに指差す。
「あたしがイチゴパフェがただで食べたいから、あの人をこけさせて、ここをめちゃくちゃにするでしょ。すると、お詫びとして何でも頼んでいい、という事になる。事に出来る、かな。じゃあ、あたしや沙綾香、ゆぎりんはお金払わずに好きなもの食べられるやったー……で終わると思う?」
普段の彼女からは想像出来なかった疲れた表情を浮かべられ、赤崎は心の中で驚く。自分の力は人々を幸せに出来るという事実と何かを引き起こす事を悟っているようだった。
「ウエイトレスさんは偉い人に怒られて、お仕事辞めさせられるかもしれないよ? あたし、そこまでして食べたくない。今までだって、人を幸せにするまで良かったけど、最後は不幸になってるもん。あたしを本の中に入れた人も、多分……。あたしの力で沙綾香に友達作る事だって出来るよ? お家もおっきく出来る。でも、自分の力で幸せにならなかった人は絶対、良い事にならない。それをあたしは知ってる。だから、力は使わないで、あたしや酒呑が沙綾香と友達になれば、誰も不幸にならないで幸せにしてあげられるの」
テーブルに顎を乗せ、弱々しく呟く。
幸せを運ぶ妖怪だからこその悩みを抱き、幼い顔を歪ませる彼女に、赤崎は胸を締め付けられる思いで、彼女の頭を優しく撫でる。
「……ありがと」
形だけの友達ほど、切れた時の虚しさは半端なものではない。彼女はその辛さを避ける為に自らが友達として奮起してくれたのだと思うと、当時の自分を引っぱたきたくなる。
すると、目を閉じ、小さく唸り声をあげていたゆぎりがカッと見開き、デザートのページが開かれたメニューを指差した。
「よし、座敷童よ。好きなもの頼め。遠慮はいらない」
「ほんとっ!?」
テーブルにつけていた顎を浮かせ、先程とは打って変わって、パッと明るい表情を浮かべた。
「あぁ。だが――」
雪霧はメニューに差した指を、座敷童の前で立て、
「無償ではない。何かされたなら、何かで返す。お前も、その時代を生きてきたのだろう?」
決して、同情してご馳走するという訳でなさそうだ。あくまで、等価交換。数百年前らしい約束事だ。しかし、少々我が儘な彼女に、それが通用するのだろうか。
「うんっ! 約束っ!」
予想を反し、大きく頷く座敷童。
「いい子だ。では、お呼び致します」
「じゃあ、あたしはこれとこれと――」
「ちょっと待て。そんなに食べられるのか?」
イチゴパフェだけではなく、ケーキなどを差していく座敷童に、雪霧は彼女の動く指を掴む。
「コレとコレは違うお腹同士だよ。えっと、別腹ってやつかな?」
「べ、別腹?」
「そだよぉ、そいやっ!」
そう言い、すかさず呼び鈴のスイッチを押し、駆け寄ってくるウエイトレスに自分が頼むデザートを次々と頼んでいく。
「ねぇねぇ、沙綾香はなにするぅ?」
純粋な面持ちでこちらを見上げる座敷童を見下ろした後、恐る恐る雪霧の方を見ると、彼女は僅かに口を尖らせ、座敷童の事を見つめていた。
――なんだかなぁ。
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