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2章
6話
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午後七時半。
赤崎と別れ、自宅に戻った霧本はソファに座り、彼女との会話を思い出していた。妖怪の出会いは衝撃的だったのだが、良い方向に向かっているのは喜ばしいことだ。自分が思い描いていた通りの妖怪であったならば、今頃死んでいたことだろう。
雪霧は女性らしい言葉遣いが少ないが、とても魅力的であり、優しい。烏丸は人間である自分には引き離す言葉を向けてくるが、同じ妖怪であるコロに対しては送り迎えする程の優しさを持ち合わせている。コロはいつも楽しそうに飛び跳ね、自分達の心を躍らせ、癒してくれる。
山姥との交戦によって出会った妖怪も、人間から一線を越えたというものではなく、妖怪であるという事実以外は、人間となんら大差なかった。現代の妖怪が人間に寄せてきていることに驚きもあった。
妖怪を感じるワザなど持ち合わせていない中、気付かないうちに何体もの妖怪と接していたのかもしれないと考えると、なんとも言えない違和感を抱いた。
(今さら誰が妖怪なのーって思っても仕方ないけどね)
テレビに映し出されているバラエティ番組も終盤に差し掛かり、執り行われている物事の勢いが激しくなっていく。
「俊哉ぁ、もう御飯出来るからこっちにきなさい」
母の声が聞こえ、霧本はテレビから視線を外し事なく返事する。その時、玄関のドアが開かれる音が届き、それと一緒にコンクリートを擦る草履の音も聞こえ、雪霧のものだと分かった。
「ただいま戻りました」
雪霧が草履を脱ぎ、リビングに入ってくるのを見て、母は笑みを浮かべた。
「おかえりなさい」
「おかえりー」
霧本もテレビから視線を外し、彼女の方を振り返る。すると、彼女の手には何か入った封筒が握られているのが視界に入った。
「ただいまです。母上様、少しお話したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
雪霧はこちらに優しい笑みを浮かべた後、台所にいる母に問いかける。
「なに?」
母が首を傾げさせながら、台所から出てくるとテーブルの椅子に座る。それに倣い、ゆぎりも座り、手に持っていた封筒をテーブルの上に置いた。
「なにこれ?」
「てんちょうからいただきました、きゅうりょうです」
「あら、良かったじゃない。それで?」
「これを母上様に献上させていただきたいと思いまして」
「え、なんでよ?」
「ここに住まわせていただくだけではなく、様々な物を――。私が出来ることは、働いたお金を献上くらいしか……」
封筒を両手に添え、前へと押す光景を見て、母は怪訝な表情を浮かべさせる。
「働く理由はあなたから聞いたから分かってるけど、なんで全部なの? 自分で稼いだお金を自分で使うものじゃないの?」
「住まわせていただいている私が、これを自由に使うのは無粋と思いまして……」
「なにそれ」
無粋という言葉に水平を保っていた眉が吊り上がらせ、寄せてきた封筒を押し返した。
「住まわせてる? 私がいつそんな事言ったのよ? 人が一生懸命働いたお金を無心する程、うちは貧しくないからね」
語気を強める母を見るのは、姉と取っ組み合いの喧嘩以来だ。あれ以来、自粛している節があり、生活している中でぐっと堪えている場面を何度か見たことがあった。
優しい女性というイメージを抱いていたのか、語気を強める母に雪霧は目を見開かせ、押し黙ってしまう。普段は気丈に振る舞っている彼女だったが、思いの寄らない事に出来ないでいた。
「居候とかじゃなくて、雪霧ちゃんは家族なんだから。そんな事思わないで」
「家族……ですか……?」
さらに予想を上回る発言をされたのか、母の言った言葉を恐る恐る繰り返し、自分の胸に手を当てる。
家族という言葉が雪霧にとって、受け止めにくいものだったのだろうか。母から視線を外すと、眉を顰めさせた。一度だけこちらを見てきたが、何かと比較したのか、僅かに唸る。
「何処から来たのか分からない私が……家族ですか?」
「そうよ。雪霧ちゃんはもう家族。私達は雪霧ちゃんの事をあまり知らないけど、良い子だもん。疑う必要が無いわ」
「……ありがとうございます」
雪霧は俯かせると、言葉を絞り出すように言った。俯いたため、彼女の表情を窺う事が出来なかった。僅かに体を震わせているようにも見え、彼女がどのような心境を抱いているかまでは認識出来なかった。
(丸く収まって良かった)
そう思っていると、着物の袖で目を拭った雪霧が顔を上げ、封筒から紙幣の束を取り出す。
「ですが、無償という訳にはいきません。おいくらか……」
それでも食い下がる雪霧に母は諦めたのか、偉人の肖像画が印刷された十数枚紙幣の内、一枚だけ引き、手元に引き寄せた。
「じゃ、これで。てか、佐野君……計算投げたわね?」
「? どういう事でしょうか?」
母が渋い顔をする理由は分かる。封筒から出された紙幣は、日本で一番金額に値するもののみで、封筒に小銭が入っているようには見えなかった。時給など、彼にとって単なる目安でしかないようだ。
「気にしないで。残ったお金で好きな……って、雪霧ちゃんさ、一つ聞いていい?」
「何でしょう?」
雪霧が首を傾げさせると、母は自信の胸を指差し、
「あなた、服はどうしてるの?」
そう言った。
その言葉に、霧本は片眉を上げる。
そういえば、この一ヶ月以上、白と薄い青で彩られた着物を見続けている。彼女達と出会った日から、何一つ変わらない姿。洗濯はいつしているのだろうか。
「これ、ですが?」
質問の意図が分かっていないようで、雪霧は自身の胸元を摘み、首を傾げさせた。
「それ以外の服よっ」
「……持っていませんが」
「じゃあ、パンツとかは? 雪霧ちゃんの、見たことないわよ?」
パンツ、という単語に、霧本は思わず吹き出してしまう。そんな彼に、母と雪霧が驚いた様子で見やる。霧本の顔を見た母は、目を細めさせると僅かに口を歪ませ、『エロガキ』と毒づく。
「もう……。今から買ってくるから……俊哉、先に食べといて」
「え、今から?」
「今からよ。でないと、気になって仕方ないわ……」
『あんたもでしょう?』、と言いたげにこちらをじろっと見てから、椅子に置いていた自分の鞄を手に持ち、玄関へと足早へと出て行った。
出かけてしまった母を見送った後、雪霧は呆然とした様子で瞬きをし、霧本の方を見ては首を傾げさせる。
「そんなに変な事なのか?」
「うん……まぁ……」
彼女が下着を身に着けていない事が分かってから、直視出来ない。思春期に差し掛かった霧本にとって、今の状態の雪霧は刺激が強すぎるものだ。青と薄い白で彩られた着物の一つ下には、線の細い彼女の裸が隠れている。
そこまで考えて、顔が沸騰するように熱くなっていくのが分かった。霧本は顔を彼女の方向に向けてはいるが、視線は台所の方へ向ける。
完全に逸らしてしまうと、動揺しているのがばれてしまう。一ヶ月以上、共に過ごしておきながら、今の彼女に突然、余所余所しくなるのは失礼だろう。
「どうした、顔が赤いぞ?」
雪霧は席を立つと、こちらに歩み寄ってきたは身を屈ませた。それにより、近くなった彼女の整った顔立ちに僅かに胸を高鳴らせたと同時に、胸元から僅かに見える、彼女の薄い胸が覗かせた。
「だ、でっ……あの……っ」
目のやり場に困り、視線を泳がせていると、雪霧は数度に渡って自身の顔より下に下へと視線が向けられていた事に気づき、太腿へと目をやる。そこで、視線を泳がせる理由が理解出来たのと、下着の重要性に気付いた様子で、再びこちらを見てきた。
「なるほど、少し理解出来た。今の私は、俊哉達にとって途轍もなく恥ずかしい状態という事だな?」
「僕らからしたら、裸かな……。昔で言うと……すけべ?」
その発言によって自分の置かれている現状を理解出来たのか、彼女の白い頬がゆっくりと朱色に染まっていく。
「そう、か……私が……」
片手で顔を覆い、項垂れてしまう。数百年前でもそのような人物がおり、彼女は少なからず嫌悪していたのだろう。それがいつの間にか、自分も当て嵌まってしまっていたのが余程ショックだったのか、約五秒に渡るため息が彼女の口から漏れる。
「俊哉も私が変な奴だと思うか……?」
「え、いや……」
魅力的な容姿(胸を除く)をしている雪霧だと思うと、口が裂けても言えないが胸の高鳴りは避けて通れない。実際、現時点で胸の鼓動が普段よりも感じ、落ち着かない。
「ま、まぁ……これから慣れていけばいいと思うよ……?」
霧本は雪霧と目を合わさず、気分を落ち着かせる為に服の裾を強く握り締めた。
赤崎と別れ、自宅に戻った霧本はソファに座り、彼女との会話を思い出していた。妖怪の出会いは衝撃的だったのだが、良い方向に向かっているのは喜ばしいことだ。自分が思い描いていた通りの妖怪であったならば、今頃死んでいたことだろう。
雪霧は女性らしい言葉遣いが少ないが、とても魅力的であり、優しい。烏丸は人間である自分には引き離す言葉を向けてくるが、同じ妖怪であるコロに対しては送り迎えする程の優しさを持ち合わせている。コロはいつも楽しそうに飛び跳ね、自分達の心を躍らせ、癒してくれる。
山姥との交戦によって出会った妖怪も、人間から一線を越えたというものではなく、妖怪であるという事実以外は、人間となんら大差なかった。現代の妖怪が人間に寄せてきていることに驚きもあった。
妖怪を感じるワザなど持ち合わせていない中、気付かないうちに何体もの妖怪と接していたのかもしれないと考えると、なんとも言えない違和感を抱いた。
(今さら誰が妖怪なのーって思っても仕方ないけどね)
テレビに映し出されているバラエティ番組も終盤に差し掛かり、執り行われている物事の勢いが激しくなっていく。
「俊哉ぁ、もう御飯出来るからこっちにきなさい」
母の声が聞こえ、霧本はテレビから視線を外し事なく返事する。その時、玄関のドアが開かれる音が届き、それと一緒にコンクリートを擦る草履の音も聞こえ、雪霧のものだと分かった。
「ただいま戻りました」
雪霧が草履を脱ぎ、リビングに入ってくるのを見て、母は笑みを浮かべた。
「おかえりなさい」
「おかえりー」
霧本もテレビから視線を外し、彼女の方を振り返る。すると、彼女の手には何か入った封筒が握られているのが視界に入った。
「ただいまです。母上様、少しお話したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
雪霧はこちらに優しい笑みを浮かべた後、台所にいる母に問いかける。
「なに?」
母が首を傾げさせながら、台所から出てくるとテーブルの椅子に座る。それに倣い、ゆぎりも座り、手に持っていた封筒をテーブルの上に置いた。
「なにこれ?」
「てんちょうからいただきました、きゅうりょうです」
「あら、良かったじゃない。それで?」
「これを母上様に献上させていただきたいと思いまして」
「え、なんでよ?」
「ここに住まわせていただくだけではなく、様々な物を――。私が出来ることは、働いたお金を献上くらいしか……」
封筒を両手に添え、前へと押す光景を見て、母は怪訝な表情を浮かべさせる。
「働く理由はあなたから聞いたから分かってるけど、なんで全部なの? 自分で稼いだお金を自分で使うものじゃないの?」
「住まわせていただいている私が、これを自由に使うのは無粋と思いまして……」
「なにそれ」
無粋という言葉に水平を保っていた眉が吊り上がらせ、寄せてきた封筒を押し返した。
「住まわせてる? 私がいつそんな事言ったのよ? 人が一生懸命働いたお金を無心する程、うちは貧しくないからね」
語気を強める母を見るのは、姉と取っ組み合いの喧嘩以来だ。あれ以来、自粛している節があり、生活している中でぐっと堪えている場面を何度か見たことがあった。
優しい女性というイメージを抱いていたのか、語気を強める母に雪霧は目を見開かせ、押し黙ってしまう。普段は気丈に振る舞っている彼女だったが、思いの寄らない事に出来ないでいた。
「居候とかじゃなくて、雪霧ちゃんは家族なんだから。そんな事思わないで」
「家族……ですか……?」
さらに予想を上回る発言をされたのか、母の言った言葉を恐る恐る繰り返し、自分の胸に手を当てる。
家族という言葉が雪霧にとって、受け止めにくいものだったのだろうか。母から視線を外すと、眉を顰めさせた。一度だけこちらを見てきたが、何かと比較したのか、僅かに唸る。
「何処から来たのか分からない私が……家族ですか?」
「そうよ。雪霧ちゃんはもう家族。私達は雪霧ちゃんの事をあまり知らないけど、良い子だもん。疑う必要が無いわ」
「……ありがとうございます」
雪霧は俯かせると、言葉を絞り出すように言った。俯いたため、彼女の表情を窺う事が出来なかった。僅かに体を震わせているようにも見え、彼女がどのような心境を抱いているかまでは認識出来なかった。
(丸く収まって良かった)
そう思っていると、着物の袖で目を拭った雪霧が顔を上げ、封筒から紙幣の束を取り出す。
「ですが、無償という訳にはいきません。おいくらか……」
それでも食い下がる雪霧に母は諦めたのか、偉人の肖像画が印刷された十数枚紙幣の内、一枚だけ引き、手元に引き寄せた。
「じゃ、これで。てか、佐野君……計算投げたわね?」
「? どういう事でしょうか?」
母が渋い顔をする理由は分かる。封筒から出された紙幣は、日本で一番金額に値するもののみで、封筒に小銭が入っているようには見えなかった。時給など、彼にとって単なる目安でしかないようだ。
「気にしないで。残ったお金で好きな……って、雪霧ちゃんさ、一つ聞いていい?」
「何でしょう?」
雪霧が首を傾げさせると、母は自信の胸を指差し、
「あなた、服はどうしてるの?」
そう言った。
その言葉に、霧本は片眉を上げる。
そういえば、この一ヶ月以上、白と薄い青で彩られた着物を見続けている。彼女達と出会った日から、何一つ変わらない姿。洗濯はいつしているのだろうか。
「これ、ですが?」
質問の意図が分かっていないようで、雪霧は自身の胸元を摘み、首を傾げさせた。
「それ以外の服よっ」
「……持っていませんが」
「じゃあ、パンツとかは? 雪霧ちゃんの、見たことないわよ?」
パンツ、という単語に、霧本は思わず吹き出してしまう。そんな彼に、母と雪霧が驚いた様子で見やる。霧本の顔を見た母は、目を細めさせると僅かに口を歪ませ、『エロガキ』と毒づく。
「もう……。今から買ってくるから……俊哉、先に食べといて」
「え、今から?」
「今からよ。でないと、気になって仕方ないわ……」
『あんたもでしょう?』、と言いたげにこちらをじろっと見てから、椅子に置いていた自分の鞄を手に持ち、玄関へと足早へと出て行った。
出かけてしまった母を見送った後、雪霧は呆然とした様子で瞬きをし、霧本の方を見ては首を傾げさせる。
「そんなに変な事なのか?」
「うん……まぁ……」
彼女が下着を身に着けていない事が分かってから、直視出来ない。思春期に差し掛かった霧本にとって、今の状態の雪霧は刺激が強すぎるものだ。青と薄い白で彩られた着物の一つ下には、線の細い彼女の裸が隠れている。
そこまで考えて、顔が沸騰するように熱くなっていくのが分かった。霧本は顔を彼女の方向に向けてはいるが、視線は台所の方へ向ける。
完全に逸らしてしまうと、動揺しているのがばれてしまう。一ヶ月以上、共に過ごしておきながら、今の彼女に突然、余所余所しくなるのは失礼だろう。
「どうした、顔が赤いぞ?」
雪霧は席を立つと、こちらに歩み寄ってきたは身を屈ませた。それにより、近くなった彼女の整った顔立ちに僅かに胸を高鳴らせたと同時に、胸元から僅かに見える、彼女の薄い胸が覗かせた。
「だ、でっ……あの……っ」
目のやり場に困り、視線を泳がせていると、雪霧は数度に渡って自身の顔より下に下へと視線が向けられていた事に気づき、太腿へと目をやる。そこで、視線を泳がせる理由が理解出来たのと、下着の重要性に気付いた様子で、再びこちらを見てきた。
「なるほど、少し理解出来た。今の私は、俊哉達にとって途轍もなく恥ずかしい状態という事だな?」
「僕らからしたら、裸かな……。昔で言うと……すけべ?」
その発言によって自分の置かれている現状を理解出来たのか、彼女の白い頬がゆっくりと朱色に染まっていく。
「そう、か……私が……」
片手で顔を覆い、項垂れてしまう。数百年前でもそのような人物がおり、彼女は少なからず嫌悪していたのだろう。それがいつの間にか、自分も当て嵌まってしまっていたのが余程ショックだったのか、約五秒に渡るため息が彼女の口から漏れる。
「俊哉も私が変な奴だと思うか……?」
「え、いや……」
魅力的な容姿(胸を除く)をしている雪霧だと思うと、口が裂けても言えないが胸の高鳴りは避けて通れない。実際、現時点で胸の鼓動が普段よりも感じ、落ち着かない。
「ま、まぁ……これから慣れていけばいいと思うよ……?」
霧本は雪霧と目を合わさず、気分を落ち着かせる為に服の裾を強く握り締めた。
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